①頑張った人は弟です。
ヨランダが立ち聞きしていた『思い出の少女』の話だが、そもそもの会話はローランドの『ヨランダへの態度が悪い』という兄への苦言であった。
加えて彼もまた、どうしてもエルフィンに確かめたいことがある。
そんなわけで、彼女が立ち去ったあともふたりの会話は続いていた。
「まさか、実際に会ったらガッカリした……とかではないでしょうね?」
「そんなことはない! むしろ……」
「むしろ?」
「……好ましく思っている」
ごにょごにょと言う兄の様子に、納得半分、呆れ半分といった感じで、ローランドは溜息をつく。
「……ならまあ……お気持ちはわからないでもないですし」
その言葉に、我が意を得たとばかりにエルフィンは隻眼を輝かせ、寡黙な彼にしては珍しく饒舌になった。
「──そう、好ましく思っているのだ。 だが初めて会った時にはまだほんの子供だった娘。 だからなにもそこに惚れたわけではなく、思い描いた理想に惚れたと言ってもいい。 一度は王家に嫁ぐのだと諦めつつも応援していた気持ちは、父性的なものも交ざっていた。 今改めて、その通りに成長していた控え目で慎ましやかな彼女を目にし、妻として迎えることには喜びと共になかなか複雑な思いを感じざるを得ぬのだ」
「はあ……なるほど……?」
正直なところ、恋心を拗らせたことのないまだ20になったばかりのローランドには、その心情はいまひとつわからない。
というか、兄が何を言っているのかすらイマイチわからない。
ただ、学生時代の友人でも好きな娘を意識するあまりに、その子へのあたりが強くなる奴はいた。だから『そういうこともあるんだろうな』程度にはわかる気はしている。(雑)
その友人も兄もプライドが高く、普段から虚勢を張るところがある。
きっと真剣なほど下手に出ることが上手くできないに違いない。
「なんとなく、わかりました」
──つまりは彼等なりに真剣なのだろう。
言ってることはよくわからなくても、それさえわかればいいのである。
ヨランダの推測は一部当たっており、彼女は辺境伯側の申し入れにより、婚約破棄と婚姻が同時に成された。
ただし、辺境伯であるエルフィンが──というよりも、その家令として『当主の結婚を』とローランドが動いた結果だ。
ローランドは線が細く、性格的にも辺境伯当主には向かない。幼少の頃から家令として兄を支えていくと決めていた。
とはいえ辺境伯次男。余計な思惑が介入しないよう常に兄を立ててはいたが、さっさと兄に結婚してもらい子を成してもらうのが一番である。
なのにこの兄ときたら『幸い頭の切れる弟もおり、隠居してどこぞに行ってはいるが、父もまだ若い。自分が死んでもまあなんとかなるだろう』などといい加減なことを宣い、縁談を拒み続けてきた。
戦がありゴタゴタしていた時はどうしようもなかったにせよ、既にカタはつき、隣国との関係は良くなった。
なのに縁談を拒み続ける兄を咎めると、後生大事に持っているという古い刺繍入りのハンカチを取り出し、『怪我をした自分にハンカチを差し出した少女の面影が忘れられない』などというではないか。
「相手は誰だ」と問い詰めると、『第四王子殿下の婚約者』であるヨランダ・オルフェだという。
曰く『叶わぬ恋の相手』なので、言えなかったのだそう。
ローランドは、第四王子殿下と隣国の王女の噂を聞き、『仮初の婚約者』としてヨランダを選んでいたことを突き止め、王家と秘密裏に交渉した。
そもそもヨランダが選ばれたのは彼女が大人しいからよりも、伯爵家の歴史と、現伯爵の能力及び為人に問題があることに関係する。
歴史しかない保守派の伯爵家と使えない現当主は最早王家にとって邪魔な存在であり、領地の持つ利点上、国へと差し戻したかった。
ここで使えるのが、彼女有責の婚約破棄である。
王女に財源を流用したのは第四王子の独断だが、王家のそんな思惑からヨランダは『放置していい婚約者』として第四王子に勧められた、という経緯がある。
だが、王家も積極性を以て領地を差し戻したかったわけでもない。別の諸々が絡んだ流れの中での判断であり、『もしものとき用の保険』に過ぎなかった。
そして、意外と次期伯爵となる予定のヨランダの兄が優秀だったことや、第四王子と王女がモダモダしやがったことで、なんだかんだ問題は先延ばしになり……18目前までヨランダが婚約者に据え置かれる、という、いくつかの新たな問題が発生していた。
だからこそ、ローランドの提案は王家にとってもそう悪くなかった。
ヨランダのことさえ片付いてしまえば、わざわざ保守派に要らぬ火種を投下するよりも、さっさと当主を交代させて様子を見る方がより現実的である。
辺境伯がヨランダを娶るのであれば、ヨランダという令嬢の問題(※第四王子の問題とも言う)と、オルフェ家の問題を分割し、同時に解決することが出来る。
そんなわけで『押し付けられた』という推測自体はあながち間違ってなかったのだが、それはあくまでも王家側から見てのこと。辺境伯家側の打診ありきであり、ヨランダの認識とはややズレがあった。
そして父であるオルフェ伯爵だが、ヨランダが別れ際に見た文官と話し合う姿は、所謂『ざまぁ』的処遇の告知を受ける直前の姿。
娯楽的にはあまりおいしくない、ひっそりざまぁであるが、ヨランダにとってすら最早どうでもいいことである為、詳しくは語らない。
「それより僕も、今ので納得というか。 なかなかお相手が誰かも仰らないし、実は年齢的にも兄さんが幼女趣味だったのでは、と心配していたので」
エルフィンは「馬鹿なことを」と返したが、実のところローランドにとって、一番の不安はそこだった。
兄の為に尽力したローランドだが……ヨランダを望んだ兄の言葉がもし『兄がときめいたのはあくまでもハンカチをくれた幼女であり、他の諸々は幼女趣味を隠すためにとってつけた理由』だった場合、目も当てられない。
なんせ、今までもっといい縁談はいくらでもあったのだ。
「珍しく語ってくださったおかげで安心しました。 まあ、『今が大事』と聞いて安心しましたよ。 奥様も戸惑ってはいても、好意的に受け取ってくださってるようですしね。 当面は長い目で見守りますよ」
「ああ、そうしてくれ」
兄の言葉に安心したらしい、ローランド。
それを見てやはり安心した様子の、エルフィン。
「やっと見つかった恋のお相手です。 くれぐれも大事になさってください」
一応そう念押しして、ローランドは部屋を出ていった。
一人になったエルフィンは、脱力気味にソファに身体を投げ出し深い溜息をついた。
確かにローランドの言う通り、このままの態度では良くない──しかし、彼が悩んでいるのはそんなことではないのである。
彼には秘密があったのだ。
はたから見たら、かなりしょうもない秘密が。