③やり直しの始まり
お待たせしました!
エルフィンは根底の部分から正しくやり直すつもりで馬に乗った。
この『正しさ』とは儀礼的な手順に非ず。
エルフィン自身がハッキリと『ヨランダを妻に望んでいる』ということを示す為のモノである。
実際のところ軍事方面以外は、ローランド並びに信頼できる家人に任せっきりのポンコツ領主のエルフィン。だが、元々閉じた『蛮族』扱いの辺境伯家……そんなことなど周辺貴族らは知る由もない。
故にエルフィンが向かった先は、オルフェ伯爵領伯爵邸。──『妻になる大切な女性の御実家』だ。
エルフィンの愛馬は騎馬でスタミナも脚力も段違い。最短ルートで向かう為に途中、舟を使ったのもあり、翌昼にはオルフェ伯爵領に着いた。
礼を失しては元も子もないので、宿を取ってから先触れを出そうと思いつつも、足は伯爵邸に向かってしまっていた。
先触れの代わりに、家人に言付けてから出直すつもりで古い門をくぐる。門番はいなかった。
伯爵邸は、邸宅の重厚な造りに助けられた、と言わんばかりの見た目。
荒れてはいないものの、庭園と呼べるようなものはなく、ただ刈られた芝生が広がっており、その中にポツンと使われていない噴水が佇んでいる。
「……どちらさまです?」
門番の代わりにいたのは掃除婦と、芝生を刈る、庭師と思しき大男。
そして奥の方からひとり子供が出てきたと思ったら、次々と子供達がやってきた。
「あっ!? この人『隻眼の英雄』だよ!!」
子供のひとりがそう叫ぶ。
「ひぇッ!! へへ辺境伯閣下?!」
ステップガールが顔面を蒼白にしながら、子供に「旦那様を呼んできて!!」と叫ぶように指示した。
「これは……閣下。 わざわざこのようなところまで御足労ありがとうございます」
弟とそう年齢の変わらない、ヨランダの兄コンラッド。
金や暮らしの面では苦労したことのないローランドだが、別に諸々の苦労は多い。
だがもっと苦労人の筈のコンラッドの見た目は、意外にも年相応に若々しい。
ヨランダに似た凡庸な顔立ちだが、妹とは違い掴みどころのない印象だ。人好きのする、人畜無害そうな笑顔を向けながらも、目の奥が笑っていない。
勿論コンラッドは、なにか問題があってエルフィンが訪れたのだと思っているのだ。
そうでなければ、辺境伯閣下がわざわざひとりでこんな所になど来る筈がない……と思うのは当たり前だろう。
実際彼は、問題があって、ここに来た。
「オルフェ伯爵……いや、」
だが、コンラッドは次のエルフィンの言葉に問題が想像とは真逆の方向だったと知る。
「お義兄様!!」
── お 義 兄 様 。
コンラッド(21歳・伯爵)の脳内では、エルフィン(30歳・辺境伯)が言った単語が上手く認識できずにいた。
一方、辺境伯家本邸では。
「飽きたわ~。 よくこんなちまちましたものをやってられるわね?」
ヨランダにそうボヤくのは、バイオレット。
今、ヨランダはエルフィンの為に刺繍を刺している。
バイオレットはエルフィンと入れ違いにこちらにやってきた。
『王都に戻らなくていいのか』と尋ねると、『第四王子殿下が戻ったからいい』という旨を、非常にバツの悪そうな顔で言っていた。
バイオレットのやったことは、ただのお節介であり、しかも前のめりで誤解だらけ。
だが、結果はいい方向に動いている。
ただし、それはあくまでも結果論だ。
王侯貴族云々の柵や責務を考えれば、13歳という年齢を考慮しても彼女のしたことは簡単に許せることではない。
立場としては、私を捨ててでも公であらねばならない──しかしバイオレットはそれをどんなにグローリアに説かれても、完全に受け入れはしなかった。
「反省はしているけれど、それはそれ、よ。 『公であれ』はともかく『私を捨てろ』なんておかしいわ」
バイオレット当人としての主張は『逼迫した某かの状況下、それを想定できる事態でない限りは、私こそ重んじるべき』。
曰く──
「他者の幸福の為だけに生きるのなら、神にでも仕えればいいじゃない。 人は万能じゃないし、良くも悪くも己の利の為に動くモノだわ。大体、考えてもみて? 責任を成さないことと、己の大事さは、全く別の話じゃないの」
──とのこと。
これにはグローリアも苦笑するしかなかった。
青臭い理論だが、そこには確かな正しさが存在する。諦念の中に生きてきたヨランダですら、いつだって自らのささやかな幸せが欲しくて動いていただけに過ぎないのだから。
貴族の矜恃を強く持ち、環境や夫に振り回されていたグローリアも、また。
エヴァンが自分を想っていて、それを憎からず感じていたからこそ、凛としていられたのだ。
ヨランダは今、これまでが嘘のように凪いだ気持ちでいた。
エルフィンがどっか行ってしまったのにはビックリしたけれど、その前の告白ありきの行動のようだったことを考えると……諸々の不安はなんだったのかと思ってしまう程。
(きっと……私は)
あの夜まで、最初の頃とは明確に違ってきた気持ちを、ヨランダは受け入れることができなかった。それは身体を繋げても。
ヨランダはエルフィンへの好意もを、受動的な側面から捉えていたからだ。
そしてそれを完全に是正することなど無理な話だ。だから今もそういう面はある。
(私は、エルフィン様が好き)
それでも今そう思えるのは、エルフィンがハッキリと自分を望んでくれたから。
消極的な気持ちだとしても、当初のように投げやりな気持ちからではない。
「どこか行ったお兄様の為にこんなことすることないじゃない。 ね~ヨランダ、一緒に隣国に行きましょ~」
バイオレットは何故かヨランダを本当に気に入っているようで、本気交じりの軽口をちょいちょい挟む。
それにヨランダは、ふふ、と笑いながら針を刺し、エルフィンの帰りを待っていた。
芽生えたばかりの『自身の気持ち』を、大切に温めながら。
「しかし、なかなか帰ってこないわね……」
「…………」
まさにそれ。
行きがけにエルフィンはローランドに『キチンと工程を踏んでくる!』とだけ告げているので、大方王城に行ったかオルフェ伯爵邸に行ったかのどちらかだと見当はついている。
「いえ、お義父様が異常に早かっただけですわ。 そんなに遅くはない筈……」
「だっておじ様は、アーネスト殿下も連れていたのよ?」
アーネスト殿下も、のところに『鈍臭い』という揶揄が篭っているが、バイオレットの言うこともわからないでもない。
(確かに少し心配だわ……)
実際、オルフェ伯爵邸にせよ王城にせよ時間はかかるはずだし、エヴァンの早さが異常であり、アーネストに対しても容赦がなかっただけだとは思う。
それでもやはり、心配は心配なのだった。




