③女の涙には敵わないのもまた、漢なのである。(※言い訳)
そして訪れたヨランダの部屋。
「………………」
「………………」
──カチコチ、カチコチ。
時計の音がやたらと響く。
それもその筈……ふたりは無言であった。
ふたりともそれぞれの事情から、なにをどう、切り出していいものかわからないのだ。
(──このままじゃ埒が明かんな)
既視感溢れる台詞である。
案外、息ピッタリではあるふたり。
そんなふたりが話し出そうとしたのもほぼ同時だったが、ややエルフィンの方が早かった。
「ンンッ……その、」
緊張を誤魔化す為に、わざとらしく咳をひとつしてから、彼は口を開く。
「調子は、どうだ」
「は、はい、お陰様で……」
「──ヨランダ」
「ッ!」
そして、今までなんだかんだ呼ばないでいた彼女の名前を、ここにきて初めて呼んだ。
なんだかんだ呼ばないでいたのは勿論照れからだが、今になって呼んだのは、先程の『アレとは奥様のことですか?』という言葉に含まれる、非難と侮蔑を孕んだ冷たく重い圧による。
名前を呼ばれた動揺のあまり、思わず顔を背けるヨランダが、歯噛みし眉根が寄るのを我慢できず、両手で顔を覆ったのは既に語った通りだが──
「!?」
この時、それにエルフィンの方も驚き動揺していた。
(なッ……泣いているのか……?!)
いや、この時はまだ泣いてはいない。
歯噛みし(以下略)。
(だが、何故泣く?)※まだ泣いてません。
話をどこまで聞かれていたのかはわからない。だが、ローランドが気付いていない以上、前提としては事実。嘘だと気付かれた可能性は低いだろう。
気付かれていたのなら、彼女がこうして泣く理由はないような気がする。
(つまり……『思い出の少女』が自分ではない、というのがショックだったのか?)
思えばヨランダは、最初から控え目で慎ましかった。
そんなところが割と気に入っているのだが、彼女のこちらに来た経緯や立場を思うと当然といえば当然。とはいえ、特にグイグイくる女性が苦手なエルフィンは、控え目なヨランダが妻になることは有難かった。
自業自得な面からも彼女を娶ることに今更異論など出来る筈もなく、迎え入れたからにはなんとか上手くやりたい気持ちはある。
だが連れてこられてしまったかなり歳下の娘にイキナリ特別な興味は抱けず、今に至っていた。
尚、それと緊張は別問題である。
特別な興味がなくとも、相手は妻となった妙齢女性。対面すれば意識はするし、年齢差からの余裕を醸したい気持ちが横滑りして尊大になる。
エルフィンの対女性への基本スペックは、とても残念なのだから仕方ない。
幸いと言うべきかは微妙なところだが、彼女の方も経緯や立場の問題を外すと、自分に興味があるとは思えない。
なので『関係構築はゆっくり、互いの存在に慣れてから』。
そう考えていたエルフィンとしては、ちゃんと『妻』として何不自由ないように、とりあえず環境だけは整えてきたつもりだった。
──しかし、
(不安にさせていたのか──)
自分のことで狼狽え、涙を流すヨランダの姿はエルフィンの心を動かした。
彼女は自分と上手くやりたいと、切実に思っているのだろう……そう感じて。
それが置かれた立場からのものであっても、向けられた真摯な気持ちに応えられなかった落ち度はこちらにある。
この娘をこのまま、放っては置けない。
咄嗟にエルフィンはヨランダの腕を掴んだ。
「──ッ!?」
顔を覆っていた両手を引き剥がすとヨランダは驚きと共に顔を上げる。涙で濡れた、彼女の頬。
「……泣くと、見れた顔ではないな」
実際、美しいというものではなかった。
化粧は崩れていたし、鼻は赤い。
間抜けな表情をしている。
だが何故か胸が締め付けられ、自然と身体が動いていた。
エルフィンはヨランダの頬に触れ、涙を拭うと、目元とこめかみの間あたりにそっと唇を落とした。
何が起きたかわからず惚けているヨランダは、先程よりもっと間抜けな表情になっている。
それはあどけなく、微笑ましかった。
(泣いているより余程いい)
考えてみたら彼女は今までずっと、どこか緊張したような表情で、自然な笑顔どころかこのような素の表情すら見たことがなかった気がする。
(ずっと不安だったのだろうか)
自分なりに彼女には気を使ってきたつもりだったが、会話は覚えていてもその表情までは注視してこなかった。
何をしてやってもいつも戸惑っているようなそんな感じだった気はするものの、自分の態度の悪さもあり特にその理由を考えてこなかったのは良くなかった……そうエルフィンは反省した。
なにしろ、彼女がこうして示してきた不安は、自身の想定していた『態度や口調』などというモノとは違うことなのだ。
その事実やヨランダの素の表情に、反省と共にどこか擽ったい高揚感を感じていた。
「──近々、神殿へ向かう。 いいな?」
「え」
「ふん……くだらないことで悩むのではない」
そう言い残して部屋を出て行くと、フローラへ彼女への食事などをきっちり指示をし、自室へと戻った──
──ところまではなんとか体裁を保っていたエルフィンだったが、扉を締めると膝から崩れ落ちた。
(く……………
っっそ恥ずかしい……ッ!!)
自身の行動を思い出すと、恥ずかしくて死ねる。
(──私は何故あんなことが恥ずかし気もなくできたというのだ!?)
彼が理想とする漢とは、『硬派』で『寡黙』。
自分の行動が自分でも信じられない。
(あんな女子の好む娯楽小説に出てくるような軟派な真似など……ッ! 有り得ぬ! このエルフィン、一生の不覚!)
一生の不覚ならもっと別にしているじゃん……などとツッコんではいけない。
ちなみに『女子の好む娯楽小説』を何故知っているかと言うと、でっちあげエピソード作りの為にこっそり読んだからである。
基本的に、彼はバレなければなんでもいいのだ。
上に立つ者はイメージが大事であり、舐められたら終わり。
そこは貴族も軍人も向いている方向が違うだけで、本質にはそう変わりはない。ただちょっと……エルフィンの場合は隠し事が人より残念なだけで。
理想とする漢像への囚われもあり、ヨランダへの態度が残念だったエルフィン。今、そんな彼を驚くべき行動に走らせたのは『女子の好む娯楽小説』を読んだせいである。
エルフィンの潜在能力は高く、読んだことで履修をきちっと終えていたのだ。
これまでは如何せん厨二力が強すぎて発揮されることはなかったものの、彼女の涙に動じて行動指針の向いている方向が唐突に振れた──その結果の行動。
そして行動だけではない。発言も。
(くっ、しかも不安を拭う為とは言え、迂闊にも『神殿へ行く』と言ってしまったのは不味い……!)
そのことを思い出し、彼は更に焦らずにはいられなかった。
婚姻の儀を引き延ばしたかったのは、ヨランダが不服だからではない。
あれにはそう、『誓いの口付け』があるからだ。
しかも、終わったら初夜が待っているのだ。
(どう考えてもまだ早いッ! まだ早すぎる!!)
そう、『まだ早い』は、もう少しお互いをよく知ってから……という、エルフィンの萎縮的慎重さによるものであった。
『どっちが乙女なんだ』と思われるかもしれないが、その派生は乙女的な思考からではなかった筈だった。
少なくとも今、この時までは。