⑥それはまさに神がかっていた。
「その後、自領をかなりのショートカットの末、ここまで来たのだが……」
ショートカットできる地域は、ほぼほぼ整地を後回しにしているところばかり。
そこを抜ければ他領の、ある程度整った場所を走るだけで済む。
本来は、元・オルフェ家当主であった父がこのあたりの開発を上手く、先代から引き継ぐべきだった。そうすれば、交通の便から経済事情がここまで落ち込むこともなかっただろう。
確かに鉱山が原因で一時期は困窮したものの、祖父の代で閉鎖の判断をし、農作物の生産を中心に据えたのだから。
本来、オルフェ伯爵領は肥沃で水源も豊富な優れた土地……だからこそ、ヨランダとアーネストの破棄前提の婚約話も出たくらいに。実際、生産量は年々上がり、故に交易の為の道路開発が重要になったのだ。
だが目先の欲ばかり追っていた父はそれを放置した。
豊作でも重い課税に苦しむだけの現実に民は離れ、逃げ出せる者は逃げた。結果、生産量も著しく落ち込み、オルフェ伯爵領を没落寸前まで傾けてしまったのである。
コンラッドは他領との交易よりもまず自領の自給率と領内での流通を重視し尽力していた。他領からも民からも信頼が薄いところからのスタート……自領の収益を上げるより、民の生活基盤と人材の強化に重きを置いたのだ。
またこれは、父の杜撰な監視の目を逸らす為でもあり、今までと商品(作物や飼育動物など)を変えることで生産高を誤魔化し、税金を下げさせていた。
土地の良さにも助けられ結果としてこの試みは成功だったが、インフラ整備は最低限行ってはいても、過疎地の道路開発などとてもじゃないが手が回らなかった。
とりわけその付近の領民の生活は依然として厳しかった。
だが、限られた金を効率的に各所に回す為に現地領民の優秀な者を重用し、上手く人材を育成しながら顔見世を頻繁に行っている彼の人気は高い。
ちなみに屋敷にいた子供達は近くの貧しい家の子らで、コンラッドは収穫期以外の掃除や小用をしてもらう代わりに軽食を与え、部下や友人の協力の元、簡単な読み書き計算を教えている。
──休憩を取るために訪れた村でのこと。
「領主様!」
「わあ~! 領主様だ!!」
「すまない、今日は視察ではないんだ……」
「とんでもないことでございます。 なにもございませんが、今お茶を……」
コンラッドとエルフィンは村の皆から歓待を受けた。
「お義兄様は好かれておいでですな」
「いえ……逆に、まだまだ至らない領主なのを助けて貰っているのです」
流石にこれには急いでいるエルフィンも、それ以上急かすことはなくほのぼのとした時間を過ごしていたのだが、そこでまたしても事件が起こった。
「きゃぁぁぁ!!!!」
「うわぁぁぁっ!!」
叫び声の方へ向かうと、なんとそこには跳び回るブラッドホーンラビットの群れ。
ブラッドホーンラビットは大型の兎で普段は大人しく、群れで森に暮らす生物。だが、頭部に鋭い角を持ち、ピンチになると脚力と角を活かして攻撃をしてくるので油断ならない。
彼等は明らかに混乱した様子で、散り散りに飛び跳ねながら逃げていた。
「皆! 屋内か物陰へ避難しろ!!」
コンラッドが避難を呼び掛けながら逃げ遅れそうな子供や老人を誘導する中、エルフィンは兎達の来た方向に走った。
「閣下?!」
「お義兄様はここを!」
暫くすると、森から聞こえてくる獣の激しい咆哮──
やがて森に向かったエルフィンが引き摺ってきたのは、俗に地竜と呼ばれる……正式名称は学者くらいしか知らないが、ハンマービッグという巨大トカゲの変異種だ。
「村長、これは村の資源として役立ててくれ。 どうせ持って帰れん」
「へぇぇッ?! ……領主様、よろしいので?!」
「いや……うん、閣下がそう仰ってるし……とりあえず捌いておいて。 肉は皆で分けたあと残りは保存して、革の流通は後日考えるから……」
「わ、わかりました! ありがとうございます!!」
「皆の衆、今日は祭りだ!!」
「肉だー!!」
村は歓喜に沸いたが、コンラッドだけは微妙な面持ちでいた。
この地竜は大変危険なものの謎の多い生物で、生息していても滅多に起きることはなく、地中深く眠っている。その為お目にかかることは、まずないのである。
現に何度もこちらに足を運んでいるコンラッドは、村の食糧維持の為狩りをしに森にも入っているが、原種であるハンマービッグすら殆ど見たことがないのだ。
(……それを引き当てる、閣下の悪運たるや)
正直、この先の道中が不安で堪らない。
そして、不安は的中した。
「ようやく自領を抜けるという時に、川の橋が古さから崩落した。 そこは仕方なく放置したのだが……隣の領に入ってすぐの街で、バカンスを楽しんでいた裕福な商家の子供が拐われるところを助けた流れで、閣下が誘拐犯一味を壊滅させ、隣の領主と商家の主から感謝された結果、橋の修復工事を行ってくれることに」
「まあ……」
大体こんな感じで、
問題が起こる→エルフィンが物理で即解決→なんかコンラッド(オルフェ伯爵領)が得をする
ということの繰り返しだったという。
それはもう『世直し行脚ならぬ、オルフェ家立て直し行脚でも行っているのか』というぐらい。
「もう私はこの地に足を向けて寝れん……! 戻ったらとりあえずベッドの位置を変える!!」
「……まあ……」
ヨランダも、もう「まあ」しか言えない。
「正直なところ、お前が不幸だったら本当にどうしたらいいかわからないくらいに、閣下には恩義しかない……だが」
「ええ。 大丈夫ですわ、お兄様」
ヨランダは微笑んで返したが、コンラッドの表情は浮かないまま。
「──そうか……なにがあっても、か?」
「え?」
そして不穏な一言。
「ええ……」
「なら、閣下の元へ行くがいい。 そろそろ起きるだろう」
「でも今は睡眠の邪魔をしない方が」
ただの疲労と聞いていたのでそこまでの心配はなかったが、ヨランダとてエルフィンの元についていたかった。
だが、そもそもそう言ってコンラッドに止められたのだ。
ローランドの『自分が看るから、ここは伯爵に経緯を』という加勢も勿論あったが。
「いや、大丈夫だ。 多分起きている」
「ですが……」
「いいから行きなさい」
「は、はい」
最後には静かだが、明確な圧のある言葉で向かわされた。
──明らかにおかしい。
(でも……)
早く、傍に行きたい。
ヨランダの足は知らず知らずのうちに、小走りになっていた。




