彼はぼやぼやしている
軽い前髪を風に悪戯されるのを直すわけでもなく、左手をぶらんと下げて、俊輔はぼーっとしていた。
右手に持ったソフトクリームが今にも滴りそうだったので、あたしは溜め息混じりに教えてあげる。
「それ」
「ん?」
「ズボンに垂れちゃうよ」
「ああっ!」
あたしが見ていられなくて、遠くのほうへ目を移すと、遊園地は色んな家族で溢れていた。とても頼り甲斐のありそうな、黄色いポロシャツ姿の逞しいお父さんが3歳ぐらいの男の子を肩車しながら歩いているのが目に留まる。ちっちゃな奥さんはとても幸せそうな笑顔で腰のあたりにくっついていて、そんなに良くもない天気の下、一点の曇りもない青空がそこにあるように見えた。
本当に俊輔で良かったのだろうか。ソフトクリームのコーンをだらしなくペロペロと舐めている彼をチラリと見る。あたしは結婚ごっこをするわけではないのだ。一生のチームを組んで共に生活を闘い抜くための片割れは、本当にこの人でいいのか。これは気の迷いではないのか。人生で一番の底にいた時にたまたま出会い、あたしの気を楽にしてくれた。それで夢を見ちゃったのではないか。そして今、それが段々と覚めている。
あたしには覚悟がある。少女の頃からずっと好きだった漫画本収集も、大学生の頃から始まった海外旅行の楽しみも、最近ハマりつつあった3D映画の観賞も、すべてやめた。服だってこれからはリサイクルショップでしか買わない決意をしている。俊輔は、趣味のゲーム収集をやめてくれるのだろうか。
「バイキング乗ってみようよ」
彼はそう言いながら先を歩いて行く。
「……うん」
あたしは微笑んでうなずいて見せ、彼が前を向くと笑顔を消した。
あまりにも楽しそうに、まるで散歩中の犬みたいに、前しか見えていないように先を歩いて行く。
今、後ろをついて歩いているあたしが倒れても、きっとこの人は気づきもせずに先を歩いて行くのだろうと思えた。そんな確信がした。
あたしが倒れて頬を小石で擦り剥いて、誰かに踏まれてから気づいたって遅いんだよ?
わかってる?
そう思ったら、本当に頭がくらくらして、目の前が見えなくなった。
あたしは立っていられなくなり、足が崩れて、左向きに身体が倒れ、
「心菜!?」
倒れる前に抱き止めてくれる腕があった。
目を開けると俊輔の顔が目の前にあった。
「大丈夫か!? 急にどうした!?」
あたしが死んでしまうんじゃないかと心配するように覗き込んで来る俊輔に、あたしは少しだけ曇り空が晴れたような気がして、目を細めて微笑んだ。
「ううん。大丈夫。ちょっと目眩がしただけ」
「歩けるか? 肩に掴まれ。医務室連れて行こうか? なんならもう帰ったほうがいいんじゃ……」
「大丈夫、大丈夫。たまによくあることだから。自分でわかってる」
あたしは嘘をつくと、ちょっとだけ王子様みたいな彼の肩を借りて、わざとフラフラと歩いた。
すぐに元通りの元気になってみせると、俊輔は安心したようだ。
「俊くん。バイキング、乗ろうよ」
「本当に大丈夫か? 無理はするなよ?」
「大丈夫だって。楽しもうよ」
「よーし。じゃ、一番後ろ乗ろうぜ!」
俊輔はあたしの手をしっかりと握り、並んで歩いてくれた。
帰りの車は俊輔が運転した。あたしは助手席で、口数の少ない彼と2人で黙りながら、でも機嫌はよくて、夜の田舎町に並ぶ店の明かりを眺めながら、ジョビンのボサノバを鼻唄で口ずさんでいた。
帰りにいつもの『すたみな次郎』でごはんを食べようという話になっていた。結婚したら外食なんてきっと出来なくなる。今のうちにたくさん食べておこう。
食べ放題と書かれた赤い看板が見えて来た。何食べようかな。最近エスカルゴの蒸し焼きが新メニューで加わってたはず。
ここでちょっと不安になって来たので彼に注意を促す。
「あそこだよ? あの看板だよ? わかってる? わかってる?」
「わーってるよ」
俊輔はあたしのいつもの心配にうんざりしたような笑い声で答えた。
「ちょっとは俺を信じろよ」
「ちょっ……! ウィンカーは!?」
入口はもう30m先を切っているのに俊輔がウィンカーを出していないので、あたしは声を荒らげて叫んだ。
「大丈夫だってぇ〜」
俊輔は笑う。
俊輔が急ブレーキを踏んだ。入口の前を通り越して。後ろの車があわや追突しかけて、なんとか停まってくれた。
あたしは息を荒くして、無言でまじまじと俊輔の顔を見つめる。
「あははっ」
彼は明るく笑いながら、頭を掻いた。
「入口間違えてた! もっと向こうかと……」
後ろの車が長々とクラクションを鳴らして来た。
あたしはその場でフラフラとなり、意識を失って、車の背もたれに倒れた。瞼の裏が、やたら青かった。