⑪変化する心と身体と
(もしかして、このまま一線を超えるのかしら?)
フローラにドレスを脱がされながら、ヨランダはなんとも言えない気持ちになっていた。
最初の頃ならともかく、今はもう『お役目ヤッター!』などという気持ちにはなれずにいる。
それは勿論エルフィンへの想いが明確になったからもあるが、『思い出の少女』と先程からのエルフィンの態度にある。
(『思い出の少女』である王女殿下を目の前にして、気持ちが揺らぎそうになったから……焦ってらっしゃるのではないのかしら)
──に、しては微妙に険悪な気もするのだが。
辺境本邸でのエルフィンのヨランダへの態度を鑑みると、そこに妙な説得力が出てきてしまうのも事実。
不可思議な言動も多いが、エルフィンが優しいのはわかっている。結ばれれば少なくとも、そう簡単に捨てたりはしないだろう。
だが今は、それを単純に嬉しいとはもう思えない。
モヤモヤを抱えながらも着替えは終わり、覚悟ができないまま扉を開ける。
彼は、更衣室に背を向けたかたちで酒を飲んでいた。寝巻きに着替えたヨランダがおずおずと声を掛けると、エルフィンは振り向かないままフローラを下がらせ、ヨランダに隣に座るよう促す。
彼女が隣に座ると無言で肩を抱いた。
「エルフィン様……?」
「…………」
酒のせいか、掌が熱い。
端正な横顔は、眼帯と長い横髪のせいもあって表情がわからないが、不安な気持ちとは裏腹に胸がときめく。
ヨランダはこのまま身を任せてしまいたい気持ちと、エルフィンの心をちゃんと知りたい気持ち……そしてそれがとても分を弁えないことだと、己の浅ましさを責める気持ちで苦しかった。
(エルフィン様……なにを考えているの?)
──エルフィンが考えていること。
(くっ……この先どうしたらいい!? )
それはこんな感じ……
割といっぱいいっぱいだった。
勿論酒は、緊張を緩和する為。
ヨランダの方を一切見ない理由。それは、無防備な彼女の姿を見てその気になってしまうのが怖いからである。
フレデリカ選ロマンス小説を読みすぎて該当しそうな箇所を思い出しあぐねていたものの、彼とて正常かつ健康な男子だ。
好意を抱いた女性、しかもそれが妻であり、誰に憚ることもなく行為に及べるとあらば、枷になるものは一切ないのだから。
そう……彼の見栄以外には。
──すんなりできる気がしない。
ロマンス小説なら『乱暴にしてしまいそう』とか『君を大事にしたい』などとヒーローが宣うところだが、エルフィン的にはこれが本音である。
ただでさえカッコつけなエルフィンは、ヨランダに幻滅されるのがとにかく嫌なのだ。
好意が上がれば上がる程、余計に。
『ヤダ~がっついてるわ~』『なんて余裕のない方!』『このヘタクソ!!』
……等と思われては、これまで大事にしてきた己のイメージが台無しだ。
(だがこのままというワケにはいかん……)
モタモタしてたらしてたで『もしかして不慣れなのかしら?』とDT疑惑をかけられること必至。
若い頃から次期辺境伯だの美貌の隻眼だのと持て囃されてきただけに、まさか齢30にもなって未経験であることが露呈するなど、それはそれで恰好がつかない。
慣れてる風を装い、余裕を持って行為に及びたいところ──しかし、実際は行為どころか恋愛経験すら皆無。
あまつさえ、恋心の自覚により普段は自制が効くはずの欲望も頭をもたげつつある。
見栄のおかげで踏みとどまってはいるものの、優先順位はもう滅茶苦茶だった。
(ええい、もう流れと勢いに身を任せるしかない……!)
『判断の遅さ、即ち死』──閨事の話にも関わらず、何故か扇情的ならぬ戦場的な格言と共に、彼は覚悟を決めた。
抱いた肩を引き寄せ、身体をもたれかからせるように距離を詰めたエルフィンは、ヨランダの身体が緊張で強ばっているのを感じた。それがなんだか、とても愛しい。
空いている方の腕でヨランダの側頭部を優しく撫でると、ゆっくりと彼女と向き合った。
「ヨランダ……」
「エルフィン様……」
赤くなった顔。瞳が潤み、睫毛がキラキラしている。
頬に手を添えると、その弾みで涙が零れた。
「……お前はよく泣くな」
「も、もうしわけ……」
言葉を遮るように涙を拭い「不安か」と尋ねると、ヨランダはプルプルと首を振り否定する。
(不安なくせに)
それがいじらしくて、少し笑った。
余裕はない筈なのだがそれがわからないくらい自然な仕草で触れていた。それまでごちゃごちゃと気にしていたことも、不思議なほど彼自身気にならなかった。
まさに、案ずるより産むが易し。
意外にも、ふたりはすんなり結ばれた。
今までのはなんだったんだ、というぐらいアッサリと。
──しかしそれによって問題が解決するかというと、それはまた別の話だった。
カーテンの隙間から降り注ぐ光は真っ直ぐに伸び、どこかしらに付着していた埃がキラキラと舞う。
(……なんて素晴らしい朝だ)
そんな他愛ない風景すら美しく見える、ふたりで目覚めた朝──エルフィンは自信とヨランダへの愛で満ち溢れていた。
単純ではあるが結ばれたことにより、いとしさとせつなさと心強さを手に入れたのである。
これまでジワジワと育っていた好意だったものは、今明確に特別な気持ちに変わっていた。更に男としての自信も得た彼は、まさに絶好調。
絶好調──わかりやすく言うとそれは、髭のオッサンが大活躍するゲームで星を得た状態に近い。
星を得ることによって無敵と化した髭のオッサンは、それまで当たるだけで死んだ相手にぶつかるのも気にしない。
それは勿論、無敵状態にあるからだ。
一方のエルフィンだが、彼自身は別に何も変わっていない。気持ちの問題しか。
そう、近いだけであり、無敵なのではない。
敢えて無敵と言うのなら、気分だけが無敵なのだ。
則ち絶好調とは、案外危険な状態であると言える。真実無敵状態となった髭のオッサンとは違い、気分が無敵なだけ──当たるだけで死んだ相手に当たれば確実に死ぬのだ。
事実、彼は気付いていない。
不安を払拭できないまま一線を超えてしまったヨランダの方は、より一層複雑な気持ちになっていることに。
エルフィンは大事なことを一切話していない。
だが、これは別に忘れていたとかではなく、意図的なもの。
何故なら、彼もまた生粋の辺境の男……愛しく思えば思うほど、揉め事には関わらせないのをよしとする文化で育ってきたエルフィンの中に『ヨランダに相談する』などという選択肢など、最初から存在しないのだから。