①『ふたりの絆』などというありもしないもの
ヨランダにはタイミングの悪い月のものも、エルフィンにとってはタイミングが良かった。
理由があれば我慢できるエルフィンは『腹を冷やしてはいかん』などと言いつつ、ヨランダと再び同衾することが可能になったのである。
なにもしないからこそ、気持ちが深まったような気分は増し、ヨランダの煩悶とは対照的にエルフィンは『ふたりの絆』というありもしないものをヒシヒシと感じている。
すっかり啓蟄を迎えたエルフィンの脳内お花畑には、春爛漫とばかりに花が咲き乱れており、そもそもなにをするつもりでフリッカに行ったのかなど、キレイさっぱり忘れて本邸に戻ってしまったのだった。
──本邸に戻ると、当主が代わったオルフェ家から手紙が届いていた。
ヨランダ宛ではなく、ガードランド家宛なので既に開封、チェック済。
フローラから経緯を聞いていたローランドは、本来ならばエルフィンにまず見せるところを、敢えてヨランダに先に見せる事にしたのだ。
「オルフェ伯爵家からという体ではありますが、伯爵様からのお手紙かと」
「兄から……」
「ええ、心配なさっているようです。 こちらとしても申し訳なく……」
手紙の内容は『持参金も持たせないまま嫁がせてしまい、大変申し訳ない』という謝罪が表向き。
しかし実際は『父の暴挙や王家の思惑から婚約破棄までは想定していたが、そこからイキナリ辺境伯に嫁ぐことになるとか聞いてないんですけど。 しかもいまだに神殿での誓い(※婚姻の儀)もしてないようだけど、一体どういうこと? ウチの子大丈夫?』というのをやんわりと丁寧に包んだ内容である。
(この悪筆、確かにおにいさまね……)
兄であるコンラッドはあまりに悪筆であり、直筆で書くと他の者が読むのに難儀し効率が悪いので、普段書類や手紙は代筆させている。
これまでヨランダは、兄から数度短い手紙を貰ったことがあるが、短いのに解読に苦労した。
だが今回は直筆のようだ。
悪筆ではあるが、非常に丁寧に書かれている。
ちゃんと読めるぐらいに。
ヨランダは兄と仲が悪いというより、単純に関わりがなかった。
卒業後父のせいで傾いた領地をどうにか立て直すべく、地元周辺を中心に奔走していたコンラッドと、王都のタウンハウスで暮らしていたヨランダでは活動地域が違う。
重要な夜会には派手好きで気位だけ高い父が出る為、タウンハウスを兄が使うことはなく、ヨランダには少年のような兄の記憶しかない。
そんなわけでほぼほぼ面識のない兄が、自分を心配していたとは意外だった。
(これは、私の方から上手く返事を出せということなのかしら?)
そう思ったヨランダだったが、ローランドの目的はそうではない。
「その……旦那様が婚姻の儀をなさらない理由なのですが……」
フローラから報告を受けているローランドは『兄に言っても無駄だ』と判断した。
なんせ彼は今お花畑に住んでいる……『ふたりの絆』などを本気で信じてしまっている彼は、『サプライズの方が大事だ!』などと言いかねない危うい精神状態にあり、事実帰ってきてヨランダから離れた途端にドレスのことを思い出した彼は、再びフリッカへと馬で戻っている。仕事しろ。
そんなわけでローランドは兄のいない隙にヨランダに事情を話し、どうにかサッサと『婚姻の儀』を終わらせてもらおうと考えたのだった。
「ドレスを……!? でもここの文化では……」
「ええ、ええ! 奥様がこちらのことを理解して下さり、有難い限りです……!」
予想外にヨランダがこちらのことを理解していたことに、ローランドは感激した。
無論、郷土愛からではない。
話が通じない兄との会話と違い、話が早くて助かるからである。
「ですが旦那様と致しましては、奥様を驚かせたいご様子でして。そのあたりの兼ね合いが上手くいかず……有り体に言うとドレスの目処が立たずに『婚姻の儀』を引き延ばしているという体たらくにございます」
最後のあたりに兄への本音が漏れ出ているローランド。
「よしんばドレスの目処が立ったとしても、制作する時間を考えると更に延びてしまうでしょう」
「まあ……それは流石に対外的に問題があるわね……」
人の口に戸は立てられぬ。
まだ王の承認しか受けていないが故に一応は公になっていないふたりの結婚だが、知っている者は当然おり、既にあれから2ヶ月も経過している。
そろそろふたりのことが囁かれてもおかしくはない。
貴族から敬遠されがちな『蛮族』の辺境伯とはいえ見目麗しい英雄のエルフィンと、歴史しかなく没落気味だった伯爵家の末娘とはいえ第四王子の婚約者だったヨランダ。
そんなふたりが今まで噂にならなかったのは、エルフィンが社交しないことや両親の力、ヨランダがもともと捨て置かれていたことやヴィオラ王女の噂などの諸々が、上手く働いていただけである。
そうだとしても、辺境伯家側の事情だけならばヨランダはエルフィンになにかを言うのは躊躇っただろう。
だが、これはオルフェ伯爵家の評判にも関わってくる。
兄の為人はよくわからないが、彼の奔走により領地は立ち直りつつある。
貴族の矜恃はなくとも、他人に迷惑は掛けたくないし、グローリアもローランドもいる。
仮に兄が辺境伯家を利用しようなどという大それたことを考えていたとしても、返り討ちにあうだけだろう。
(いいえ、私でも想像ができるのだもの。 きっとそんなこと考えてはいないわ)
兄コンラッドが真実ヨランダを心配しているかどうかなど、さしたる問題ではない。
今ようやく当主が代わった大事な時期なのは確かであり、そこに妙な噂がつくようなことはヨランダも望んでいなかった。
「わかりました。 旦那様にお願いしておきますね」
結果的にだが、これはヨランダにとっても有難いことだった。自分の感情などという曖昧なものではなく、周囲の事情という正当な理由があるなら、これは簡単にできるお願いだった。
(──エルフィン様が私の為にドレスを……)
そしてこのことで、いつまでも神殿に行かない理由が自分へのサプライズだと知ることができた。しかも領民への印象も考えてくれている……再びフリッカに戻ってまで。
エルフィンの行動は馬鹿馬鹿しくも健気であり、それは確実にヨランダの方向を向いている。ヨランダ自身ではなく、あくまでも方向なのが残念すぎるのだけれど。
結局のところ、今もローランドの英断に救われたかたちであり、エルフィンの行動だけではヨランダはずっと不安だったに違いないのだ。
『ふたりの絆』なんてもの、ありはしないのだから。──今は、まだ。
これからのことはまだわからない。
少なくとも、ヨランダが自身の感情と向き合い、それをエルフィンに話せるようになるか……或いは時を経て、穏やかに信頼を深めていくかのどちらかでなければ、まず無理だろう。
ただ、そのことで不安が大幅に和らいだヨランダは、ようやくあのことを尋ねてみる気になった。
──そう、『思い出の少女』について。
これがありもしない絆を作り、深めるものになるのか。
それもまだわからないが、エルフィンの行動がヨランダに一歩踏み出す勇気をもたらしたのは、間違いない。




