誰なの?
家には大きなスピーカーがある。去年亡くなった父のコレクションの一つで、Bluetoothを繋げられる物で今ではもっぱら私がラジオで聞いてばかりだ。
大きな居間を横切り、軋む廊下を歩いて突き当たる襖を開く。そこには私の体より少し小さくて、家電量販店で見るような大きなスピーカーが二台、専用の長方形の机に座っている。だが家は和式美に溢れた家だ。畳の上に高級なスピーカーがあるのは今でも違和感で、そこにお父さんの面影をみる。
スマホに現れる小さな接続マークを見て繋がった事がわかる。
「ハンズフリーってやつね。」
スピーカーの前には用意された足のない竹でできた椅子が用意してあり、意気揚々と座る。自分の背丈にはフィットしない大柄で座り心地の良い椅子が私の背中を支えてくれる。
それからアプリをタッチした。
[……線を……高架下………それか……]
「…ん?」
いつもならラジオDJの軽快なトークに、心を落ち着けるような曲が流れる。だがなにやら電波が悪いのか、言葉が飛び飛びで何を聞いているのかわからない。
「スマホ壊れたかな…」
昼間、トイレで携帯を落としたことを思い出す。だがこんなにも唐突にあらわれるものなのだろうか。
アプリを切ったり、接続を切ったりしてみる。
[明日か…………夕………本ぶりの………]
天気予報だろうか。ワードから想像しかできないが、どうやら再接続してもどうしようもないらしい。
「こわれちゃったのかなぁ………周波数変えてみるか…」
細かな数字を変えられるのがこのラジオアプリの良いところだ。景気良くいじってみる。
[ここを曲がると、懐かしい駄菓子屋がある。]
若い男の声、それも声音が低くくて落ち着くようなコエガ出力された。朗読劇だろうか。
[いない。]
淡々としている。何かを探している話のようだった。
[振り返り、タバコ屋に向かってみる。いない。]
「……朗読劇にしては、なんか…へん?」
公共の電波で流すには、かなり会話的。というよりも喋り言葉になっていて、不穏な感じだ。
[少しだけ進んでみる。いない。]
「もしかしてだけど…誰かを追いかけてるのか。」
[もう少し進んで、スーパーニシムタを目指す。]
「えっ…」
聞き慣れない声から聞き慣れた名前を聞いた。スーパーニシムタは近所にある。
ひゅっ…と喉が締まって、なんとも言い難い感覚が背筋を撫でた。縮み上がる体にじわっと冷や汗が湧き出てくると、追い打ちをかけられる。
[小学校を通り過ぎる。いない。]
「なによこれ…気味が悪いったらない。」
画面に触れてアプリを消そうと指を翳すが、あることが頭によぎった。母親は今、買い出しにでかけている。
[見つけたぁ。]
体から血の気が引いた。声の主は母親を探していた、かも知れない。だが場所も、通りすがったいろんなものが近所であることを示している。
私はアプリをバックグラウンドに押し込んで、母親に通話をかけた。
[あれ?どうかしたん?なにか買ってきてほしい?]
いつもどおりの母の声が聞こえた。ほっとしてしまったが、とりあえず安否確認をしないと。
「お母さん今どこにいるの??ニシムタ?」
[ニシムタ?いややわー、なんでわかったん?今出たとこやわぁ!まなみを迎えに行ったついでにかいもんしたんやけど、白菜やすくなっててなぁ]
声の主が見つけたタイミングもバッチリだ。お母さんは何でかわからないけど狙われている。
[せやけどなぁ……って、どうしたん?オネェちゃんと話したいん?ちょっとかわるで…………おねーちゃん!!]
「まなみぃ…良かったぁ…」
小学生のまなみが元気よく電話にでてきた。いつもの声に安心する。
[おねーちゃん…]
「ん…どうしたん?」
[あんなぁ…さっきからこっち見てる薄いおじさんおんねん…]
ゾッとした。まなみには声の主が見えてるようだ。
「ええかまなみ…一先ずうちに帰っておいで。そしたらおねぇちゃんがどうにかしたるから。」
[うん…わかった。はい、お母さん…………ありがとうな。ほな今から連れて帰るから!またね!]
通話が終了した。
どうにかして薄いおじさんとやらを解決しないといけなくなった。相手は幽霊だ。どうしようか。頭を抱えて悩んでいると、不気味にも急に声がスピーカーから出力される。
[タバコ屋を過ぎる。誰も止めない。]
「うそ!もうタバコ屋さんなの?」
私は頭に出てきたのは塩だ。所謂盛り塩によって家に霊を連れ帰らないというありきたりが頭によぎった。
[駄菓子屋の前でささわたりさんが止めた。]
「…今ささわたりっていった…よね…」
声の主はささわたりさんと言った。お隣に一人暮らししているおばぁちゃんだ。その名前を父はいつもささわたりというが、沢渡さんの言い間違いだ。
つまりだ。この声の主は父親だった。
「お父さん…まなみのこと…見守ってくれてたんだ。」
父が死んで遠いところに行ったんだと思い込んでいた。そんなことはない。父はずっとそばにいてくれてたんだ。
感傷に浸っていると、唐突に襖が開いた。
また予想だにしない事態に腰が抜けて、畳に尻もちをついた。
開いたふすまには母親が立っていて、いつもの柔和な笑顔を向けている。
「おねぇちゃん、今日の晩御飯おなべでええね?」
「え?買い出しいってたんじゃ…」
「割と前に帰ってたけど、あんたお父さんの部屋にいたからなぁ…まぁゆっくりし、お母さんお鍋作っちゃうから。まなみが帰ってきたら晩御飯にするからね。」
母は襖を閉じる。廊下の軋む音が遠のいて、耳にうるさい心臓音が続いてる。
「まなみをむかえにいったのは……だれ」
混乱する頭にまた、スピーカーの声が横殴りする。
[だれも、たすけてくれなかった。]
夕暮れが夜に変わっても、まなみが家に帰ってくることはなかった。私はスピーカーの前で、まなみとおとうさんの声を、今でも待っている。