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凍てつく心の魔剣ー6

 日が暮れた。


 そろそろホアイヤも出ていっただろうと考え、イコリスは家に戻ることにした。


 ホアイヤが暖を取るための薪を集めるため、しばしば家を離れたことはあったが、その時はこれほど帰る足取りは重くなかったと彼は思った。


 星もなく、暗い夜道を歩いていると、彼方に明かりが見えた。一瞬、彼はどきっとした。ホアイヤの魔法だと考えたのだ。しかし、すぐに違うと気がついた。


 その明かりは速度を持ち、彼めがけて迫っていたからだった。


 とっさに身をかわすと、背後の木にその光はぶつかり爆ぜた。木はたちまちにして燃え上がり、目がつぶれそうなほどまぶしい炎を立ち上らせた。


「おいおい、やっぱりいるじゃねえかよ!」


 光が放たれた方向から男の声がした。どうやら傍らにいるもう1人に話しかけているらしかった。


「わざわざこんな田舎まで来た甲斐があったってもんだよなあ、まったくなあ!」


 もう一つの、これもまた男の声が聞こえた。その方向からも炎が放たれ、イコリスの周囲をとぐろを巻くように囲んだ。


「こんなガキに何人もやられたってのか? ウィザーズの恥晒しどもめ……」


 2人が近づいてきて、イコリスにもその全貌がつかめた。炎に照らし出された彼らは、黒いローブで全身を覆っていた。


 イコリスが散々研究城で見た、研究員たちが着ていたのと同じものだった。さらに、彼が村へ戻る前に襲いかかってきた刺客の装衣とも同じだった。


「さてさて、早速こいつを生け捕りにしておれたちも大出世アアアッッ!!!」


 彼らはようやく、自分の体の八割が氷に固められていることに気づいたようだった。もはやイコリスを囲んでいた炎も消え、燃える木も延焼する前に彼の冷気によって消し止められていた。


「くっそ、くっそ、これかよ!」


 男はうめいた。


「こいつでみんなやられたんだな!」


 もうひとりの男も叫んだ。


 村にたどり着いてから襲われたのは初めてだったので、そのことだけが多少イコリスを驚かせはしたが、相変わらず他愛もない刺客だったため、さっさと氷漬けにしてしまおうと彼は考えた。しかし男の言葉に、彼の思考は止まった。


「あの小娘、やっぱりおれたちを騙して……ひっ!」

 

 イコリスの魔剣が、男の喉元に突きつけられていた。直接肌に触れずとも、その刀身から発される冷気は、まるで炎に焼かれるように感じられたはずである。


「ホアイヤを……どうしたんだ」


 イコリスは言った。


「あ、あの娘のことか? あんな氷の家にいたからな、お前のことを知ってるだろうと脅したが、いくら脅しても何も答えないから……」


 男はそれ以上言えなかった。イコリスの感情の変化を反映した魔剣が急速にその冷度を増し、全身を霜と氷に固められてしまったのだった。


 もう一方の男にイコリスが目を向けると、男は身震いして命乞いを初めた。


「お、おれはやめろと言ったんだよ! だけどこいつが、おれたちのことを知られたのはまずいっつって、それで……」


 その男も、もはや物言わぬ氷の彫像と化した。


 イコリスは、家を目指して駆け出した。


 引きちぎるように足を動かして家にたどり着くと、そこでイコリスは、もう一歩も動けなくなった。


 信じがたい光景を目の前にして。


 ホアイヤが、部屋の真ん中で倒れていたのだった。まるで出発の準備はされていなかった。傍らには、火にかけられた薬の大鍋がそのままにしてあった。


 その火に照らされて、倒れたホアイヤの周りに溜まった、赤い色の液体が見えた。


 研究城でありとあらゆる残虐をつぶさに見たはずのイコリスだったが、これほど心をえぐられたのは初めてだった。


「ホアイヤ」


 イコリスは、やっとそれだけを言った。本当は、もっとたくさん言いたいことあったはずなのだが。

 

 悪かった、と言いたかった。本当は薬の完成が自分も楽しみだった、きみと一緒に大学に行くのも悪くないと思っていたと言いたかった。


 自分を殺すために送り込まれたはずの刺客のせいで、こんな目に遭わせてしまって、本当にすまない。そう言いたかった。


 しかし、何一つ彼は言えないのだった。


「イコリス」


 ささやくような声が聞こえた。イコリスは静かにホアイヤの顔の側まで行き、血溜まりの中にひざまずいた。


「わたし、薬を作るの、絶対にやめないからね」


「ああ」


 イコリスはそう言ってうなずくことしかできなかった。


「でもね」


 ホアイヤは絞り出すような声で言った。


「ほんとは、別に、薬ができなくても、今のままでも、イコリスはいいんじゃないかって、そう思うようになったんだよ」


 ホアイヤは微笑んだ。いつもと変わらない顔だった。


「ただ、一緒に、大学に行きたくて……」


 そこで言葉を切り、咳き込んだ。血のしずくが飛び、イコリスの頬に付いた。


「体がどんなに冷たくても、心はそうじゃないって、初めから、わかってたから……」


 ホアイヤは最後にそう言って、静かに目を閉じた。まだかすかに息はあったが、それも間もなくついえてしまうことは確かだった。


 ちがう! と、イコリスは強く思った。自分は心まで氷のようで、だからあんな魔剣が作れたし、何人もの刺客を躊躇なく氷漬けにしてしまえた。


 村まで来られたのも復讐のことだけを考えていたからだし、焼き払われているのを知っても、何も感じなかった。


 自分をいじめる仲間に加わらなかったホアイヤと再会しても、何一つ優しい言葉を口にできなかった。


 ただ素直に感謝すればよかったのに、無理やり傷つけるようなことを言って、ホアイヤを遠ざけようとした。


 心臓にまで氷が張っている!


 そのはずなのに……


 ぽたり。


 ホアイヤの頬に、一滴のしずくがこぼれ落ちた。


 それはイコリスの涙――ではなかった。


 後悔にとらわれていたイコリスの耳にも、激しく滴り落ちる水の音が次第に聞こえてきた。イコリスは、上を見上げた。


 そこには、いつの間にか星が姿を現した、澄み切った夜空でいっぱいだった。


 屋根を覆う氷は、すべて水と化していた。


 ぼん!


 軽い爆発音と共に、火にかけられていた大鍋が弾け飛び、まっすぐにイコリスの手に飛び込んだ。


 鍋の中身は、今までに見たことがないほど赤々として、みなぎるほどに煮えたぎっていた。


 イコリスはさんざんホアイヤから聞かされていた話を思い出した。


「血のように真っ赤な色! 最後の材料を入れた途端、薬の色が真っ赤になって、そうすれば見事完成ってわけよ!」


「それを飲むとどうなるんだっけ?」


「あなたが飲んだなら、きっと冷たい血も熱されて、人並みくらいの体温になるはず。常人が飲んだら……全身の血が沸騰して……まあ……死ぬでしょうね」


 その後、付け足すように彼女はああ言ったはずだ。


「死にかけでもない限り」

 

 イコリスはあたりをかき回し、ホアイヤが使っていたろうとを見つけ出した。無我夢中でその先をホアイヤの口に突っ込むと、ゆっくりと、興奮と期待と不安に震える手を必死で抑えつつ、ついに最後の材料が加わり完成した薬“血の沸騰”を、そうっと注ぎ込んだ。


 薬を飲ませて、しばらくしても何も起こらなかった。徐々に復活した失望と絶望が、再びイコリスをうなだれさせた。


 その首を、誰かの手が強くつかんで引っ張った。


 ホアイヤだった。


 驚愕に見開かれたイコリスの目の前で、ホアイヤは赤い顔をして、にこりと笑いかけると、


「飲ませすぎよ」


 それだけ言うと、頭から湯気を出してまた気絶した。


□ □ □ □ □ □ □


「ああっ! もう絶対間に合わない!」


 ホアイヤは絶望的な声で言った。時間通りに大学に戻るためには、2日も前に出発していなければならないはずだった。


「なんで起こしてくれなかったのよっ!」


 そういって小突かれても、イコリスは知らん顔をしている。


「火みたいな熱を出して寝込んでたのに、起こせるわけないだろ」


「だいたいなんで大鍋の薬を丸ごと飲ませたのさ! 限度ってもんがあるでしょーよ」


「わからなかったんだよ。それに、どうしても死なせたくなかったしな」


「あ」


 ホアイヤは口ごもった。


「う、うん。そうね。適量のことを教えなかったのはわたしの責任だし……いや、そんなことよりも!」


 そしてまたホアイヤは絶対に初回の授業日に間に合わないことを嘆き始めた。


「よりによって休み明け一発目が『基礎錬金術』なんだから! あれ一回でも欠席すると落第確定だし、あれは必須単位に組み込まれてるから落第すると留年確定だし、すると優等生の優遇措置も取り消されちゃうし」


「どんな優遇措置があるの」


 イコリスは気になって訊ねた。


「おかわり自由」


「大したことないな」


「はあ? 血のにじむような思いで勝ち取ったおかわり自由の権利を、むざむざと遅刻なんかで奪われるわけには」


「わかった! わかったよ、要するに遅れなければいいんだろ」


「そ、そうだけど」


「大学はどっちの方角にある」


「あっちだけど」


「忘れ物はないよな?」


「多分だけど」


 ホアイヤが指し示した方角に向かって2人で立つと、イコリスはホアイヤの手を取った。


「え、え、何?」


 ホアイヤは戸惑った。


「ちょっと寒くなるぞ」


「説明になってないよ!」


 猛烈な風が次元の隙間から呼び寄せられ、手を取り合った2人を高く天空へと舞い上げた。


「うわっ!」


 これはイコリスの声だった。


「自分で呼んだ風でしょうが……あはは!」


 ホアイヤも息をつまらせながら、しかし笑い出した。


「そうだけど……く、くくく!」


 イコリスもつられて笑い出した。


 笑い声も乗せて、2人はどこまでも高く登っていった。とうとう雲に触れるか触れないかというところまで登ってきたところで、イコリスは第二の魔法を唱えた。


 陽の光を受けてきらめく、半透明の氷のスローブが、数メートル分空中に出現した。


 つるりとスローブは2人を受け止め、弾丸のような速度で下へと押し出した。途切れるかと思えば、また新たなに氷の道が出現し、それの繰り返しで、無限に2人は空中を滑走していった。


「は、はあ」


 ホアイヤはもはや驚くというより、呆れた様子だった。


「自信なくしちゃうよ。何をどうしたらこんなことができるのさ?」


「おれはきみの魔法のほうが不思議なんだけど、どうやったら炎なんか出せるのさ?」


「どうって、こうよ」


 ホアイヤは指を鳴らした。ぽっと小さな炎がその爪先に灯った。


「こ、こう?」


 イコリスも真似して指を鳴らしてみた。するとパチパチという音を立てて、黒い煙が指の周りに立ち込めた。


 興味津々でホアイヤがそれに指を突っ込もうとすると、たちまち稲妻がその黒雲から発射されて、危うく感電したままスローブから落ちそうになった。


「見よう見まねでやるもんじゃない」


 イコリスは自らを戒めるように言った。


「こ、こういうことも含めて、大学で勉強し、したらら、いいんじゃない」


 まだ痺れが残る舌で、ホアイヤは言った。しかしにわかに元気を取り戻すと、


「あれが!」


 と、眼下に向かって指を突き出した。


 天高く突く尖塔をいくつも備え、鏡のような水をたたえた湖の中心に浮かぶ巨大な城が、そこにはあった。


 これがイコリスの入る大学だった。

 

<凍てつく心の魔剣>

 生まれつき体温がなかった、ある少年の心から生じた氷より研がれし魔剣。槍のように鋭利な氷柱状の魔剣で、膨大な冷気の魔力を秘めている。いかなる高熱にもその氷が鈍ることはなく、逆に跳ね返してしまう。魔剣を生み出した少年自身が類まれな才覚を秘めていたこともあって、まさしく無双の威力を発揮した。その力は最終的にある悪名高い魔術師ギルドを崩壊に追いやったほどであった。

 今ではこの剣は跡形もなく溶けてしまい、もう無いという。

 


 

 ここまで読んでくださり本当にありがとうございました。

 ページ下部より評価していただければ、作者の生きる希望がちょっと増えます。

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