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昔の恋人のお墓まいりに

作者: 木月 愛美

 スマホの地図アプリで目的地までの道のりを調べたところ、車で十分で到着するとのことでした。私はタクシーを呼んで、目的地に向かうことにしました。タクシーの運転手さんは「どちらまで」と行き先を訊ね、私はその場所を伝えました。それを聞いた運転手さんは「そりゃあ、着くまでに二日かかっちまうよ」と呆れていました。おかしいですね、ここですよ、ここ。さっき、スマホで調べたら車で十分と出たんです。運転手さんはスマホの画面を覗き込み、「たしかにここまでなら十分で行けるよ」と言いました。お願いします。そう私は答えました。あなたはほんとうに正直な人でしたから、私に嘘をつくはずはないのです。

 やがてタクシーは動き出し、山道をじりじりと進んでいきました。そのタクシーの遅々とした進行具合は〝じりじり〟と表現するのが適切で、まるで一歩一歩おぼつかない足元を確認しながら歩く老人のようでした。右、左、上は生い茂る深い緑色の木や草に覆われていて、車のタイヤが通る場所だけ草が生えず、土が見えていました。どこに進んでいるのか、方向感覚が喪失して、右、左、上に広がる大きな深い緑に襲われて飲み込まれてしまいそう。そのような感覚に幾度となく襲われました。そのたびに、また深い緑がタクシーの窓ガラスを擦るたびに、私は森の深緑とは異なる存在であると、彼らにとって異物であると、強く感じました。

 「到着したよ」と運転手さんが告げ、タクシーは停車しました。あなたの余命はあと三ヶ月です。それは、まるでそういった余命の宣告のような重みを持っているように、私には聞こえました。お金を払うと、「ご利用ありがとうございます」と運転手さんは事務的に言って、それとはうって変わって私を見つめて「それにしてもどうしてこんなところに?」と聞きました。私はタクシーのドアに手を掛けながら答えました。

 昔の恋人のお墓まいりに行きたいのです。

 私がタクシーから降りると、タクシーはエンジンを鳴らして早々と去ってしまい、私は森のなかにとり残されました。あなたが居なくなった今、正真正銘、この世界には私ひとりしかいない。上も下も右も左もぐるんと廻ってどこが地だかわからなくなるような、不安でもう立っていられない、そんな気持ちになりました。ときどき風が木々を揺らしますが、木々に覆われ辺りは暗く、妙に音がしないのです。まるで、息のできない深海の底のようでした。

 幾度目かの目眩がして世界が歪んで、目の前に大木があらわれました。出現した、私にはまさにそう思えましたが、もともとそこにあったものが急に目立って見えたのかもしれません。その変に目立って見える大木に、かつて歴史の教科書で見た銅鏡のようなものが固定されています。恐る恐る、それを覗いてみました。鏡と思われる面は白く濁ってなにも映りません。一体、どうしたらあなたのお墓へ行けるのでしょう。私は手に持っていたスマホで、お墓への行き方を検索しました。検索でひっかかったあるホームページにアクセスすると、この銅鏡に強く願えば辿り着けると書いてありました。私はそれ従い祈ってみました。

 昔の恋人のお墓まいりに行きたいのです。

 目の前の鏡にも、私の周りにも、変化はありません。祈りが足りないのでしょうか。

 昔の恋人のお墓まいりに行きたいのです。昔の恋人のお墓まいりに行きたいのです。昔の恋人のお墓まいりに行きたいのです。昔の恋人のお墓まいりに行きたいのです。昔の恋人のお墓まいりに行きたいのです。

 私は、強く願いました。あなたはほんとうに正直な人でしたから、私に嘘をつくはずはないのです。

 昔の恋人のお墓まいりに行きたいのです!

 昔の恋人のお墓まいりに行きたいのです!

 すると突如、突風が吹いて、尻餅をつき、思わず目を瞑りました。しばらくして風が止んで、再び目を開けると、辺りは一変していました。視界がぼんやりしてなにも見えません。目を擦ってみても曇った視界に変化はありません。

 私は低血圧ですから、朝はいつもつらいのです。そのいつもの朝のような感覚でした。なにか手がかりを探そうと、ポケットの中に入れているスマホを手に取ろうとしました。しましたが、それがないのです。リュックの中も探してみましたが、どうしても見つかりません。墓地に行く方法を調べていたときにはあったはず。どこかに落としてしまったのだろうか。スマホが見つからないショックは一入でした。私は、この視界の淀んだ場所に、ひとりとり残されてしまったのです。

 相変わらす辺りは靄がかかっていますが、ここでじっとしていても仕方がありません。なくしたスマホも見つけられるかもしれません。重たい身体を起こして、一歩、一歩、歩を進めました。しばらく歩いたところで硬い物体に行き当たり、それに躓いて転びそうになりました。すると、どうしたことでしょう。だんだんと、私が躓いたそれが見えるようになってきたのです。大きな塊のようです。それは温度を持っていません。人間ではありません。コンクリート? いいえ、ちがいます。石、でした。はっとしました。私は、あなたのお墓まいりに来たのでした。私が躓いたこれは、墓石なのです。足元から、進行方向へ、そして円を描くようにしだいに遠くへ、見えなかったものが見えてきました。ここは、墓地なのでした。とても数えられないくらい多くのお墓が並んでいました。しかし、それは私が知っているお墓の並び方ではありませんでした。それには全く規則がありません。そもそも、墓地のお墓が規則正しく並んでいるのは、どうも、死んだ人ではなくて、生きている人の都合のように思います。私は生きておりますので、死んだ人がどう思うかは存じませんが、きっと火葬場で焼かれて、灰となって消えるのでしょう。ですから結局、墓石を一直線に並べるのは、生きている者の所業なのです。そうです、私も生きている以上、そうなのです。あなたの死を確かめたくて、いま、こうして墓地を歩いています。

 目の前にあるお墓に近づいてみると、私がよく知っているそれのように、墓石にはなにかが彫ってありました。普通に考えれば名前だと思います。読もうと思ってさらに墓石に近づきますが、いくら近づいてもそれは見えませんでした。いいえ、もしかすると見えているのかもしれません。見えていたとしたら、それは全く見たことがない文字です。隣の墓石も、向かいの墓石も確認してみましたが、同じように見えない、あるいはそれが文字だとするなら全く読むことができない文字でした。

 私はあなたのお墓を探して歩き廻りました。相変わらず見通しは悪く、またお墓がどのように配置されているのか想像がつかないので、歩き廻るしか方法はなさそうでした。スマホがあれば、と幾度も思いました。GPS機能がついていて、自分の立ち位置がわかるのでとても便利です。とにかく、どのお墓も墓石になにかが彫ってありますが、全く読めません。それでも、私はあなたのお墓を探して歩きました。北も南も、上も下も、なんだかよくわかりませんでした。どこに向かっているのか、同じ場所を廻っているのか、それでも足を止めるわけにはいきません。あなたはほんとうに正直な人でしたから、私に嘘をつくはずはないのです。絶対、あなたのお墓はこの場所にあります。

 歩き始めてどのくらいになるでしょう。だいぶ歩き続けている気がします。しかし、浮遊感といったらいいでしょうか、どこか現実感がなく、浮かんでいるようで、不思議と足は疲れません。そうしているうちに、突如、私はあなたのお墓を見つけました。あなたのお墓であると直感しました。なぜかって、ほかのすべてのお墓に名前が彫られていますが、そのお墓だけはのっぺらぼうだったからです。

 あなたのお墓と向かい合った途端、私は、なぜ私とあなたがかつて恋人同志だったのかわかったような気がしました。周りにはたくさん同じような形のお墓が並んでいますが、それらは消えてなくなって、私を包む世界は、私とあなたとだけになりました。在り来たりな比喩だとあなたは笑うでしょうか。でも、文の譬えか現実か錯覚するほど、ここには私とあなたとしか在りませんでした。でも、のっぺらぼうなあなたには、嘘をつくことさえできなかったのでしょう。だからこそ、あなたはあなたを求めて私を求め、私も私を求めてあなたを求めただと、確信しました。そして、ゆっくりとあなたへの慈愛をこめて、手を合わせました。私はあなたのお墓まいりに来たのです。

 ここへ来たときと同じように、突然激しい風に襲われ、その次の瞬間、銅鏡が掛かった変に目立つ大木の前に私はいました。靄がかかっていたような視界が途端にはっきりとしました。そうでした、私はあなたと違って生きている。晴れた視界がそう告げました。ほっとして、私は地面にしゃがみこみました。すると、地面になにかが落ちる音がしました。音のしたほうを見ると、それはなくしたと思っていた私のスマホでした。屈んだ際に、ポケットから落ちたのかもしれません。あんなに必死に探していたスマホですが、不思議と今は取るに足らないもののように思えました。それより、この場所に戻ってきたときから感じている、誰かに見られているという感覚のほうが気になりました。正面の大木には変わらず、銅鏡が括りつけられています。赤と青の3Dメガネをかけたときのように、その木だけ浮かんで見えます。しかし、ひとつだけ、私がお墓へ行く前とは違っていることがありました。銅鏡が透明に、いえ、まるで水面のように、私を映していることです。銅鏡の形をしていたそれは、本当の鏡になったのでした。おそらく、それは私だと思います。私はこんな姿だったのです。まるで、といったらあなたはまた笑うでしょうか。映っているのは、あたりまえですが、鏡を覗く私です。


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