9ーー4年生(5月)
「許可取れたよ」
「「「「ありがとう!」」」」
多目的室の使用許可を取って職員室から帰ってきた森田に阿久津以外の皆んなが礼を言う。阿久津は頭を下げたように見えなくもない。きっと下げたんであろう。その筈だ。
放課後残ってやる場所をどこにするか迷った結果、結局学校の図書館に併設されている多目的室を借りることになった。ファミレスなんかの案も上がったが、資料を使えたり好きに話も出来るという点でココが一番使い勝手が良いだろうということになった。この多目的室はいくつかあるが、皆んなが使う時期になると取り合いになるためこの時期にやろうと提案した森田は賢いなと塔子は感心した。
「まずは順番だよね。誰のが一番最初がいいんだろう」
「うーん……内容的に阿久津のが最初になるかなー」
「そーだねー、次は…………」
決めるべきことはたくさんある。
「文体ってある程度揃えた方が良いよね〜」
「皆んな語尾『〜なのだ』に統一する?阿久津は『〜ザンス』にしとく?」
「……」
「ね〜そもそも英訳するんだから関係ないんじゃない?」
「ホントだわ」
「あれ、ちょっと待って。手書きじゃないよね?」
「手書きでもいいらしいよ。スキャンして」
「マジ?字に自信ある人いる?」
「ってか誰かパワポ得意な人いるの?」
「阿久津がイケるんじゃない?勘だけど」
「……おい」
「そういや写真ってどこで使うの?あの阿久津のポートレート。ぷっ!」
「…おい、やめろ」
「ねーイラストとか入れちゃう?剣道やってる阿久津とか描いちゃう?」
「え、高瀬イラストとか描けるの?」
「私画伯だよ」
「何ソレ、見たいじゃん!」
「小学生の頃、写生大会で街並みを描いて提出したら先生に『どこに腐った団子が落ちてたんですか?』って聞かれた私の伝説の絵を見てもらいたいもんです。伝説と言えば最近すごい伝説を聞いた気が……くっ、あはは!」
「…おい、良い加減にしろ」
ーーヤバい、そろそろ本気で阿久津にキレられそうだ。この辺でやめとこ。でもなんか阿久津ネタがツボにハマっちゃって……
笑いすぎて涙目になりながら阿久津をチラ見する。
ーーあれ、意外と怒ってなさそうだな。呆れた顔はしてるけどちょっと柔らかい雰囲気だわ。
「ゴメン、ふざけすぎた……ゴメンね?
そう言えば阿久津に聞きたいことたくさんあったんだよね。剣道ってさー………」
剣道の資料をまとめるにあたって疑問に思っていたことをいくつも阿久津に質問する。
ーー真面目に答えてくれるんだよねー。とっつきにくいけど基本的に優しいんだろうな。
「……ふむふむ。あ、そう言えば残心が無かったからって一本が取り消されたりってホントにあるの?」
「…あるらしいけど俺は見たことねーな」
「ふむ。そもそも残心って何?!」
「……説明難しいな」
「つまりアレだよね?『戻れっ!!センドーが狙ってくるぞっ!!』ってことだよね?」
「…また出たな?バスケ狂」
「お、このネタが分かると?」
「…そもそもどうして残心をスポーツに例えてんだよ。スタートは武道とスポーツの違いだろ?一番の違いは残心です、から始まって締めにスポーツに例えてどうすんだ、バカ」
塔子は目を丸くする。
「ホントだ……最もすぎて何も言えないわ。
……うーん、よく分かんないからとりあえず残心やってみてくれない?」
「…………………は?」
「やりづらかったら相手役私やろうか?」
「やめろ、やんねー」
「いいじゃん、減るもんじゃなし!」
「減る」
塔子はいつも以上に、必要以上にふざけていた。悲しい現実から目を逸らしていたんだろう。
その時サイレントにしていた塔子のスマホが机の上で震えた。家族のトークに母からメッセージが届いたようだ。塔子の顔が強張る。
「…………?おい」
「ゴメン、ちょっとトイレ」
塔子は雑にスマホを掴んで部屋を飛び出した。
――トイレ……はここから遠いんだった。奥の階段を降りて下の階に行かなきゃになる。
怖いけれど早く確認したい塔子は人が居ない本棚の奥でスマホを握りしめる。
――怖い。アン先生……
母親からのメッセージを開く。
『膀胱の影は悪性の腫瘍だったって。肝臓にも転移が見られるそうです。
もうアン先生も高齢だから手術はしない方向で。美味しい物を食べてもらって皆んなでたくさん可愛がりましょう』
ーーあぁ……胸が痛い……
覚悟していたようで全く出来てなかったことを思い知らされる。母親からのメッセージで痛む胸を抑えながらトークアプリを閉じると、そこにあったアンの待受画像が目に飛び込んできた。つい数ヶ月前の寒い日に塔子のベッドに潜り込んできて寛ぐ可愛いアンの姿だ。
――アン先生!!!!!
塔子は思わずスマホを胸に抱いて座り込む。
もう寒い日の夜に塔子の腕を枕にして寝息をたてるアンには会えない?家族で観ているテレビの真ん前にドッシリと居座ってどいてくれないアンにはあと何回会える?頭を擦り寄せて撫でろと強請るアンの柔らかい顎下をあと何回可愛がれる?あと何回……あと何回……
塔子の目に薄い膜が張る。
――アン先生……アン先生……
「……おい、どうした?」
ハッと塔子は顔を上げると、阿久津が怪訝な顔をして近づいてくるのが見えた。
「……大丈夫か?具合悪い?」
塔子はさっと目を拭い笑ってみる。
「あはは、大丈夫ー。お腹空き過ぎてー」
「…………は?」
「でもホントにお腹空き過ぎて倒れそうだから今日は先に帰らせてもらってもいいかな?ホントゴメン」
塔子はサッと立ち上がると阿久津の隣を擦り抜け、さっきの多目的室に戻ろうとする。
「おい、待て……」
――そうだよね、意味分かんないよね。皆んなもきっとそうだよね。でも今色々聞かれたら泣く。
行きかけた足を止めクルリと振り向くと塔子は阿久津に頭を下げた。
「ゴメン阿久津。私の荷物持ってきて貰えないかな?お願いします」
眉間に皺を寄せながら阿久津はジッと塔子を見る。数秒の間、思案げな顔をしていたが、下を向きハァーと息を吐くと荷物を取りに行ってくれた。
数分後、塔子の荷物を抱えた阿久津が戻ってきた。
「ゴメンね、皆んなに色々聞かれたでしょ?」
受け取りながら塔子が謝る。
「……流石に腹の減り過ぎは皆んな信じてねーな」
「そうだよね、ゴメン。明日ちゃんと皆んなに説明するね」
最後にヘッドホンを首にかけると塔子は早足で図書館をあとにした。
――明日、皆んなに何て説明しよう……
勝手に帰ってしまったのは失敗だったかもしれない。でもどうしたら良かったんだろう。阿久津にも迷惑かけた。
ただ今日はもう笑える自信が無かった。正直に言うときっと自分は泣いてしまっただろう。そうしたら、なんとなくだがメグをイライラさせてしまう気がした。
――でもきっと今もイライラしてるかもしれないよね。
はぁ……ため息をつきながら、でももう心の中はアンのことでいっぱいだった。姿を見ると泣いてしまうだろう。たくさん抱っこしよう。たくさん抱きしめよう。残りの時間、出来るだけアンの為に使おう。そう心に決めて、塔子は家路についた。




