②上げ膳据え膳の優雅な奥様ライフ
それからもヨランダに対し一応……といった体でなにかと関心を向ける、夫の筈の人エルフィン・ガードランド辺境伯閣下。
だがいざ彼女に向き合うと、時に嫌味を言い、時に小馬鹿にする──彼の態度と口調は、そういった酷いものであった。
しかし、それにヨランダは一切傷付くことはない。
なんせ、行動が伴っていないのだ。
だから彼女が抱くのは、困惑ばかり。
ヨランダはもうこちらに来て一週間経つが、妻らしいことはなにもしていない。
なにかをしようとすると、周囲の皆が気を利かせてサッとやってしまうどころか、なにもしなくても細々世話を焼いてくれるのである。
口を揃えて皆は言う。
『奥様にそんなことはさせられません』
『奥様がこちらに馴染まれるまで、不便のないように、と旦那様に言いつけられております』
ヨランダの実家は歴史ある伯爵家だが、裕福ではない。次女で兄と姉のいる彼女は、虐げられこそしていないものの、さして顧みられることなく過ごしていた。
そんな彼女の味わったことのない、優雅な日々。
それはヨランダにとって、ただただ素晴らしいバカンスに来ているようなものだった。
(だからといってこうしてはいられないわ)
しかし当然ながら、彼女は骨休めにここに来たわけではない。
嫁いで来た筈だ。
お飾りの妻にしては下にも置かぬ扱いであるが、正式な妻としてもなにも任されていないのには、不安しかない。
辺境伯の妻がなにをするのかもよくわからないが、それでもできることがあるならしたいのだ。
なにもしていないのに、皆『奥様』と呼んでくれるが、ハッキリ言って申し訳なくて、肩身が狭い。
肩身が狭いのを悟られないよう虚勢を張るも、格差に萎縮しながらやってきたヨランダにできる虚勢も苦笑をせめてはにかみに見せる程度。
あまりに無駄な努力に、頬がつりそうである。
なにか、役割が欲しい。
この際、子作りでも構わない──
(──というか、それが私の一番のお役目ではないのかしら?)
一週間経っても、まだ婚姻の儀は執り行われていなかった。当然、初夜も。
(……至れり尽くせりな現状に騙されてはいけないわ。 私はまだ妻として認められていない『お客様』だから、もてなされているのよ)
しかし、なにかをしようとすると(以下略)
だからといって夜中に寝室に入り強引に迫ったり、或いはセクシーな仕草などで暗に誘うような真似が自分にできるとも思えない。
ヨランダは自他共に認める地味な娘だ。
しかも婚約破棄をされている……女としての自信など欠片も持っちゃいなかったし、勿論男性に慣れているわけでもない。不安からなにかをしたくても、そんな勇気は出なかった。
だがなにもしなくとも、上げ膳据え膳の優雅な日々は続いた。
初めて受ける謎の上げ膳据え膳攻撃に、ヨランダの中でジワジワと膨らんでいく、言いようのない焦りと逼迫感──
そんなある日のこと。
「こ……これは?」
「旦那様からでございます」
ここ数日、エルフィンは城壁の方へ泊まり込んでいる。
屋敷の主は不在だが、その間も変わりなく丁重にもてなされていたヨランダ。益々なにかをしなければ、と焦る彼女に、追い討ちを掛けるようにエルフィンから大きな花束が届いた。
メッセージカードには、こう記されている。
『業者が送り付けてきて邪魔なので、好きに飾れ』
「…………」
それは、食事の時話題がなくて『可愛い』と何気なく褒めた、テーブルに飾られていた花と同じものであった。
「愛されておりますね、奥様」
ヨランダが来た日からこまめに世話を焼いてくれる古参と思しき侍女、フローラがにこやかにそう言う。
だがヨランダはおもわず「そうなのかしら……?」と呟いてしまった。
「旦那様は不器用な方なので……その」
おそらくメッセージカードの文面から、ヨランダが『信じられないわ』という意味で呟いたように受け取ったのであろう。遠慮がちな主へのフォローが入る。
「いえ、違うのよ。 お心遣いはわかっているの」
ヨランダは苦笑しながら自らの迂闊な発言が招いた誤解を否定した。
勿論、メッセージカードの内容を鵜呑みにしているわけではない。これは間違いなく、彼からのプレゼントだろう。──だが、
どうしても解せぬ。解せぬのだ。
ヨランダには、エルフィンに愛される理由が思い当たらない。
なにしろ、この間初めて会ったばかり。
ヨランダは特別に美人でもなければ、皆を虜にするような愛嬌があるわけでもない。
彼がよくしてくれるのが愛ではなく妻となった自分への気遣いの範疇だとしても、そもそも、何故娶られたのかもよくわからないのだ。
顔に傷があるとはいえ、彼は美貌の英雄……いい縁談など、掃いて捨てるほどあっただろう。
ヨランダは彼が自分を娶った理由を知りたかった。
──否。知らねばならぬのだ。
「エルフィン様は、いつお戻りに?」
「今日の夕刻にはお戻りになるそうですわ」
「そう……お礼を申し上げなくてはね。 フローラ、頂いたドレスから相応しいものを選んでくれる? 早目に準備しておきたいわ」
「畏まりました」
フローラは嬉しそうに微笑み、花と同じ柔らかな薄紅色のドレスを選んだ。鏡の中の自分を見て、感嘆の中に気疲れを忍ばせた溜息をひとつ。
(慣れない……)
美しいドレスも整えられた髪型も、侍女に命令をするのも、全てに慣れていないヨランダには一苦労だ。
数日ぶりに会うエルフィンとの夕餉の仕度を済ませたヨランダは、部屋を忙しなく彷徨いて、緊張を誤魔化していた。
なにかをしなければ、なにも得られない……というのはそれなりに正しい。
ヨランダも聞き分けだけがよく、流されっぱなしだった半生への反省はその都度あった。
だがなにかをしたところで、大概は希望したモノなど得られないのもまた事実。動いたところで碌なことにならない想像はできたし、実際動いたところでそんなものだっただろうと思う。
今のようになにもしなくても都合よく進む現実なんて、ヨランダの人生には有り得なかった。
未知の体験である。
未知の体験すぎて、逆に恐怖感が凄い。
──なにか裏がある。絶対にある筈だ。
それ自体は構わないが、内容を把握しないことにはとにかく不安で仕方ない。
本来ヨランダは自発的になにかをしようと考えて動く方ではないが、このままの状態はいたたまれなかった。
(せめてエルフィン様が私になにをお望みなのか、ハッキリさせないと……)
せめて出来ることはしておきたい──しておくべきだ。強くそう思う程。
(でも、どうやって切り出そうかしら……)
逆吹きで発生した衝動から珍しく自発的に動くと決めたヨランダだったが、時間が経つにつれ気持ちが萎えていく。
元々大人しい気質である彼女が、やたらでかくて強面美形の尊大で嫌味なエルフィンに問い質すというのは、かなりのハードルの高さなのだ。
そうこうしているうちに、エルフィンが帰ってきた。
「お帰りなさいませ、エルフィン様」
「………………うむ」
(間が長いわ)
出迎えて挨拶しただけなのに、謎の間。
もう、なにもかもが不安だ。
それでも頑張って笑顔を維持し、恐る恐る、まずは花束の礼から。
「あの、お花を……」
「じゃ、邪魔だったからだ」
(あ、噛んだ)
『花』の話題を出した途端にこの反応。
エルフィンが噛んだおかげで、ヨランダの不安は幾分和らいだ。自分より緊張している人がいると、緊張が和らぐ効果である。
「そうですか、でもありがとうございます」
「──その服……」
「あら……」
「……邪魔な花への当て付けのつもりか?」
「いえ、あらそんな」
「ふん……花なんて……」
なんだかごにょごにょ言いつつ、足早にエルフィンは自室へと戻っていく。ヨランダはその場に佇み、その大きな背中を眺めてただ見送った。
無論、傷付いたからではない。
(先の間は、ドレスを見ていたのかしら……)
『花への当て付け』と彼は言っていた。
エルフィンは花とドレスの色合わせにも、しっかり気付いていたのである。
これまでの言動の裏腹さを鑑みるに、それがなにを示すのかなどわかりきっている。……こうなると、選んだのがフローラで、なんだか申し訳ない。
(それに今、上手く聞き出すいいタイミングだったのでは……ああ、自分の話術のなさが情けない……)
諸々の反省から肩を落とすヨランダに、老執事が優しく声を掛けた。
「奥様、旦那様は少しお言葉が不器用なのです」
「え? ええ……」
──いや、それはなんとなくわかってますけどね?