人格解離
ビアンカの『いつもの』
・絶妙に青臭い気がする野菜
・とても硬いパン
・塩気の強い蒸した卵
・あまり甘くないリンゴのペースト
・一応店員を呼びつければぬるいor冷めきったドリンクを提供してくれる
日本円に換算して300円程。ビアンカが『安くてそこそこ量があるから』という理由で、ハイドレスト地方を訪れる度に注文する微妙な料理。誤解してはならないのは、このレストランが微妙なのではなくこの料理だけが微妙なのだ。当然、ビアンカ以外にこの料理を注文する者はいない。
後日、学園祭以降初めて授業に顔を出した俺だったが、特に何も言われることなく、適当に紹介されてそのまま授業が始まった。
「筆記試験の範囲は魔術概論IIの全域、実技試験は基礎的な魔力操作のみとする。まだ遠いとはいえ復習を怠らないように」
授業はつまらないものと思っていたが案外そうでもなかった。というより、つまらないものも多かったが一部はとても興味深い内容だった。リヴィド外の魔獣の生態、歴史、大魔女フェリシーに関する一般的見解等々…最後に関してはフェリシーに関する考察をフェリシー自身が執筆しているのだから当然面白いに決まっている。
「新しく入って来たレイ君は一部範囲免除となるが、その分補習があるので忘れないように。では今日の授業はここまでとする。何か質問は?」
最高峰の魔術学園の教員だけあって授業の質は高いし、人格的にも問題の無さそうな者ばかりだ。この『魔術概論II』の教師は厳格そうな女性だがユーモアがあって独特な雰囲気がある。最近就任してきたらしく、若手故に生徒や教員からの風当たりが強かったらしいが、その対応はすぐに改められることとなったのは言うまでもない。…名前知らないけど。だから俺の中では『若手の女性教員A』なんだよな。
「…無いようだな。では、私はこれで。良い午後を」
生徒が教室からぞろぞろと出ていった。俺がたった一年だけ通っていた高校とは違って一つの授業が長い。皆疲れているのだろう。
「君は行かないのかい?別にこの教室は今日はもう使わないから居ても構わないが。復習でもしているのかな?」
「少しだけ」
教科書を眺めていると若手の教員Aが話しかけてきた。何も嘘はついていない。今日習った内容の前後を頭に入れている。
「大変な時期に来てしまったみたいだね。君の試合、見させてもらったよ」
「どうも。何か面白いことでも?」
生徒がいなくなって二人きりになったからか、授業中より少し口調が柔らかになったように感じる。
「ああ、随分と興味深い試合だった」
「負けた試合に言われてもあまり感情は湧きませんね。なにせ完敗だったもので。それとも変わったご趣味が?」
「そう畏まる必要はない。生徒と教員の壁なんてくだらない、君もそういうタチだろう?」
まるで心を見透かされているようだ。…いや、この学園の教員になるくらいなのだから本当に心が読めるのかもしれない。
「…まぁ、そんなところかな。でも体裁上は気にするタイプなので。…それで、シトラスとの試合に何か面白いことでも?」
「いや、その試合ではない。準決勝の時だよ。ほら、君と同じ名でエントリーしていた子との試合だよ」
「ああ、あれは俺の妹です」
ユイとの試合で面白いところ…まさか抱きつかれた時云々の話じゃないよな?
「おお、そうなのか。それは意外だ。兄妹の仲が良いのは素晴らしいことだ」
この教員、しっかり見てたな。声色がわざとらしい。
「そりゃどうも」
「そうそう、その試合の時に実に面白い現象が起きてね」
「面白い現象?」
何か特別なことがあっただろうか?むしろシトラスとの戦いの際のあの超人的なスピードこそ気になる。
「その前に説明しなければならないかな…私の有する魔眼は強い魔力の流れを目視することができるんだが、君の得物が弾き飛ばされた瞬間からかな。君の体に異常に強い魔力の線が見えたんだ」
「…?」
思わず両手や足を確認するが何も無い。そりゃそうだ。彼女の能力なのだから。
「特に…その眼があまりにも眩しくて思わず目を覆ってしまったよ」
「この死んだ魚みたいな眼が?」
「はは、私に言わせれば綺麗な眼だよ。そう…死んだ一角獣のような眼だ」
「それ、褒めてます?」
「褒めているとも。一角獣の眼を見たことがあるかい?本当に宝石のような綺麗な眼なんだ。例え死後数日が経っても、その輝きは失せることがない」
ユニコーンかぁ…リヴィドの壁内にはいないから見たことがないな…『あの森』ならいるのだろうか?
「まぁ…なら褒め言葉として受け取っておきます」
「ああ、そうするといい。そう、話を戻そう。他の教員の皆様方は君の魔術に興味があるみたいだった。物質化した剣を生み出す…極めて異常だ、と」
その言葉ももう聞き飽きた。初対面で言われることは決まってこうだ。一に眼のこと、二に魔術のことだ。
「誰かいい加減解明してくれると助かるんですがね。異常だ異常だと言われても何がどうおかしいのか分からないのはモヤモヤするんです」
「だろうね。だが私は正直君の魔術自体はどうだっていい」
おっと、これは意外な答えだ。聞く価値がありそうだな。
「先程も言った通り、君の魔力の流れに興味がある」
「ハイドレストの先生に興味を持ってもらえて光栄です」
「はは、茶化さないでくれよ。何が気に入らなかったんだい?」
「俺には魔術関連の話はうんざりなんです。その…剣術一筋で生きてきたので」
「ああ、魔術ばかりに目が行きがちだがあの瞬間までは君の美しい剣術に目を奪われていたよ。…なんだいその疑いの目は。結構本気で言っていることだよ」
昨日までヘルミナにカウンセリングを受けさせようとしていた自分が馬鹿みたいだ。今では俺が初対面の人間に洗いざらい話しているではないか。
「本気か否かなんて気にしませんよ。ただただ空虚なんです。美味い飯を作っても、食材を褒められているのと同じくらいに。俺は剣に生きた男なんです。魔術が褒められても嬉しくない」
まぁいい。どうせ授業以外で絡むことはないのだからいっそのこと全て吐き出してしまおう。
「気難しいな。ビディアン先生が愚痴をこぼしていたのを聞いた。君、教員の間では有名人だよ?」
「具体的には?」
「そうだな…『ゼロ・スティングレイの名を騙る生意気な生徒』…とな」
「さぞ扱いづらいでしょうね」
英雄の名を騙り、それなりに実力のある生徒など厄介極まりないことだろう。
「どうかな。使い方次第さ。ビディアン先生は気に食わない様子だが、他の教員は如何にして君を引き抜こうか考えているみたいだ。無論、私も例外ではないが」
「俺なんか引き抜いて、何に使うんです?」
まったく、学びの場くらい平穏に過ごせないものなのだろうか。リヴィドの人々はどうも血の気が多いように感じる。或いは、向こうの世界が平和過ぎただけなのだろうか。
「色々さ。薬学のセザール先生は君の血から作る投影薬に興味があるみたいだし、魔法研究会のペルラという生徒も調べたいことが山積みだと話してくれた」
セザール…?あのマスク野郎が教師やってんの…?決めた。薬学だけは絶対履修しない。
「あなたは何のために?」
「シトラスへの合駒に使いたいと思っている。現状、生徒会の力が強くなり過ぎてね。ほら、学園長の娘さんで容姿端麗、成績も超優秀で剣術も一流。何をどうすればあんな完璧超人が産まれるのか理解できない。学園長の伴侶は魔神か何かか?…とまぁ、簡単に言ってしまえば我々も彼女に手を焼いているわけだ」
「俺と生徒会長の戦いは個人的なものです。学派だとか委員だとかを巻き込んでまでやるつもりはありません」
ただでさえ不気味なあの生徒会長の監視下におかれているのだからこれ以上フリーに行動できる時間が無くなっては困る。そも、次に彼女と戦えるのはいつなのか、勝てば依頼達成になるのかは分からないのだ。
「うーむ…困ったな…あまりこういう手は使いたくないのだが…」
何をするつもりだ?おそらく正攻法ではないことは分かるが…
「君には妹がいるね?彼女の授業態度はあまり良いとは言えない。彼女自身は大人しい方だが、彼女の友人に授業を真面目に受けるように注意しないのなら、彼女もまた同罪と言えよう。この意味…「ユイに手を出すな」…おっと…」
まさかユイを使ってくるとは思わなかった。良い教員だと思ったが前言撤回だ。やはり大人は信用してはいけない。
「妹に手を出すとどうなるか、ここで思い知らせてやってもいい」
「剣を下げてくれ。まだ話は終わっていない」
「…続けろ」
剣は下ろす。だが別の剣で彼女の背中を狙い続ける。一分たりとも油断はしない。
「何も彼女の成績を落とそうというわけではない。しかし…彼女、君と同じく『ゼロ・スティングレイ』の名で大会に出場していたな?」
「それがどうした」
「かの英雄の顔を見た者はいないが、彼女の剣技は英雄に匹敵するものだった。実は学園内では君と彼女、どちらかは本物のゼロ・スティングレイなのではないかという噂が流れているのだよ」
「…何が言いたい?」
「もし彼女がゼロ・スティングレイなのだと決定づけられれば、彼女の学園生活は相当苦労するだろうね。生意気と称される君より、友人関連以外は品行方正な彼女の方がそう思われるだろう」
「ッ…!?」
「脅したくはないが…大切な妹だろう?守るためには…」
「…分かった。要件を言え」
「我が治安維持委員会に属すること。それだけだ」
「妹に関する変な噂はどうにかしてくれるんだな?」
「約束しよう」
「なら…交渉…成立だ」
「賢明な判断だ。…そうだ、私の名を教えていなかったね。私はエルヴィリア・ベルレアン。長ければエルヴィーでもエルでもどうぞ」
手を差し出してくるが、到底その手を取る気にはなれない。だが一応は教師と生徒という関係であることを思い出した。
「…よろしく…お願いします。もう行きます。それではまた会いましょう」
足早に教室を去った。
(クソ…まさかユイをダシに使われるとは思わなかった。弱みを出し過ぎたか…だがこれでユイが変な目で見られなくて済むなら…)
廊下を歩いているがどこに向かうわけでもない。少しでもあの教室から、エルヴィリアから離れたかった。いや、この城全体がまるで俺を捕える監獄のように思えて仕方がない。まさかエンジェライアはここまで読んで…?いや、やめよう。彼女がユイのことを知っているはずがない。…だが…
(ああクソ…!とっととシトラスに勝てばこんな学園から…!いや…ユイがここに残るなら俺も…)
どうしたものか…エンジェライアからの依頼を完遂しなければ俺は彼女と結婚しなくてはならず、自由の身でなくなるばかりかユイとの時間も少なくなってしまうだろう。それは嫌だ。せっかく再会できたのに…かと言って依頼の達成などそう簡単ではない。一度俺に勝ったシトラスが再び決闘に応じるだろうか?もう既に彼女はガーディアンへの資格を満たしているはず…ベルナールも頼りにはできなさそうだ…あまり引き伸ばしていると今回のようなことが起こりかねない…
「…兄様!お兄様!」
意識の端から聞こえる声…まさか、ユイが呼んでいるのに気づかなかったのか?
「っ…!ユイか…すまない、考え事をしていた」
しっかりしろ俺。最愛の妹の存在に気付かないなんてどうかしている。そうだ、彼女は今ここにいてくれている。それだけが事実ならいいじゃないか…そう思うことにした。
「お兄様、大丈夫ですか?やはり先日のお怪我が響いて…それに、昨日はいったい何処へ?朝お兄様を起こしに行っても既におられず大変心配しておりました…」
「ああ…ごめんな。不出来な兄ですまない…本当に…」
なんと無力なことか。俺のせいでこの愛おしい妹を傷つけてしまうなどあってはならないことだ。だと言うのに、俺は自分の正体がバレたくない、面倒ごとに巻き込まれたくない、それだけの軽率な気持ちで彼女を引き合いに出されてしまった…。兄として失格だろうか。
「お兄様…?」
雪のように白い髪と肌、血のように赤く、俺とは違って輝いている瞳、抱きしめれば折れてしまいそうな華奢な体躯…ああ…なんと美しい妹だろうか。なぜ俺は彼女という存在がいるのに、ロマンなどとくだらないことを抜かしていたのだろう。彼女と生き別れになった約8年間、彼女を忘れていたわけではない。だが…どうして諦めていたのだろうか。どうしてあんなにもドライに、いや薄情になれたのだろう。彼女は俺の生死を案じていたというのに…。
「ごめんユイ…お前のこと蔑ろにしていたよ…本当に酷い兄だ…!」
何故だろう。彼女を見つめていると目頭が熱くなってくる。
「いきなりどうし…え…レイお兄様…!?どうして涙を…!しっかりなさってください!何かお辛いことがあったのですか!?」
妹が俺の体を揺さぶる。それに伴って大粒の雫が床に落ちる。
「一度部屋に戻りましょう!さぁ早く!」
「あ、あぁ…」
妹に手を引っ張られ、魔法研究部の活動場所へと向かった。幸い自室に戻るまで誰とも会わなかった。いや、会わなかった気がしただけかもしれない。
ベッドに腰掛けた俺は隣に座る妹に横倒しにされ、膝枕の形となった。自分でもわけのわからないまま、そこでひとしきり涙を出し切った。流石に声を上げることはなかったが、随分と情けない姿を見せてしまった。
「…何があったのですか?」
「ユイ…」
「はい、結はここにおりますよ」
「なぁ…教えてくれないか…?俺はどうあるべきなんだ?結にとって俺はどんな兄であるべきなんだ?」
こんなことを彼女に聞いても意味はない。だが、起きた事を正直に話すのも憚られる。
「私はどのようなお兄様でも愛しております」
嬉しいのかそうでないのか分からない。どんな自分でもいいのだという嬉しさと、何も求められていないのではないかという気持ちがせめぎ合う。無論、彼女が後者であるはずがないが。
「そうか…なぁ…突然のことだが…」
この先を言うべきかどうか、俺は自分でも分からなかった。
「…どうして大会であの名前で登録したんだ…?」
「それは…近年の英雄と名高いゼロ・スティングレイ殿の名前を使って優勝すれば噂になって、お兄様を探すのに役立つかと思って…その大会中に再会できたのですから、まったく意味はありませんでしたけどね」
少し予想外だったが、その答えに安心した。よかった…妹は自分を本気で探そうとしていた…だが、それと同時に罪悪感があるのも確かだった。…ユイは俺を探そうとしていたのに、俺は…
「そうか…ありがとう」
「いえ…お兄様こそ、生きてくれていて、ありがとうございます」
この世でたった一人、自分の弱みを曝け出せる人間がいるとしたら、それは目の前の彼女以外あり得ないだろう。まるで母のような…。彼女の方が俺よりもずっと大人だ。
「それと、かの英雄には謝罪が必要ですね。勝手に名前を使ってしまいましたから。二人でごめんなさいをしなければ」
昔、本当に昔のことだ。まだ魔術など知らぬ、無邪気な兄妹だったころ、よく家の者から言われたものだ。『悪い事をしたら、本人がいなくても誠意を見せよ』と。彼女は今でも覚えていた。
「そうだな…けどその必要はない」
「あら、それはどうして?」
「実はな…叛逆の英雄ゼロ・スティングレイって…俺のことなんだ…」
一瞬の沈黙。俺が冗談で言っているわけではないと悟ったようだ。そして…彼女は微笑んだ。
「…ふふ、そんな気がしてました。では、お兄様にごめんなさい、ですね」
「…信じてくれるのか?」
「お兄様のことはいつでも、いつまでも信じていますから」
自然と頬が緩む。凝り固まっていたからか、少しだけ…ほんの少しだけ痛かった。
「よかった。お兄様が笑ってくれました」
妹が満面の笑みで笑った。どこか儚げな雰囲気を纏う彼女が。過去に両親にすら見せなかった…俺にだけ見せてくれたあの笑顔。それは病弱で日中はいつも部屋で寝込み、まるで陽の光など知らぬというのに太陽のような、明るい笑みだったのだ。
俺はユイがゼロを受け入れてくれたことへの嬉しさと懐かしさ、安心感…あらゆる感情が混ざって、また涙を流した。




