⑦嘘に始まり嘘で終わる
「ローランドさん、エルフィン様のご様子はどう?」
「──奥様…………」
寝室に行くと、丁度入口から出てきたローランドとばったり会った。
ヨランダが様子を尋ねると、妙な間。
「……ローランドさん?」
「あ、いえ……オルフェ伯爵とのお話は、もう?」
「え? ええ……」
ゴホン、とわざとらしく咳払いをした後、扉の中をチラと一瞥すると、ローランドは妙にハッキリした声で現状を説明した。
「旦那様の身体は健康そのものですが、疲労の為先程まで深く寝ておられました!」
「では、やはり邪魔しない方が?」
「いえ、今は眠りが浅くなったようで……その、時折目を覚ましてはまたお眠りに! きちんと目覚めて傍に、奥様がいると喜ばれるかと!」
「そ……そう?」
やはりローランドも、兄と同様になにか様子がおかしい。彼はドアノブに掛けた手に少しばかり躊躇いを見せたが、数秒後、ヨランダの為に扉を開く。
ヨランダは足音を立てないように気遣いながらも、ベッドへと駆け寄った。
(エルフィン様……)
ベッドにはエルフィンがしっかりと仰向けになって眠っており、ヨランダはその変わらぬ姿に改めて安堵した。
『疲労で倒れただけ』とは聞いていても、帰ってきた時の姿はボロボロだった。本当は駆け寄って抱き締めたかったが、長身の彼の為に肩を貸して運ぶ領騎士達の邪魔になってはいけないと、気持ちを抑えたのだ。
「エルフィン様……ご無事で安心致しました」
小声でそう語りかけ、髪にそっと触れる。すると、
──ビクッ。
エルフィンの身体が揺れた。
(! いけない、起こしちゃったかしら……)
だがエルフィンは、起きなかった。
静かな部屋には、エルフィンの寝息しか聴こえない。だからこそ、その違和感は如実に現れていた。
(…………寝てる、のかしら? 本当に)
これは……狸寝入りなのでは。
ヨランダはそう思った。コンラッドとローランド、ふたりの様子もおかしかったし、よくよく見ると健やかな寝息風の柔らかな呼吸をしている割に、寝顔が妙に緊張している気がする。
「エルフィン様……?」
「ん……んん……」
エルフィンは小さく声を漏らしつつ、『今目覚めましたよ~』といった感じにゆっくりと瞼を開いた。
「──き、君は……」
「エルフィン様?」
「君がずっとついていてくれたのか?」
「え、いえ……」
ずっとついていたのは、ローランドである。
ヨランダは間違いなく今来たばかりだ。
だが、そんな言葉など言わせない勢いで、ご自慢の腹筋を使い素早く上半身を起き上がらせたエルフィンは、ヨランダの両手を握り締める。
「──一目惚れとはこのことか」
「……はい?」
なんか急に宣い出した。
……ちょっと意味がわからない。
しかしエルフィンの謎の動きは続く。
そっと手を離し、徐にベッドから降りると、困惑したままのヨランダの足元に跪き、手を再び取り直してその甲に口付けた。
「君は私の運命の女性……生涯の伴侶となってほしい」
「…………──は、はい」
ヨランダはエルフィンの一連の言動の意味が全くわからなかったが、その場の空気を読んで頷いた。
「えっ、仰ってないんですか?」
「いや、家令殿が言うものだと……いや~、アレは流石に……」
「……お気持ちはわかります」
本当は、コンラッドとローランドの両名が上手く『エルフィンは諸々の事件に巻き込まれた挙句、妻の記憶を失った』とヨランダに前もって話す筈であった。
──勿論、これは嘘である。
だが恐ろしいことに、『諸々の事件に巻き込まれた』部分はコンラッドが話した通り、事実。『妻の記憶』部分が嘘だ。
事実部分によって、大幅に帰還予定が遅延したエルフィンは、大いに焦った。それは、コンラッドが引く程。
「『すぐに戻るから信じてくれ』的なことを吐かしておいて、この体たらく……!」
「か、閣下、大丈夫です。 私も説明致しますし……」
(そもそも信頼なんて……この私が言えたものではなかったのだ……)
ヨランダの不安を消すために、不安を抱かせては元も子もない。そう思ってエルフィンは一瞬自嘲し、その後はひたすら苦渋に満ちた表情を浮かべていた。
──不安を抱いてくれるならまだしも、愛想を尽かされてしまっているのでは。
エルフィンのしたことの悪い点のみを最初から振り返ると……嫌味を言う、婚姻の儀をしない、初夜前に貞操を奪う、である。
掻い摘んで抜き出すと、なかなか酷い。
そして『思い出の少女』が嘘だったと暴露、婚姻の儀を引き延ばしたまま……消えた。(←イマココ)
掻い摘んで(以下略)。
(ああッ、見栄や自尊心の為のつまらぬ嘘など……ッ! せめてヨランダには最初から話しておくべきだっ…………ん?)
今更になって、色々振り返り反省するも、時既に遅し──と、思われたが。
(──嘘?)
ここで、エルフィンのロマンス小説毒され脳は、碌でもないことを思い付いた。
それぞこの、『ヒロインの記憶を失っちゃうけど、やっぱりヒロインに恋しちゃうヒーロー』というドラマティカルロマンス小説ネタをダイレクトに用いた計画である。
──要は、杜撰な嘘だ。
だが、エルフィンのロマンス小説毒され脳は、これを名案と判断した。
なんせ、一からやり直すつもりで屋敷を飛び出したのだから。
計画の範疇外だが、これはまさにピッタリ。
ふたりが扉の隙間を覗くと、跪いたエルフィンと、明らかに困惑した様子のヨランダ。
「……こりゃ全く伝わってないですね」
「仕方ない……助け舟を出してきます」
ローランドは扉をノックすると、最早返事など待たずに開けた。
「奥様。 実のところ、旦那様は諸々の事件の際に頭を強打したらしく、一部……こと、ここ最近半年程の記憶を失っておいでです」
「ええ? ……あ、ああら、そう? なの」
明らかに信じていない声を発しつつも、無理矢理合わせるヨランダに、一先ずふたりは安堵した。
「ヨランダが空気の読める娘で良かった……」
「ええ……本当に。 奥様には助けられてばかりです」
ふたりはそんなことを話しながら、ダイニングへ足を運ぶ。
ここまで強行軍……というよりは波乱万丈珍道中だったコンラッドを労うため、主夫婦は放置し、先に食事にする構えである。夫婦喧嘩は犬も食わないが、人は食事を摂るし、人の恋路を邪魔すると馬に蹴られるのだ。
その間も、エルフィンの演技は続く。
「君が我が妻なのか……?」
「……はい」
「なんという僥倖だ……!!」
そう言ってエルフィンは立ち上がり、ヨランダを抱き締めた。
──ヒラリ。
その勢いで、ヨランダの上衣から落ちたものが宙を舞う。
それは、エルフィンが起きたら渡そうと思ってポケットに入れていた、刺繍を終えたハンカチ。
(あ、)
──『思い出の少女』。
思えばそれが嘘だと言ったあと、エルフィンは行動に出た。
あの時全くわからなかったエルフィンの気持ちが、ヨランダは今……急に理解出来た気がした。
(『思い出の少女』が嘘なら、私を娶った理由が無くなる……から?)
やはり、当初は望まれていたわけではなかったのだ。「嘘だ」とだけしか言わず、細かく語らなかったのは、それを自分に気付かせないように、という気遣いだったに違いない。
そして、望んではいなかったにせよ、婚姻の儀の前に法的な婚姻手続きは書類によって既に終えている。
(だから、『ヨランダを望んで娶るのだ』という今の気持ちを示す為に、オルフェ家に伺いを立てに行ってくれたんだ……)
ヨランダは急激に溢れてくる涙を隠すように、エルフィンを抱き締め返した。
(そんなことしなくても良かったのに)
だって、この人が好きだ、大好きだ。
こちらは全然、それを示せてないというのに。
最初に向けてくれた好意だけでも、どうしたらいいのかわからなくて、なにもできなかったのに。
どんどん自分本意になっていってるのに。
きっと、これからもグズグズ悩むんだろう。
それでも、もうこれからは気持ちを躊躇ったりしない──
それを示すつもりで、泣きながらエルフィンを強く強く抱き締めた。
「ヨ……いや、我が妻、少し苦しいが?」
ウッカリ名前を呼びそうになりながら文句を言いつつも、エルフィンは満更ではない顔をして、ヨランダの髪を優しく撫でた。
(こんな嘘まで……あら?)
フト抱いた疑問。
(でもこの嘘のせいで、伺いを立てに行ったことも言えなくなるのでは……)
「……」
「ん? どうした?」
それはおいおい聞くことにする。ヨランダはゆっくりと首を横に振り、自らの名を名乗った。
暫くの間、この嘘に乗っかるつもりでいるのだ。
以前の『思い出の少女』とは違う、楽しい気持ちで。




