②問題は『思い出の少女』じゃない。
「エルフィン様……その……」
「どうした? ヨランダ。 心配事があるなら遠慮なく言うがいい」
不安気にそう言うヨランダに、エルフィンは鷹揚にそう答えた。
頼られる喜びと同時に、頼り甲斐のあるところを見せたいのがありありとわかる。
「あの……神殿にはまだ行かれないのでしょうか」
しかし、その不安が自らのこだわりからだと知ったエルフィンは、あからさまに視線を揺らした。
ドレスのことはまだ決まっていない。
領民への実質的なお披露目とは言っても、馬に乗せた嫁を連れて神殿へ向かうだけなので、領民の感情を好意的にする為の催しとドレスが上手く繋がらなかったのだ。
そしてドレスを豪華にすると馬に乗る難易度が上がる。街乗り用の小洒落た軽装馬車など国境の街ヤーレンにはない。
『婚姻の儀に豪華なドレス』は結局のところ、王都やフリッカなどの都市に住む富裕層や、お披露目のパーティーを開く貴族にしか縁のない話だったのである。
前公爵夫妻と付き合いのある貴族中心にお披露目を別にするのではどうか、という話で一旦ドレスのデザインだけ決めて作らせてはいるものの、まだエルフィンは納得していないのだ。
(しかし、ヨランダの為にヨランダを悲しませては本末転倒……せめて神殿に向かうに適したドレスを早目に作らせておくべきだったか)
エルフィンは後悔したが……もう遅い。
「エルフィン様は、その……私と神殿に行くのは、やはり」
「いやっ違う、そうではない! ……ヨランダ、お前は……っゴホン。 わ、私が妻と思わない女を抱くような節操のない男に見えるのか?」
わかりやすく取り乱すエルフィン。
まず神殿に行く前に手を出しちゃった時点で節操はないのだが、だからといって別にヨランダも、エルフィンが性欲解消の道具に自分を使ったなどとは全く思ってはいない。
なにしろ彼は(文だけ読むと忘れがちだが一応)美貌の辺境伯……その気になれば選り取りみどりで、その場合女性は選ばれようと必死で血みどろみどろなのだ。
大体にして、仕事以外はヨランダにベッタリのエルフィンに他の女のところに行く時間はなく、今日のように予定外の行動も常にローランドが把握している。
ヨランダが不安なのは事実だが、それは感情的な面である。ローランドにドレスのことを聞いた以上、最早『婚姻の儀』に関する不安はあまりない。
一連の不安気な感じはローランドの指示だ。
ローランドは『対外的な面』だとかの外的要因などを以て、エルフィンの説得をする必要はないと告げた。
その代わりに頼まれたのはこの一言。
「その……私が、早くちゃんと夫婦になりたいのです。エルフィン様と」
散々不安気な感じを見せた後で、それでもエルフィンが具体的日程を提示しなかった場合……恥じらいながら『私が』を強調してこう言うように、と。
(白々しくなかったかしら……)
「──ヨランダ」
エルフィンは地から這い出でるような声で名を呼ぶと、ヨランダの両肩に両手を置き、少しだけ力を込める。
「ひゃいッ?!」
おもわずヨランダはビクリと全身を強く震わせた。
「ワカッタイマスグニイコウ」
「いまって今ですか?!」
喜びのあまりカタコトの早口になりながら、『今すぐに行く』などと言い出す始末。
『たった一言で、驚きのチョロさ』というフレーズを彼のキャッチコピーにすべきだろうか。
「ふん、ね、懇ろになったというのに肩書きを気にするとは甚だ愚かしいが、そそそんなにも、夫婦にふふふふ」
嬉しさが有り余り過ぎてややバグっている様子のエルフィンは、最終的にニヤニヤするのを隠しきれずに含み笑いを漏らし出しながら、最早恒例の横抱きでヨランダを運ぼうとする。
「いえいえエルフィン様! 今日はもう遅いですから! ……ねっ?!」
ヨランダは必死でエルフィンを宥めすかした。
「それよりもまだお聞きしたいことがあるのですけれども!」
「ん?」
ヨランダにとってはこちらがメインの案件。
「──その……エルフィン様はもうお気付きでしょう……? 私、エルフィン様の『思い出の少女』ではないのです」
「『思い出の少女』? ──あ。 ああ……そのことか……」
暫し沈黙が流れた。
(しまった……スッカリ忘れていたがそんな設定だったな……)
どこぞの長期連載作家ばりに、自ら作成した設定を忘れていたエルフィン。
チラ、とヨランダを見ると、その瞳は真剣そのもの。口は緊張したようにキュッときつく結ばれている。
(要らぬ不安を抱かせてしまったようだ。 思えばあの日、全て話して誤解を解いておけば──……いや、)
──『全て話す』は果たして正解なのだろうか。
エルフィンは逡巡した。
この話は嘘なわけだが、元々エルフィンが見合いを回避するために吐いた嘘。
『思い出の少女』がいようといまいと、エルフィンが婚姻を望んでいなかったのは事実であり、ヨランダの立ち位置に大差はないのだ。
(今ある事実が全てだ、などと言ったところで、ヨランダの不安は消えないのではないか?)
エルフィンは漠然とそう思った。
なにしろ女性の気持ちは複雑怪奇……勿論小説を読んで知り得た限りの情報ではあるのだが、それには確信を抱いている。
何度ヒロイン達に対し、『今更そこをまた気にするのか?!』と心の中でツッコんだことか。
あれが世の女性達に共感され、売れたというのならばおそらくそういうものなのだ。
(……ならば、やるべきことがある)
逡巡の末、エルフィンはゆっくりと口を開く。
「──ヨランダ」
「……はい」
「『思い出の少女』は嘘だ」
「え……」
そして立ち上がると、ヨランダの手を取り跪いた。
「私が……共にいたいのは、ヨランダ。 お前だ」
「え、エルフィンさま……」
嘘、の意味がわからない。
だがそれよりも圧倒的な、告白のインパクトからヨランダの胸は締め付けられていた。
──しかし、それより更にインパクトのある出来事が待っていたのだ。
「だがやはり、神殿に行くのはもう少し待ってくれ」
「えッ?」
「では、行ってくる!!」
「ええあのっ……」
行先を告げず、エルフィンはそう言って走り去った。
滅茶苦茶凛々しい表情で。
「……ええぇぇぇ……?」
これによって、ヨランダのそれまでの悩みは、ある意味で吹っ飛んだ。
今はただ、呆気にとられている。
そしてエルフィンは、翌日になっても翌々日になっても帰って来なかった。




