②ガードランド辺境伯閣下エルフィンの寝耳に水事情
エルフィン・ガードランド辺境伯閣下。
前辺境伯が特に身体的な事情でもなくその地位を退き、若くして辺境伯となった彼。だが、それに文句を言う者は誰もいなかった。
それにはガードランド辺境伯軍が鉄壁の一枚岩であり、それ如きで指揮系統に問題が及ばないなどの外的要因は勿論あるにせよ、先の戦で見せたエルフィン個人の実力が大きい。
そして彼の見た目もそれを後押しした。
太刀捌きや戦闘時の立ち回りにせよ、指揮を執る姿にせよ……麗しくも猛々しい彼の見目は、日々の鍛錬から培われた実力にカリスマ性を加えてくれていた。
寡黙なエルフィンが発する言葉は重く響き、隻眼の切れ長な瞳に睨まれると、泣く子も黙る。
長身の肩からふくらはぎまで続く、指揮官の深紅のマントを翻し風を切って歩く姿は、威風堂々且つ流麗──
──そんなエルフィンだが。
実のところ彼は、女性が苦手だ。
顔に傷を負ってからは、益々苦手になった。
エルフィンが顔に傷を負ったのは、戦が原因──と思われがちで、それを彼も否定はしないが本当は違う。
子供の時に調子に乗って馬を走らせ、防衛の為の罠のある危険なあたりまで行き、まんまと罠にかかったことが原因である。
割と間抜けなエピソードなので否定しないだけだが、ここで語りたいのは彼の間抜けさではない。
つまり彼は、結構昔から女性が苦手なのだ。
それはエルフィンの高いプライドと、母親との関係や生活環境などに起因する。ここでその詳細については語らないが、兎にも角にも、彼はそのプライドの高さ故『女性が苦手である』ということをひた隠しにしていた。
元々エルフィンのプライドが高いことや、その見目や傷のこともあり、尊大な態度自体もそこまで不自然ではない。
幸か不幸か、そのせいで全くバレてはいない。
現にどうでもいい相手とその場限りの会話をするぐらいであれば、『辺境伯閣下』という立ち位置を駆使し上手く切り抜けており、多少女嫌いには見えても『苦手』であるようには映らなかったのだ。
また、寄ってくる女性は下心のある者が多かった、というのも功を奏しており、女性に対する態度や口の悪さは『ハニトラに屈しない漢』など、概ねいい方への評判となっている。
その為弟のローランドすら、兄が女性を苦手としていることを知らない。
そりゃ『ちょっとは苦手』くらいには思ってはいる。だが、好きな相手もいるくらいだ……苦言こそ呈してもらまさか酷く拗らせているとは今だって露ほども思っちゃいないのである。
しかし、その『好きな相手がいる』こそが、彼が酷く拗らせていた証左なのだ。
──そう、賢明な皆様はもうお気付きであろう。
エルフィンがローランドに語った殆どは、嘘っぱちであった。
ヨランダに心当たりがないのも、当然である。
なんせ、嘘なのだから。
エルフィンは、家令となったことでしつこく縁談を勧めてくるようになった弟の追求をしのぐ為に、街で適当に買った刺繍入りのハンカチを後生大事に持ち、『怪我をした自分にハンカチを差し出した女性との心温まる交流、そして恋』という、でっちあげエピソードを制作していたのだ。
だがもう30。しかも、小競り合いのあった隣国との関係は上手くいっており、この地も平和になってしまった。
平和は素晴らしいが、そのせいでローランドの追求は厳しくなっていく。
彼が「相手は誰だ」とあまりにしつこいので、年齢的にそろそろ婚姻だろうと思われる『第四王子殿下の婚約者』であるヨランダを、『叶わぬ恋の相手』としてエルフィンは嘘を重ねた。
ハンカチエピソードは当初『女性』だったところを『少女』に無理矢理変更したが、バレなかった。
先程なんかよくわからないことをごちゃごちゃ言っていたのは、エピソードの設定上『ロリコン疑惑』を向けられるであろうことを自分でも気付いており、そこの辻褄を合わす為の追加設定として予め考えていた内容を述べたのである。(残念ながらイマイチ伝わっていないが)
話を戻すと、ローランドが優秀だったのですっかり世情に疎くなっていたエルフィンは、第四王子の噂など全く知らず、安心してヨランダを縁談回避の理由として使ったのである。
なので鍛錬に勤しんでいたところ「兄さん、朗報です!!」と婚姻の書類を持って走ってきた弟の、弾けんばかり笑顔は、きっと一生忘れられない。
悪夢的ワンシーンとして。
そんなわけで、エルフィンは頭を抱えていた。
(こうなってはもう仕方ない……)
幸い嘘は未だバレてはおらず、『恋心が故に、不器用になってしまう』で皆にも通っているようである。
周囲の生温かい視線と余計な気遣いはここに原因があった。
自身の人物像としては大変不本意ではあるが、バレたらもっと不本意な人物像になること請け合い……これはそのまま押し通すよりない。
(しかし、この私がこんなことで悩もうとはな……)
彼が理想とする漢とは、『硬派』で『寡黙』。
無論女子供には優しくあるべきだが、それは行動で示すべきことであり、間違っても歯の浮くような軟派な言葉などで示すことではないのだ。
──そう、それはまさに厨二的理想と言っても過言ではない姿。
彼は厨二病に罹患しており、拗らせの根本はここにある。
エルフィンの女性が苦手な原因のひとつに生活環境がある、と既に触れているが、それは『次期辺境伯』として男所帯で育てられたことによる。
環境や立場を含めた様々な影響──エルフィンは、理想とする『漢』の姿を無意識で追っていた。そんな厨二的理想に加え、拗らせへの拍車を掛けていたのが傷であった。
元々の顔が良かったせいで、傷は社交場や対女子に於いてのコンプレックスを作ったが、エルフィンはその反面、傷自体を気に入ってもいた。
巷の少年達と同様に『カッコイイ』と感じていたのだ。
その厨二じみたカッコよさは、口さがない大人や女どもから不安定になりがちな幼少期から思春期にかけての彼のメンタルを守り、支えてくれたと同時に……厨二的理想の漢像への憧れをより強くするという、妙な方向に作用してもいたのである。
──ただ、言うても彼はもう大人である。
自分の言葉や態度も間違っていることに、彼自身気付いてはいた。
ギリ行動では示しているものの、概ね人任せだ。弟に指摘されるまでもなく、自分でも『これはイカン』と思ってはいる。
しかしながら『妻になる娘である』という意識からの照れ臭さ、そして『歳が離れている』ことへの虚栄心などが、尊大で嫌味な言動に向かわせてしまうのである。
(まあ、幸いアレが大人しい娘で助かった)
割とヨランダのことは気に入ってはいる。
それが恋愛かと言われると、それはまた別だ。
何故なら『漢』は色恋になどかまけないものなのだから。(※厨二的思い込み)
「──おい、アレはどうした?」
夕餉の為にダイニングに行くと、ヨランダの姿がない。
「アレとは奥様のことでしょうか」
「旦那様、奥様は『具合が悪い』と臥せっておいでだそうです」
「……ほう?」
過ぎる、嫌な予感。
なにしろ出迎えられた時には普通だった……そして、何故かいるのは馴染みで、意見をしてくる古参の使用人ばかりであり、皆の目と声が冷たい。
「先程までは、体調は悪くなさそうだったが?」
「お花のお礼を、と旦那様のお部屋に行ってからだそうです」
(部屋に? まさか……聞かれていたのか?)
でっちあげエピソードがバレたのか。
一瞬そう思って、エルフィンは考え直す。
(いや、『自分ではない』と思った可能性の方が高いか。 どちらにせよ、どうにか誤魔化さねば)
──しかし、どうやって?
ただでさえ盛大にコミュ障を発揮している妻である筈の人に対し、なにをどう語ればいいというのだろうか。
そうは思えど、なにもしないわけにはいかなかった。
自身が『ヨランダとなんとか距離を縮めよう』と思っていたのもあるが、皆の目……特に侍女と弟である家令の視線が痛い。
結局考える間もなく、『とりあえず様子を見に行く』という選択をするよりなかった。
つまり、ノープランである。




