⑧とある恋愛論
母と父との関係性は、エルフィンにとって衝撃的だった。
一番衝撃的だったのは、母の為にあるかもわからない伝説の宝石を南に探しに行っている父……
父エヴァンとは息子としてあまり接することはなかったが、優秀な指揮官であり威厳溢れる人だった……筈だ。
経緯を鑑みれば仕方ないとは思えど、その経緯の概ねが父の愛情表現の間違いであり、公私混同だと思うと居た堪れない。
(フレデリカが勧めた本には『恋は人を狂わせる』などと書いてあったが、父は狂っているに違いない……)
エルフィンのやっていることも大分斜め上だが、愛情が伝えられないまま妻を軟禁に及び、公私混同の末若くして任を退き、贖罪の為に伝説の宝石を探す父エヴァンを、息子である彼は心底『ヤベェ奴だ』と思った。
せめてもの救いは、エヴァンが任を退いたのは隣国との辺境伯領会談により、条件付きで交流再開をした後である、ということ。
生まれてからすぐ隣国との関係が悪化したエルフィンは、次期辺境伯として(辺境伯軍総統)の方面に特化して育てられたことから、それまでは退位したくてもできなかったのだろう。
一応責務は果たしてから抜けたエヴァン。
だが……それまでにエルフィンが前線で兵を率いてきたことや、その分教えられなかった諸々をローランドが引き継いでいることで余計な憶測をされ、結果弟がエルフィンの結婚に焦る羽目に至ったことを考えるとやはり大分酷い。
自他ともに認める父似のエルフィンは、それが恐ろしかった。
幸か不幸か、エルフィンはヨランダを情熱的に求めているわけではないし、有難いことに今はそれなりに平和である。
しかし、好感は抱いている。
愛情を拗らせて(※今、エルフィンが拗らせているのは別方向)、これ以上おかしなことになっては不味い。
(穏やかに情を育んでいる今のうちに、関係を整えていかねば……)
ドレス云々は一先ず置いておくとして、全てはこの旅行にかかっているのだ。
──そんな危機感を以て、エルフィンが別邸に戻ると……何故か門で馬車を止められるという想定外の事態。
「?」
「エルフィン坊っちゃま」
そこにやってきたのは別邸の執事、ロビン。
彼とその妻ミアは、グローリアが別邸に移る際に実家の侯爵邸から呼び寄せた使用人である。
騎士や若い使用人は違うが、別邸にいる古参の家人は皆、グローリアの実家の伝手で集めた者ばかり。
このあたりも母が父……並びに辺境の者を信用できなかったあたりが垣間見える。
「若奥様のところに隣国のヴィオラ王女殿下が……」
「なんだと? 」
(……ヴィオラ王女殿下?)
エルフィンにはサッパリ意味がわからなかった。
ヴィオラ王女殿下との交流など、ない。
ちなみにグローリアに捕まったせいで、双方への伝達係とはどちらもすれ違っている。
ヨランダはつくづくタイミングが悪いのだ。
「とりあえず、馬車は裏から」
ロビンは馬車に乗り込み、裏門から入るように移動させつつ説明を行う。
「──なるほど、よくわかった」
グローリアにも連絡したようだが、多分彼女は自分達が助けを求めない限り戻らないだろう……とエルフィンは思った。
母があの時点でこれを知っていたとは思っていないが、正直なところこれはそんなに大した事件ではない。
グローリアは一度言った言葉をこれくらいで翻す人ではない。『ふたりで解決しろ』と眺めているに違いなかった。
「おそらく王女殿下がヨランダに謝罪したい……という気持ちは事実なのだろう」
「ええ、私もそうかと。 ですがあれはあまりにも……とりあえず坊っちゃまは、裏からこっそりご様子を見て頂いて判断なさるのがよろしいかと」
「話を聞く限り、判断するまでもない気がするが」
「ああ……やはり?」
「だがまあ、一先ず様子を見よう。 彼女はそのまま扱うように」
「畏まりました。 若奥様には?」
「……私の方から折を見て伝える」
その後馬車は裏に回り、エルフィンとロビンは使用人用の勝手口から邸内に入った。ふたりに報告しに駆け寄るのは、ロビンの妻であるミア。
「お二人はまだバルコニーに」
「そうか」
裏から移動し、そっと様子を窺うつもりで一旦ホールまで出たエルフィンの耳に、飛び込むように聞こえてきたのはヨランダの叫びにも似た声。
「エルフィン様をお慕いしていますので!」
その言葉にエルフィンは膝から崩れ落ちた。
「……あら? 今なにか大きな音がしたけれど」
バルコニーの扉を開ける音に、焦るロビン。
「坊っちゃま、いけません……!(小声)」
咄嗟にエルフィンを蹴り飛ばし、階段横の大きな調度品の影に向かわせる。
「ここは私に!!(小声)」
先導していたミアがしてもいない粗相の謝罪をしに、階段の逆端をわざとらしい早足で登っていった。
素晴らしい夫婦連携プレーである。
「ご歓談の邪魔をしてしまい、申し訳ございません。 粗相を……」
「いいのよ、それより風が冷たくなってきたわ」
こっそりどころか即バレしそうになる中、ロビンとミアのおかげでなんとか誤魔化せたようだ。
「お部屋のご用意が出来ております。 ご案内致しますか?」
階段を登り切ったミアが、チラリと窓越しにヨランダを見る。だがヨランダは、自分で言った発言に顔を真っ赤にしたまま、固まっていた。
「ええ。 またね、ヨランダ♡」
代わりに答えたヴィオラがバルコニーから完全に出た後、その言葉と共に窓を叩くと……ヨランダも膝から崩れ落ちた。
(──あああぁぁぁぁぁぁぁ!!!)
言い様のない恥ずかしさにヨランダは顔を両手で覆い、しゃがみこむ。
バルコニーにはヨランダ。
(やだわ私ったらなんであんな大声で、エルフィン様がいないからいいものの……はあっ?! 別邸というエルフィン様の外堀を埋めてしまったじゃないの!! ああああざとい真似をッ!! 私の馬鹿ァァァ!)
しかも理由に用いる為にちょっと盛った事実が、口にしたことでリアルになっていくのを感じている。
だからこその罪悪感と羞恥なのだ。
ホール階段下には、似たような状態のエルフィン。
(『お慕いしています』?! よもやそんなに慕われていたとは……! ぐうっ! なんだこの胸の高鳴りは……!!)
特に迫られるわけでもなく、なんなら距離があるくらいなのに『好き』と言われてしまい、酷く動揺するエルフィン。
動揺からの鼓動が横滑りして認識され、彼の中に元々あったヨランダへのそれなりの好意は爆上がりしていた。
刺激と変化、それによる認識の妙。
これぞ人体の不思議──恋とは勘違いの塊かもしれない。
「…………初々しいですね」
「甘酢っぱいですわ……」
執事ロビンと、近くにいた古参のメイドが呟く。
もっとふたりが若ければ『可愛らしい』、などとホッコリするだけのその会話に含まれるもの──
((このふたり、大丈夫なのか?))
──それは、一抹の不安。