③元・オルフェ伯爵令嬢ヨランダの寝耳に水事情
「オルフェ伯爵家令嬢ヨランダと、第四王子アーネストの婚約は、そなたの有責によってここに破棄された」
不貞を働かれた側なのに、何故か婚約を破棄された側でもある哀しきご令嬢……それがヨランダ・オルフェだった。
ヨランダは15のデビュタント時、第四王子殿下に婚約者として指名された。
にも関わらず、もともと捨て置かれていた。
彼が留学に来ていた隣国の王女とよろしくやったことで、その理由をなんとなく察していた。
『あ、こりゃ婚約解消かな~』とは薄々感じていたものの、まさか破棄されるとは寝耳に水である。
後々人伝に聞いた話によると、王女様と殿下は、昔会った時に互いに一目惚れしたらしい。
しかし殿下はその後、婚約者を早々に決めねばならなかった。それを引き延ばしに引き延ばし、決めることになったのがヨランダのデビュタントの夜会。
最初から『相手の有責で婚約破棄できそうな相手』として、大人しそうで家も強くないヨランダが選ばれていたようだ。
そこにはふたりや王家、国家間の事情やらなにやらも関係しているらしいが、巻き込まれたヨランダとしては、ただただ迷惑この上ない。
彼がヨランダに贈ったとされる物品の類い──彼女の元に届いていないそれらは、間に人を介してきちんと金に変えてから、王女殿下への贈り物として姿を変えていたと推測される。
だが、記録には『ヨランダ・オルフェに贈ったもの』としてきちんと残っていた。
この『贈り物ロンダリング』により、ヨランダは不敬にも、王子殿下との交流を自ら拒んだかたちになっていた。
彼女が薄々『好かれてない』と感じていたように王家も第四王子殿下の思惑を感じていたようだが、両国間の云々など、これもまたヨランダの与り知らぬ事情により黙認していたようである。
父は激怒していたが、ヨランダは何も言わなかった。
殿下が目論んでいた通り、ヨランダは大人しく、諦めも早かったから。
有責だが、慰謝料は取られないらしい……幸か不幸かヨランダの存在は目立たず、あまり知られていない。
無実なのだと声高に主張したところで、どうせ碌なことにはならないし、そもそもの性質的に、そんな気概などまるでないのだった。
家でもあまり顧みられていない彼女は、生活能力もそれなりにある。手先が器用で働くことは苦ではない。
婚約が解消だったにしても、もう18になる。
貴族として残っても結婚相手はいないと思ったヨランダは、市井に降り平民として過ごすつもりで動いていた。
早々に当面の働く場所を決め、支援してくれる友人にも声を掛けてあった。
諦めは早いが、その分切り替えも早いのだ。
しかし──
「代わりにそなたには、これから辺境伯であるエルフィン・ガードランドの元に嫁いで貰う」
国王陛下のこの発言には、ヨランダも流石に声を上げた。
唐突に出てきた名前。
『エルフィン・ガードランド辺境伯閣下』……英雄であり、巷の少年達の人気者だ。
──意味がわからん。
「畏れながら、発言をお許し願いたく」
「申せ」
「その、辺境伯閣下と……」
「ああ、これからとは『このあとすぐに』ということだ」
「──」
(結婚については触れてもくれないわ!? しかも『このあとすぐ』?!)
結婚は既に決まりらしい。
そして、このあとすぐらしい。
表情は辛うじて保っているが、内心大いに動揺した。
「あああの、ウチには持参金の用意が……」
「要らぬ。 代わりの条件がすぐに、とのこと」
「??」
「オルフェ伯爵令嬢。 既に馬車は待っている……婚姻届にサインを」
「は……?! はははいッ」
辺境伯家の馬車は待っていて、婚姻届には辺境伯閣下のサイン。『このあとすぐに』の言葉は伊達や酔狂ではなかったのだ。
思わず悲鳴をあげそうになったヨランダは、悪くない。
チラリと父を見る。
ヨランダが成人している為、本件に於いて父である伯爵には発言がまだ許されておらず、少し離れたところで伏している。しかし、
『でかしたー! 王家に恩を売れ、辺境伯とも繋がるとは!! 運が向いてきた!』
父の視線はこう言っており、サインを促す圧が凄い。
どうせ婚約破棄に怒っていたのも、絶対自分の為ではないのだ。
父にとっては『18になる娘との婚約解消により、王家から引き出せる金』が大事であり、やはりこちらが有責での破棄は、寝耳に水だったからに過ぎない。
わかっていたがちょっとだけ期待していたヨランダは、改めてガッカリした上で、諦めてサインをした。
「……畏まりました」
無茶苦茶な話だが、ヨランダには実質選択権など存在しない。『畏まりました』一択である。
(どういうことなの……?)
諦めたとはいえ、それはそれ。こうなった意味は知りたい。
なし崩し的に連れていかれるまま、混乱する頭を必死で働かせ、考えた。
(疵瑕を受ける代わりに、こちらの有責とは言っても慰謝料はナシ。 そして『良い御縁』という名の実質的な王都からの追放……ということかしら?)
殿下の不正や不貞がバレては困るが故の、追放。
……それは、まあいい。
なんせ王子殿下な上に、相手は王女様だ。なんなら消されなかっただけ、マシかもしれない。
(問題は辺境伯閣下の方よね……)
──こちらも殿下のお相手が隣国の王女様、というのが肝なのだろうか。
隣国との情勢云々と第四王子殿下と王女様の仲には直接的な関係はない。
数年前の国防戦を経て会談が行われた結果、二国間の関係が良くなったから、王女は留学に来れたのである。締結の会談は6年前、ふたりはまだ子供だ。
(でもきっと、あたかもふたりが平和的関係に一役買っているかのようにされ、辺境伯閣下は『お役目柄その恩恵を受けた代わり』的な感じで私を押し付けられたに違いないわ……!)
推測でしかないがヨランダはそう考えた。
それがそれなりに納得いく理由であることで、気持ちはかなり落ち着いた。
これもまた、寝耳に水であろう、という推測。
辺境伯閣下の方が自分より更に、寝耳に水。
気の毒以外のなにものでもないが、その仲間意識は束の間の安心をくれたのも事実である。
陛下が下がり、連れていかれるヨランダ。
その遠目に、文官と話す父が見えた。
元々、女で伯爵家次女、特別美人でもないというどうでもいいポジションにいた娘であるヨランダに、父は冷たかった。
虐げられこそしていないものの、冷遇……というより、単純に構わなかった。
元々貧乏だからもあるが、兄姉よりも更に金や時間を割かずにいたのは、大した期待もなく興味も薄かった為。優先順位が限りなく下だったのである。
父が優しかったのは殿下の婚約者となった直後だけで、三月経っても殿下から文のひとつもないと『おかしい』と察し、またヨランダの優先順位は下になった。
それでも婚約破棄を突きつけられた時には怒り狂っていた父である伯爵に、どこかでそれが愛情から来るものだと思いたかったヨランダ。
だが……今彼は、こちらを一瞥もしない。
(現実はこんなものね)
ヨランダは納得感の方が強く、殊更に傷付きもしなかった。
別にヨランダだけでなく貴族の次女以下の娘の扱いなど、大差なくこんなものなのだ。貧乏貴族なので多少酷いが、それだけに過ぎない。
一般的な比較対象とそう変わらないのであれば、不幸は取り立てて不幸でもない。
強いて言うならそれを嘆いて許されるのは子供だけだ。そして、子供だったとしても、ヨランダはそんな性質でもなかった。
ただきっともう実家に戻ることは無いだろう。
大人になったヨランダは、自分の心の中できっちり家族との決別ができたのは、ある意味良かったかもしれないとすら思う。
(辺境伯閣下も、王家からなにかしらのいい取引が持ちかけられたのかしら……)
それだけがとにかく不思議だ。
どこにも利が見当たらない。
それはヨランダにとって、とても不安なことだった。なにしろもし不興を買って追い出されようものなら、そこは見知らぬ地。
王都での伝手もへったくれもない。
(──そんな二週間前を思えば大したことじゃないわ!)
今、違う不安に苛まれているヨランダは、そう奮起していた。
身に付けているのは、エルフィンから貰った花の色の、エルフィンから貰ったドレス──これは、大事にされていることへの罪悪感と、抱いてしまう期待そのものと言っても過言ではない。
自分にできることはなにか。
求められていることを知りたい。
その思いを胸に、今更ながらエルフィンの後を追うかたちで向かう、彼の部屋。
──そこで、まさかあんなことを聞くことになろうとは、夢にも思わなかったのだ。