⑨それが事実と違っても
「──ええ?!」
「奥様……大変申し訳ございません」
ヨランダを『奥様』と呼ぶのは、この別邸にはフローラしかいない。
そんなフローラが今何故謝っているかというと、部屋がエルフィンと同室になったからである。
貴人であるヴィオラ王女殿下が現れてしまったので、どの部屋を彼女にあてがうべきか家人らで話し合った末の判断だ──と、言われてしまえばどうしようもない。
別邸はグローリアの社交場として使われていたので部屋はあるにはあるのだが、最低限。
何故ならここはヤンデレの元辺境伯が妻を囲う為の屋敷……前もって準備されていても客人を泊まらせることは稀、今回のようにイレギュラーな事態でない限り、突発的に他者が泊まることなど絶対になかったのだ。
「そそそそそれじゃぁ仕方にゃいわね?」
盛大に噛みつつも、ヨランダは余裕のあるフリをする。
「奥様……」
「──そうそう、ヴィオラ王女のお部屋に行かなくては! なにかご不便があったら困るもの!!」
思いついたかのようにそう言うが、この部屋に居たくないだけである。何故ならこの部屋の奥、中央で主張をする大きなベッドにどうしても視線がいき、ソワソワしてしまうのだから。
(そういえば、執事のロビンに話を聞くつもりだったのよね……)
色々衝撃的すぎて、順番が前後してしまったが、既にフローラが案内を始めている。
ヨランダはとりあえず、そのままヴィオラの部屋まで行くことにした。
ヴィオラの部屋の扉は開いていた。
そこから聞こえてくるのは、ヴィオラとエルフィンの声。──いつの間に帰ってきたのかは疑問だが、それは一先ず置いておくとして。
未婚の女性と話すのに、しっかりと扉を放っているのだ。疚しい部分はない。
疚しい部分はない──
「どういうつもりだ、ヴィオ」
「あら、エルフィンお兄様こそ」
──筈なのだが、呼び名が問題だった。
「奥さ……」
無言でヨランダはフローラの服を掴むと、首を横に振って急ぎ足で部屋へと戻った。
「──フローラ、」
「はい」
「エルフィン様と王女殿下は……その、ご交流が?」
「申し訳ございません奥様、こちらのことは私共本邸家人はあまり知らないのです……」
「えっ」
フローラからグローリアの過去の『本邸側グローリア情報』を聞いたヨランダは自分の学んだ知識と照らし合わせ、ようやく少しだけ諸々を理解した気がした。
なにしろグローリアは貴族社会では『辺境伯を支えた麗しき賢夫人』として有名なのだ。
それこそ血統だけの俄貴族で社交界にマトモに出ていないヨランダですら、知っているくらいに。
「奥様のご様子を見て、私もなにかおかしいと思っておりました……こちらとでは、良妻の考え方がそもそも異なるのですね……」
幼少期から両親を見て育ち年頃になると辺境伯家侍女として働いていたフローラは、その事実にショックを受けている様子。
勿論ヨランダも先程のことがショックだったのだが、フローラの姿を見るとそれ以上何も言えず、ただただ遠い目になった。
(こりゃダメだわ……)
別邸家人に尋ねるにしても、本邸と確執がある以上素直に答えてくれるかは謎──特にフローラを連れていては。
だからといって、フローラ抜きに動くのはなんだか可哀想で抵抗がある。彼女への優しさだけでなく、今後本邸に戻った時のことを考えると関係が悪くなるようなことはしたくない。
精々上手くタイミングが合った時に聞くくらいしかできないだろう。
あとは、情報を繋ぎ合わせて想像するしかない。
まだ平民のような恰好のままのヨランダ。
浴室から続く広い更衣室で、晩餐の為の装い支度をフローラに施されながら、情報を整理し想像する。
(こちらに来ている際に、ヴィオラ王女とエルフィン様が出会った? いえ、王都でかもしれないわね……私とヴィオラ殿下は年齢が変わらないから、簡単に辺境には来れなかった筈。 和平後だとしても、留学は昨年だから……それ以前かしら?)
辺境での和平交渉は6年前。
和平をより確実なものにする為、要人の幼子を敢えて連れていく──というのは聞いたことがあるが、11、12歳ならそれなりに育っている。しかも王太子ならまだともかく、第三でしかも王女だ。
どちらの国にとってもリスクの方が高過ぎて、そこに一緒にいた、というのは少々無理がある。
よしんばいたとしても護衛に囲まれている筈で、接触の機会がある気がしない。
(和平後暫くして、王都で出会った……と考えるのが妥当かしら)
夜会には滅多にでない辺境伯だが、平和になってからはたまに、くらい出ることもある。
ヨランダのデビュー時の夜会の頃──和平から3年経過し隣国との関係がまずまずであることから、新しい辺境伯閣下であるエルフィンもあの頃はなにかと呼ばれていた。
辺境伯を継いだのは和平後すぐだが、まだ緊張状態にある両国の現状の為辺境から離れられず、貴族に対しての実質的なお披露目が3年後のその年だった、と見ていいだろう。
そこで社交界に疎い息子に手を貸すかたちで、グローリアが活躍していたのはまず間違いない。
(そこで交流が……でも『お兄様』?)
そうてらいなく呼ぶには、少々ヴィオラの年齢が高い……だが、実際に見てみると彼女はかなり小柄であどけない。
(公式でない場で……例えばお忍びで、今日の私のような恰好で出会ったとしたら)
「…………──!!」
そこでヨランダは思い出した。
『思い出の少女』のことを。
互いにお忍びで出掛けた王都。
なにかしらで軽い怪我を負ったエルフィンに駆け寄る少女。
差し出される、ハンカチ。
そんな想像がまざまざと脳内に再生される中、我が身に起きたこともその片隅で鑑みる。
第四王子との婚約破棄──それは実質、王子とヴィオラとの仲が定まった、と見ていい出来事。
それと同時にエルフィンに娶られるヨランダ。
嫌味を言いつつ大事に扱う、という不可解な態度。
ヨランダが『思い出の少女』ではない、と知っていそうなのに何も言わない彼。
(……言わないのではなく、言えないのだわ! 王女殿下が『思い出の少女』だから!!)
なんと、ここにきてヨランダのあらぬ妄想と諸々の情報との、辻褄が合ってしまった。
勿論、そんな事実はない。
そもそもが嘘なので、あるわけがないのだ。
しかし、妄想が爆発したヨランダは絶望していた。
(『思い出の少女』に成り代わるくらいの気持ちでいたけれど……)
それは相手が自分と似たようなモブ想定だったからである。
かたやヴィオラは王女な上、控え目にいっても相当な美少女。『たとえどんな相手でも、渡さない!』と思える程、ヨランダのエルフィンへの気持ちはまだ強くはない。
親しげに名前を呼び合っていたふたりの声……見ていない筈のふたりの見つめ合う姿が思い浮かび、ヨランダの心はまさにドン底。
当然ながら、そんな事実もない。
だが、妙な勘繰りによる脳内補正からヨランダの中では『親しげに名前を呼び合っていた』ということになっている。
見つめ合うふたり、は完全に妄想の類だが、ふたりとも容貌が麗しいのは事実。それだけに見つめ合うふたりの姿(※妄想)は実にしっくりときた。
そう……ヨランダとエルフィンが並ぶとちぐはぐでも、ヴィオラとエルフィンならば美しい絵画かはたまたロマンス小説の挿絵か、といった感じに。
(…………無~理ィィィィ~!!!!)
ヨランダは心の中で白旗を上げていた。
──なのに、どうしてだろうか。
「胸が苦しいわ……」
「コルセットを締めすぎましたでしょうか?」
「そうね、そうかも……」
フローラがコルセットを緩めても、ヨランダの胸は苦しいままだった。
ご高覧ありがとうございます!
また少し更新までにお時間頂きます。
なかなか進まない……!orz