④視線
辺境伯領唯一の都会、西の街フリッカ。
規模こそ小さいが、王都を感じさせる華やかな街だ。
大きな違いはシンボルとなるのが王城ではなく、国境の城壁より小規模な検問の城壁に連なる建物と、その正面に広がる大きな公園。
この建物は辺境伯領騎士団の詰所と拘留所など、幾つかの複合施設。辺境伯領ならではの不穏さと同時に、警備の厳しさを物語っている。
公園では市やチャリティバザーなどのイベントが開かれることが多い。
おのぼりさんの田舎市民やフリッカ市民などの領民、他領から交易に来ている商人などに紛れた犯罪を企む者や不審者は後を絶たず、そういった輩を一旦拘留するのに大変合理的な仕様となっている。
フリッカに着くとふたりはすぐ馬車を降りた。尻は痛いが、それが理由ではない。
エルフィンはヨランダを伴い街ブラをする予定でいる。その為予め着ているのは平民のような服だが、馬車が目立つから先に別邸へと向かわせるのだ。
ここの城壁は、貴人であるふたりが秘密裏に街に出るのにもうってつけである。
城壁内でエルフィンは髪を上に括り、眼帯を覆うように異国の大きなバンダナを頭の後ろで結ぶ。その上から辺境伯軍正規兵のローブを纏うと、フードを深く被った。
(なんてエキゾチックなの……!! しかもワイルド!!)
流石に辺境伯閣下には見えないかもしれないが、これはこれで目立つのではないだろうか。顔を隠しても健在のイケメンぶり。醸すオーラが違う。
(それにひきかえ私ったら……ハッ?!)
一方のヨランダはというと……完全に平民である。
オーラもへったくれもないものだが、敢えていうならばまごうかたなき『群衆オーラ』。
人混みに紛れたら見つけてもらえなくなる可能性を感じ、ヨランダは戦慄した。
(そうしたら、ここに戻るしかないじゃない……!)
『迷子になっちゃった辺境伯夫人』というだけでも相当恥ずかしいのに、多分迎えが来るまで信じて貰えないことを考えると、想像だけで恥ずか死ぬ案件である。
「エルフィン様! 不躾ですがどうかお手を……!!」
「……!」
『旅の恥はかき捨て』というが、ヨランダにとっては割と死活問題。
恥も臆面も先程の想像を鑑みたら、はぐれないように手繋ぎを頼むことへの羞恥など、ないも同然。
はるかにマシである。
(ふ……やはりなんだかんだ言っても私の行動は間違っていなかった……ということか。 尻の痛みに耐えた甲斐はあったようだ)
そしてエルフィンは、急に積極的になったヨランダの行動をなかなかポジティヴに捉えた様子。
意外にも順調にスタートした、ふたりの『手繋ぎ街ブラデート』。
そして更に意外なことに、ふたりは穏やかに距離を縮めつつあった。
露店のオッサンにからかわれたり、エルフィンが人波からヨランダを守ったりしているうちに、ふたりの互いに対する緊張が少し解れたようだ。
そんな中でのこと。
「──?」
「どうされました?」
「いや……」
雑踏の中、某かの強い視線を感じエルフィンは軽く振り返ると、さり気ない仕草で再び歩き出した。
(間違いない……つけられている)
護衛を付けないで歩いてはいるが、それはそこここに警備兵がいるからだ。
エルフィンのお忍びのことは伝わっているので、実質護衛がいるのとあまり変わりがない。何度もここに視察に来ているエルフィンは辺境伯領フリッカ警備兵達にもそれなりに詳しく、特に今回行動範囲内にいるのは、信頼のおける隊ばかり。
今までのここでの有事の際も、警備兵に紛れて『辺境伯軍正規兵』として自らも目立たず戦うことができた。
だが、今日はヨランダがいる。
勿論そのことで警備兵側とはいつも以上にしっかり連携を取っており、何かあった場合にヨランダを避難させる場所もいくつか用意してある。
任せるのに問題はないのだが……
「?」
「……」
なんとなく、繋いだ手を離したくない。
それは名残惜しさとか、そういうものではなく。
人が増えると少し緊張し、握る手の力がやや強まることで彼女の不安を察していたからだ。
ポジティヴな想像とは違えど、頼ってくれたことを嬉しく感じている。それを裏切りたくない。
──不審者を見付けるのを優先すべきか否か。
(……馬鹿なことを)
答えは決まっている。
ヨランダの安全が一番だ。
エルフィンは警備兵に目配せをすると、ヨランダに声を掛けて工房を兼ねた雑貨屋に入った。
この店は引退した騎士が営む店で、「工房見学だ」とエルフィンが言うのが合図で馬車を呼ぶ手筈になっている。
ここならヨランダや周囲に悟られず、自然に裏手に回ることが出来る。
「工房見学ですか?」
「ああ。 少し用事ができた。 店主の指示に従ってくれ」
「……畏まりました」
どうやらなにかあったと察したらしく、ヨランダは表情を僅かに強ばらせる。
それにエルフィンは少し笑った。
(信頼というにはまだ足らないが、今は充分だ)
ヨランダが彼に合わせてくれるのはエルフィンにとって、とても有難いことだ。
ふたりの気持ちはまだどちらも弱いだけに、一人分では足りないのだから。
(なにかあったみたいだけど……私に出来ることはきっとないのね……)
察して問わずに引き下がること。
それが一番ここ、ガードランド辺境伯領の当主夫人として相応しい行動であることを理解していないヨランダは、静かに嘆息した。
「奥様……そんなに心配なさらなくても。 閣下はお強いですし」
「え、ええ……」
(前から思っていたけど、こちらの人とは感覚に微妙なズレがあるのよね……)
ガードランドは国の創立時から最も戦の多い地域であり、その土地柄からかエルフィンに限らず男性は『偏屈なフェミニスト』が多い。
女性を大事にするが故、なにもさせないのだ──特に大切な女性には。
個人個人の資質や性格もあるのでパターンは様々。『偏屈なフェミニスト』の中にはフレデリカの夫のようなのも含まれる。
真逆のようでいて、実のところ行動原理はそう大差ないのである。
己の不甲斐なさを感じつつ、辺境伯別邸へと無事に馬車で送られたヨランダ。
モブい自分一人なので少々不安だったものの先に着いていたフローラが真っ先に駆け付けてくれたこともあり、ズラリと並んで出迎えてくれた家人にも怯まず挨拶をすることができた。
(ふう……なんとか体裁を保つことができたわ……)
──と、安堵したのも束の間。
「遅いじゃないの」
ホールの中央階段から降り注ぐ声。
大きな格子窓からの逆光で相手が誰かまではわからないが……誰も咎めない文字通り上からの発言に、ヨランダは淑女の礼をとり相手からの声掛けを待った。
(まさか……この方は?!)