⑯恋は盲目とは言うが、大分酷い。
謝罪にわざわざ駆け付けてくれた王子殿下に対して思っていたことも含め、不躾な願い出だとは思いつつも、ヨランダは「お聞きしたいことが、」とアーネストを引き留めた。
「聞きたいこと? 勿論構わないが」
幸い、彼はにこやかに応じてくれた。
「なにが聞きたいんだい?」
「ええと……」
知りたいことの全部を聞くと流石に長い。
少なくとも公園では不適当だろう。
(でも別邸にはヴィオラ殿下が……ただでさえエルフィン様は置き去りのままだし……)
そもそも、エルフィンを抜きにしたのは配慮からなのだろうが、誰になにを配慮したのかがやや不明瞭である。
「──あの、エルフィン様とはお会いには?」
「うん、私は挨拶をすべきだと思ったんだが……ほら、一応元婚約者だろう? それでエヴァン殿が気を使ってくださったみたいで……」
「お義父様のご指示なのですね……」
実はお義母様のご指示なのだが、アーネストもそれは知らない。アーネストを信用した上で、エルフィンの暴走を予測した……まあ妥当な判断だろう。
グローリアはまだ報告しか聞いていないが、あの父にしてこの息子だ。彼がいたら話にならないかもしれない、と考えるだけの素養は充分にある。
(なら問題ないかしら? いえ、でもなにかエルフィン様のご都合の悪い事実が隠されているのかも……)
「ヴィオラ殿下とは……ご婚約は」
「ああ……どうかな。 元々彼女は勉強熱心で、その為の留学だ。 他にもいい嫁ぎ先があるだろうし……私では釣り合わないよ」
自嘲気味にアーネストはそう言う。
(ええ? ヴィオラ殿下の話との温度差が凄いわ……!)
ヴィオラが嘘を言っているようには思えなかったが、アーネストの言葉や、表情にも真実味がある。
ヨランダは再び混乱した。
「でっですが、アーネスト殿下はヴィオラ殿下に贈り物を」
「うん……あの時は舞い上がってしまって」
「既に噂では……それに、私との婚約が破棄された理由は」
「……ああ! そうか。 いや、うん……なるほど」
アーネストはヨランダの聞きたいことを自分なりに解釈したらしく、順序立てる為にか少し立ち止まって考えてから口を開いた。
「──ええとね、ガードランド夫人。 貴女の為のお金を彼女への贈り物に当てたのは事実だが、それは私が使えるお金がなくなったせいなんだ。 彼女へ贈り物をする為に、貴女の為のお金を使おうと思っていたわけではない……う~ん、なんと言ったら良いかな……とりあえず、彼女と私はそういう仲ではない」
困惑と驚愕の入り交じった、微妙に信じていなさそうなヨランダのわかりやすい表情を見て、アーネストは苦笑しつつ続ける。
「昔出会って文通していた事実も噂のネタに盛られたようだが、そもそもそれらは彼女の留学と関係がない。 実際はただの学友に過ぎない……夜会については、エスコートする相手として適した身分の空きが僕しかいなかっただけだ。 彼女に好意があった僕がそこに乗っかったのは事実だが。……当然、君との婚約やその破棄とも関係がない」
「ええぇぇぇ」
微妙に口調が崩れ出しているアーネスト。
謝意はあるのでちゃんとしなければ、と思いつつも、あまりにヨランダの被っていた猫が盛大に剥がれていくので流されているのだ。
「すまない……噂になっているのは知っていたが、それも嬉しくてなにもしなかった。 軽率だった」
「いえ、私は……ですが……ヴィオラ殿下はアーネスト殿下が仰っているような感じではないのでは? その、アーネスト殿下のことが」
「はは、そんな馬鹿な」
──そんな馬鹿な、はこっちの台詞である。
(えっじゃあヴィオラ殿下はやっぱり、理由を付けてエルフィン様のところに来たかっただけなのでは……? 上手く私を引き離そうと……いやでもそんな風には……)
「ガードランド夫人?」
悩んでいるヨランダに声を掛け、心配そうに見詰めるアーネスト……彼の印象は薄いが、優しさ滲む美形。
その顔と彼の感じの良さが益々、ヴィオラの真意を謎に包ませる。
(……ああもう! わからないわァァァ~!!
……知らない! もうヴィオラ殿下なんて知らない!!)
今までヴィオラから『思い出の少女』という立ち位置を奪ってしまった(と思い込んだ結果の)罪悪感や、自分を気にしてくれたこと、彼女の今後への心配などの諸々から、彼女の気持ちをなるたけ理解し、できる範囲で寄り添おうと思っていたヨランダだったが──投げた。
「アーネスト殿下、実はヴィオラ殿下は……!」
『別邸にいる』──そう告げようとした、その時だった。
「──ヨランダッ!」
ヨランダがいないことにようやく気付いたエルフィンは、『エヴァンが一緒だからここで待て』とグローリアに直接言われたにも関わらず『そんなの関係ねぇ!』とばかりに飛び出し、妻を探しにきていた。
流石はエヴァンの息子……しっかりその呪われし血脈も受け継いでいる様子。いわば、恋の駄目人間純血種。
隻眼でも視力はいいようで、まだかなり遠くだがヨランダを発見し、こちらに駆け寄ってくる。物凄い勢いで。
「! エルフィン様?!」
(──はっ、まずいわ! 『思い出の少女』であるヴィオラ殿下が逃げてきているのはアーネスト殿下から! エルフィン様が許可するわけがない!!)
前出部分でもお察しとは思うが、もうヨランダの中で『思い出の少女』はヴィオラということになっている。
急激に色々ありすぎた故の弊害か。
(捕まったら終わりだわ! アーネスト殿下が王都に戻ってしまう……!!)
そして考える余裕がなく追い込まれたとき、人は思いもよらぬ行動に出る。
また有耶無耶になるのは嫌だという気持ちから、ヨランダは咄嗟にアーネストの手を取った。
通常なら考えられない意味不明な行為に見えるだろうが、ヨランダがこれまでに得た情報は偏り過ぎていて、皆信じられないのだ。
ここでアーネストを逃がすわけにはいかない。
「アーネスト殿下、逃げましょう!」
「えっ? どうして」
「ふむ、ここは任せたまえ。 ザカリー、ふたりを頼んだ」
「御意」
何故か逃げるのに手を貸すエヴァン。
エヴァンの指示に「御意」と答える護衛。
王家からの騎士として戦に参戦していたザカリーは、エヴァンを敬愛してやまない……お前の主は一体誰なんだ。
「おふたりとも、あちらに!」
多分王子の護衛である筈の人、ザカリーに先導され、指示されたところまで走る。
「……え、いいの? アレ」
その頃にはすっかり、アーネストの口調は崩れていた。
「緊急事態だ、その馬車を貸してくれ! 文句は領主に!」
「えっ……はい!」
街を移動していた小型の馬車の御者に金貨を突き付け、ザカリーは奪うように御者台に座る。
二人も急いで乗り込んだ。
「別邸に向かってください! 場所はわかりますか?!」
「勿論です!」
──そして、エルフィンの前に立ちはだかるエヴァン。
事態は急展開を迎えていた。
「父上……」
「久しいな、エルフィン。 ふっ……女の尻を追い掛け、そんな恰好で走ってくるとは見下げたものだ」
エヴァンはそう嘲笑した。
それなりの服装でありながら、全力で走ってきたエルフィンは確かに如何なものかと思うが、まさに『おま(えがそれを)いう』。
この父にだけは言われたくない。
「父上こそ……そんなこ汚いナリで、どこぞで宝探しごっこでもなさっていたのですか?」
「口だけは達者になったようだが、まだまだ坊やだな。 その歳で格の違いもわからんとは、甚だ嘆かわしい限り」
「ほう……ならご老体、この若造が『年寄りの冷水』という言葉の意味を教えて差し上げよう」
「ふん……小童が」
エヴァンに対峙するエルフィンは、今にも抜かんとばかりに剣の柄に手を当てる。
軽く腰に手を当てて立ったまま、そんな息子を睥睨する父。一見余裕のようだが、全身から放たれる凄まじい殺気から本気でやり合う構えであることが窺える。
まさに一触即発──背中が凍りつくような空気が周囲を包んでいた。
それに当てられて倒れる人も発生。
公園内の人々は興味を抱きつつも、恐怖を感じるのか、遠巻きにそれを眺めている。
領騎士達はふたりを止めなければと思いつつも、間近に感じる圧倒的戦闘力(ついでに権力)により、踏み込むのを躊躇せざるを得ない。
……どうしてこうなった。
作者もわかりません……




