⑬愚者の贈り物、再び
エルフィンは今日、フリッカで一番のブティックへと向かうつもりでいた。
王都にもある店だが、一号店はフリッカ。オーナーはグローリアだ。
辺境の城壁側が一部森に面していることにより、兵達の訓練も兼ねて狩りが頻繁に行われることから、良質な皮革素材には事欠かない。
それをメインにした小物は昔から多く作られていたが、その中からグローリアが優秀な人材を発掘、育成していた。
そこからドレスデザイナーに転向する者もおり、この店のメインデザイナーはそのうちのひとりで、王都でも人気がある。
そんなことからもわかるように、貴族夫人には珍しく商才に長けたグローリアはかなりの私財を持つ。
だからこそ余計に夫であるエヴァンは、必死で謝罪し、愛を乞わねばならないのだ──捨てられない為に。
話を戻すと勿論エルフィンは、この店で婚姻の儀の際にヨランダに着せるドレスを作るつもりでいた。そもそも旅行先をここに決めたのはそれが理由だったのだから。
だが、グローリアの助言から迷いが生じていた。
(国境の領民の心象を気にしないとならんとはな……)
ヨランダへの発言でもなんとなく察することができるかもしれないが、もともとエルフィンは女性の服装に興味がない。
ついでに言うと、この国にはロマンス小説のような『貴方の色を纏う』という文化もない。
何故なら国民全体を見ても、茶髪>灰・赤褐色(その他暗め褐色)>金髪≒銀髪(その他明るめ褐色)≒黒髪であり、さしてバラエティに富んではいないのだ。
瞳も鮮やかな者は青系、あとは大体色味がある程度の茶系。相手の色を纏うなんてことを皆がし出したら、夜会で被りまくるし地味……それ故にそんなものは尊ばない。というか、尊べないのである。
なので、ドレスを作るのはあくまでもヨランダのご機嫌取りに過ぎなかった。
喜ばせる為のことで、彼女の評判が落ちるならば、本末転倒……そしてヨランダの性格的に、耳に入ればおそらく気に病むだろう。
実際にかかる金など、辺境伯家にとっては微々たるものであっても、領民にとってはそうではない。しかも表にあまり出さない辺境伯夫人を、遠目からでも見ることができる数少ない機会だ。すぐに話題になる。
領民らからの印象はそこで決まるだけに、下手は打てない。
ローランドに言われた時にはそこまで気にならなかったが、実際に風評被害により苦労をしたグローリアに言われると、重みが違う。
今は平和であり、ヨランダとグローリアでは立場も状況も、また容貌から他者に与える印象も違うとはいえ、ドレスを作るのは控えた方がいい。
それが無難な選択で、悩む程のことではない。
(だが……)
「……エルフィン様?」
思案顔のエルフィンを不思議そうに、そしてやや不安気に眺めるヨランダ。
「……」
「!? え、エルフィンさま……??」
エルフィンは無言でその頭を撫で続けた。
(──……ドレスを作って着させたいッ!)
数少ないお披露目の機会である。
齢30にして初体験を迎え、初恋の自覚と共に愛に目覚めたエルフィンには、妻を着飾らせ自慢と共に『彼女は自分のモノである』と皆に知らしめたいという欲望が発生していた。
ヨランダは元々控え目な女だ。彼女を喜ばせるためではなく、完全に自己満足である自覚はある。
(なんとか領民の感情を逆撫ですることなく、ドレスを作れぬものか……)
──彼女を遺して簡単に死ぬ気はない。慣習に倣うのが無難だとしても、喪服は嫌だ。
(控え目でありながらも愛らしく凛としており、一目で違いがわかるような物が望ましい。それこそまさにヨランダに相応しい、ヨランダの為のドレスといえよう)
エルフィンはそんなドレスを作らせ、ヨランダに着せたい。服には詳しくないので具体的案はなく漠然としている上に、夫の欲目が凄い。
急な婚姻からそのまま輿入れであったヨランダは、今どのみち既製品しかドレスを持っていない。
どちらがついでになるかは別として、ついでに婚姻の儀用のドレスと通常のドレスを数着頼むことに決めて、やはり店には行くことにした。
「こちらで採寸を」
「はい……」
既に本邸に色とりどりのドレスがあることで、ヨランダは萎縮したものの、上流階級のドレスを下々に降ろすことくらいは学んでいる。
辺境で貴族のようなパーティーは殆どないが、民の結束力は高く市井での催し物は多い。
平和な今、それなりに喜ばれるだろう。
家人らとの感覚の微妙な違いから、暇な時間にこちらのことも少しずつ学んでいたヨランダは素直に従った。
採寸の間、エルフィンは細かい注文や予算などについて話すようで、彼は別室に行く。
今まで姉のお下がり(勿論既製品)を直して使っていたヨランダは、わかっていても贅沢には慣れない。
王都でも人気の店を貸切にし、沢山の店員に丁寧に採寸されるのは、有難いこととはいえやはり気疲れした。
「ふう……」
「お疲れ様でございます。 本日のお召し物です」
「ありがとう……あら?」
「問題がおありでしたでしょうか。 お取替えを?」
「いえ、大丈夫よ」
「それではお支度のお手伝いをさせていただきます」
一通り採寸を終わると、何故か町娘のような服に着替えさせられた。
(この後このまま街歩きもするってことね。 ……昨日もそれなりにしたけれど、行きたい場所に行けなかったのかしら?)
少しばかり疑問に感じるも、正直なところ気が楽だ。踵の低い靴で街を歩くのは慣れている。
たとえ倍歩いても、着飾って高級店を回るより余程疲れない自信がある。
「どうぞこちらへ」
着替えて化粧や髪型もそれに合わせて整えられた後、何故かエルフィンの待つ部屋とは別の方へ連れていかれた。
だがここは警備の厳しい地、しかも一流の、ましてやグローリアの店──危機感など微塵も感じないまま、ヨランダは店員に付き従う。
進むのは何故か『staff only』の札が掛かった扉を開けた、裏の方。
「??」
パーテーションで区切られたそこに入る直前、荷の確認をしている女性店員がこちらに気付き、頭を下げる。
おかしいとは思えど、不穏な様子ではない。
「ヨランダ様をご案内致しました」
「ご苦労さま」
ヨランダが連れて行かれたのは、荷の保管と受け渡しを行っている倉庫の応接室。
「やあ、はじめまして」
「──…………! あっ」
慌てて淑女の礼を取ると、斜め上から柔らかく笑いを含んだ言葉。
「そう畏まらなくていい。 顔を見せてくれないか」
それは、静かで重みのある低い声。
後ろに撫で付けた銀髪は、白髪が混ざった金髪なのだろうか。赤を帯びた茶色の瞳。切れ長の目は皺とともにやや下がってはいるものの、それは加齢による穏やかさというよりも、威厳を醸している。
一目見ただけで、直ぐに誰か理解できた。
年齢的には50を超えている彼は、精々80程度が長寿のこの国では初老と言ってもいいだろう。
だが、服を着ていてもわかる逞しい身体に、歳を重ねたことにより色気も備えた美しい顔──それはエルフィンそっくり。
いや、エルフィンが似ているのだ。
そう、彼はエルフィンの父である元辺境伯閣下、エヴァンである。
顔を上げるとエヴァンはヨランダに、にこやかな笑みを向けた。
それはまさに『ロマンスグレー』という表現がピッタリと言っていい。ただし
(なっなんでエヴァン元閣下が……?! っていうか…………
なんでボロボロなのかしら……?)
見合った服を着ていれば、の話。
何故かエヴァンはボロボロで、冒険に行った帰りの様なナリだった。
勿論、伝説の宝石を探しに行った帰りだからなのだが、ヨランダがそれを知るのはもう少し後のことになる。




