⑰アーネストとアーネストとヴィオラとヴィオラ
「えっ、えっ? ちょっ待っ……!」
「申し訳ございません殿下、待つことはままなりません! ……捕まりますし!!」
ザカリーにとってエヴァンの命令は絶対である。
それは敬愛しているというのもあるが、単純に恐ろしいからだ。
王家に忠誠は誓ったとはいえ戦は終わり、家には愛する妻と子……敵兵に対峙し殺られるならまだしもこんなことで死にたくないザカリーは、アーネストが身体的ピンチにあるわけではないのでエヴァンの指示を優先させた。
それに、敬愛している反面エヴァンが一部においてヤベェ奴だということも知っている。もしその息子もそうなら、むしろ捕まった方がアーネストの身体的ピンチかもしれない。
「殿下! しっかりお掴まりになって!!」
「ふふふ夫人ッ! なんなのコレぇ!?」
強奪(?)したのは、貴婦人や街遊びをするカップルが街中を移動する為の、一頭立て二輪軽装馬車。本来走らないスピードで走っている為、上下左右の揺れが凄い。
幸いなのは、馬が元気なことだろう。
はからずしも馬の名もアーネスト……まだ僅か3歳に差し掛かるくらいのこの牡馬は、人間にして14、5歳のヤンチャ盛り。美しい黒毛が街並みに合うと評価され買われた彼の体躯は立派だが、やや肥満気味。
街中をチンタラ走り、肥え太らされる日々……今まで不満は感じなかったが、ザカリーの指示により、本当はこの生活にウンザリしていたと気付いたアーネスト(※馬の方)は、開眼。
『俺はこんなところで終わる馬じゃねェ……!!』
──そして覚醒した。
自慢の脚力を見せ付けんとばかりに、荒ぶるアーネスト(馬)。
振り落とされないように馬車のヘリにしがみつきながら、耐えるアーネスト(王子)。
互いに他者に啓発された、己のアイデンティティ。しかしそれを確かなものにするのは、自分自身の行動のみ……
こうしてふたり(※正しくはひとりと一頭)のアーネストの生は交わった。
これがきっかけで素直だったアーネスト(馬)はすっかり言うことを聞かなくなり、ガードランド家経由で苦情を受けたザカリーが買い取ることが決まる。名前が『アーネスト』だと知ったアーネスト(王子)が自分の馬にするのだが……それはまだ少し先の話である。
『文句は領主に』という話だったが、壊れた馬車代はガードランド家が出している──
そう、最終的に馬車は壊れた。
壊れないわけが無い。
「……むっ?! なにか来たぞ! 凄いスピードだ!!」
「あれ街中を走ってるやつじゃないのか?!」
門の警備兵が、大分遠くからその存在に気付く。怪しいヤツは見逃さない、それが別邸警備兵。無論、別邸がグローリアの居住する邸宅が故。別の言い方をすると『グローリアの軟禁場所』とも言う。
そんな彼等に完全に不審者扱いされている、若奥様の筈の人とこの国の王子様と護衛……実際、怪しい事この上ないので仕方ないが。
「どうっ! どうどうっ!!」
「ヒヒィィンッ!!」
アーネスト(馬)は緩やかにスピードを落とすも、予想外に健脚だったことと車部分の負荷により、その勢いはなかなか止まらない。
ヨランダは叫んだ。
「お願い!!門を開けてェ~!」
「わっ若奥様?! ……おいッ門を開けろ!!」
ここでも別邸警備兵の優秀さに助けられ、なんとかギリギリで門は開けられた。
そして待ち構えていた兵達が、ややスピードを落とした軽装馬車を力づくで停車させ……事なきを得た。
その際、既に歪んでいた車輪の片側は外れた。むしろ、ここまでよくもったもんだ。職人を褒め称えたい。
「よ~し、よし! 良くやったぞ……いい子だ!!」
「ブルルッ……」
ふたりより先に馬に声を掛けるザカリー。
だが本当に、アーネスト(馬)はよくやった。無茶苦茶だったが、それがまかり通ったのはアーネスト(馬)のおかげと言っても過言ではない。
馬が違っていたらこうはいかなかっただろう……それが良いか悪いかは別として。
「おふたり共、大丈夫ですか?!」
「……ええ!」
「いや……ええ……?」
アーネスト(王子)の方は困惑しっぱなしな上、妙な緊張と変な体勢を強いられていた挙句にやや鞭打ち気味である。
「アーネスト殿下! さあ行きましょう!!」
キリリとした顔でそう宣うヨランダ。
貴族生まれのほぼ平民育ちと言っていい彼女だが、それにしてもなかなかの逞しさだ。
案外『蛮族』と揶揄される辺境伯の妻に、向いているのかもしれない。
「ふ、夫人ッ! 一体全体どういうことなんだ?!」
文字通り地に足がついたことにより、ようやくツッコむアーネスト(王子)。
困惑顔の彼にヨランダは、少し冷めた目を向けた。
散々困惑していたのは、自分の方なのだ。
「実はここ辺境伯家フリッカ別邸に、ヴィオラ王女殿下がいらしているのです」
「ヴィオラが?! そんな……」
「いらしてくださればわかります!」
「……」
先程までのヨランダの数々の反応や言動を、不思議には思っていた。
ヴィオラがいて、彼女視点での話を聞いているのなら、納得がいく。だが……アーネストにはなんとなく違和感があった。
(確かに、行けばわかることだ)
そう、行けばわかること──実際、程なくしてすぐにその理由はわかった。
「騒がしいわね……それに、随分早かったじゃない? デートの割に」
「ヴィオラ殿下!」
「!」
ヴィオラは昨日こそ元気いっぱいだったものの、ここに辿り着くまでの疲れが出たのだろう……今朝起きるのが早かったこともあり、ふたりが出掛けると気が抜けたのか部屋でウトウトしてしまっていた。
外の騒がしさに出てきた彼女は気だるげな表情を浮かべ、不機嫌そうに軽い嫌味を発する。
「──君は、こんなところでなにをしてる?」
「?! あっ……アーネスト殿下! これは……」
慌てふためくヴィオラ。
深い溜息を吐き、眉間に皺を寄せて俯くアーネスト。
「ああ……少しだけ状況がわかったよ……」
「申し訳ございません……」
「詳しく話を聞く必要がありそうだ」
「ただいま部屋を……」
ヨランダはふたりの話し合いの為の場を設けなければ、と使用人に指示を出そうとすると、アーネストに声を掛けられた。
「──夫人」
そして、続いて彼の口から出てきたのは、とんでもない事実だった。
「彼女はヴィオラではない。 ヴィオラと共に来た彼女の従姉妹、バイオレット・マクガーン公爵令嬢だ」
「え……?」
意味を呑み込めず、ヨランダの頭にはアーネストの言葉がただの文字列として走っていく。
そんなヨランダを見て、バイオレットは開き直りの中に、若干のバツの悪さを滲ませて言った。
「言っておくけど、貴女が勝手に勘違いしたのよ? 私は一言もヴィオラ殿下だなんて言ってないわ……『ヴィオって呼んで』、とは言ったけど」
──そう、アーネストの言葉通り、実はこの娘はヴィオラ王女殿下ではない。
彼女はバイオレット・マクガーン公爵令嬢。
王女殿下と同様に、愛称はヴィオでもある。
普段、そうは呼ばれないが。
バイオレットは隣国の王女殿下の従姉妹で、王女は妹のように彼女を可愛がっている。
パッと見がそっくりなので、もしもの時用の護衛(替え玉)兼、侍女として来た……と言ってはいるが、少なくともエルフィンはそれを信じてはいない。
普段はハッキリ区別がつくように、やや控え目な恰好をしているようだ。
彼女は6年前の和平交渉の辺境伯領会談の際、荷に紛れてこの国にやってきた。
勿論城壁でのチェックは厳しくすぐバイオレットは見つかったものの、ここで見つかったこと自体が既に問題だった。
和平交渉に土を付けたくないという配慮から、機転を利かせたかたちでグローリアがこっそり別邸に連れ帰り、暫く預かることとなったのである。
当時、バイオレットは7歳。
大人びて見えるが、実はまだ13歳だ。




