もう一つの賭け
「今日もイネスは帰りが遅いのですか?」
「うん、居残りでレポートを書いてるらしいよ〜」
「姉さんも大変だね…」
「イネス…」
ビアンカとヘルミナの稽古が終わり、ヘルミナが遅くの汽車に乗って帰った後のこと。ビアンカに例の魔道具について聞いてみた。
「なんか学園でヤバそうな魔道具が流れてるって聞いたんだが、何か知らないか?」
少し汗を浮かべ、水を飲んで休んでいる彼女を見ると、いくら不死身とはいえ彼女も人なのだなと実感する。
「関連があるかは分からないけど、最近は闘技場の決闘しか能が無い連中が活発だね」
「校内で何か問題が起きてたりとかは?」
「こんな奇人変人の集まりみたいな学園、問題なんて日常茶飯事だよ。200年前もそうだった。でもまぁ、おかしな点がないと言えば嘘になるかな。二年の…何だったかな…そうそう、ロバン・アシュレイって生徒が色々悪目立ちしてるね」
「ほーん…どんな風に?」
「学園祭以降性格が変わったとか、短気でちょっとムカついただけですぐに決闘を申し込んでは相手を怪我させる…どう?関係ありそう?」
凶暴になる…という点で見ればピッタリだ。目星をつけておくとしよう。
「調べてみるよ。ありがとな」
「どういたしまして。…そうだ、みんな寂しがってるけど帰るつもりはあるの?」
真っ直ぐな眼差しでこちらを見つめるビアンカに、俺は何と言えばいいか分からなかった。
「この件が終わってから考える」
彼女達とはマトモな別れの挨拶もせず、かと言って向き合って再会したわけではなかった。フェリシー、ルシア、ビアンカとは会ったが他の4人は今も待ち続けているのだろうか。
「どうして今更学園に?」
「エンジェライアからの依頼だよ」
「知ってるよ。そうじゃなくて、どうして依頼を受けたの」
「婚約取り消しのために…って、依頼のことを知ってるならそれも知ってるだろ」
綺麗なガーデニングが施された中庭も、今では薄暗く不気味だ。そんな場所に若い男女が2人…片方は二百歳だが…。今更ながら誰かに見られないか不安になってきた。
「無視してどこにでも行けたでしょ。リヴィドに留まる必要もない」
「この国を離れたら誰がアクスリートのレモンジュースを届けてくれるんだ?」
「茶化さないで。それくらい私が何処にいても届けてあげるって知ってるでしょ」
逃げ道無し、か。いや、だが逃げ出す気にはならない。それは何故だろうか?俺は答えを知っているはずだ。
「ならお前らが俺に執着する理由はなんだ?」
「何度言わせるつもり?君は私達の主だよ。主についていくのが配下の務め。それに…もうみんなどっぷりハマってるんだよ。しかもその状況を喜んで受け入れてるんだ。言ったよね、私たちは全員マトモじゃないって」
ビアンカが距離を詰めた。何か、尋常ではない闇の深さを感じた。その赤い眼を見ていると吸い込まれてしまいそうだ。
「悪いが俺は独身貴族なもんでね」
「嘘。本当は満更でもないくせに。あんまり女遊びしてると監禁するよ?」
何こいつ怖…
「珍しく感情的じゃないか。何人女を侍らせててもいいって言ってたのはどこのどいつだろうな?」
彼女に口論で負けてはならない。元軍人だからか、交渉術に長けており一度でも隙を見せようものならそこにつけ込まれる。彼女の要求は決して受け入れてはならない、というのがアイリスの持論だ。結果から言えば、それは正しかったように思える。
「前の私と今の私が同じ気持ちなはずがないでしょ?あの小娘…ヘルミナが君との惚気話ばっかりするものだから流石に嫉妬しちゃったよ」
「勝手に言ってるだけだ。俺は恋人なんて作らない」
「いいよ、勝手に私が恋人になるから。気にしなくてもいいよ、ねぇ?『レイ』」
「お前にその名前で呼ばれると、なんか不思議な気分だな」
(どさくさに紛れて今コイツなんて言った…?かなりやばいこと言ってなかった?もしかして俺刺される?)
戦い以外で死ぬのは御免だ。死ぬ時は全力を尽くしたうえで打ち負かされて死にたい。そう考えれば、シトラスとの戦いで俺は死ぬタイミングを失ったのかもしれない。…いや、妹がいるんだ、まだ死ねないだろう。
「やっぱりセクレド人なんだね」
「俺の故郷じゃそんな呼び方じゃないから詳しいことは知らんがな」
「故郷に帰りたいとは思わない?…いや、話題を戻そう。やっぱり納得できないよ。どうしてこんなところにいるつもりなの?」
「妹が…ユイがここにいるからだよ。確かに今考えれば依頼なんて投げ出せたさ。けど今は違う。妹がここに残るなら俺もここにいる」
沈黙。答えを間違えただろうか?こんな事で刺してくるような奴ではなかったはずだが、彼女達なら最早何が起こっても不思議ではない。フェリシーに至っては気分次第で一国を滅ぼしかねないからだ。ビアンカも例外ではないと思った方がいいだろう。
「叛逆者のくせに弱みを見せるんだね」
「勘違いしてるみたいだな。ユイは弱みにならない」
「強いのは認めるけど」
「もしユイの身に何かあったら…分かってるな?俺はお前達全員を敵に回す覚悟なんてとっくにできてる。お前らが死にたくなるまで殺し続けてやるのさ」
全て本心だ。もし妹を、こいつらが攫うようなことがあれば俺は容赦するつもりはない。
「目が怖いよ。少なくとも私は無駄な戦いはしない主義だから、そこのところよろしく」
「お前は俺と同じだ。戦うことしか知らない狂人だ」
「ご明察。私にこれ以上人を殺させないでよ?」
ビアンカの目を見た。一瞬、彼女の本質が見えた気がした。戦場で猟奇的に笑う狂った兵士…それが彼女だ。これはクロードの記憶で垣間見たものだが、確かに彼女なら…
「何もかも無茶苦茶にしたいって目だが?」
「大正解。それが私の抱える運命。ゼロも精々頑張りなよ」
立ち上がり、背を向けて去ろうとする彼女を呼び止めた。
「最後に一つだけいいか?」
「何?」
「本気でここに通うつもりなのか?」
ビアンカは振り向かずに言った。
「もちろん。暇だし、これなら堂々と学園に入り浸れるからね」
彼女は姿を消した。相変わらず俺の部下は姿をくらますのが得意なようだ。それでもルシア程ではない。気配というか魔力の残り香というか、とにかくそんな感じのものが遠ざかっていくのが分かる。ルシアならそんなものは残らない。
「どいつもこいつも自分勝手な奴ばっかり…はぁ…」
自室に戻ろう。明日はビアンカが言っていた…ロバン、だったか?その生徒を探さなければならない。さっさと寝てしまおう。…そう思った時だった。
「っ…!」
またあの気配だ。冷たい目でこちらを舐め回すように見る、あの不愉快な殺気…背後か。
「ずっと一人になるのを待ってたってか?いい性格してるじゃん。なぁ、ストーカー野郎?」
勢いよく振り向いた。しかしあの影はいなかった。その代わりにそこにいたのは…
「一人でブツブツとどうしたんだい?」
美しい檸檬色の髪の生徒…シトラスだった。どういうことだ?てっきりあのいけ好かないマスクの黒コート野郎、レイエスあたりだと思っていたのだが…
「…生徒会長?どうしてここに?」
「自室にいたら君の姿が見えてね。何やら考え事でもしてるって雰囲気だったから邪魔しに来たのさ」
「邪魔はするなよ…」
シトラスは俺の言葉を聞いて、どうでもいいような笑い方をした。
「これは失礼、だが暗くなってから出歩くのは褒められた行為ではないぞ?夜は人の時間ではないのだから」
「野生の魔物くらい、斬り伏せられる」
「では魔物ではなかったら?」
彼女は意地悪そうな笑みを浮かべている。日が沈み、前までならもう魔霧が空を覆い始めているころだろうか。
「全部ぶった斬る。死体は質にでも入れてやる。そうすりゃここの馬鹿みたいに高い学費もどうにでもなる」
まぁ実際はエンジェライアからの依頼なので、学費は向こう持ちだが。そうでなくても今まで貯めた金なら払えるとは思う。…あれ?ユイの学費はどこから出ているんだ?まさか彼女が自腹で…?流石にそこまでの金を持って渡ることが可能とは思えないが…
「財はいつでも人を狂わせると言うが、言い得て妙だな」
「財だけじゃない。ありとあらゆる欲望が人をおかしくさせるんだ」
「歩みを進め続けることは難しいな。歩むためには目標が必要であり、その目標は必ず欲望から来るものだ。なんという虚しき種族なのだろう、私達は」
「話のスケールがデカくなってるぞ。何の話をしてたか忘れちまった」
些細な会話が抽象的になっていき、話の本質が複雑になってしまうのはフェリシーと同じだ。やはりフェリシーが化けていたりしないだろうか。
「掘り下げるほどではないさ。それより…どうしても協力してはくれないか?」
またその話か…
「無理だな。俺の事情も知ってんだろ」
「…エンジェライア様から直々に命令を下されるとは、君は何者だい?」
本人が漏らしたのか、それとも自力で調べたのかは分からんが、どちらもあり得る。なんといってもあのエンジェライアだ。服を着た我儘と言っても過言ではない。囲い込むためなら使える手は何でも使ってくるだろう。
「可愛がられてるだけの…そうだな、ペットだよ、ペット。お前さんの計画は女王様にバレてんの?」
「私に対して何も行動を起こしていない、とだけしか」
「ほーん、おめでとさん。俺がお前の味方になることは無い、とだけ言っておくよ」
「それは私の思想に賛同できないからか?それとも、先に君を引き抜いたのが女王陛下だったからか?」
俺は自分自身に問うた。もし先にシトラスと出会っていたら、彼女と協力していただろうか?彼女の考えに賛同していただろうか?
「返答しかねるな。時間は問題じゃない。それに、仮に俺を引き入れても何の役にも立たないぞ」
夜風で揺れる木々がより騒めき、夜の匂いを運んでくる。こんな感覚は初めてだ。俺が彼女を警戒しているからだろうか?いつもより感覚が研ぎ澄まされている気がするのだ。
「君は自分の力を分かっていない。君の魔法は禁忌そのものだ。世界を変えられるんだ。もちろん、使い方を間違えなければ今よりもっと良い世界になるんだ」
「お前は何なんだ?何かに取り憑かれてるのか?そんなこと、本気で思ってるのか?」
「本気だとも。もうこの国の誇りを取り戻すことができるのは私しかいないのだ」
あんなふざけた計画を本気で実行しようとしているらしい。俺にはどうも納得できない。彼女にとって、この国が発展していくことの何がダメなのか、何が不満なのか一切合切理解できない。
「お前はリヴィドの新しい在り方を受け入れられないだけだ。いつまでも自分の理想的な国であるはずがないだろ?」
「だからこそだ。いつまでも平和であるはずがない。私や父上はエンジェライア様に何度も軍備の拡大を促してきたと言うのに、全て却下された。あの方はベルナール先生を過信している。ベルナール先生とて、国を相手取ることは不可能なのだ。何故分からない?」
彼女を突き動かしていたのは彼女なりの愛国心か。まさかエンジェライアの真の目的はここに…?
「……」
「言葉では理解できないのなら私が力で証明する。たった少数の魔法使いによって、国がどれ程の被害を被るのか、戦争への備えを怠るとどうなるのかということを!」
彼女には何を言っても無駄なのかもしれない。歪んだ愛国心か、それとも何か別の意図があるのか。どちらにせよ俺には彼女の考えが何も分からない。理解しようとすればしようとするほど、より納得できなくなる。何か決定的に、俺と彼女の思考が根本から違うような…デジャヴを感じた時、僅かに記憶違いを起こす感覚に似ている感じだ。
だが結局、どれだけこの理解できない感情を理解したところで無駄だ。俺に与えられた仕事は彼女を止めること、それ以外は考えるだけ無駄なのだろう。
「…なぁ、ロマンは好きか?」
「…?何のことだ?」
「ロマンだよ、ロマン」
「それは何だ?」
「分からないか…何かって…こう…アレだよ、旅とか冒険とかに憧れるアレだ。でも俺が言いたいのはそれじゃない。俺にとっては、説明がつかないどうしようもない気持ち全部がロマンなんだよ」
「例えば?」
「そうだな…雪の積もった夜の森とか、誰もいない街とか、追手から逃げてる時とか、血湧き肉躍る決闘、負けられない戦い、家族との再会とか、授業をすっぽかしたり。そんな非日常を求めちまう気持ちだよ」
「…私には分からない。それに何の意味があるんだい?」
やはり堅物。勝手な想像で、ジョークとか得意そうだと思っていたがどうやら思い違いだったようだ。無論、さっきの俺の言葉は冗談などではないが。
「意味なんてねーよ。ロマンに意味があったらそれはロマンじゃない。無意味サイコー、無駄サイコー、ロマンサイコー!ってな」
「…君と私は真反対みたいだ。君に関すること、何一つ私には分からない」
「奇遇だな。俺も、お前が何に囚われてるのか分かんないんだよな。でもそれもロマンだと思ってるよ」
「ふっ…面白い後輩だ。…惜しいな。君みたいな不思議な人と手を取り合って歩けないなんて…」
「どうやら俺らの道は交わらんらしいな。でもこれで踏ん切りがついたよ。なぁ、次にお前と戦って俺が勝ったら、その計画を無しにして…そうだな、牙を丸くしてくれるか?」
恐らくこれがターニングポイント。彼女にとってはこの提案を呑むメリットはない。しかし俺には差し出せるものなどない。少なくとも彼女が求めるもの、という点において。
シトラスが目を僅かに細めて考える仕草をする。彼女も既に分かりきっているのだろう。どれだけ甘い言葉で誘っても、どれだけそれっぽい言葉で説得しようとしても、俺が二つ返事で彼女の稚拙かつ壮大な計画に力添えするはずがないということを。
「…君が負けたら、その時はエンジェライア様の依頼を破棄して私の駒となってくれるなら」
返事の前に俺もよく考える。正直言って俺にとっては分の悪い賭けだ。しかしここで彼女の意思を止めなければ、俺はシトラスとペルラ、その他彼女の賛同者を相手しなければならないのだろう。故に、あまりにリスクの高いこの賭けだが、今打てる手の中で最良…いや、これだとまるでこの手が良い手に見えてしまう。…今打てる手で一番マシな手、ということにしておこう。…ほとんど意味は変わらないが。
「交渉成立だな。いつにする?今でもいいぜ?」
「そう急くことはない。近いうち、夏休み前にリヴィド祭がある。ハイドレスト祭と同じくらいの規模の祭りだ。出店や飾り付けを片付けなかったのは二つの祭事の時期が近かったからでもある。その時の決闘大会で決めよう。当然、決勝まで勝ち残らなければその時点で負けとなるが」
「面白い。勝ち残ってみせろよ?」
「ふっ…こちらの台詞だ。君の訳の分からない魔法も、その時に暴いてみせよう」
叛逆の騎士団のメンバーからも魔法が使える、ということは常々言われてきたが結局どんな魔法なのか、本当に剣を作るだけの魔法なのか、詳しいことは教えてもらっていない。分かっているのは、俺の作る剣は魔力由来じゃないってことだけだ。それが分かる時が来るのかもしれない。
「やってみな。当の俺ですら何なのか把握してない魔術だぞ?ちょうど良い、俺が勝ったら俺の魔法が何なのか教えてくれよ。勿論、理解出来てたらの話だがな。それと、そうだな…お前の能力も暴いてやるよ」
「やってみるといい」
シトラスが微笑んだ。何故か理解できてしまった。彼女が笑ったのは可笑しかったからではない。嬉しかったのだ。彼女と渡り合える者が現れようとしていることが。
眼は記憶を映すという。その眼を見た。きっと、彼女はあまりにも強すぎて退屈だったのだろう。ベルナールがリヴィドに帰ってきたとは言うが、職員になってからは多忙で相手をしてもらえなかったのだろう。
…あぁ、なんとロマンの無い人間だろう。俺の目に映る彼女は………檻に囚われた猛獣だ。




