第2章 証言 ─教授─
大学構内の応接室は、築年数なりの古さと、研究機関としての抑制された品格が同居していた。午後の光が窓枠に沿って伸び、積み重ねられた文献資料の背表紙に、斜めの影をつくっている。
応対に現れたのは、文学部・文芸学科の教授である平間直人。五十代半ば、痩身に古いジャケットを羽織り、薄いフレームの眼鏡をかけた人物だった。
「……柚木さんの件については、私も驚いています。うちの生徒が殺人事件の被害者になるなんて。」
彼は、入口で名乗った時点で内容を察していたようで、刑事であることに過度な反応を見せるでもなく、落ち着いた調子で椅子を勧めてくれた。
「今日は、遠野湊さんについても少し、お話を伺えればと。柚木さんとは文芸サークルで一緒だったもので。」
そう切り出すと、平間教授は短くうなずき、腕を組んだ。
「ええ、分かりました。
……彼は、研究室配属の時から、よく覚えていますよ。文学への執着が非常に強い学生で、良くも悪くも“素直じゃない”子でした」
「素直じゃない、というと?」
「他者に対しても、自分に対しても、ですね。何かを“ストレートに表現する”ことを、どこか忌避していたように思います。自分の感情や思想を“書く”ときも、必ず何か別の仮面を被せてから提示する。逆に言えば、それだけ表現に慎重だったとも言えるのですが」
教授は少し考えこむように言葉を止め、窓の外へ目をやった。
「彼は、文学に救われてきた人間だと思いますよ。……若い頃から自己表現の困難を抱えていたのでしょう。言葉に対して非常にセンシティブで、特に“どの言葉を使わないか”という部分に、彼の意志が表れていました」
その言い回しに、俺は手帳のページをめくる手を止める。
「“使わない言葉にこそ、意志がある”……ですか」
「ええ。書き手にとっては“沈黙”も表現の一種ですから。……もちろん、それは文学の中での話ですが」
その最後の言い回しには、微かな警戒心が含まれていた。こちらが何を探っているかを完全に把握した上での、教授なりの“線引き”だったのだろう。
「遠野さんは、他の学生と比べてどうでしたか? サークルでは浮いていたという話も聞いています」
「学問的な意味では、むしろ他者に開かれた思考を志向していたと思います。ただ……人間関係のなかで、どうだったかは……。少なくとも、ゼミでは周囲と円滑にやれていたとは言いがたいですね。議論の途中で急に黙ることがありました。“違う”と思っても、それをうまく伝えられない……というより、“伝える気がない”ようにも見えました」
斎木が小さく首をかしげる。
「教授、それは緘黙だった可能性は──」
「ああ、それも後から知りました。小学生の時に診断を受けたと、本人が卒論の面談のときに少し話してくれたんです。“話せなくなることがある”と。そのときは笑いながら言っていましたけど、あれは半分、本音だったのでしょうね。自嘲にも見えましたが」
その語りには、遠野に対する一定の理解がにじんでいた。
「……ところで先生、彼の研究テーマについて、詳しく伺ってもよろしいですか?」
「ええ。構いません。遠野くんは、独自の問題意識を持っていましたから……。非常に興味深いテーマでしたよ」
教授の目が、わずかに光を宿す。
それは、学生の「問題行動」を咎める側の表情ではなく、“ひとりの表現者”に対する学術的な敬意を含んだ眼差しだった。
平間教授は、机の上に積まれていたファイルの束を静かに崩すと、その中からA4判のレポートを一枚取り出し、テーブルの上に差し出した。
「これが、彼が卒業論文です。“〈語らない主体〉における表現論的機能の変遷”──タイトルからして難解でしょう?」
資料のタイトルを目で追いながら、俺は斎木と顔を見合わせる。
「語らない主体……ですか」
「彼は“語らないこと”をテーマにしていたんです。つまり、小説や詩、エッセイなどの中で、“登場人物がなぜ沈黙するのか”“語られないことがどう受け手に作用するのか”という点に着目していました。とくに20世紀以降の私小説やポストモダン文学に強い関心があった」
平間教授はそう言うと、レポートの一節を指で示した。
“沈黙する登場人物は、しばしば読者に〈行間を読む〉ことを要求する。
この沈黙は、語られることよりも多くを語り得るという逆説を内包している。”
「彼にとって、表現とは“伝える”ことではなく、“問いかける”ことだったんです。……書き手が何かをはっきり伝えるのではなく、読み手に“どう読むか”を委ねる。その選択の幅を作ることこそが、彼の言う“文学の倫理”でした」
「文学の……倫理?」
「はい。たとえば、ある登場人物が悲しんでいるとき、“彼は泣いた”と書くか、“彼はカップの縁を指でなぞった”と書くか。それによって、読者の解釈は変わります。遠野くんは、“後者のほうが倫理的だ”と考えていました。つまり、読者に判断させるという余地を残す。それが彼の言う“倫理的表現”です」
「……なるほど。明言しないことで、読者の解釈を誘導せず、自由を与えると」
「そのとおりです。ただし、同時に非常に危うい論理でもあります。なぜなら、その“余白”は読者によって勝手に塗りつぶされてしまうから」
教授は言葉を止め、考え込むように天井を見上げた。
「彼の文章は、そこが極端だった。情景や心理を詩的な比喩で飾りながら、肝心の部分──感情の動機や倫理の判断は、必ず空白にする。……“書かない”ことに、強烈な意味を持たせていました」
沈黙が一瞬、部屋を満たす。
斎木が掌をハンカチでぬぐった。その仕草に、言葉では隠しきれない緊張がにじんでいた。
「それ、まさに……あの手記そのものですね」
「手記……?」
「いえ、いまのところ非公式の話です。……ただ、彼がとある事件に関連して“書いたもの”がありまして。非常に技巧的で、情報が整っているのに、核心が語られない。まるで、すべての判断を読み手に委ねるような書き方でした」
教授は静かに頷いた。
「そうでしょうね……。彼は“読ませる”という行為を、極限まで突き詰めていた。読者に感情を与えるのではなく、読者の中に感情を“発生させる”。……これは、彼がたびたびゼミで口にしていた言い方です」
「その“発生させる”というのは……?」
「ええ。つまり、“共感”をコントロールしない、ということです。書き手の意図を伝えるのではなく、読者自身の倫理や経験で“補完させる”。その結果、同じ文章でも“ある人には犯人が悲しんでいるように見え”“ある人には冷徹に見える”……そういう“多義性”を、彼は強く求めていた」
──つまり、
あの手記の“読みづらさ”や、“感情の輪郭が曖昧な不気味さ”は、彼の技術であり、意図だったということか。
「先生、彼は、書くことでなにかを“伝えたい”と思っていたんでしょうか」
「いいえ。彼は、書くことで“構築”していたんです。現実とは別の次元に、自分だけの物語を。……そして、それを読み手が“受け取ってくれる”ことを、どこかで信じていた。信仰にも近い形で」
構築。
遠野のあの目。言葉を拒んだまま、しかし俺の言葉を正確に“読む”ような視線。
あれは、すでに“読者と向き合う書き手”としての顔だったのかもしれない。
「……その研究は、完成していましたか?」
「ん~、難しい質問ですね。研究というのは少しずつ磨き上げていくものですから…。彼は“もう完成してる”と話していましたが。」
斎木がふと、思い出したように問いかけた。
「先生、彼の原稿やデータって、大学側に何か残っていますか? 過去の提出物やバックアップなど」
「提出論文は学科にバックアップが残りますが……草稿段階だと、個人管理の場合も多いですね。ただ、彼のフォルダには、卒業論文とは別に“未提出草稿”のファイルがいくつか残されているかもしれませんね」
遠野 湊──
彼は、「語らないこと」そのものを、研究し、武器とし、世界と向き合っていた。
言葉を“届ける”のではなく、“沈黙させる”ことで読ませる。
そんな表現者が、“本当に殺意を持って人を殺した”のか──
それとも、“殺意を物語にした”のか。
教授は、コーヒーに口をつけながら、目の前のカップの縁を指でなぞっていた。数秒の静寂ののち、彼はふと、何かを思い出したように言葉を継いだ。
「……ところで、少し文体の話をしてもよろしいですか。これは捜査には関係のない、いわば“学術的な余談”ですが」
「ぜひ聞かせてください。私自身、文学というものにはあまり馴染みがなくて」
「それは良い傾向です。むしろ、あまり通読しない人のほうが、文体の“ズレ”に敏感だったりするんですよ。整合性というのは、しばしば読み慣れた者にとって盲点になりますから」
教授は書棚から一冊の論文集を取り出すと、ページをめくりながら言葉を続けた。
「文体とは、文章の“声”です。これは単なる文章のリズムや語彙の選択ではなく、もっと深い、“語りの倫理”に関わる問題です。たとえば、“彼は泣いた”と“彼の頬を一筋の涙が滑った”は、情報量としては似ていても、まったく異なる視線を提示しています」
「つまり、書き手が“どこまで読者に寄り添うか”という距離の問題ですね」
「おお、それは非常に的確な言い方ですね。まさしく、語り手と読者のあいだにある“距離”こそが文体の本質です。そして、この距離は可変的であると同時に、読者の想像力を呼び込む装置でもある」
平間教授はページを閉じ、テーブルの上に軽く置いた。
「現代文学、とくに日本の近代以降の私小説系譜では、“書かれないこと”がどんどん増えていきます。戦後文学では、これは“語りの抑制”として理論化され、“沈黙の詩学”とも言われます。感情の直接的な表出を避け、あくまで行動や物の描写によって、読者に“読み取らせる”。いわば、行間に情報を沈める技法ですね」
「黙っていることで、かえって多くを語る、ということですか」
「そのとおり。とくに1980年代以降のポストモダン文学では、“読者の介入”が一種の構文条件になってくる。たとえば村上春樹の初期短編では、感情の説明がごっそり削ぎ落とされ、その代わりに小物の配置や間合いだけが延々と描かれる。これは、“書かないことで物語を成立させる”試みでもありました」
「警察の調書は、基本“事実の連続”ですが……文学の文体というのは、むしろ“事実の空白”で組み立てられるんですね」
「実に鋭いですね。文学とは、しばしば“欠け”によって成立します。ジャン=リュック・ナンシーという哲学者が、かつて“共同体とは喪失を共有することだ”と語りましたが、文学もまた、“語られなかったことを共有する”ことで、読者との共犯関係を結ぶのです」
「共犯関係、ですか」
「はい。ある種の小説は、読者の経験や倫理感を当て込んで書かれています。語られなかった死、書かれなかった恋情、記述されない加害の気配……それらは、読者の内側で補完され、物語が“完成”するのです。つまり、読者が“読み間違える自由”を持つことこそが、文学の核でもある」
斎木が眉をひそめた。
「でも、それって……読み手によって全然ちがう物語になるってことですか?」
「そうです。文学とは、いつだって“揺らぎ”のメディアなのです。法的な言語が“明確であること”を求められるのに対し、文学の言語は“不明確であること”にこそ価値を持ちます。だからこそ、時に人を慰め、あるいは欺くのです」
「欺く?」
「はい。比喩は、真実を語るための仮面であると同時に、しばしば“ごまかし”の道具にもなる。詩的な表現が感情を正確に伝えるとは限りません。むしろ、それは読み手に“真実らしさ”を装わせるための装置にもなりうるのです」
俺は、静かに息を吐いた。
──手記の、あの異様なまでの沈黙。過剰に整った情景描写。
──言葉を拒む代わりに、文章で“すべてを語ったふり”をする筆致。
「では教授、問いかけます。もし誰かが、自分の罪を詩的に語ったとしたら──その言葉は、真実と呼べるでしょうか?」
平間教授は一瞬だけ黙し、そして穏やかに微笑んだ。
「それは文学にとって、永遠の問いです。“真実”は常に、言葉の外側にある。だからこそ、われわれは読む。読み続けるのです。“どこまでが語られていて、どこからが語られていないか”──その境界線を見つけるために」
教授の言葉が、コンクリートの壁に静かに沁みていった。
大学構内を出たとき、午後の光はすっかり傾いていた。
濡れた地面には、枝葉の影がうっすらと落ちていて、風の匂いにはまだ春の冷たさが残っていた。斎木は何も言わず、俺の隣を歩いていた。教授室での対話が、まだ彼の思考を掴んで離さないのだろう。
「……文学って、ずるいですね」
沈黙のあと、斎木がつぶやいた。
「なんでも“意味がある”ように見せられる。明言しなければ、何通りにも取れる。しかも、読む側にそれを補わせて、“共感”させちゃう……。なんていうか、うまく言えないけど、納得させられてしまう感じが、ちょっと気味悪いです」
「お前の言うとおりかもしれんな」
俺はそう答えながら、頭の中にあるページの並びを思い返していた。
──遠野 湊の手記。
──その整った文体、端正な構造。
──語られすぎない感情。
──不自然なまでの抑制と、美しすぎる余白。
文学における“沈黙”とは、時に語りすぎることと同義である──平間准教授のその言葉が、じわじわと胸に残っていた。
遠野は、語らなかった。
けれど、“書いた”。
しかも、“書きすぎないように”書いた。
その選択に、どうしても俺は引っかかっていた。
彼の文章には、確かに読ませる力がある。
言葉を削ぎ、説明を避け、行間に読者を招き入れる技術がある。
だが──なぜ、それが“供述”なのか。
言葉で語れない者が、文章で語ろうとすること自体に矛盾はない。
だが、彼の文章は“詩的すぎる”。
まるで“文学の読者”である俺たちに向けて書かれているような。
斎木が、少し間を置いて言った。
「たとえば、彼の手記が小説だったとしたら──読者は、“かわいそうな青年の突発的な犯行”として読むでしょうね」
「そうだな」
「でも、あれが“証言”なら──逆に、そこまで作り込むのが不自然に思えてくる。どっちにしても、“共感させようとしている”ことに変わりはないです」
俺は小さく息を吐いた。
それこそが、“違和感”の正体かもしれない。
遠野は、読む者に“解釈の余地”を与える形で、自分の感情や行動を描写している。
あたかも、“あなたならどう思いますか”と問うように。
けれど、それは供述ではない。
供述とは、“事実の明言”であるべきだ。
彼の手記には、確かに真実がある。
だが、“その選び方”に、明らかな意図がある。
選ばれた文体、配された比喩、削られた会話。
あらゆる要素が、“読むこと”を前提として設計されている。
──だから、危うい。
それは、“供述”に見せかけた、“演出”ではないか?
沈黙という名の演技。
文学という名の仮面。
読者との“共犯関係”が、真実をゆがめてしまう。
そんなものが、“証拠”になるのか?
「事件には、物語が生まれる。だが、死者には物語を与えるな」
刑事になりたての頃、遺族の前で“背景”を語ろうとした俺に、先輩はそう言って叱った。
目の前の学内通路には、学生たちの笑い声が薄く混じっていた。
何も知らない午後の景色が、逆に胸に刺さる。
「遠藤さん」
斎木が声をかけてくる。
「次はもう一度、藤沢に会うんでしたよね。第一発見者であり、柚木さんの“相談相手”。遠野の手記の中でも“自分が変えられない存在”って描かれてた」
「そうだ。藤沢は、第一発見者としてすでに現場で会ってる」
俺は足を止め、斎木に視線を向けた。
「だがあの時、やつは“ただの予備校時代の先生”だと言っていた。柚木さんとの関係──少なくとも親密な私的接点については、何も話さなかった」
斎木が顎に手をやる。
「……それが嘘だとしたら、遠野の手記に書かれてる“曖昧な関係”の実体が、ぐっと現実味持ちますね」
「だから会う。今度は“第一発見者”じゃなく、“関係者”として」
俺はスマホを取り出し、予定を確認した。
「予備校の講師。面会は今日の午後。今度こそ、本当の顔を聞き出す」
斎木が頷き、俺たちは歩き出した。
「行こう。次は……“物語の中の男”に会いに」
ページをめくるように、静かに、次の章が始まる気がしていた。