ステイル・メイト
「ん…」
目が覚めた。何となく見覚えのある天井だ。というか学園の中ならどこも同じようなものか。
「!目が覚めたか…!」
「ん?エヴリンか…」
ベッドから起き上がろうするが、彼女によって静止される。
「安静にしていろ。…あの廊下で何をしていたんだ?ドロシーを追いかけていたら君が倒れているのを発見したのだが…」
「ドロシー?」
「私の飼っている鷲のことだ。二年生のこの時期になると君も授業で使い魔の召喚を許可されるはずだ。私の場合はアレを召喚したというわけだ」
エヴリンが指差した方を見ると、窓辺に泊まって平原のはるか彼方を見つめる大きな銀色の鷲がいた。意識を失う前に見たのはやはりアレだったのだろう。
「…とまぁ、そんなことはどうでもいい。どうしてあんな所で倒れていた?倒れる前の記憶は?よもやあそこで寝ていたというわけではあるまい」
俺は起きたことをありのままに話した。彼女の顔が少しづつ曇っていくのが分かった。
「幽霊か悪戯か…どちらにせよ聞いたことがないな」
アレは本当にとてもおぞましい殺気だった。あんなにも空気が凍りついたのは、幼い頃、夜中に家を抜け出して妹と二人で墓地で肝試しをした時以来だ。
「死神が魂を刈り取りに来たのかと思ったよ」
「はは、まさか。…ん?死神…いやまさか…」
何やら心当たりがあるかのような態度だが、これ以上の面倒事は御免だ。…しかしまぁ、何とも綺麗な夕陽だこと。地平線の彼方が赤く染まり、黒い鳥達が飛び立っていくのがよく見える。
「…何を見ている?」
「綺麗だなって」
「そうか…」
一年前はこの時間になると皆魔霧から逃れるため屋内に急いで帰っていったものだ。当然窓も閉める。夕陽を直接見ている暇などない。そう思うと感慨深い。異世界では当たり前に見ていた夕陽とそう変わらないが、そういった背景があると見る目も変わってくる。
「…口説いているのか?」
「ンッ…!ゲホッゲホッ…!急に何言ってんだ!」
あまりのことに、特に確認もしていないがベッドに備えられた机に置いてあった茶を口に含んだ瞬間に吹き出しかけた。何とか手で抑えることができた。
「いや、綺麗だと言ったじゃないか」
「景色がな!?」
「なんだ。つまらん奴め」
夕陽が彼女の横顔に当たっているからだろうか。少し紅潮しているように見える。
「逆に聞くけど口説いて欲しかったのかよ?」
「流石に君でも乙女心は分からないか」
いつから君呼びになったのだ。こんなのと仲がいいと思われたくない。…まぁ、見飽きた銀の鎧姿よりも制服姿の方が似合っているのは事実だし、彼女自身美貌の持ち主であることも事実ではあるが…
「俺の知ってる乙女はあんな戦い方はしない」
「乙女も戦うさ。姫騎士というやつだ」
「騎士…?狂戦士の間違いだろ」
喉が治った俺はまた一杯茶を啜る。柑橘系の香りがする。甘くはない。少し緩いが上手い。味覚が子供のそれだと自覚しているので、紅茶は飲まず嫌いしていたが意外とイケるものだ。前飲んだ時はあまり上手くなかった。これだけ特別高級なのだろうか。
「言い得て妙だ。戦場では狂っているくらいが生き残り易い。……あぁ、言っておくがその茶は私の飲み残しだ」
「ンッ…!!最初に言え!!」
「ほら、安静にしておけ」
「もう大丈夫だ。寮に戻る」
「そうはいかない。君に会いたがっている人がいるのでな」
「誰だ?」
「まぁ話しても分からんだろう。来るのを待とうじゃないか」
「時間がかからないといいが…」
「…ステイルメイト」
「28回目か。そろそろ飽きてきたよ」
「同感だ。少し休憩しよう」
盤面はまたしても引き分け。どれだけ優勢であろうと、打つ手を間違えるとルール上引き分けとなってしまうことがある。その様子をどう表現しようか。追い詰めた犯人に人質を殺されてしまった、という感じだろうか。
「はぁ…結局こうなるみたいだ」
「貴様の性格の悪さがよく分かる盤面だ」
「生憎、家族以外に容赦は無いのでね」
どこから出したのか、フェリシーは酒を飲み始めた。何年醸成したのか、強烈な匂いが広間に広がる。赤龍は顔をしかめている。
「家族か…宿木の少年について聞かせろ」
「人に頼む時は敬意を払ってもらいたいものだがね。まぁいい、君からの敬意など生魚の方がマシだ。それで?どうして気になる?」
「貴様が執着する男というものに興味がある」
赤龍は駒をいじりながら、酒を呷るフェリシーを見やっていた。
「そうさなぁ…実に面白い運命を辿る者さ。彼がどう生きようが、必ず厄災が彼に迫る」
「また占いか。それで?『愚者』?『死神』?『悪魔』?『塔』?或いは逆位置か?」
「いいや。どれも違う。『叛逆者』だ」
赤龍の困惑した表情。彼女の想定していたタロットではない返答だ、無理もない。
「なんだ、『いつもの』じゃないのか」
「いいや?馴染みのアレさ。彼で試したら全く新しいカードになった。稀にあることさ」
「ふん、あってたまるか!」
苛立たしげに窓の外に視線を移す龍人。外では相変わらず恐ろしい勢いで吹雪いている。この国『ケルニオン』の主であり龍神、『遷移の赤』を司る彼女の得意とする炎の魔術を持ってしても、この土地に温暖な気候など訪れはしない。物事は全て移ろいでゆく、諸行無常の象徴たる彼女の国が、永遠に凍土に囲まれて変化する事のない国であるなど、なんとも皮肉な話だ。
「『運命』とは絶対であり、何人にも慈悲を与えない。この世に生を授かった瞬間から、我々は『運命』から逃れられることはできん。『愚者』の運命を授かったのなら、その者は生涯『愚者』のままだ。そう、我々は世界という名の劇場で喜劇と悲劇を織りなす『役者』にすぎない。一度役を被れば最後、途中で役を変えることはできない」
「演者はこの世にごまんといるのにか?」
フェリシーがまた新たに酒を取り出しながら笑いかけた。
「君は君の国の劇場に行ったことがないのかい?ステージには演者が登っているのに、照明が当てられるのは僅か数名のみさ。だからどれだけ演者が多くても劇に集中できる。所詮この世も同じだ」
「演者という割には、人々は随分と自由に暮らしている」
「『何者にもなれない』者だっている。…まぁ、そちらの方が幾分か幸せだろうさ。運命を授かった者は良かれ悪かれその運命の通りに生きるからだ。彼の場合、新たな運命を辿る者ということだろうよ」
より一層強く吹雪いた。ケルニオンは永遠に冬が続く運命なのだろうか?民が住まう地域は幾分かマシだと聞いたが、この寒さだ。さぞかし暮らしづらいだろう。
「その言い方では、我々はまるで有象無象の大根役者ではないか」
「これは失敬。ありふれた魂だろうと決して同じものは存在しない。なぁ?『隠者』のファイストラウよ」
「ふん…貴様が何故『女帝』であるのか全く理解できん」
この女、フェリシー・ド・アークスの発する言葉は全て信用してはならない。何故なら彼女は運命をも欺く大ペテン師なのだから。古今東西のあらゆる魔術、思想、宗教、学術、政治…何もかもを嘲笑い、高みから見下す生粋の邪悪…少なくともこの赤龍の女ファイストラウはそう捉えている。
「別世界の私はさぞかし理想的な女性だったのだろうな。いつか会ってみたいものだよ」
「貴様のような者が何人もいてたまるか」
「違いない。それじゃあ再開しよう。何回続くかわからないがね」
フェリシーは酒を放り、再び椅子に腰掛けた。暖炉の炎がより強く燃え上がり、呼応するかのように今日一番に吹雪いた。




