⑤迷惑な来訪者
「顔をお上げなさい、ヨランダさん」
「は……」
ゆっくりと階段を降り、意外にも柔らかくヨランダに声を掛けた女性。
大粒の真珠が斜めに連なったカチューシャが窓からの光を柔らかく反射させ、美しい顔を幻想的に照らす。
「……!」
それは、ヨランダの予想とは違っていた。
歩く度ふわふわと揺れる、ピンクゴールドの長く豊かな髪……どこか高圧的なものを含む物言いと自信に満ち溢れた姿とは逆に、垂れ目がちな大きなアメジストの瞳はまだあどけなさを孕んでいる。
(隣国の、ヴィオラ王女殿下……!)
慌てて再び淑女の礼を取り、挨拶の口上を述べる。
「ヨランダ・ガードランドでございます。 王女殿下にはご機嫌麗しゅう……遠路はるばるお越し頂き、誠にありがとうございます」
『遠路はるばるありがとう』とは言ったものの、フリッカの別邸に来るのはヨランダだって初めてだ。
もてなそうにも勝手がわからない。
(大体なんでこの人ここにいるの!? ……はっ! まさか私を亡き者にしようと……)
そう、ヴィオラ王女殿下は隣国の姫君。
勿論元・婚約者(仮)である第四王子のイイ女性だ。
わざわざこんなところまで来る用事など、不穏なモノしか思い浮かばない。
「いやね、顔をあげなさいったら」
「は」
「私は貴女とお友達になりにきたのよ?」
「──…………」
再び顔を上げると、不穏な予想に反してにこやかな王女殿下──その表情は、貴族としての実地が足らないヨランダには読めない。
ヴィオラの意図が掴めないヨランダだったが、とりあえずわかったことがひとつだけ。
(空気が重い……!)
別邸家人の視線が痛い。
なんせ、ここは都会といえども辺境伯領。
関係が良くなったとはいえ、つい数年前まで戦っていた相手の王女──家族親戚友人知人が亡くなったり、負傷したであろう別邸使用人の気持ちを考えたら、彼女に悪感情を抱いていても仕方がない。
なのに何故、彼女がここにいることができるのか。
屋敷の主は元・辺境伯夫妻……妻グローリアの居住歴を考えれば、グローリアが女主人だ。
『主の不在』を理由に断ることはできた筈。
(試されているのかしら……それとも殿下が強引に入った?)
辺境伯エルフィンの妻として突然王都からやってきたヨランダもまた、余所者だ。
どちらも考えられるが、予測しようにも王女殿下の御前……周囲の視線は感じても、表情までは見られない。
しかし無情にも、時間は過ぎていく。
(これ以上無言ではいられないわ)
「……過ぎたお言葉に、感無量で言葉もございません。 ですが畏れながら、王女殿下。 ここは私の屋敷ではなく、おもてなしするには少々心許ございません」
とりあえず穏便に帰ってもらいたい──その一心で無理矢理言葉をひねり出した。
しかし
「そう畏まらなくていいわ、ヨランダ。 ゆっくりお話ししましょう」
そう言うと、軽くヨランダにハグをする。
「あ、あの……?!」
「先程のバルコニーに、新しいお茶を」
全く帰る気はないどころか、まるで屋敷の主人であるが如く振る舞い出したヴィオラ。
動揺するヨランダも、家人の視線も意に介さないようだ。
気さくな感じで抱きついてきた彼女に腕を取られてしまったヨランダには、為す術もない。
ヨランダは(意外と小柄……)などと、どうでもいいことを考えつつ、遠い目になるばかり。軽い現実逃避である。
どうするのが正解だったのかわからない。
全くわからない。
ヴィオラが降りてきた中央の階段に面したバルコニー。ヨランダは何故かヴィオラに案内されるかたちで席に着く。
別邸の家人は先に出した茶をそそくさと片付け、新しいものを用意している。
勝手に命令をしたが、その分気さくに礼も言うヴィオラにまだ若い侍女は戸惑いを隠しきれていない。
(困惑気味なのは、私だけじゃないみたいね……)
近いところで控えているのか、侍女や護衛もついてない様子。もしかしたら、それが屋敷に入れる条件だったのかもしれない。
「ヨランダ……知らなかったとはいえ、貴女には迷惑を掛けたようね?」
「え? いえそんな」
(第四王子殿下のこと?)
「不正なお金でのプレゼントなんて、言語道断だわ!」
「はあ……」
(これ、同意したら不敬にならないかしら……)
『女心が云々』などと語るヴィオラに、ヨランダは曖昧に微笑むしかない。
正直、第四王子とは交流どころか面識もないと言っていいくらい。辺境伯領に来てからは忘れていた程にどうでもよく、事実ヨランダはすぐに思い浮かばなかった。
その上『迷惑を掛けた』と彼女に言われることも、やや疑問に感じる。
なんなら『今が一番迷惑』なのだ。
王女殿下相手にそんなこと言えないけれど。
しかし、『一番迷惑な今』は次の発言を以て塗り替えられることとなる。
「だからお別れしてきたの」
「──ッ?!」
危うく茶を吹きそうになった、ヨランダは悪くない。咳き込む彼女に、ヴィオラはのんびりと「あらあら」と言う。
「っお……王女殿下ッ!?」
「でもほら、勝手には戻れないでしょう? せっかく仲良くなった国同士、関係は大事にしたいし」
もう耳を塞ぎたかった。
嫌な予感どころではなく、聞きたくない言葉は確実に続いているのだ。
それで話が終わるなら、彼女はここにいないのだから。
「──それでね、こちらから戻ろうと思って」
案の定、碌でもないことを言い出した。
とても美しい造作のお顔のついた小さな頭を、愛嬌たっぷりに軽く傾げて。