『抜きな。どっちが速いか勝負だ』
「待ちたまえ」
ヘルミナの手を取って歩き出そうとした瞬間、低い男の声が後ろから聞こえた。まったく、どうしてこう言う時に邪魔が入るんだ。
「あ?誰だアンタ」
振り向くと茶髪の恰幅のいいローブを羽織った中年の男がこちらに向かって来ていた。
「その口の聞き方はなんだ?私は神秘研究科の教師である。君達、授業が始まるというのに今からどこへ行こうというのだね?」
中年の教師はいかにも堅物といった雰囲気で、メガネをかけてたら絶対にクイッてやる奴だと思った。この感じ…どこか懐かしい。あれだ、校長って言うより教頭みたいな感じのやつだ。
「神秘研究科ぁ?なんか胡散臭いことやってるな。で、誰こいつ?」
「さぁ…ボクもこの人の授業は選択してないから分からないけど、神秘研究科なんて碌なとこじゃないよ」
「貴様ら、我が学派を蔑むつもりか?黒髪の貴様は見た事がある。二年生代表だったな?確かゼロ・スティングレイの名でエントリーした愚か者だったはずだ」
「ご明察。じゃあもういいか?胡散臭い勧誘とすぐキレる奴はお断りなんだ」
まったく。人の時間は有限なのだから邪魔しないでいただきたいものだ。
「聞くところによると授業をサボるつもりの様だな。二人とも職員室まで来てもらおうか」
教員が手を伸ばす。
「おっと、気をつけろよ」
ナイフが空から落ちてきた。ローブを切り裂いて地面に突き刺さる。
「っ…!?貴様…手を出したな?」
「はて?今日は晴れのちナイフって聞いたから注意してやったのさ。感謝しろよな盗み聞き野郎」
挑発する俺の横でヘルミナは心配そうに見ていた。ならこのプライドバトルは尚更負けるわけにはいかないな。
「待て!絶対に行かせんぞ!貴様らのような不良共はみっちり叩き直してやる!」
「名前も知らない奴に不良呼ばわりされる筋合いは無いね」
「貴様…名を名乗れ!」
「自分から名乗るのが礼儀だろ?俺は別にお前の名前なんざ知ったこっちゃないが、俺の名前が知りたきゃ自分から名乗るんだな」
みるみる赤くなっていく。へぇ、人って怒ると本当に赤くなるんだな。生憎俺はロマン以外分からんから恥を晒さずにすんだよ。
「…フランソワ・ビディアンだ」
「ゼロ・スティングレイだ。おっと、俺の連れは名乗らせないぞ。お前には関係ないからな」
「ゼロ・スティングレイ…大会での偽名など聞いていない。本当の名を答えろ」
本人なんだよね、俺。てかその名前も俺が作った奴だからそんな名前の奴なんていないぞ。
「何のことやら。本物の叛逆者かもしれないぞ?」
「そのようなことがあるか!」
「じゃあお前はかの叛逆者の顔を見たのか?」
「っ…!貴様のような小童にそのような力があるはずがない!」
「はいはいガキですよ。んで?見たところもう我慢ならないって感じだな?じゃあここは話し合いなんて物騒なことしないで、穏便に決闘と行こうか。俺が勝ったらこのことは黙っててもらうぜ?負けたら連行されてやるよ」
相手が頭に血が上っているからいいものの、レスバなんて俺には到底できん。さっさと実力で分からせる方が好きだ。
「いいだろう。二年生代表とて、シトラスには勝てなかったのだ。ならどうとでもなる」
ビディアンが剣を抜く。ちょろい。まさか本当に乗ってくれるとは思わなかった。
「じゃあ、3…2…1…」
ヘルミナがカウントダウンをしてくれる。俺が勝つ事を信じているのが分かる。声に震えはなく、はっきりとしていたからだ。
「…0!」
風を切る音。奴にはその音が聞こえたかどうか分からない。
…もう倒れているからだ。
「え…?今何が…」
何が起きたのか理解できていないヘルミナ。当然だろう、むしろ初見で理解されてたまるものか。
「よし、勝ったな!じゃあ行こうぜ!」
俺は困惑するヘルミナの手を取って学園の駅へ走り出す。ヘルミナはまだ状況を飲み込めていないようだ。
「え?えっちょっとレイ!?今どうなって…!」
「細かいとことはいいんだよ。勝ったものは勝った。ほら、気分転換の時間だ。今日はサボって二人で一緒にいよう」
「え…あ…うん、君と一緒にいれて嬉しい。行こうか」
それはまさに一瞬の出来事だった。あらかじめ鞘の鐺を向けていた俺はカウントダウンが終わると同時に麻酔弾を発射、アイリス特製の超強力ポーションから作られたこの弾は相手を即座に痺れさせ、その直後に眠らせる。なんてことはない、映画で見たガンマンの早撃ちの練習を、ビアンカに付き合ってもらったからできただけのことだ。
「行こうぜとは言ったけど、どこで待ち合わせよう…まぁ駅に呼び出せばいいか」
「呼び出す?どうやって?」
ヘルミナが不思議そうな顔をする。無理もない。流石にまだどこでも繋がる電話は開発されていない。
「あー…ちょっと目を瞑って耳を塞いでてくれるか?」
「え?…まぁ、いいけど…」
ナイフを作って彼女に突きつけ、目を閉じている事を確認した。聴覚は…まぁどうしようもない。
「ありがとう。…ルシア、いるか?」
「ここに」
すぐ傍に銀髪の獣人が現れる。毎度のことながら驚いてしまうものだ。
「うお…失礼、ビアンカを読んでくれないか?ちょっとこの同級生のカウンセリングを頼みたい」
「承知」
それだけ言うとまた霧のように消える。…本当に常に見張っているつもりだろうか。彼女と出会った日に、気配遮断の聖遺物を与えたのがここまで響いてくるとは思わなかった。せめて指輪の形をしていなければこんなストーカーみたいなことはしなかったのかな…
ヘルミナの肩をトントンと叩いて知らせる。一応しっかり目を閉じて耳も塞いでいたのだろう。なんとも律儀だ。俺ならこっこり覗き見る自信があるが、少なくとも彼女は見ている限りそんなことはしなかった。
「終わったのかい?」
「ああ、ちょっと恥ずかしがりな知り合いがいたもんで、ついでにそいつに伝言を頼んでたんだ」
「そうか。これからどうする?」
「ちょっとだけこの駅で待つ。それから知り合いにどこで話し合うか決めてもらう。俺はあんまり良い場所を知らないからな」
アクスリートなら紹介できるが、流石にフェリシーに合わせるわけにはいかない。そもそもあんな飲兵衛が居座っているパブなど不適切に違いない。
「なら…少し君の肩に寄りかからせてくれ。今朝は家族と会わないために早起きしたから眠いんだ…」
俺の許可を得るまでもなく頭を俺の肩に乗せて目を閉じた。俺は遅れて返事をする。
「俺のでよければどうぞ」
なんだかもう今更な気がしてきた。まぁ…これも風情があっていいか。風情なんて何のことか知らないけど。
「ペルラ、起きているか?」
「ふわぁ〜…何?シトラス…」
眠そうな紺色の髪の少女の部屋に特に何の躊躇いもなく入っていくシトラス。どうやら魔法研究会のメンバーの一人のようだ。
「実は新しく入って来た者がいたのだが…今朝見たらいなくてな。まさかとは思うが既に実験対象にしたとかは…」
シトラスが言い終わらないうちにペルラが喰ってかかった。
「新入り!?どんな奴?どんな魔法?強い?弱い?素質はどんな感じ?」
「いや…君がそれを調べているのかと思って訪ねたのだが…そうか、ここにも来ていないか…失礼したよ」
「よく分からないけど、帰って来たら私のところに連れて来て。どんな魔法を使うのか気になるから」
「本人が承諾すればそうしよう。今日は君の学派は休みだったか…邪魔したな」
シトラスが特に何の感情もなくドアを閉める。ペルラは恍惚とした表情で再び布団に潜った。
「うへへ…新入りかぁ…どんな奴だろ…」
「邪魔するわ」
「邪魔をするなら帰れ」
それは突然の邂逅だった。いつもの如くフェリシーがアクスリートに入り浸っていると、突如としてパブに入って来た赤髪の女性…ベルナールが彼女に杖を向けてきていた。
「陰気な場所ね。アンタにお似合いよ」
「かのベルナール女史…失礼、マリー卿の宝石のような目はすっかり埃をかぶってしまったようだ」
「敬称なんてどうでもいいのよ。卿だろうが女史だろうが、先生だろうが博士だろうが、ね。昔はマリー婦人と呼ばれていたのに、次第にマリー卿、メリア卿、今ではベルナール卿よ?私にとってどれも本当の自分じゃないってのに」
「同感だな。結局のところ正しさなど二の次、皆己の感覚…そうだな、『その方がいいから』という感覚だけで物事を判断する。人間とは何とも都合の良い生き物だ」
フェリシーは尚も酒を呷る。彼女の座るカウンター席には既に空のボトルが10本ほど並んでいた。呆れたベルナールは振り回しやすい小枝ほどの長さの杖を下ろした。
「本っ当に変わってないわね。そんな話をしに来たわけじゃないのよ。それともなに?アンタは道理を説いて学者面してないと気が済まないわけ?そうやってクロードを誑かしてたわけじゃないでしょうね?」
「やれやれ…質問の多い小娘だこと。私と過去の王の関係は君の知ったことではないが、まぁ安心したまえよ。君にとっては朗報だが今の私は君が好意を抱く相手とは別の相手に執心なのでな」
ベルナールが苛立たしげに椅子を引き、一席分の間を空けてフェリシーの隣に座る。
「チッ…マスター、レモンジュースを一つ」
「酒は飲まないのかい?」
「アンタとは飲みたくないだけよ。レモンの香り、嫌いなんでしょ?」
ベルナールが悪戯な笑みを浮かべる。彼女とフェリシーの関係性は不明だが、仲は良くないだろう。
「それが最近はそうでもない。ゼロ君はここのレモンジュースが大のお気に入りでね」
「フン…つまらないわ。でも飲みはしないんでしょ?こんな酸味の塊、好んで飲む奴がいるはずがないもの」
ベルナールの顔がすぐにまた無表情に戻る。本当につまらなさそうだ。
「大のお気に入りだと言ったろう。つまるところ、本当にそれを飲み干すのだよ。正気とは思えん。香りならいざ知らず味となると…なぁ?君だってそれだけの量じゃないか。彼は瓶単位でグイッといくぞ?」
「ああ、何となく理由が分かるわ。きっと辛いことがあったんでしょうね」
「…興味深い話だな」
「何が原因かは知らないけど、人って辛いことがあって疲れ過ぎて、もう何もできないのに動かないといけない、そんなときは大抵舌も死んでるのよ。料理の味なんて分かったものじゃない。けど…この酸味だけは嫌でも舌に残る。だからこんな物が好きになるようなやつの精神状態なんてお察しよ」
そう言い終わるとベルナールはグラスを傾けて一口だけ飲み、なんとも言えない顔をした。
「ふむ…過度なストレスが味覚に影響を与えるという話は聞いたことがあるが…よもやゼロ君が?」
「少なくとも私はクロードが死んだって思い込んでた時はずっとそうだったわ。それが今ではお互い不死身の化け物になっちゃって…」
悲しげに、懐かしげにグラスを揺らしながら液面を見つめるベルナール。そこには宝石のような瞳が映り込む。
「戦士として巨悪…君達はドールズ、と呼んでいたな。それと戦っていた方がマシだったか?」
「まさか。酔いが回り過ぎてるんじゃないの?」
「そうかもな。だが結局あの戦いはハイドレストの地の魔術師にとって必要だったものだ」
「同胞が苦しんでる中、差し伸べるための手で書いた論文はどれもあまりパッとしなかったわね。ねぇ?Dr.フェリックス」
また悪戯な笑み。今度は心から憎そうな目つきだった。
「これ以上私に突っかかるな、『B-004』」
その名称を耳にしたベルナールの目つきがより鋭くなり、服の下に忍ばせている杖に手が伸びる。
「それ以上私の過去を見ようとするなら…吹き飛ばすわよ」
そして杖を引き抜いてフェリシーの側頭部に突きつけた。
「やってみろ。エンバージュの顔を拝めなくしてやる」
指をベルナールの方に向け、指輪に嵌められた宝石を光らせるフェリシー…まさに一触即発だ。
「分からない?これは提案よ」
流石にこの状況ではフェリシーが不利だ。二人の魔術的素養に大差はなく、ベルナールは魔術の補助専用の杖を持っているがフェリシーは指輪の宝石を介して魔力を増幅させるのみだからだ。どちらが補助ユニットとして優れているかは一目瞭然だ。
「状況が悪くなったからと言って、脅しが提案になり変わるとでも?」
「少なくともこの状況ではそうなってるわ。ようやく本題に入れそうね。じゃあ、選びなさい。私と取引をするか、このままこのボロい店を吹き飛ばされるか。アンタの選択次第よ」
フェリシーは動じない。表情一つ変えず、最後の酒を一気に流し込み、ベルナールに向き直る。
「若造の取引には些か興味がある。話してみろ」
ベルナールが口を開く…彼女達の間でどのような言葉が交わされたのか、店は無事だったのかは分からない。しかし後日、両者ともに何事もなく、それでいて少し満足そうにしていた様子が目撃されたとか…




