10ーー4年生(5月)
「昨日はゴメン!!!」
塔子は教室に入るなり、既に登校しているエリの姿を認めて駆け寄った。エリの乗る路線のバスはとても混むようで、いつも早めに登校しているらしい。
「あ、塔子ちゃん、おはよ〜」
「おはよ!昨日はホントゴメンねー」
「ううん〜ビックリしたけど……大丈夫だった?なんか顔色悪かったって聞いたけど〜。もしかして生理重かった?」
「あ、うん……」
――阿久津、顔色悪かったって言ってくれてたんだ。アン先生のこと正直に伝えるつもりだったけど生理痛ってことにしようかな……阿久津に見つかった時私うずくまってたしな、そうも見えたかも。言いづらくもある理由だしな。
「実は二日目で。お腹すごく痛くなって……」
「やっぱりそうだったんだね〜、それ阿久津くんに伝えづらいよね!でもだからってお腹空き過ぎって理由はないでしょ!ウケる!」
「そうだよね……阿久津にも悪いことしたなー」
「今日はもう体調大丈夫なの〜?」
「うん、もう平気。ありがとう」
本当のことを伝えない心苦しさを感じながらも、アンのことを口にせずに済みそうで塔子はホッとする。
「おはよ。塔子昨日どーしたのー?」
「あ、メグ!おはよー、昨日はゴメン!」
「メグちゃんおはよ〜!やっぱり塔子ちゃん生理痛だったって!」
「あ、やっぱそうだったんだ。言ってくれたら薬持ってたのに」
「ホントゴメン、急に痛くなって……そうか、薬とかあるんだよね。いつも生理痛とか全くないから全然思いつかなかったよ……森田たちにも謝りにいかないと」
「あー森田ちょっと怒ってたからね」
「おぅ……折角計画してくれたんだもんね。悪いことしちゃったな」
班長の森田はよくやってくれてると思う。対して塔子は副班としての貢献は全く出来ていない。腹立てて当然だ。朝のうちにちゃんと謝りに行こう。
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「高瀬、何かのアカウント教えて。連絡取れないと不便だ」
「あ、うん、森田何使ってる?って言っても私このトークアプリしか使ってないんだけど……」
「それでいいよ」
森田に昨日のことを謝りにきたら連絡先を聞かれた。確かに昨日のようなことがあった時は便利だ。班の皆んなとも交換した方がいいのかもしれない。
「それで今週空いてる日ある?とりあえず全体の大枠だけは決めてしまいたいよね」
「うん、ホントゴメンね?私はいつでも大丈夫だよ」
「じゃーもう一度皆んなと予定合わせてみよう。あの部屋も早く予約した方がいいし」
「そうだね。あ、橘」
いつもニコニコしている橘がちょっとしかめた顔でこちらに近づいてきた。
「昨日はゴメ………」
「大丈夫だった?!なんかすごく顔色悪かったって」
「あぁうん、大丈夫。皆んなに迷惑かけちゃって……」
「そんなことはいいんだけど…でも元気そうで良かったよ」
橘がホッとした様子で笑ってくれたその顔に塔子も緊張が少し解けた。皆んなを怒らせてしまったんじゃないかと思っていたけど、それよりも心配をかけてしまっていたようだ。申し訳ない気持ちになる。
ーーあとは阿久津かー。昨日散々揶揄い続けてからのパシリ、さらに理由も言わずにサッサと帰ったからな……改めて考えると私最低だな?!
その阿久津にも一応謝ることは出来た。お腹が痛かったとの理由にはものすごく訝しげな顔をしてはいたが。
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「いいね!こんなもんじゃない?あとはそれぞれ担当箇所を仕上げて、順番に揃えたらなんとか一段階目クリアじゃない?」
大雑把な流れを走り書きした塔子のノートを眺めながら橘が続ける。
「それにしても高瀬の字がメチャクチャ綺麗で引くな〜」
「なんで引くのさ?!」
「分かる!なんか塔子って小学生男子みたいな字書きそうだよね?」
「「分かる」」
橘と森田が声を揃える。
「塔子ちゃん、褒められてるんだよ!」
「どうしよう、素直に喜べない!」
そんな様子を少し離れたところから眺めていた阿久津が机の上に置いてあるノートを手に取り、複雑な顔をしている塔子と見比べる。
「………………意外だな」
「阿久津まで?!そんなに意外かなー」
「書道とか習ってたりしたの〜?」
「あ、ウチの母親が師範の免許持ってるの。書道の」
「マジか、かっこよ!」
「別に教えたりはしてないんだけどね。趣味で時々書いてるのよ。
で、小学生の時『根性』ってカッコよく書けるようになりたくて教えてもらってたら書くの楽しくなってさ」
「ブッ!!」
「塔子ちゃん!きっかけが根性って!あはは!」
「すごいね、高瀬ブレないね〜、ははっ」
「塔子、全然意外じゃなかったわ」
「そう?あれ?私笑われてない?褒められてるトコじゃなかった?おかしいな……
……ねぇ阿久津笑い過ぎじゃない?!」
隣で下を向いた阿久津が肩を震わせている。
「……ブハッ!おもしれー」
「ちょっと皆んな私に対して失礼なんよ……」
「でもすごいよ、高瀬。僕阿久津がこんなに笑ってるトコ初めて見たよ」
「そう?それは良かった……ってなる?」
「でもレアなの見たー!」
「ホントホント!」
塔子は少し腑に落ちない気もしたがメグとエリが喜んでるからヨシとした。
「折角だから高瀬の筆も入れよう。表紙と大きな見出しは高瀬に筆で書いてもらう。その下に英語の表記を入れれば問題ないんじゃないかな」
「そうだよ塔子。画伯のイラストより書だよ」
「高瀬常にふざけてるからな。少しくらい役立ってもらおう」
「ぐっ……森田の圧が……でも確認して皆んながオッケーだったらにしてね。芸術が爆発して判読不能な文字が誕生するかもしれないし。爆誕だよ、爆誕!」
「その時は高瀬の母親に頼みに行く。苦情と共に」
「真面目に頑張りまーす」
「ってことで、分担してる部分が完成次第、英訳に入っていくけど、正直俺あんまり英語自信ないんだよね」
「アタシも!」
「同じく!」
「私も全然自信ないよ〜」
普通コースだった面々はあまり英語が得意ではなさそうだ。
「良かったら二人に見てもらえたら有り難いんだけどどうかな?」
森田が橘と阿久津を見ながら言うと二人とも頷いてくれた。
「もちろん!僕たちに出来る限り頑張るよ〜、ね、阿久津?」
阿久津も頷く。
「ありがとう。じゃーとりあえずは自分の箇所を完成させるってことで。今週中にここまで出来てひとまず安心だな」
「ありがとう!森田が班長で良かったよ!」
「高瀬は文字もよろしく」
「分かった!」
ある程度の形が見えてきて、ここからは個人での作業となる。
「あ、この部屋十八時半までは使えるよ。残って作業したい人いる?」
「マジ?じゃー折角だから皆んな残ってやっていこうよ!一人じゃやる気になんないしー」
「そうだね、メグちゃん私も残るよ!」
メグとエリは残ってやっていくようだ。
「残る人がいるんだったら俺もやっていこうかな。鍵閉めて返しに行かなきゃなんだよ」
「あ、鍵か。ありがとね。じゃ〜僕も残ろうかな」
皆んな残ってまとめ作業をやっていくようだ。そんな中塔子は急いで荷物をまとめて帰る準備をしている。
「ゴメン、私先に帰るねー!」
「え、高瀬帰るの?部活やってないよ?」
「あはは、ちゃんと分かってるよ!家でちゃんとやっとく!あ、さっきの書き殴りノート、写真撮った方がいい?明日でも大丈夫?」
「あ、明日撮らせて」
「分かった。じゃ、皆んなまた明日ね!森田、鍵ありがとう!」
塔子はとにかく残り少ない時間、出来るだけアンと過ごしたいと思っていた。自分一人の作業なら膝にアンを乗せて行いたい。塔子が鞄を持って部屋を出て行こうとすると阿久津がガタッと立った。
「……俺も家でやる。じゃな」
「えー!阿久津も帰っちゃうのー?!」
メグの残念そうな声を聞きながら、皆んなに手を振り塔子は部屋を出た。
「阿久津、バス?」
「……いや、チャリ」
「そっか、じゃー自転車置き場まで一緒行こ!」
塔子と阿久津は自転車置き場に向かって並んで歩く。今日はいつもと比べて残っている生徒の姿が少ないが、グランドで活動している部活は通常運転のようだ。
「……クッ。根性って上手く書けた?」
「ちょっと?今思い出して笑ったね?
うん、私の情熱が詰め込まれたなかなかな字が書けたよ。って言っても小学五年生の時の字だけどねー。見る?」
「……見れんの?」
「写真に撮ってある」
「見る」
塔子はスマホを取り出し写真のフォルダを開ける。その時に目に入ったアンの待受画像を見てまたウルッときてしまう。でもアン以外に変える気にもなれない。
「これだよ。思ってたんと違ったらゴメンね」
塔子は『根性』と書かれた書の写真を開き、スマホを阿久津に渡した。
「……上手いな。
……思ってたよりも力強いな」
「それねー小五の時、六年の試合に出させてもらったのに大した貢献も出来ずに負けた時のなの。悔しくてさー。何かにぶつけたくなって」
「……他にもあんの?」
「あーそれ書道フォルダだから横に見ていってイイよ」
阿久津は黙って写真を見てる。手持ち無沙汰になった塔子はその横顔を見てみる。長めの前髪が目にかかりそうだ。
ーー邪魔じゃないのかなー。あんま顔とか出したく無さそうだよね。しっかし顔ちっさ。
その阿久津の顔がフッと緩んだ。
「……猫。高瀬ん家の?」
「え……?」
「コレ。違ぇの?」
阿久津が差し出したスマホに写ってるのは塔子が書いた書にイタズラして踏み荒らし、肉球スタンプを押しまくってるアンの姿だ。
ーーあぁ、こんなこともあった……
ぶあっと塔子の目に涙が溜まる。
この日はこれから大変だった。逃げ回るアンを捕まえてお風呂に入れたのも、アンが汚し回った床を拭いて回ったのも。部屋をちゃんと閉めてなかったことを母親に怒られたし、塔子自身もアンに腹を立ててた。アンも無理やりお風呂に入れた塔子に怒っていて近づいても来なかった。しかし夜になると布団に入れろと顔をチョイチョイしてきて仕方がないから布団に入れてあげて仲直りをした。塔子は文句を言いながらフワフワのアンを抱きしめて眠ったんだった。
「……………………は?」
阿久津が塔子の顔見て固まる。
もうダメだった。塔子の目から大粒の涙がボタボタと落ちる。
ーーこの日の肉球付きの作品はどうしたっけな。腹立って捨てようかと思ったんだけど、散らばる足跡があまりにも可愛すぎて宝物ボックスにしまったんだったっけな。
「……可愛いでしょ……アン先生って言うの」
阿久津はいきなり涙を流し出した塔子に動揺が隠せないようだ。
「はぁ……ゴメンね、急に。不意打ち過ぎて。そのフォルダにアン先生が居るとは思ってなかったわ。忘れてた、そんな可愛い写真」
固まったまま塔子を見ている阿久津に涙を流しながら笑いかける。こんな写真一枚で脆くも崩れる精神状態では誤魔化し続けることなんて出来ないんだろう。どうせ昨日の態度も怪しまれているんだし、阿久津にその気があるんだったら聞いてもらおう。
「阿久津、時間大丈夫?用事あるから残らなかったんじゃないの?」
「別に……」
「そっか。じゃー帰りながら話聞いてくれる?」
無言で頷いた阿久津の横を歩きながら塔子は返してもらったスマホを操作してちゃんと写ってるアンの写真を出した。
「見て。ウチのアン先生。今十九歳」
「……今?」
「うん、今、十九歳。老猫の割に結構元気だったんだけどね。最近ちょっと体調を崩して。で、検査の結果が昨日分かったの。癌だった。転移もしてて」
「…………それでか…………」
「うん、昨日はゴメンね。さらに嘘まで。でも口にしたら大泣きしちゃいそうで」
ガシガシと下げた頭を掻きながら阿久津が謝罪を口にする。
「……悪かったな」
「え?!なんで?!阿久津全く悪くないでしょ」
「…………腹の減り過ぎを信じてやれば良かった」
「………………あは!気の遣い方よ!
……阿久津、いいヤツだな?」
斜め上の気遣いに涙が止まった塔子はいつもの笑顔で阿久津の肩をパンチした。
「はぁー、ちょっとスッキリしたわ!聞いてくれてありがとね」
「ん」
「アン先生のこと皆んなに内緒にしてくれると助かります。いつまたポロッと泣いちゃうか分からないんで」
「分かった」
「ありがと」
「さて!愛しのアン先生に早く会いたいので爆走で帰ります。じゃ、また明日ね!」
いかにも不器用そうな阿久津の気遣いに笑顔を取り戻した塔子は、見送る阿久津にブンブンと手を振って自転車に飛び乗った。




