19ーー4年生(7月)
「高瀬、何の勉強するの〜?また僕教師役やる?」
「んー、ありがとう。でも今日は化学やろーかなー」
声をかけてくれた橘に断りを入れる。
「了解〜。必要になったら声かけてよ」
「うん、ありがとね!」
「そう言えば二人は昨日のプリントもう大丈夫?今日も阿久津先生にお願いする?」
塔子はメグとエリに顔を向ける。
「もう大丈夫!数学はもうイイ!昨日夢にも数学の公式出てきたんだよ……」
「私も数学はちょっとお休みする〜」
「石田……休んでも出来るようにはなんないぞ?」
「分かってるよ、森田くん!昨日も頑張って公式覚えてたんだから〜。今はその定着期間だよ」
「……ま、良かったな、阿久津。今日は面倒見なくて済みそう」
阿久津は森田の言葉に頷き鞄から勉強道具を取り出した。そんな阿久津をジッと見ていたメグが我慢できなくなったように話しかける。
「ねー阿久津、今日どうして遅れたのー?」
そのメグの言葉を受けてエリと橘が目配せしながら阿久津の様子を伺っている。森田は我関せずを貫き、塔子も下を向いたまま化学の問題を解くことにする。
塔子は昨日、自分が村上に告白されたことが話題に上がった時、あまり嬉しくなかった。もしかしたら阿久津もあまり聞かれたくないかもしれないと思ったのだ。でも阿久津のことを優しいと思っているのは本心で、もしメグが聞きたい事を誤魔化さず真っ直ぐ聞けば、ちゃんと答えてくれるんじゃないかと思ってもいる。
阿久津は下を向いたまま
「別に……」
と答えたきり、黙ってしまった。メグとエリは肩を竦ませながら目で会話をしている。
塔子は阿久津の気持ちも分かる。もし隣のクラスの女子に告白されていたとして、応えるも断るも相手のあることだ。特に断っていた場合、この場で論って良いものではないだろう。昨日の村上のように。
ーー悪いことをした。
でも塔子は何となくメグに強く出られると不安な気持ちが胸に広がるのだ。小学生の頃を思い出す。あの時から少しでも成長しているかと思っていたが、案外変われていないのかもしれない。流されて人を傷つけているようでは駄目だ。
「……瀬、高瀬!」
「えっ?!ゴメン、呼んだ?!」
気付いたら思考の海に潜っていたようだ。森田に呼ばれていることに気付かなかった。
「……その問題分かんないの?さっきからずっと止まってるけど」
怪訝な顔の森田に指摘され、学校指定の化学のドリルを前に思考停止していたことに気が付いた。
「いや……ちょっと反省してたわ」
「日々の愚かな行いについてか。それは必要だな」
「おい、毒霧。失礼なんよ。
……昨日森田とは勝負ついてないからね。今日は化学でどうよ?このページもうやった?」
「いや、まだだな。そのページと次のページの二枚でやろう」
「良いだろう、受けてたってやる!」
「受けてやったのは俺だけどな」
「他に化学勝負やる人〜?」
とことん突っ込んでくる森田はスルーして皆んなに聞いてみる。
「やんない!」
「私も今回は遠慮する〜」
メグとエリが秒で断ってくる。
「そもそも何で塔子はすぐ勝負したがんの?!勝負とか根性とか熱過ぎるんだよ!」
「えぇ……ホントだ。私勝負とか好きかも。でもさー、勝負ってなると負けたくないから一生懸命になるじゃん?効率上がらない?」
「テンションが上がらない!!」
「そ、そうか。ごめんね?」
塔子が申し訳なさそうにメグに謝る。
「あはは、テンション上がる勉強方法は人それぞれだからさ〜」
橘がニコニコとフォローしてくれる。
「僕も今回はやめておこうかな〜。メグって英語大丈夫?今日の長文読解で分かんないトコあったりしたら聞いてね。答えられるかもだから」
「あ〜、橘くん、英語教えて欲しい〜」
橘の言葉を聞いてエリが頼む。
「アタシも今日は英語やるー。橘教えて!」
「うん、じゃ〜二人とも今日の文章の読み直しからやってみよ〜」
塔子は橘の柔らかいフォローに感謝の気持ちでいっぱいだった。自分の体育会系のノリで機嫌を損ねてしまったかに見えたメグのテンションを見事に上げてくれた。
ーー間違えないようにしなきゃ。
そう思うのに、何が間違いなのか、やっぱり分からない塔子だった。
「……俺もやる。化学」
阿久津が乗ったことで塔子と森田と阿久津の三人での化学勝負が始まった。
「阿久津、早かったし正解率も高いねー」
「そうだな。悔しいけど阿久津が一番だなー。そして高瀬、アホなトコで間違ってるな」
「アホって言わないでよ。でもココって何でこっちは影響受けないワケ?」
「……イオン化傾向が大きいからな」
「で、こっちの方がイオン化傾向小さいだろ?」
「陽イオンの場合な」
「そうそう、陰イオンになると逆だぞ」
「えっと逆ってのは、受け取るんじゃなく逆に手離すってことだよね?」
「「そう」」
「うーん、今回は私の負けのようだ。でも今日の理解の伸び率は私が一番かな」
「おい、どれだけ負けず嫌いなんだよ。素直に認めろ」
「……クッ、理解の伸び率ってなんだよ」
「悔しいのでそういう事にしておいてくださると、私の心の平穏に繋がります」
塔子が真面目な顔で二人に言うと森田は呆れた顔をして、阿久津は下を向いて柔らかく口角を上げた。
「二人とも付き合ってくれてありがとね」
塔子は森田と阿久津にお礼を言うと化学を片付けて次は生物の暗記をする事にした。二人もそれぞれ違うことをするようだ。
メグたちを見ると橘を間に仲良く英語をやっているようだ。メグとエリの表情も柔らかく、とても楽しそうだ。
ーーあんな風に楽しく勉強したいんだよね。
塔子はまたさっきのことを思い出し自己嫌悪に陥った。昔から勝ったり負けたりの中で自分の存在意義を確かめてきたのかもしれない。皆んなで仲良く手を繋いでゴールとか望んでいない。でも確かにそういうのが好きな子も居る。
小学五年の時の男女別持久走大会、仲良しグループの女子たちに皆んなで一緒にゴールしようと誘われた塔子は理解できずに一人スタートから飛ばして走った。結果、女子の部でトップだったのだが、仲良しグループの子たちからは裏切り者と言われ、次の日から話してもらえなくなった。終わらない無視に学校に行くのが辛かったが、親にバレないように毎日笑顔で家を出ていた筈だった。また両親が今住んでいる県ではなく都内に家を建てる計画を立てていることを知っていた塔子には、最悪小学校の卒業まで我慢すれば良い筈だというのが救いだった。
しかしある日、母親がたくさんのパンフレットを塔子に渡しながら教えてくれた。
「ねぇ塔子、知ってた?中学校って自分で選んでも良いんだよ?次のお家から通学圏内の学校ってたくさんあってね。それぞれ色んな特色があるから塔子が興味あるんだったら一緒に見学とか行ってみても良いし。
でもどの学校も試験を受けて合格しないと入学出来ないから、今よりももっともっと真剣に勉強しないと受からないけどね。塾も行かないとだし、すごく大変だとは思う。
それでも自分の努力次第で選択肢は広がるんだよ。考えてみたら?その結果、塔子が挑戦したいと思ったらお母さんたち応援するよ」
それから塔子の中学受験が始まった。結構な人数の子が小三の二月から塾に通って挑む中学受験を、五年の途中から始めた塔子。はっきり言って無謀な挑戦に思えたが、バスケの為に書いた『根性』を机の前に貼り、一心不乱に勉強に打ち込んだ。
時期を理由にいくつかの塾には入塾を断られた塔子だったが、許可してくれた大手塾の先生も驚きの偏差値の伸びを記録し、無事片瀬学園に入学を果たしたのだった。
ーー嫌なことを思い出した……同じ轍を踏まないようにしなきゃ……
「ゴメン、私ちょっと今日だけ音楽聴きながらやるー」
塔子は気を抜くと暗く沈んでしまいそうな気分を上げる為、皆んなに断りを入れ、イヤホンを付けテンションの上がる音楽を聴きながら勉強をすることにした。
「高瀬、時間」
「高瀬、終わりの時間だよ〜」
「塔子ちゃ〜ん、おーい」
「え、塔子全然気付かないじゃん、爆音で聴いてんの?」
「音漏れはしてないけどね〜」
下校時間になり皆んなが声をかけるも塔子は気が付かない。
「……おい」
阿久津が塔子の肩を軽く叩いて声をかけるとハッ!と顔を上げた。
「え?あ、時間?」
「そ〜だよ〜。ねぇそんな大きな音で聴いてるの〜?」
「っつか何聴いてんの?」
「え……あれ?今何が流れてたかな?」
「何それ〜。聴いてたんじゃなかったの?」
「いや集中すると音が消えるんだよね……」
「じゃー何の為に聴いてんの?」
「……集中に入る為??」
テンションを上げる為だとは言えない塔子は無難な理由を付けて誤魔化した。
「すごいね〜、僕も今度聴きながらやってみようかな」
「その時はオススメミックスリストを送るよ!」
「あはは、ありがと〜。高瀬ホント音楽好きだね〜」
ニコニコと言う橘に頷きながら、今日は最後まで橘に救われた日だったな、と思う塔子だった。
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