②愚者の贈り物
──そして、奮起したヨランダの方はというと。
「なにもやることはないの……?!」
新たなる驚愕の事実に、折角珍しく出したやる気は行き場を無くしていた。
辺境伯夫人は、特にやることがなかったのである。
強いて言うならいわゆる慈善活動くらいらしいのだが、『それは婚姻の儀を迎えた後の方がいい』とのこと。
つまり、今やることは本当になにもない。
「その……奥様は夜会やパーティをお望みでらっしゃいます?」
フローラが何故か遠慮がちにそう尋ねる。
「いいえ? ……ただ」
どちらかというともなにもなく、本当はやりたくない。夜会も茶会も知識しかなく、主催者は勿論、客すら実地経験は皆無なのだ。
だからやりたくない。
その一方で、なるべく早目に少し経験をしておいた方がいいとは思う。
やりたくはないけれど。
できればエルフィンだけでなく辺境伯邸家人にもよく思われたいヨランダは、それをフローラに言うか迷った。
教わった貴族淑女の心得に則すならば、辺境伯夫人として相応しい振る舞いをするべきであり、『実はそういう経験ないんです~』とは下の者に軽々に言うべきではない。
だが結局、少し悩んだあとで貴族の云々などアッサリ捨て、暗に助言を求めるという選択をした。
「私もなにかお役に立ちたくて……でも貴族としては、王都で教わったことしか知らないの。 その……経験も乏しいし」
そもそも自分はインチキ貴族であり、ベースが辺境伯夫人として相応しくなんかないのだ。
王子の仮初の婚約者になったおかげで一通りのことは身に付いたが、そうでなければ貴族淑女としても『ギリ及第レベル』のマナーしか持ち合わせていなかっただろう。
ここに来て大切に扱われているのは、おそらく『エルフィンの思い出の少女』だから。
子作り以外は特に期待などされてはいないに違いない──ならば、徒に虚勢を張る理由はない。
今後を考えたら尚のこと。
だが、それに対するフローラの反応は、想定していないものだった。
「そう…………ですか」
「? フローラ?」
「い、いえ! 失礼致しました!!」
(? どうしたのかしら)
なんだか妙な表情と間だったものの、それに対してヨランダがなにかを言うよりも早くフローラはいつもの彼女に戻ってしまい、なんとなくその話はそこで終了。『辺境伯夫人として云々』も一旦有耶無耶になった。
そして『夫人』という地位的な方が無理ならば、『妻』という立場的な方で……と思えど、上手くいかず。
(はああぁぁ今日も麗しすぎるわぁ……!)
あの日以来、ヨランダはエルフィンの顔すらマトモに見れなくなっていた。
エルフィンの方も、それまでは嫌味を言うにせよなにかと絡んでくれていたのに、急に素っ気なくなった気がする。
勿論忙しいのもあるが、それにしてもそれはあまりに不自然な程──
(……そう感じるのは私だけなのかしら)
娶られる経緯を知ってしまったことで抱いた罪悪感や諸々から、最早それすらもよくわからない。
使用人達は皆優しいので客観的意見は期待できず、また『思い出の少女が自分じゃない』等とは口が裂けても言えないので、相談できる相手もいないのがキツい。
(悩んでいても仕方ないわ……)
結果、色々考えた末ヨランダは、ハンカチに刺繍をすることにした。
「奥様、素晴らしいです!」
「ありがとうフローラ。 良かったら皆で使って頂戴、沢山あるから」
「よろしいのですか? 旦那様には?」
「とっておきを作るつもりでいるの。 でも図案がなかなか決まらなくて……だからエルフィン様には秘密にしてね」
体のいい言い訳をしているが、エルフィンに贈るつもりはまだない。
これは、自分に対する彼の言動への客観的な判断ができなくなったことによる。
もし本当に素っ気なくなったのであれば、自分が『思い出の少女』ではない、と気付かれた可能性が高い。
ただし『神殿に行く』発言などから、今のところ妻が自分であることに異議はない様子である。
それをふまえると、そもそも最初から思い出の少女ではないことにエルフィンが気付いていた、という可能性もある。
それはある意味正解と言えなくもない。
だがヨランダの想定した内容は、当然ながら大分前提が間違っており、そこから引き出す答えは全く別物になっていた。
(もし最初に私の姿を見た時からわかっていたのだとしたら、それまでのエルフィン様の微妙な態度も理解できる気がするもの……)
──これである。
エルフィンを優しいと感じているだけに、彼のツンデレ的な態度をヨランダは『間違って選んでしまったことへの葛藤』なのでは、と考えてしまっていた。
確かに
『間違って指名したことへの罪悪感から優しくしなければならないと思えど、顔を見るとつい嫌味も出てしまう』
エルフィンの口調や態度は、そんな解釈にも取れないことはない。
ヨランダの想像は現実とは違えど、残念なことにイイ感じに符合してしまっていた。
そしてその場合、ハンカチを贈ったら逆に状況は悪くなるだろう。
なので、コレはあくまでも『旦那様に贈る練習用』という名目で、周囲への『思い出の少女』アピールなのだった。
とてもあざとい。
エルフィンにせよ、ヨランダにせよ、贈り物への下心が凄い。
相手のことを考えてする、真心の贈り物を『賢者の贈り物』というなら、ふたりのは間違いなく『愚者の贈り物』であると言える。
「そういうことでしたら、ローランド様には奥様からお渡しされてはいかがです? 旦那様の好みもご存知かと」
ヨランダはフローラのアドバイスに従い、ローランドには彼女と一緒に自ら渡しに行くことにした。
なにしろ彼はエルフィンの実の弟であり家令……『思い出の少女』アピールを一番すべき相手である。
それに、このところの自身のエルフィンに対する態度も褒められたものではなかった。
そのあたりの誤解をされそうな部分もフォローできるというメリットだらけ。
「──よかった、旦那様を嫌ってしまわれたのかと」
案の定、ローランドは誤解していた様子。
「そんな! あんなによくして頂いて、エルフィン様を嫌いにだなんてなりませんわ。 ただ、その……まだ慣れないだけで」
「ああ、成程」
「やはり少々威圧感がありますもんねぇ」などと勝手に納得したローランドには、ヨランダが慣れないのはここでのいい生活と、エルフィンの顔面であることは黙っておいた。
エルフィンの好みなど、二、三会話をした後で、ローランドからも話があると言われる。
「──えっ……?! りょ、旅行ですか?」
「ええ」
それは勿論、ふたりの新婚旅行について。
曰く、『奥様と交流を深めたい』『その為に仕事に集中していた』そう。
兄思いのローランドも、そのあたりのアピールを欠かさない。
「まあ……」
(やはり気付いていないのかしら? それとも気付いていても、心を砕いてくださっているのかしら……)
どちらであれその気持ちが嬉しくて、心が踊る。
面映ゆさにヨランダは頬を赤らめた。
それに微笑ましさと安堵を感じながら、ローランドは受け取ったハンカチの礼を述べる。
「こちら、有難く頂戴致します。 大切に使わせて頂きますね」
──それを、陰で見ている男がいた。
(ま……まさか……! ふたりは!!)
勿論エルフィンである。
お約束的にいかにも勘違いしそうなシーンのみ見てしまった彼が、予想通りに勘違いするのもまた、お約束なのであった。
相手がローランドだけに、その誤解は一応すぐに解けるのだが……このことが後に地味に響いてくる。
そんな前途多難さを醸す、旅行前。
それはまさにフラグとしか言い様がなく、前途多難な旅行がじき、幕を開けるのである。