008 胡桃のRINE
昨日は夜遅くまで録音室にこもり『赤坂46』の曲作りに専念した。おかげで湊は今日は朝から寝不足だった。いつもよりぎりぎりに教室に入る。教室ではみんなが騒がしく来週の球技大会のことを話し合っていた。
湊が自分の席に着くと前の席の浩二が振り向いた。
「今日は顔色が良いな。昨日みたいに青ざめている様子が無い。問題は解決できたか?」
「うん、なんとかなったと思うよ。もう心配事はないから安心していいよ。心配してくれてありがとう」
その話を隣の席に座っていた美奈が聞いて湊の顔を覗き込んできた。
「本当だ。昨日みたいに悲壮感が漂っていないわね。問題が解決できて良かったわね」
「滝川さんにも心配してもらえて嬉しいよ」
「大したことは出来なかったもの。気にしなくても良いわ。それに綾坂君のことは朱音に聞いていたから前から知っていたのよね。なんだか他人事じゃないような気がして心配していただけよ」
「それでも嬉しいよ。ありがとう」
湊にお礼を言われて美奈は嬉しい気持ちになる。そして背の小さな湊が可愛く思えた。そのことを湊がしったら怒っていたことだろう。もし湊が虐めに会わないでいれば可愛い顔をしているのでクラスのマスコット的な存在になっていたに違いないと美奈は思った。
そこに康弘と朱音がやって来た。
「今日は大丈夫そうだな。安心したよ」
「本当ね。いつもの湊に戻っているわね」
二人と湊は長い付き合いだ。少し顔を見ただけで湊の状態を把握するくらい仲がいい。
「二人にも心配かけたね。でも問題は解決できたから、もう大丈夫だよ」
「それなら良かった。本当に心配したんだぞ」
「ありがとう」
「話は変わるけど湊は球技大会にはどの種目に出るの?」
朱音は湊が今一番気にしていることを聞いてきた。湊は球技大会なんてなければいいと思っている。クラスに溶け込めていないし背が低いのでバスケットボールやバレーボールという競技は苦手なのだ。
卓球とかバトミントンなら良かったのにと思わずにはいられない。
「俺は背が低いだろ。どの種目も苦手だから余った方の選手になるよ」
湊の言葉に美奈が反応する。
「バスケットボールは身長を気にするのは分かるけどバレーボールは気にしなくても良いと思うわよ。6人制のバレーボールじゃなくて球技大会のバレーボールは9人制だからローテーションはしなくて済むわ。後衛ならスパイクを打つことはないから身長は関係ないと思うわよ」
湊は美奈の言ったことを理解して直ぐにバレーボールの選手に立候補することに決めた。後衛ならレシーブをするだけで済む。湊は背が低いだけで運動神経は良い方なのだ。バレーボールのレシーブくらいなら問題なく出来ると思った。
「それなら俺はバレーボールの選手をするよ。誰が取りまとめているの?」
「選手のとりまとめは委員長の長谷川さんが担当しているぞ」
「じゃあ、今すぐ申し込んでくる」
湊はそう言い直ぐに委員長の長谷川のもとに向かってバレーボールの選手に立候補した。これで湊の懸念していた球技大会のことについては決着がついた。後は当日に大きなミスをしなければいいだけだ。
そして席に帰って来た湊のスマホがブルブルと震えた。スマホを見ると胡桃からのRINEだった。そのRINEには4曲の音楽が添付されていた。
『今度の土曜日までに今送った曲を覚えておいて』
『なんで俺がこの曲を覚えないといけないの?』
速読して返事をすると直ぐに胡桃から返信があった。
『綾坂君はなんでも言う事を聞くと言ったわよね。もう忘れたの?』
『確かにいったけど、なんで曲を覚えないといけないんだよ』
『聞く耳は持たないわ。約束を守らないとあのことをSNSにアップするわよ』
そのメッセージを見て湊の顔が青ざめる。すぐに胡桃に返信をする。
『分かったよ。送られてきた曲を覚えておくよ』
『理解が早くて助かるわ。絶対に覚えておいてよ』
『分かったから。何度も言わせるなよ。そのかわりあのことは黙っておいてくれよ』
『分かっているわよ。誰にも言わないから安心して』
RINEのやり取りが終わり湊はホッとする。そしてそのタイミングで斎藤先生が教室に入って来た。湊は慌ててスマホを仕舞う。うっかりスマホを見られてしまうと斎藤先生は直ぐにスマホを没収するのだ。
「みんな、席に着け。今日も欠席者はいないな。長谷川、球技大会のメンバーは決まりそうか?」
長谷川さんは佐藤先生にそう聞かれて緊張したように答える。
「概ね順調です。今週中には全てのクラスメイトを振り分けて資料を提出できます」
「分かった。長谷川は仕事が早くて助かる。みんなも長谷川に協力するようにしろよ」
そうして主な注意事項を言って斉藤先生は教室を出て行った。湊は胡桃が送って来た曲が気になりスマホで聞いてみる。
すると二曲はMINATOの曲だった。でも歌っているのは湊ではなかった。湊以外の女性が歌っているものだった。もう二曲は聞いたことが無い曲だった。一つはバラードでもう一つはアップテンポな曲だった。
「湊、何を聞いているんだ?」
浩二が振り向いて聞いてくる。湊は自分の曲を聞いているとは恥ずかしくて言えない。
「気になった歌手の曲を友達が送って来たんだよ。その曲の確認をしているんだよ」
「へー。湊ってカラオケには行かないのに音楽は聞くんだな」
「俺は歌うことが苦手なだけで音楽は好きなんだよ」
「どんな曲を聞くんだ?」
「ほとんどJ―POP系の音楽だよ。ロックもたまに聞くよ」
「そうなのか? 俺はアイドルの音楽しか知らないな。最近は赤坂46がお気に入りなんだ。宮藤祈里とかが俺の推しだぜ。湊も応援してくれよな」
「宮藤か、確かに可愛いよな。この前の選挙でも6位くらいだったんじゃないか?」
「良く知っているな。そうなんだよ。神7に入るくらい可愛いんだよ」
湊は『赤坂46』の仕事をたまに受けるのでメンバーのことには多少詳しい。決してファンという訳ではない。
浩二と会話をしていると英語の先生が教室に入って来た。浩二は直ぐに前を向いた。
湊は仕事柄歌詞を直ぐに覚えることが得意だった。その日から二日後には歌詞を丸暗記していた。