第三話 レッター・カーネシア
今日は曇りひとつない晴れ。こんな日には、鍛錬をするのが過去の俺の日課だった。
しかし、今の俺は手が届きそうで届かない窓の向こうをただ、横になって眺めることしかできない。
物理的に。
なぜなら、今の俺は・・・
「うわあああああああああああああん!わああああああん!」
「リン、どうしたの?おなかすいちゃったのかな?」
うるさいな・・・
いつまで泣いてるんだ、俺の隣人は。
ーーもうすぐ生まれて半年になるというのに。
そう。今の俺は、異世界転生により、赤子から人生を一からやり直している。
だが、意識は前世を引き継いでいるようだ。
そのせいで、体が思うように動かない。
かろうじて犬のように這いずり回ることしかできない。
その様子を周りの大人たちがバカにしている。
くそ、こんな屈辱は初めてだ・・・!!
「レッターはハイハイが上手でちゅねー。」
そう言って俺を見下してくる女は俺の母、名はフレデリス・カーネシア。
長く、しなやかな髪は烈火のごとく紅く、その瞳もまた、燃え盛る火のような深い赤をしている。
端正な顔立ちをしており、気高く、気品のある女性だ。
もしかしたら、どこかの国の王女だったのではないかと思わせるほどに。
しかし俺が外見以上に驚いたのは、身にまとっているオーラだ。
まるで炎そのもののようだった。
はじめて目にしたときは、思わず泣きそうになってしまった。
生後すぐの赤子の体の制御は中々にむずかしいと知った。
「あんよ、あんよ、あんよが上手!」
そしてそんな気高き女が俺の前でずっと俺に話しかけてくる。
この女、親バカなんだ。それも、重度の。
俺の醜くく這いつくばる様子をまるで、猫でもみてるかのように、笑顔でずっと見てくる。
おかげで、部屋の外に脱走を何度も試みているが、一度も成功したことはない。
しかし、今日。フレデリカはもうすぐ、用事で外にでるという情報を耳にした。
これはチャンスだ。
俺は今日こそ、外の世界と対面するのだ。
しかし、この家はそう簡単に俺を部屋から出させない。
俺が越えなければいけない壁がもう一つ。
それは、うちで働く家政婦のローランだ。
歳は、フレデリカの親くらいの年齢で、おしとやかで、優しい印象をもつ人だ。
その所作に無駄はなく、美しさすら覚える。
子守だけでなく、家事全般得意なオールラウンダー。
そのどれも、高いレベルにいる。
そして、動きも以上に速い。
一度、脱出成功仕掛けた時もあと一歩のところで捕まってしまった。
広い視野と高い身体能力を持っているということだ。
侮れない相手だが、今の俺にとってはちょうどいい訓練相手だ。
そしてもう二人、この部屋には存在している。
一人は、さっきまでわんわん泣いていたのに、気づいたらまた寝てる情緒がおかしいやつ。
名前は、リン・カーネシア。俺の双子の姉だ。
寝ているところと、泣いているところと、ミルクを飲んでいるところしか見たことはない。
最近ようやく、這いつくばるようになったが、まだまだ動きは三流だ。
リンが俺の作戦のキーパーソンである。
そしてもうひとり・・・いたっ
「あんよ!あんよ!・・あら」
俺より一年早く生まれた姉のネル・カーネシアである。
一年の差は大人になると大した違いではない。
しかし、生後間もない俺らにとって、一年の差は歴然となる。
なぜなら、ネルはもう当たり前に歩いている。
そして、今のように俺のことをよく蹴ってくる。
一年の差、おそるべし。
「ちょっと、ネル!レトのこと蹴っちゃだめでしょ~?」
フレデリカがぷんぷんと、怒り濃度ゼロ%で説教をしている。
「ママ、ごまんなちゃーい」
「もーーーう。かわいいんだから~♡
ママ許しちゃう~~♡」
勝手に許すな。蹴られてるの俺だから。
こいつ一歳ながら、完全に母親のことを理解している。
天性の甘え上手。ネルはそんな奴だ。
俺の脱出作戦は、ネルのイレギュラーに対応しなければならない。
ふと、フレデリカが時間を確認する。
出かける時間が迫っているのに気付いた。
「あら、わたしそろそろ出かけないと。
ローラン、少しの間、この子たちをよろしくね。」
「ええ、もちろん。気を付けて。」
先に準備は終えていたようで、上着を着て、そのそばにあった手提げカバンをもち、フレデリカは部屋を出ていった。
それでは、作戦実行。
今日こそは、まだ見ぬ、外の世界へ。
まず、寝たふりをして、双子用ベッドに入る。その後、寝ているリンのほっぺを少しつねる。
「うわあああああああああああああああああああん!」
よし。泣き出した。
作戦は順調だ。
するとすぐに、ローランが駆け寄ってくる。
ローランがリンを、あやしているうちに、ベッドとは反対側のドアから外にでるのだ。
「どうしたの、リン?また、レトに意地悪されたの?」
よし、食いついた。
すかさず、俺はベッドを出て、ドアに向かっていく。
ここまでは、思い描いた通りだ。
あたりに目をやるが、ネルはいない。
遠くでぬいぐるみとじゃれているようだ。
もらった。ドアまで一直線に進んでいる。
毎日の訓練のおかげで俺のハイハイは、赤ちゃん界でも上位に位置しているだろう。
さあ、ついにドアの前までやってきた。
初の快挙である。さて、問題はここからだ。
ドアが開いていればよかったのだが、そう簡単にはいかない。
俺がドアノブをひねって・・・
そのとき、俺は思い出した。
・・・俺、まだ立てないんだった。
勢いあまって、立とうとしてしまったが、
足腰がまだ未熟な俺は、そのまま後ろに倒れた。
頭からいったため、ゴツンという音が部屋に響いた。
流石に痛いな。
しかし、泣くことは許されない。
込みあげてくるものを抑え、必死に泣くまいとした。
「レト!!
大丈夫!!??」
すぐにローランが駆け寄ってきた。
心配そうにそう問いかけた。
まだ満足に返答できないので、目で大丈夫だと訴えかけてみた。
しかし、その思いは届かず、ひょいと抱きかかえられた。
くそ・・・
作戦は失敗か。
新たな課題。
ドアをどう開けるか。
それに気付けただけでも大きな収穫だ。
また、ベッドで考えるとするか。
体格が小さくなっていることによる失念がないか、もう一度洗い出してみよう。
そのままベッドに連れ帰されるのかと思っていたが、ローランは俺を抱えたまま立ち止まった。
そして、俺にこう尋ねた。
「レト。あなたは、本当に人間なの?」
俺の転生後の名は、
レッター・カーネシア。
親しい者はレトと呼んでいる。
まだ転生して数か月の俺だが、もう疑われてしまっているようだ。