7ーー4年生(5月)
「ねぇねぇ、こないだのデータ、皆んなで共有する?」
エリがまた写真部から借りてきたらしいカメラを右手に、皆んなを見回している。
剣道部見学から週が明け、今日は月曜日。今はまたグループワークの時間だ。
エリと違ってよく分からないのだが、そんなカメラで撮った写真はかなり高画質なのでは?と塔子は思う。一枚一枚が重そうだ。
「重くない?フリーのクラウドにあげて好きなの落とせるようにする?あれ?データって好きに使ってイイんだっけ?」
塔子は最後の文を阿久津に向けて言った。
「……いや、使うには許可がいる。とりあえず写真見せてくんね?」
「すっごくカッコよく撮れてるよ〜」
ニコニコしながらエリがカメラを手渡した。
「………………」
阿久津が眉間に皺を寄せながらデータを見てる間、塔子はメグに動画の方を見せてもらった。
「……阿久津ばっかりなんだね。そうか、前面に押し出すんだったね」
前面に押し出すどころか、全面阿久津だ。何だか塔子が思ってたのと違う。もしかしてエリの写真の方もそうなのだろうか。だからあの皺なのか?
塔子は怖々と阿久津を盗み見る。
――うん、すごく怖い。
空気が氷点下。あっちの写真を見るのも恐ろしい。話しかけるのも憚られる。よりによってこういう時に頼りになりそうな橘は席を外している。どこいった?塔子はあっちは見ないことにして、メグに近づく。
「メグ、堂前さんって人撮ってない?」
塔子がそう言うと阿久津が顔を挙げた気配がした。
「誰?もしかしたら映ってるかもよ?何、気に入った?」
塔子が一番目を奪われた人だ。剣道のことは全然分からないが、まとっている空気が違って見えた。
「うーん、上手く言えないけど……なんか凄かった」
「語彙力!」
メグが笑う。
「あはは。いや、何で言えばイイんだろ、佇まいが違った?」
「……主将」
「えっ?」
珍しく自主的に会話に入ってきた阿久津に塔子とメグがビックリして振り向くと阿久津が塔子を真っ直ぐ見ながらもう一度言った。
「……堂前って言った?主将だよ」
「なるほどー、なんかその先輩の周りだけ空気感が違って見えたよ」
メグに携帯を返しながら自分の席に戻る。
「多分この学校では別格に強い」
「そうなんだ!うん、なんか美しかった」
「……やっぱ目立ってた?」
「うん、オーラが違ってた……あ、ゴメン、でも阿久津もカッコよかったよ。竹刀持つと背筋伸びるんだね?いつもあの姿勢でいたらイイのに。いつも怠そうにしてるよねー」
「……」
――あーあ、せっかく話せてたのに下向いちゃった。でもなるほど。あの先輩は主将なのか。
塔子は納得した。体幹がしっかりしているように見えた。最近部活でもちょっと強めに当たられると軸がブレる気がしている塔子は体幹を鍛えたいと考えていた。あの素振りの練習は体幹鍛えられそうなメニューだな、いや体幹が弱いとツラいメニューなのかな?などと考えながら、無意識にまたエアー素振りをしている塔子に阿久津の目が向く。
「……こないだもやってたな」
「うん、森田に動きがうるさいって言われたわ。
いやーこれってすごくキツいよね。私体幹が弱いんだろうなぁ。筋トレ見直そ」
ゴニョゴニョと塔子が脳内シミュレーションをしているといつの間にか橘が戻ってきていた。その橘に向かってものすごく機嫌の悪そうな顔で睨む阿久津。元々大きめの目をパチクリと開けて、何故睨まれているのか分からない顔の橘が首を傾げている。
「……お前らさ、何しに来たんだっけ?」
「ん?見学に?」
阿久津が手に持ってたエリのカメラを橘に押し付ける。
「お前見た?」
首を横に振った橘はカメラのデータを見だした。その向こうではエリが不安そうな顔で様子を見ている。塔子も不穏な雰囲気にヒヤヒヤする。
「……うーん、阿久津のポートレートかな?」
――やっぱりエリの写真も阿久津ばかりなんだ。
困り顔の橘を見て、塔子はどうしたもんかと頭を悩ませる。怖いけど写真見せてもらおう。
「私も見せてもらってもイイ?」
橘が渡してくれたカメラをチェックする。うん、阿久津祭りだ。しかも面を着けていない写真が多いようだ。
「とりあえず写真の使用許可は阿久津に取るだけで済みそうだね」
無駄に高品質なカメラだからか、被写体以外の背景が綺麗にボケてて阿久津以外の人物は良くわからない。写真としてはとても出来が良いんじゃないだろうか。阿久津が自分大好きなタイプだったら喜んだかもしれない。しかしどうやらそんなタイプでは無さそうだ。
「さっき阿久津が何しに来たんだ?って聞いたじゃない?私も見学に行った時、何しにここに来たのかなって思ったんだよね」
カメラを阿久津に渡しながら塔子が言う。
「でも、見学させてもらって初めて、剣道があんなにカッコいいものだったんだって知ったの。所作の一つ一つがホント綺麗だったし、あの張り詰めた空気もなんかゾクゾクした。礼儀を重んじてる感じもしっかり伝わってきた。日本文化を伝えるって課題だけど、その魅力を伝えるんだよね。私、見に行かなかったら魅力に気付けなかったと思う」
塔子は阿久津に伝わるように一生懸命続ける。
「そしてね、すごく興味が沸いたの、剣道に対して。だからホント見に行かせてもらって良かったって思ってる。写真もすごくカッコよく撮れてる。きっと興味を持って撮らないとこんな風には撮れないんじゃないかな?この熱量があってこそ、良い内容の物が作れるのかも。でも!もちろん阿久津が嫌な写真は消そう?」
阿久津は下を向いて小さくため息を吐いた後、眉をひそめたままエリに向かって言った。
「……とりあえずあんまりな写真は消させてもらう」
エリは慌てて頷きながら謝っていた。
「すごく売れそうな写真だったね〜」
橘が笑いながら軽い口調でエリに言う。
「……ホントゴメンね!!グループのカラー出していくって話だったから阿久津くんを撮った方がイイんだと思って!ホントカッコよかったから……」
エリも必死で言い募る。
「ねぇ写真自体すごく良い出来じゃなかった?あんな綺麗な写真撮れるんだねー!さすが写真部って思ったよ」
塔子が笑顔でエリに話しかけるとメグも続く。
「いやマジで!プロかと!」
「カメラが良いから……」
エリはチラチラと阿久津を伺いながら口篭る。相当堪えたようだ。
気に入らない写真を消し終えたのだろう、カメラを橘に押し付けながら阿久津が口を開いた。
「……で、剣道の何を書く?」
「まずは歴史でイイんじゃないかな?あとはさっき高瀬も言ってたけど礼儀って言うの?スポーツとの違いとかさ。とりあえずテーマをいくつか出して分担しよう」
それまで成り行きを黙って見ていた森田が言うと皆んな頷きながら阿久津を見る。まだ皆んなヒヤヒヤしているようだ。
「……分かった、その方向で」
ホッとした空気が流れて塔子もやっと肩の力が抜けた。正直なところ、エリのことはフォローしたが、塔子としてももっと違う写真を期待していた。もしバスケ部に見学に来たとして、撮られた写真が男バスの誰かのポートレートだったらガッカリすると思う。もっと切り取ってもらいたい瞬間がたくさんある。でもそれぞれ興味のある分野が違うんだろう。阿久津も収めてくれたし、塔子はそう思うことにした。
その後皆んなで話し合い、剣道の歴史や礼儀作法、その他の大体の流れを決め、担当箇所をそれぞれ割り振った。
またそれぞれが自分のタブレットで担当箇所の調べ物に入る。塔子も自分が担当することになった『武道とスポーツの違い』について調べだした。
ふと、塔子は見学に行った時やさっきメグの撮った動画を見せてもらった時、気になることがあったことを思い出した。
――剣道って試合中、面の向こうでどこを見ているんだろう?
バスケだと自分がボールを持ってるオフェンスの時は俯瞰的にどことなく全体を見ているが、マンツー相手がボールを持ってるディフェンスの時は相手の目をジッと見る。目には色々な情報が詰まっている。剣道のように攻守の別なく一瞬で決まる勝負ではどうなのだろう?
「ねぇ阿久津」
塔子が呼びかけると阿久津は目だけ上げて塔子を見た。
「剣道って試合中どこ見てるの?」
塔子の質問に阿久津は眉根を寄せて考え込む。
「……難しい質問だな……どうしても打とうとする場所を見てしまったり……でもそんなことばかりしてたら読まれる」
「ってことは相手の目も見てるんだね」
「うーん……というかぼんやり全体を見てるというか」
「目で騙したりとかあるの?」
「……目だけで判断することはねーな。例えば相手がチラチラ小手を見てたとしても、剣先とかが動かない限り小手に入ることはない。だから……やっぱヒントにはなるけど目だけでは判断はしねーな」
「なるほど……」
塔子はふと阿久津の背後に目をやった。阿久津が自分の後ろをチラッと振り返ったが何も無い。目を戻すと塔子がニヤニヤ笑っている。
「今シュート決まったわ。バスケは目で騙せる」
「……騙されたな」
「三点入った」
「しかもスリーかよ」
「うん、ノータッチでスパっと。良いシュートだった」
塔子が軽くシュートを打つフリをしながらニコっと笑うと阿久津はわずかに目を見開き、笑い出した。
「ハハッ、綺麗に決まったな」
さっき機嫌を損ねてしまった阿久津の初めて見る笑顔に、塔子はなんとなく心が温まる思いがした。