ねこねこパラダイス
「にゃあ」
何処からか猫の鳴き声が聞こえる。
大方、近所の公園やら家やらからだろう。
いちいち気に留める必要などないのだが、今日は何故か耳に入ってきた。
それよりも……
「明日は入学式か……」
ため息をつく。胸なんて躍らない。
だって今年から二年生なのだから。入学式には在校生として出席しなくてはならないのだ。
夜の闇に同調するように考えも暗く淀む。
流石の不良でもサボる事は許されない大事な学校行事。
――ただ退屈なだけの学校行事。そこで起こる出来事によってこれからの人生に大きな変化が生まれるのだが、この時の少女はまだ知る由もなかった。
藤村レオン。現在高二の不良少女。陽に照らされてキラキラ輝く外国人のような金髪とフジの花のような薄紫色の目をした、不良という点を除けばごく普通の少女だ。
あとは、右目を覆い隠す包帯を巻いていて、その包帯を更に隠す長い前髪が特徴である。
その少女は男勝りな性格と男みたいな言葉遣いと短い髪をしているので、男と間違われやすいがれっきとした女である。
その少女……もとい、レオンは坂道を歩いていた。
少し気だるそうに、ブレザーのポケットに手を突っ込みながら学校へと向かっている。
朝日を鬱陶しそうに睨みながら周りの人を威圧しながら進む。
――ドンッ。
「いってぇ……」
曲がり角を曲がろうとしたら何かにぶつかった。
レオンは普通に歩いていたが、向こうが急いでいるのか走っていたのだろう。勢いよくぶつかった弾みでレオンは尻餅をつく。
「おい! てめぇ!!」
お尻をさすりながら、細い目を更に細めて転ばされた相手を睨みつける。
相手はレオンの叫びと睨みに怯えているのか、真冬の外に半袖で出ているように体を震わせている。
「ご、ごめんなさいっ……!」
声も震えている。そしてその目には涙を浮かべている。
レオンはそれを気に留めるでもなくゆっくりと立ち上がる。
レオンは改めて相手を見た。と言うより睨みつけた。
ミディアムの白髪に毛先の方に向かって赤のグラデーションがかけられていて、全てを見透かすような黒の目をしている。
華奢な体つきをしていて、背はレオンより少し低めで、恐らく年下だろう。
年下の――“女の子”なのだろう。
「ふん、よかったな。女に生まれて」
男だったら速攻殴りにかかっている所だった。
レオンは颯爽とその場を立ち去る。
相手は何か言いたそうに口をぱくぱくさせていたけど、ついにその口から言葉が出てくることはなかった。
☆ ☆ ☆
「うげ、またお前とクラス一緒なのかよ……」
レオンの学校では入学式と同時にクラス替えの発表があるのだが、とある人物とまたもや一緒のクラスになってしまい、それがとても嫌そうだった。
「“うげ”ってなによぉ……そんなに私と同じクラスが嫌なのぉ?」
「だって、てめぇいっつも男の臭いがすんだもん……嫌ったらねぇわ」
「えー、ひどぉい。これでもヤった後はちゃんと体洗ってるんだけどなぁ~」
「生々しい話してんじゃねーよ……」
このクソビッチ……もとい、レオンと話しているこの少女の名は星野ミワ。
明るい茶色のふわっふわな髪(染めている&パーマをかけている)に空をまるごと閉じ込めたような澄んだ空色の目をしていてピンクの唇をしている。
そして、いかにも男ウケしそうないやらしい体つきをしている。ブラウスのボタンも第二まで開けているし、スカートもパンツが見えそうなぐらいの丈だ。
うちの校則がいかに緩いとはいえ、いくら何でもやりすぎなのではとレオンは思う。
「あ、ねぇ。一年生の教室見に行かない?」
「なんだよ、突然……」
「年下も食べてみたくてぇ……」
と、ミワが舌なめずりをする。獲物を狩るような鋭い目つきにもなった。
レオンは「程々にしろよ……」と仕方なさそうにミワの後に続いた。
☆ ☆ ☆
「おい! あのレオン先輩たちがこっちに来るぞ!」
「嘘だろ!? 帰りてぇ……」
レオンは学校では有名な人物であった。
悪い方の意味で有名――すなわち、“不良”としてのレオンのあまりに横暴な態度が一年生にまで伝わっているのだ。
「やっほぉ~♪ さぁて、私好みの子はいるかなぁ?」
ものすごく可愛らしい声のトーンでミワが一年生の教室に入る。
レオンは教室のドア付近で腕組みをしながらドアにもたれかかってミワの様子を見ているだけだ。
「あは♪ この子かぁわいい♪」
「え……? あ、あのっ……」
ミワが目を輝かせて獲物の腕を掴むとレオンのそばへと駆け寄った。
レオンはその少年に見覚えがあった。レオンにとってそれは少年と言うより、“少女”だった。
つまり――
「お前、どっかで会ったような……?」
「ひっ……! ごめんなさいっ!」
その少年は声も顔も中性的だったがどっちかと言うと女よりだったのでレオンは女だと勘違いしていた、朝に出会った“男の子”のようだ。
「ん? 君たち面識あるのぉ? 知り合い?」
「いや、知り合いっつーか……」
なんと言えば良いのか分からない。レオンは思った。
それもそのはず、今朝ぶつかった人が同じ学校で、しかも女だと思ってたのに男だったとあっては混乱してしまうのは当然の事だ。
「あ、あの……今朝はすみませんでした……しかも誤解を与えたままお別れしてしまい……なんとお詫びすればいいのか……」
少女……いや、少年はそう言いながら頭を下げた。全身が震えていて、顔も青ざめている事だろう。
絶対絶命のピンチに見えた。しかし――
「あー……いや、別に……忘れてたし……」
「レオンって忘れっぽいもんね~」
「うっせ」
レオンは気まずそうに顔を人差し指でポリポリと掻くと、ミワがあははと笑いながら言う。するとレオンがミワの頭を軽くコツンと叩く。
「……え? え?」
少年は何が何だかと言う顔をした。……無理もない。
今朝は獅子の怒りの如く今にも殺されそうな雰囲気を纏っていたレオンが、今は兄弟や仲間とじゃれ合う無邪気な猫のように見えたからだ。
「ところでぇ、君の名前はぁ?」
レオンとじゃれ合っていたはずのミワが少年に突然質問をした。
蚊帳の外だった少年は突然質問を投げかけられたので一瞬戸惑ったが、もう考えるだけ無駄だと悟ったのか、息を整えながら答えた。
「和泉シュウです……」
「へぇ~、可愛い名前してるねぇ」
ミワは少年……シュウが気に入ったらしく、目にハートマークを付けてシュウを見ている。
頬を赤く染めて、いかにも“恋してます”感を出している。
ミワは一目惚れの演技が上手い。出会って間もない他校の男子を即落とした事がある。
豊満な胸を見せつけるかのようにしてシュウの顔より下になるように屈み、上目遣いでシュウを見る。
「あ、あの……」
肝心のシュウはと言うと……青ざめた顔で笑顔が引きつっている。
「あれ……私、失敗しちゃった……?」
はぁ……とレオンはため息をつく。いかにもウブそうな男子相手にこれはないだろうと思った。
レオンに男性経験はない。しかし、それでもミワがハニートラップを使いすぎたという事は分かった。
「お前、程々にしろって言ったよな?」
「え、えへへ……つい……」
レオンが呆れた顔でミワを責める。当のミワは一応は悪びれた様子をしているが、形だけのものだろうとレオンは思う。
「あ、あの……お二人は何をしに……?」
シュウはやっと聞きたい事が聞けたと言う顔をしていた。
その問いにレオンが答える。
「何って……ミワの餌を探しに?」
「少しは言葉を選んでよぉ!」
レオンの答えに突っ込むミワ。それを鬱陶しそうな顔でレオンがミワを見る。
「だって事実だろ」
「事実だけれども!」
事実なんだ……とシュウは小声で呟いた。
ミワがシュウの視線にハッと気づき、慌てて弁明をする。
「あ、あのね、餌って言うのは悪い意味で言ってるわけじゃなくてね? その、ね? 選ばれた人間って意味って感じ?」
と、ミワは一息で捲し立てる。シュウは早口で言われたので、よく聞き取れなかったようだ。
頭上にはてなマークが付いているようなしかめっ面をしながら首を傾げた。
一方のミワは、一息で話し、息継ぎをしなかったせいか、ひどく疲れた様子だった。
呼吸が荒く、顔が先ほどよりも赤く染まっている。
「その方がよっぽど色っぽく見えるけど」
「レオン先輩!?」
目を細めて眉を寄せながらレオンがため息混じりに言う。
それを「余計なこと言ってしまったんじゃ……」と言うような不安そうな顔でシュウがレオンの名を叫ぶ。
「そう……」
ミワは顔を下げたままポツリと呟いた。シュウはあたふたと落ち着かない様子でミワとレオンを交互に見ている。
当のレオンは腕を組んだままミワを見下ろすように背筋を伸ばしながら立っている。それは威圧しているようにも見受けられたが、顔には不穏な感じがなく、むしろ小さな笑みを浮かべていた。
「せ、先輩……?」
と、シュウがおずおずと何かを尋ねるように口にした、その時――
「おい! 校庭が大変な事になってるぞ!」
一人のシュウと同じクラスの男子が廊下から声を荒げながら教室に入ってくる。
するとあっという間に、なんだなんだと教室がクラスメイトたちのどよめきでいっぱいになる。
「な、いったい何が……」
とレオンも動揺を隠せない様子でその男子生徒の方を見る。
シュウも次々と来る様々な出来事についていけない様子だった。
ミワはこの騒動にも顔を上げず、ひたすら顔を下げている。さっきの事が余程衝撃的だったのだろう。しかし、顔が見えないため、何を考えているのか分からない。
「いっ……今すぐ来てくれっ! 校庭が……猫で埋め尽くされているぞ!」
「……はあ?」
なんとも間抜けな声が教室から聞こえてきた。クラス全員「何で猫なんかでそんな騒いでるんだ?」とでも言いたげな顔をしている。
すでに興味もなく読書をしている人や、友達との会話を再び始める人や、他クラスへと向かう人など様々だ。
「ちょっと!?」
急いで教室へ駆け込んできた例の男子生徒はクラスメイトたちの塩対応っぷりに突っ込まずにはいられなかったようだ。
しかし――
「あの、何があったんですか……?」
その男子生徒にシュウが話しかけた。
シュウはいくら何でも猫ぐらいで騒ぎ立てるような変人などいないだろうと思っている。
「それが…………」
と男子生徒は語り始めた。
☆ ☆ ☆
「いや~……これは壮観だわ……」
「これは確かにあの人も騒ぎ立てるはずですね……」
場所は校庭。……の隅っこ。桜の木々がひしめき、桜の花びらが舞うすぐ下。
木にもたれかかり、遠くを見つめる四つの目。
その先には、無数の猫たちの群れがあった。
猫たちは何処かを見て、まるで誰か……何かを探すように動き回っている。
「しかし、なんでこんな事になっているんでしょうね?」
「さぁ? なんでだろうな。それよりさ……」
ちらっとレオンが一瞥した先には先ほどから抜け殻のようになっているミワがいた。
ミワは一向に顔を上げず、ただ俯いている。
「いい加減機嫌直せよな……」
レオンがそう言い、ミワの肩にポンと手を置いた。
すると、ミワの肩が震えているのがレオンに伝わってきた。
「……ミワ?」
レオンが違和感を感じ、ミワの顔を下からのぞき込んだ。
そこには――笑顔を浮かべたミワがいた。笑っていたのだ。
「ふふふ、そう……そういう事だったのね」
「は?」
「だって……“自然体が1番だ”ってことでしょ?」
ミワが、本当の意味での最高の笑顔を浮かべる。
思わず誰もが見とれそうなほど魅力的な顔をしている。
嗚呼、そうだ。最初からそれで良かったんだ。
レオンは安堵の笑みを、ミワは満足げな笑みをしていた。
シュウには何が何だか分からなかったが、充分すぎるほど眩しい先輩たちの姿を見ていると、不思議と暖かい気持ちになった。
「にゃーお」
「うわっ! は? いつからそこに!?」
突然レオンの足元から鳴き声がしたから足元を見ると、真っ白なスタイルのいい猫がいた。
ゴロゴロと喉を鳴らし、シュウの方へと駆け寄る。そして、シュウの足に自分の頬をスリスリしてきた。
「あ、お前もしかして……あの時の?」
「あの時? そいつとなんかあったのか?」
驚いているシュウを不思議そうな顔でレオンが見る。
レオンの視線に気付いたのか、ハッと我に返り、「実は……」と語り始めた。
☆ ☆ ☆
これは随分前、猛吹雪の寒い寒い夜だった。
気が付くと周り一面の雪景色。どこを見ても白一色の代わり映えしない景色だった。
……何が起こったんだ? 自分は確かに両親と一緒にいたはずなのに。しかも知らない場所だし……いったいどうしたら?
そんな事を考えていると、目の前に真っ白な猫がポツンと座っていた。雪景色と全く同じ白一色だったのでよく見ないと見失ってしまいそうな程周りの景色に馴染んでいた。
「お前も……ひとりなのか?」
そう問うてみると、「にゃー」と返事をした。
……賢い猫なのかもしれない。そう思った。
迷子同士ふたりで一緒にいようと思った。
しばらくすると、雪が晴れ、星空が雲の隙間からちらちらと見えた。
晴れてくれたおかげで雪が降っている時よりは寒くなかった。
雪で視界が遮られていたが、もうその心配はない。
「にゃ……」
不安そうに、心細そうに白い猫がこちらを見上げて座っていた。
顔では不安そうかなんて分からないが、声からしてそうなのではないかと思った。
「どうした? もしかして寒い?」
「に……」
シュウの問いかけに小さく返事をし、擦り寄って来た。
腕を白い猫に伸ばすと満足げにされるがままの状態になった。
暖かい……猫の体温の方が人間よりも高いからなのか、気温が低いから暖かく感じるのかよく分からないが、シュウにとってはどっちでもよかった。
猫の体温が暖かくて、思わずぎゅっと抱きしめた。
猫も心地よかったのかゴロゴロと喉を鳴らした。
それからすぐ後ぐらいに親と合流出来た。
足や鼻の先が寒さで真っ赤になってしまったが、胸やお腹の辺りがすごく暖かくて、それが何故かとても嬉しくて思わず笑った。
家ではペット禁止なので、ある程度世話をしたあとは里親を募集するためにポスターを作った。その後どこに引き取られたのか、幸せに暮らしているのか、シュウは何も知らなかった。
☆ ☆ ☆
「……というわけなんですよ」
シュウの回想が終わり、辺りはすっかり夕焼け色に染まっていた。
心地よい風が吹く。桜を散らしながら暖かい雰囲気を作り出す。
「へぇー……なかなかいい話じゃねぇか」
レオンは真っ白な猫を撫でながら笑顔でそう言った。
ミワも暖かい目で見守っている。
シュウはその空気に満足げに笑った。
――ずっと、この光景が見られますように。
ふと、誰かがそう思った。あるいは皆がそう思ったのかもしれない。
その後、猫は自分の家へ帰っていった。なんで大勢の猫を引き連れてやって来たのか、なぜシュウの居場所が分かったのか、何もかも分からなかったが、猫もシュウも満足そうだったので放っておくことにした。
レオンも、シュウも、ミワも、何かが変わった気がする。
いい方向へと成長出来たような、そんな感じがした。
ある、春の日の物語――