羽毛の暗躍者
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
よーし、今年もコバエ対策の準備はオッケーだ。
最近のはやりは、このコバエよけのスプレーだね。効果こそ長くて2週間くらいしかもたないが、シュッシュッと吹きかけるだけであいつらがおとなしくなるのがいい。
とにかく準備にも片づけにも手間をかけたくない僕としては、設置型のものはどうも気が進まなくてね。はためには「そんなもん数秒で済むだろ」と言われても、理屈じゃないんだな、これが。
どこまでもコンパクトにことを成すのが、僕のモットーだよ。
手段の好き嫌いは人それぞれ。
多様化がさけばれる今のご時世じゃ、受け入れるべき考えとされることも多いだろう。
しかしその嗜好があまりに奇抜だったりマイナーだったりすると、理解も対処も追いつかない。そんな少数派に出くわすとき、君はうまく切り抜ける自信をお持ちかな?
僕が以前に聞いた話なんだけど、耳に入れてみないかい?
むかしむかしの戦国時代。
僕たちの地元で、大きい戦が行われずにいた、とある数年間でのできごとだ。
支城の城主の与力の家のひとつで、家臣が急死するという事件が起こった。
家臣はいつも夜明けとともに起き出して、身支度を整えるための小姓を呼びつけるのが日課になっていたけれど、その日はいつもの刻限になっても音沙汰がない。
小姓が家臣の部屋に赴き、声をかけても返事はなく、やがて屋敷中の人にも知られるところとなった。
思い切って中へ踏み込んでみると、向かって正面の文机に突っ伏したまま動かない家臣の姿があったんだ。その体はもはや息をしておらず、すっかり冷たく固まっていたのだという。
特に持病を持たない家臣の急死となれば、暗殺が疑われた。
調べてみると、喉元あたりにほんの針の先ほどの大きさの穴が開き、かすかな出血の痕が見られたのだそうだ。
そして突っ伏す家臣のあぐらをかいた足の間には、一枚の黒羽が落ちている。指にも乗せられるほど小さく、全体がやわらかくたわんだその羽毛の羽軸は、かすかに血に濡れていた。
おそらく凶器はこの羽毛であろうが、これを用いた犯人はどこから現れ、どこに去っていったのだろうか。
部屋の窓は、ネズミ一匹がようやくくぐれるかという、細かな格子をはめられた天井に近い一か所のみ。
天井裏も床下も、盗聴を警戒する家臣の命によって、なんぴとも潜り込むことができないほど埋め立てられている。
格子そのものも細工をされた気配はなく、おそらく犯人は採光用の窓から投擲、あるいは吹き矢に似た要領でもって羽毛を格子よりくぐらせ、家臣の暗殺をはかったのだろうと思われたんだ。
しかし、そうだとしてもあの採光窓から家臣の座る文机前までは、ほぼ直角に近い急角度。
それをあやまたず喉へあてられるとすれば、標的が座り疲れを感じて、つい大きく肩を回しながらのけぞるような、ほんの少しの間を狙うよりないだろう。
偶然か、はたまたその一瞬をとらえるまで、辛抱強く窓前に張っていたのだろうか。家臣本人を含めた、屋敷中の誰にも気取られることなく、ずっと。
それだけでも気味の悪い話だったが、いざ家臣の身体が起こされたとき、居合わせた人は更なる恐れを知る。
部屋から運び出そうと抱えられたとたん、閉じられていた家臣のまなこのうち、右側がおのずと開いたんだ。
そこにおさまっているはずの眼球はなく、あたかもはじめから何も存在していなかったように、ぽっかりと深い穴が口を開いているばかりだったとか。
この変死があってより、家臣を知る者や仕えていた下々の者は身の回りに気を配るようになったが、被害は住民の間でもしばしばあがるようになっていた。
やはり現場には、羽軸を血に濡らす羽毛が一本。それによって喉を突かれたと思しき遺体。
さらにそこからは、耳、鼻、唇などといった顔を構成する器官の一部が、不自然に失われていたのだとか。
家臣が狙われたときは、てっきりこちらの戦力を削ぐために送り込まれた、忍びの仕業によるものかと考えられていた。
それが、以降は身分を問わずに被害を広げており、とても忍んで行う意図が見られないものになっている。
被害者たちも体の欠損という共通点こそあれ、その身の上はまったくつながりがないことも珍しくない。
無差別の愉快犯ならば、それはそれで灸をすえてやらねばならないと、治安維持に努める任を帯びた者たちは、より一層、目を光らせていたんだ。
家臣の変死より、ふた月ほどが過ぎようとしていたころ。
見回りの夜勤から六畳の自室に戻った小者のひとりは、湧き出す眠気にうとうとしながらも、別に済ませなくてはならない書き物を控えていた。
満足に立つことができない。かといって、横になってしまっては熟睡しないという保障もない。
妥協点としては、部屋の一方に背中を預け、すぐに起きられるようにうつらうつらするあたり……。
と、考えつつも半ば意識を飛ばしてしまい、どれほど経ったか。
彼は閉め切ったはずの雨戸の方向から立つ、かすかな音にうっすら目を開けた。
正面、上吊りの二枚の引き戸となった雨戸の傍らより、朝の日差しが部屋へ差し込んできている。
けれども、それをおおいに遮っているのが、ふちに足をかける一羽の小鳥の姿だった。
逆光のために、その毛の色合いはよくわからない。やや半身になったその体は、右の羽根を大いに持ち上げ、猫がみずからの頭を掻くかのごとき妙な動きを見せる。
羽繕いには思えなかった。小鳥はくちばしに羽根を当てようとしていないんだ。
人間が万歳をする挙動に近い。ひたすら腕を伸ばし、頭へ当てるかのような動作は、両者の間に小さな輪を作る。
その空間から差す陽は、壁へもたれかかる自分の喉へまっすぐ伸び、心なしかその近辺の羽根たちがさわさわとざわつきはじめ――。
はっと、気づいて横へ転がる小者。その体の上を羽根が飛び、壁へ刺さったのはかわした直後のことだった。
――こいつが一連の事件の犯人。
なるほど、真に小鳥の姿ならば警戒する者も少なく、おめおめと不覚を取るわけだ。
だが合点がいった今、小者はすでに寝るときより抱いたままにしている刀の柄を引き寄せている。
小鳥は逃げず、また角度を変えてこちらへ頭と羽が成す「空隙」を向けていた。また羽を飛ばしてくるつもりだろう。
どうあっても自分を打ち取りたいらしいが、そいつは傲慢というものだ……!
小者が刀のつばに取り付けられた小柄――木を削ったり、紙を切ったりするような細工にも使われる小刀――を投げつけ、それに小鳥の放った羽がぶつかり合った。
小柄の刃は飛んできた羽を両断し、なお勢いを失わずに飛ぶと、そのまま小鳥の羽根をとらえる。
細工用の小刀とはいえ、小鳥の図体には十分すぎる大きさの刃だ。
陽をわずかに通す羽根と頭が成す円。そのふちが削ぎ切られ、円は大きな弧となって有り余る光を通さざるを得なくなった。
羽のてっぺんを、小柄は完全に切り離していたんだ。あれだけの傷、逃げ出そうにも満足に羽ばたくこともできまい。
必死さを覚えるせわしないさえずりに、小者はフンと鼻を鳴らすも、得意になれたのもつかの間のこと。
羽が囲っていて、今は解き放たれた円の一部。
その空間から新たに現れて、日差しを遮るものがある。人の持つ、目玉だ。
虚空に浮かんだそれに続き、鼻が、耳が、唇がぬっと現れたかと思うと、必死に飛びずさろうとした小鳥を、開いた唇ががっちりくわえ込む。
顔の肌も輪郭もないまま、のちの世でいうところの福笑いのように、ちぐはぐな部位を宙へ浮かべたまま、ただその唇の中へ小鳥が消えていく。
その声も、尾羽も確認できなくなったとき、その顔の部位たちもまたぱっといなくなり、小者の部屋にはいつもと変わらない光が差すばかりとなっていた。
あの浮かんだ部位たちが、これまでの被害者から奪われたものであることは、間違いないだろう。
ほぼ揃いつつある部位のうち、目だけがひとつだけしか出てこなかったのだから。
これまで奪われたのも右眼のみ。左眼はいまだ被害に遭っていない。いや、自分がもしやられていれば、あの左眼役を担っていたのだろう。
それ以降、ぱたりと怪事件はなりを潜めたが、あの奪われた部位を掲げる存在の狙いは、いまだつかめていないのだとか。