⑫情報は未精査であり過多
朝食の為にダイニングに行くと、既にヴィオラはいた。
「……おはよう、ふたりとも」
「おはようございます王女殿下、お待たせしてしまい申し訳ございません」
「いいのよ、私が早かったの」
不機嫌そうに挨拶するも、ヨランダの謝罪に対してはにこやかに応える。
「やあ王女殿下、よく眠れたかね?」
(……まただわ)
ヴィオラが『お兄様』と呼ぶのにも関わらず、何故かエルフィンは『ヴィオ』とは呼ばず『王女殿下』と呼ぶ。しかもいちいちなんとなく強調しつつ。
その言葉にはどこか棘……というか、小馬鹿にしたような、或いは牽制のような、なにかがある。
そしてふたりの間に流れる険悪な空気。
だが昨夜と違い、エルフィンは余裕を醸していた。
「なにぶん新婚なものでね」
そう言ってヨランダの腰を引き寄せ、頭頂部に軽く唇を落とす。あからさまなマウントに、一瞬だが眉間に皺を寄せるヴィオラ。
ヨランダにとっては気まずい食事の後、ヴィオラに街への散策を誘われた。しかし
「いい加減、邪魔をしないで頂きたい」
それをバッサリ断わるエルフィン。
「ヨランダが困惑しているじゃない! 信じると思ったら大間違いよ!」
揉めているふたりに入っていけずにアワアワするだけのヨランダだが、結局のところエルフィンの決定に従うよりない。
引き攣った笑顔で「なにかお好みに合いそうなモノを買ってきますね」などとヴィオラに言うくらいしかできなかった。
出掛ける用意を整えてもらいながら、ヨランダは考えていた。
最早こういう時くらいしか考える余裕を与えて貰えない。ふたりがウザ過ぎて。
(ヴィオラ殿下が本当に私を心配なさっているのはわかったわ……仰る通り、エルフィン様のご様子はおかしいもの)
起き抜けからエルフィンは既に様子がおかしかった。
初めて褥を共にした緊張と肉体的疲労から、迂闊にも涎を垂らして眠ってしまっていたヨランダの口元を「みっともない」などと言いつつも丁寧に拭うばかりか、「お前は体力がない」などと宣った挙句に食事を寝室に運ばせようとし、それを止めるのにはそれなりの時間を要した。
これは余談だが……先に起きたエルフィンは、二時間程の間ヨランダの寝顔をただ眺め続けていた。
(信用しない、と殿下は仰っていた……見えないところでも甘やかすことで、事実として言い聞かせようとしているのでは? そう……殿下を諦めるために!)
エルフィンが休暇を取っている上に部屋が一緒なので、接触する時間が長いだけで実はあまりエルフィンの行動自体は変わっていない。
だがヨランダは自信の無さ故に、無理矢理そこに意味を持たせようとしてしまっていた。
──そしてそれは、加速度を急激に増していた。
(ヴィオラ殿下も元々エルフィン様を忘れられず、第四王子殿下とはただの学友だったところを勘違いされ……誤解を解くために動こうとしたところ私との婚姻が発覚)
妄想じみた想像と共に。
「ヨランダ様、終わりました」
(諦めきれずに私のことを調べた結果、明るみに出た王子殿下の不正と婚約破棄、それに付随して自分への秘めたる思いを払拭する為のような私との婚姻理由……そしてヴィオラ殿下は人知れず辺境まで足を運ぶも、頼みの綱であるグローリア様は居らず、そこに居たのは私)
「……ヨランダ様?」
(ヴィオラ殿下は素直に気持ちを吐露することはできず、エルフィン様の誤解は解けないまま、エルフィン様は積年の想いを払拭しようと私を……いえ、私への責任感もきっと)
「ヨランダ様ッ?!」
「──はっ!? あ、ご、ごめんなさい。 ぼうっとしてしまって」
「あら……いえ、うふふ」
先程から呼んでも反応を示さないヨランダに、仕度を整えていたフローラは心配したものの……昨夜のことがある。
どうやら微笑ましく受け取ったようだ。
それを見て、ヨランダは苦笑するしかなかった。
元々ヨランダは、『与えられた幸福』への免疫がなく『恋愛』への免疫もない。
エルフィンと結ばれたことにより、彼への想いと共に不安は募るばかり。
他人からすればあまりにも馬鹿げた妄想かもしれない。
だが、喜んでしまってガッカリするのは、最初から諦めるより辛い──余りある経験則による保身から、ヨランダは無意識で悪い方悪い方へと思考を傾けていた。
先にも述べたように、エルフィンが自ら説明することはない。だがヨランダが素直に不安を打ち明け尋ねることができたなら、おそらく彼も答えただろう。
しかし、ヨランダにはそうすることができなかった。
想像する恋愛的な自身の立ち位置を除いたとしても、身分や立場的な自覚とその格差への萎縮……そして性格的な部分、と無理な面が多過ぎるのだ。
肌を重ねたとはいえ、そこを超えて発言できる程ふたりの距離は縮まってなどいない。
弱い者の立場やその者が意見を言えない状況。特に心理的圧迫なんてモノは、実際にその立ち位置に立ってみないとわからないもの。
当然ながら、エルフィンはヨランダの複雑な心中など思いもよらず、むしろ『心が通じ合えた』と思って浮かれていた。
「随分遅かったな。 ……ふん、お前の恰好などなんでも良いというのに(※どんな恰好でも可愛い、の意)」
エルフィンはヨランダを一瞥すると、すぐ背を向けた。勿論、照れからの行動であり、今までと変わらない。
だが本邸では全く気にならなかった言葉に、ヨランダは傷付いていた。
「……なんだ?」
「いえ……」
だが気落ちするヨランダを、エルフィンは抱き上げて、また憎まれ口を叩く。
「出掛ける前から疲れたのか? 仕方の無いやつだ」
「……大丈夫ですっ」
「いいから大人しくしておけ」
仕草や口調は雑に見えるが、ヨランダを包み込む腕は優しい。そして家人から向けられる生温かい視線は、もう別邸でもそう変わらなかった。
(そうだわ……最初とあまり変わらない)
むしろ、より甘くなっている。
物理的接触により、ヨランダはようやくそこには気付くことができた。
経緯はどうあれ、エルフィンが情を傾けてくれているのは確かだと思う。
昨夜のことも、エルフィンはハッキリと自分を選んでくれたのかもしれない。
(でも……)
──エルフィン様が、ヴィオラ殿下の気持ちを知らないままだったのなら。
それは、先程の妄想じみた想像ありきの想定。
全く冷静になど考えられていないが、それができたとしてもヴィオラとエルフィンの関係性は結局謎でしかない。
『もしも』の話を『詮無きこと』と一蹴することはできなかった。まだヴィオラは傍にいるのだから。
冷静ではないヨランダですら正直なところ、ヴィオラの言っていることが全て真実とは思わない。だが、彼女が自分を心配してくれていることに関しては、嘘ではないと感じている。
彼女のことを考えると複雑な気持ちになる。
迷惑に思う反面とても申し訳ない気がして、どうしても気持ちが鬱ぐ。
多少の気付きがあったところで次々注がれた不安要素を埋めるには全く足りず、ヨランダはもうなにが正しいかすらわからなくなっていた。
「……ヨランダ?」
「……」
横抱きにされた馬車の中でもどかしい気持ちから彼にしがみつくと、エルフィンは小さく笑いを漏らし、ヨランダを抱き締めた。
「ヨランダ、そう煽るな……夜まで待てなくなるだろう? いい子にしていろ」
「……ッ!」
エルフィンは甘えてくるヨランダにご満悦の様子。
昨夜は全く思い出せなかったフレデリカ選ロマンス小説から『ちょっと意地悪なキャラの大人なジョーク』を引用し口に出せる程、心に余裕があった。
思い悩むヨランダとは裏腹に、エルフィンの脳内は今諸々の問題などスッカリ忘れ、満開の花が咲き乱れている。
ローランドの勘違いによる強引な婚姻も、ヴィオラの突然の登場も、この結果に繋がったと思うと全てに感謝したいくらいに浮かれていた。
だが、エルフィンがヨランダの煩悶に気付かぬように、ヨランダがそれに気付くことはない。
今のやりとりも、
(はわわわわ……やっぱり慣れているのだわ……ッ!!)
あまり意味のない(しかも間違った)情報がひとつ、加えられただけであった。




