きみに祝福を
人族と魔族が存在する世界。
魔族は大気中に含まれる魔素を自分が使える属性の魔力に変えて魔法を発動することができる。魔法が使えることと、金色やそれに近い瞳を持つ以外に特徴はなく、知能や身体能力や寿命などは人族と変わりはなかった。人族と魔族は互いを受け入れることができず、長きにわたり両者の間には争いが絶えなかった。魔族は長い歴史の中で徐々に数を減らし、大陸の中央部にある"雨の森"と呼ばれる森林地帯でひっそりと暮らしていた。
そしておよそ90年前の大戦争により魔族は北へ北へと追いやられ、大陸の北寄りに位置するラヴィーネ大山脈を越え、その先にあった痩せた地にイズールを立国した。人族は同族同士でも様々な衝突を繰り返し、リズニア王国が大山脈の反対側を領土とした。さらに南に行けばシェルドントやウィルダなどの国が広がる。
実はそのラヴィーネ大山脈の中に、ひっそりと小さな村が存在していた。
その名はアジール村。
ここでは、"特殊な人族と魔族"が互いの手を取り合って暮らしていた。
これはそんな小さな村にいる、小さな小さな女の子のお話である。
◇◆◇
新月暦1033年11の月28日目の朝のこと。この日は快晴でありながらも空気は冷たくぴりっと引き締まっていた。ラヴィーネの山々は雪化粧し、あたりは一面の銀世界である。
休暇日であるこの日、ミリー・イーリスは朝食後、リビングにて自身のリュックの中身を点検していた。墨色の髪を2つの三編みにし、大きな茶色の瞳を細めた初等部に通いたての少女は、床中に何十本もの色鉛筆などの画材を並べている。
楽しそうなミリーをよそに、それを心配そうに見つめていたのは彼女の姉ライナと兄ティオであった。
ライナは全身が白い少女である。白い、とは、髪から肌からまつ毛までほぼ全てである。色があるのは美しい青紫の瞳とほんのりと赤い唇くらいである。
ティオは焦げ茶の癖毛に琥珀色の瞳をした少年である。この二人はミリーと7つ8つ離れた兄妹なのだ。
「ミリー。本当にアンナと二人で大丈夫?お姉ちゃんたちもついていこうか?」
「へいき!北の森だもの。」
「北の森とはいえ、ここは全体が雪山なんだ。まだ初等部に通いたての子たちだけで行かせるなんて。雪山の絵じゃなくてもさ、」
「もう!!おねえちゃんたちはかほごすぎるの!二人だって、小さいときはいっぱいぼうけんしてたくせにー。」
ミリーは両手を腰に当て、大きな茶色の瞳を見開き、頬をぷぅっと膨らませた。
その可愛さにたじろいだ姉と兄は、その後に返す言葉が見つからなかった。
ミリーの言うとおり、二人は幼い頃から冬だろうがなんだろうが山中を駆け回っていたのだ。何度も危険な目に遭い、実際にティオは命を落としかけたこともある。
そんな兄妹達の間に入ったのは父ウルマーと母マチルダだった。マチルダは暗いグレーの長髪に金色の瞳をした小柄な女性、ウルマーは黒髪に茶色の瞳をした大きな熊のような男性である。
「やんちゃな兄と姉は返す言葉もないな。」
ウルマーはそう言いながら豪快に笑った。
「ふふ。あんたたちが心配する側に回るようになったとはね。ミリー、お昼のサンドイッチの他に、キャラメルもたくさん作ったから持っていきなさい。10個もあればアンナと食べれるわね。キャラメルは外套のポケットに入れておいてね。」
マチルダはそう言いながら多めのサンドイッチと桃色の紙に包まれたたくさんのキャラメルをバスケットに詰めてミリーに渡した。
「キャラメル、そんなに持っていっていいの?」
ミリーはそれを受け取りながら瞳を輝かせた。マチルダが作ってくれたキャラメルは甘くて美味しく、なんといっても粒が大きい。幼いミリーにとっては一粒で満足できそうなものだった。
ミリーは言われたとおりにキャラメルを外套の両ポケットに詰めた。
「万が一に備えてね。何かあったときは寒さがしのげるところでそれを食べてなさい。警備隊がスチュアートを連れて探してくれるから。」
スチュアートとは、村の警備隊が飼っているベテランの探知犬のことであり、迷子になった子どもたちを幾度となく発見しているスペシャリストである。実は、ライナもティオも昔何度かお世話になったことがあるのだった。
「わかった。ふふ、この前おばあちゃんにもおなじこと言われたよ。」
ミリーは祖母であるゲルデが同じことを言っていたのを思い出して、母親と祖母はやはり親子なんだなぁと嬉しくなったのだった。ちなみにゲルデは村唯一の医者で、家から少し離れたところにある診療所で働いている。
「じゃあ行ってくるね!」
ミリーは荷物をまとめ上げ、普段の服の上から厚手の赤色の外套を羽織ると、元気よく家を飛び出した。
そして、すぐ隣に住むアンナと合流した。アンナ・シルフはミルクティー色の真っ直ぐな髪に深緑色の瞳をした少女で、ミリーの同級生の幼馴染であり親友である。ミリーと同様のごく一般的なディアンドルに深緑色の外套を羽織っている。
二人は家から子どもの足で15分ほどのところにある北の森へ向かったのだった。
二人の目的は一つ。共通の趣味でもある絵を描きに行くことである。
数日前から本格的な降雪が始まったので、二人で計画を練ったのだ。この日よりも遅くなってしまうと雪は深くなってしまうことが予想され、絵を描くどころではなくなると判断したのだ。そこまでして二人が描きたかったもの、それは。
「アンナ!ユキワスレ、たのしみだね!」
「うん!あのお花は今しかみれないんだもん!」
北の森に自生するユキワスレという植物が、雪が降る頃になると群青色の可憐な花を咲かせるのだ。それが群生している場所があり、雪景色とその花を描きたいというのが二人の目的である。ちなみにミリーは色鉛筆による鉛筆画、アンナは水彩画を得意としており、二人が持ち込んでいるのもそれらであった。
二人の履いている揃いの丈の長い焦げ茶のブーツは村特製のもので、防水にすぐれ、雪道でも滑りにくい特殊な加工がされている。これにより10センチ以上積もっている雪道でも難なく歩くことができた。
予定通り、二人は群生地にたどり着いた。辺りは一面白と群青色の世界であり、聞こえてくるのは木々からこぼれ落ちる雪の音だけである。
「すごい。」
「はやくかきたい。」
二人はあまりの美しさにそれ以上の言葉が出なかった。
今までも大人や兄姉達に連れてきてもらったことはあったけれど、二人だけで見るのは初めてのこの景色はとても特別に思えた。こころなしか例年よりも群青が濃く、雪の白銀とのコントラストがはっきりとしているようにも見えた。
二人は少し離れたところ同士にそれぞれ防水の敷物とクッションを敷き、それぞれの世界に没頭していった。
互いの制作活動の邪魔をしない、それが二人の暗黙の了解なのであった。
ミリーは画用紙を相手に黙々と下描きを進めていく。ある程度のデッサンを終えるとすぐに色鉛筆に持ち替えた。あまり深く考えない、感じたままを表現する、それが彼女の絵の持ち味でもあった。
ミリーは別紙に寒色系の色鉛筆でサンプルを作り、色を重ねたりして花の色と何度も見比べた。しかし、なかなか納得のいく色が作り出せなかった。どうしても群青の深みが出せないのだ。色鉛筆だから仕方ない、という妥協はしたくなかった。
ミリーは初等部に通いたての歳でありながら、その絵の才能とセンスは大人顔負けであった。アンナはどちらかというと構造や効果などを考えて描くことを得意としていた。二人は互いの絵の良さと違いを認め合っており、高め合う関係を築いていた。純粋に互いの絵が好きであり、嫉妬などという感情は芽生えていない。
二人が作業を始めて2時間ほどが経過した。太陽が真上に来たので昼食を取ることにした。
二人で出かけたときは、親が持たせてくれた料理をシェアするのが当たり前であった。両家の親たちもそれを承知しているので分け合えるように持たせている。二人は敷物を近づけ、ミリーはサンドイッチを、アンナはたっぷりの根菜と鶏肉の入ったスープを用意した。
二人はなれた手付きで準備を始めた。ミリーが持ってきた金属製のちいさなボウルにキレイな雪を山盛りに入れ、組んだ細枝の上に置いた。そして、ミリーはアンナが持ってきたトングでスープの入った金属製のスープポットを掴むと、山盛りの雪の上にセットした。
そしてアンナはボウルの底に右手の人差し指を向けた。
『フォイアー』
そう彼女が唱えた瞬間、ボウルの下に組まれた細枝に赤い火が灯った。アンナは火から目を離すことなく、人差し指を上に動かした。すると、火の勢いが強まり、みるみるうちにボウルの中の雪が溶け始めた。
ミリーはスープポットが転んでしまわないようにトングで押さえている。
「いいなぁ、火のまほう。」
ミリーはアンナが出した火が揺らめくのを見つめながらポツリと呟いた。
「ミリーだって土がつかえるじゃない。」
アンナは火から目を離さずにそう答えた。まるで、何かに集中するかのように。
「こんなにいりょく出ないもん。いくられんしゅうしても小さな落とし穴つくってころばすことくらいしかできないもん。」
そう、二人はいわゆる"魔法使い"なのである。
これは二人の住むアジール村ではごく普通の光景である。
しかし、それは世間一般では"ありえない状況"でもあった。
魔法が使えるのは"魔族"であり、その特徴は金色もしくはそれに近い瞳をしていることである。
しかし、彼女らにそれは当てはまらない。
それこそが、この村が"特殊な"人々で構成されている所以である。
実はこのアジール村は、人族や魔族の国から迫害された者たちが隠れ住む場所なのだ。
人族でありながら魔法が使える人々はコンバーター、魔族でありながら魔法が使えない人々はインバーターと裏の世界では呼ばれており、それぞれの国で共に迫害されていた。そんな彼らが保護されて連れてこられるのがこの村なのである。
死の大山脈とも恐れられているこんな山奥にどうやって人々がやってきたのか、どうやって生きているのか、それはここで紹介するには長くなってしまうので割愛しよう。
二人の話に戻ると、アンナは3歳のときに保護されたコンバーターである。火の魔法が得意であり、水と雷も少々使える。
それに対してミリーは土の魔法が少々使えるだけなのであった。
理由は、彼女はコンバーターであるウルマーとインバーターであるマチルダの実子、つまり人族と魔族のハーフであり、そのせいか魔力量が魔族やコンバーターに比べて少ないからである。同じような生い立ちの子どもの皆が皆魔力量が少ないわけではない。けれど、全体の傾向としてそう言われている。とはいえ村ができてから約35年、それから初めてハーフと呼ばれる子どもたちが生まれているわけなので、研究途中なのである。
ちなみに彼女の兄ティオと姉ライナは養子なので、3人に血の繋がりはない。むしろ、この村中で血の繋がりがあるのはミリーのようなパターンがほとんどなのである。
ミリーは昔から自分の魔力の少なさにちょっとした劣等感を抱いていた。
もっと正確に言うと、兄や姉に比べると大きく見劣りする自分を残念に思っていた。兄はインバーターで魔法こそは使えないものの、同世代の中でもトップクラスに頭が切れ、魔法や魔石を利用した機械づくりを得意としている。姉は村で唯一の、いや、世界でも類を見ない"治癒魔法"を使うことができる。この姉の魔法のことは村の中でもほんの一部の人間しか知らない。そんな特殊な二人と比べてしまえばちっぽけすぎる自分が、唯一誇れるもの、それが絵だった。ミリーが絵に力を入れる理由にはそんな背景が見え隠れしていることに、当の本人は気づいていないのかもしれない。
二人は簡単な調理を終え、心まで温まるスープと野菜や玉子がふんだんに使われたサンドイッチを食した。
「イーリス家のサンドイッチすき!」
「シルフ家のスープさいこう!」
二人は互いの家を褒め称えるかのように同時に声を発した。それが面白くなってしまってしばらく笑い続けた。
森には二人の話し声だけが響いた。
食事を終え二人が静かになれば、時折木々の枝から雪が落ちる音が聞こえるが、それ以外は相変わらず無音の世界であった。
冷たい風が二人の頬を撫で、その後、群青の茂みを揺らした。
群青が何かの意思を持ってるかのように揺れる姿を、二人はただぼうっと眺めていた。
「きれい。」
「うん。」
二人はそう言ったあとは無言で風景を眺め続けた。
沈黙を破ったのはミリーだった。
「きょうのおやつはキャラメルだよ。」
「やったー!マチルダさんのキャラメルだいすき!」
アンナのキラキラとした笑顔を見てミリーもほっこりとした気持ちになった。ちなみにアンナの方はクッキーを持ってきたらしく、いつものようにシェアする約束をしたのだった。
二人は食事の後片付けをし、またシートを離れたところに動かしそれぞれの作業に戻った。
◇
どれだけ絵に没頭していただろうか。
日が少し傾きかけた頃、ミリーの耳に心地良いオカリナ音のようなものが聞こえてきた。
"キレイな音色"
ミリーはそんな感想をアンナと共有したかったけれど、彼女はその音に気がついていないのか絵と向き合い続けていた。
邪魔をするのは気が引けたので声をかけることはせず、静かに立ち上がりその笛の音が聞こえる方へ歩き始めた。
村では聞いたことのない旋律だった。
優しく響く丸みのある音は、どこか懐かしさのあるメロディを奏でていた。聴いたことはないはずなのに、聴いたことがある感覚。
まるで、自分の奥底に眠る何かが呼び覚まされるような、そんな不思議な感覚だった。
"だれだろう。マリ先生かな?"
マリ先生とは、村唯一の学校で音楽を教えている50代の女性である。彼女は15年ほど前に校長に引き抜かれてきたイズール人で、村に来る前はイズールの大きな学園で音楽教諭をしていたという。村には音楽に詳しい者は少ないので、ミリーがまっ先にマリのことを思い浮かべたのはごく自然なことであった。
ミリーは優しい旋律を頼りに森の奥へ足を踏み入れていった。
あまり深くに行ってはいけないことは頭ではわかっていたけれど、この好奇心には勝てなかった。
まだ誰も踏み入れていないであろう新雪の道を、サクサクと小さな音を立てて進んでいった。
やがて、ミリーが訪れたことがない区域まで来たようだった。
"たいへん。みどりの葉っぱの木がふえてきちゃった"
ミリーは朝の出発前のやり取りで、ライナが言っていたことを思い出した。
"北の森は奥に行くほど、冬でも葉の落ちない木が増えるの。私でもそんな奥までは行かないようにしているのよ。道が入り組んでいて、引き返そうとすると元の道がわからなくなるの"
ミリーは少し焦ったけれど、すぐに冷静になった。
今日の天気は晴れで、自分の残した足跡があるからそれをたどれば帰れることに気がついたのだ。
それに、笛の音がマリ先生のものならば一緒に帰ればいいとも考えた。
音は少しずつ大きくなり、直ぐ側に来たことがわかった。
木々の裏側にある、少し開けていそうな空間から音が聞こえるのだ。
ミリーは木々をかき分け、その空間に達した。
「あなたは、だあれ?」
開口一番、ミリーはそう尋ねた。
葉に雪を積もらせた常緑樹に囲まれた直径10メートル弱ほどの開けた空間の真ん中、直径1メートルほどの大きな切り株の上に腰掛けて笛を吹いていたのは、年若い人だった。
ミリーはその人物と面識がなかった。
もちろん村人の中で面識がない人もたくさんいるが、根本的にそういうことではなかった。
彼は鮮やかな黄緑色の髪をしていたのだ。その艷やかで癖のない長髪は腰のあたりまであり、肌は透けるように白く、瞳は黄金色。どのパーツも計算しつくされて存在しているような、バランスが整いすぎた容貌。白い外套の中に見えのは、Yシャツから靴まですべてが白で統一された服装。歳は10代から20代ほど、背格好や顔立ちからすれば男性にも少年にも、スレンダーな女性にも少女にも見える。儚く今にも消えてしまいそうな、そんな美しい存在。
ミリーはそんな人物に見覚えなどなかった。そもそも黄緑色の髪色など見たことも聞いたこともなかった。
ミリーの存在に気がついたその人は笛を吹くのをやめ、少々驚いたように目を見開いた。
『おや。お嬢さん、こんなところでどうしたんだい?』
その人が驚いていたのは一瞬のことで、その後は穏やかな顔つきでそんなことを言ったのだった。
その声自体がまるで何かの楽器かのように澄んだものだった。男性にしては高く、そして女性にしては低い、そんな不思議な声だった。
『キレイな笛の音がきこえてきたから来たの。』
ミリーも相手に合わせてイズール語に切り替えて返した。普段使っているのは人族側のリズニア語だが、村の子どもたちは言葉を覚えたての幼い頃から魔族側のイズール語も習う。初等部に入る前の子どもたちでも簡単な会話くらいはできる。
『ほほう。笛の音も聞こえていたか。しかも、こっちの言葉も話せるとは。』
『少しだけね。あ、わたし、ミリーっていうの。えっと、おにいちゃん?おねえちゃんは?』
『ミリーか。良い名だ。僕は、ヴィンだ。みんなそう呼んでいる。性別はどちらでも構わないよ。』
ミリーは少しばかり耳を疑った。性別がどちらでも構わないなどあるのだろうかと。深く考えてもよくわからないので、おにいちゃんだろうということで話をすすめることにした。
『ヴィンは村の人じゃないよね?』
『あぁ、僕は旅をしてるんだ。自由気ままにね。』
ミリーは目を輝かせた。
『すごい!わたし、村の人いがいと話すのはじめて!それに黄緑のかみの毛、初めてなの。金色の目ってことは、あなたはまぞく?』
立て続けに繰り出されるミリーの言葉に、ヴィンは少々困ったように眉を下げた。
『そうだね、そんなところかな。君は、混じってる子だね。』
ヴィンの言葉にミリーは一瞬首をかしげた。
『まじってる?あ、そうだよ。わたし、じんぞくとまぞくのハーフなの。』
なんでそんなことわかるんだろう、とは思ったけれど、ミリーは対して気にすることもなく言葉を返したのだった。
『そうかい。今はその周期に入った頃か。』
『しゅうき?』
『なんでもないさ。それにしても、こんな山奥に村があったとはな。』
『すぐそこだよ。ちょっと深くまできちゃったけど、戻ればそこから15分くらい。』
『はて、そんなところに人など住めたか。深い森だったはずだが、、いや、随分と時が流れてしまったんだな。』
『よくわからないけど、おにいちゃんも村に来る?』
『いや、僕は遠慮しよう。それよりも、ここ最近の話を聞きたい。少し教えてくれないか。』
『いいよ!』
こうしてミリーはヴィンに様々なことを教えた。
ヴィンから聞かれたのは今の年度や世界の状況だった。幼いミリーにはよくわからないことが多かったけれど、今は各国で戦争もなく暮らしているらしいということなど基本的なことは伝えることができた。
『そうか。あの子達は新しい地でどうにか平穏を手に入れたんだな。』
ヴィンの言葉に、ミリーはふふっと少し笑ってしまった。ヴィンは不思議そうにミリーを見つめた。
『ごめんなさい。なんか、うちのおじいちゃんみたいな言い方だなって。』
ミリーの脳裏に、背筋をピンと伸ばして話す初老の男性が蘇った。ミリーの祖父ヘルムートはこの村の村長でもある。
『すまないね、気にしないでおくれ。ところで、君たちはなぜこんな山奥に住んでいるんだい?人族と魔族は仲違いしているはずなのに、一緒に暮らしているなんて。』
『よくわからないんだけど、"こんばーたー"と"いんばーたー"がほごされてくるのがうちの村なんだって。』
ミリーはその後、コンバーターとインバーターについても補足で説明した。言葉足らずな部分は多かったけれど、ヴィンは納得したように手を打った。
『あぁ、そういうことだったのか!これは興味深い話だ。とすれば、ついに、、』
『なあに?』
『いや、なんでもない。ミリー、ありがとう。とても勉強になった。何か礼をしないとな。何か願いはないか?』
『ないよ。』
『何でも言ってごらん。』
『んー』
ミリーは腕を組んで悩み始めた。
今はほしい画材があるわけでもなく、誰かとケンカして仲直りしたいわけでもない。悩みなど思いつかなかったのだ。
ヴィンはそんなミリーの瞳をじっと見つめると徐ろに言葉を紡いだ。
『ミリー、君は土の魔法が使えるね。しかし、ずいぶんと魔力が弱いな。』
ミリーはその言葉に目を見開いた。そんなことは一言も彼に伝えたはずはないのに、と。
『すごい!そんなことわかるの?!そうなの。おばあちゃんが言うには、ハーフだからまりょくが弱いんじゃないかって。』
ミリーは少し気まずそうに笑った。自分で言っていて少しだけ悲しくなったのだった。
人並みの魔力がほしい。
そんなことをちらりと考えもした。
けれど、そんなことは叶うわけもない。ヴィンにお願いしてどうにかなるものではないのだから。
『そうか。もし、力を手に入れたら、君は何がしたい?』
『うーん、、よくわかんない。あ、でもね。たいせつなひとたちのために使いたい。みんながニコニコになったらうれしいの。』
ミリーは屈託のない笑顔でそう言った。ヴィンはそれを見て顔をほころばせた。
『そうか。きみは白い心を持っているな。皆から愛されているんだね。』
『えへへ。あ、ヴィンおにいちゃん!さっきの笛がききたい!』
ミリーは思い出したかのように言った。あの新しいのにどこか懐かしいような不思議なメロディが恋しくなったのだ。
ヴィンはきょとんとした後、すぐにクスクスと笑った。
『そんなことでいいのなら。さっきの曲でいいかい?』
『うん!』
ヴィンはミリーに小さな切り株に腰掛けるように促した。ミリーが座るのを見届け、彼女の方に向き直り、白い外套のポケットから艷やかで白く丸みのある小さめな笛を取り出した。二人の距離は1メートル半ほど。ミリーは近くで笛を見てオカリナのようだと思ったけれど、彼女が知るそれとは形も穴の数も違っていた。
『そのオカリナ、ふしぎなかたち。村でも見たことないの。』
『僕の何代も前の、古いものだからね。』
そう言うとヴィンは一呼吸置き、先程の旋律を奏で始めた。その瞬間に、少し暖かな風が二人の空間を駆け巡っていった。それが木々が蓄えた雪をサラサラと落とし、オカリナの音に伴奏を加えているかのようだった。
ミリーは心の奥底がじんわりと温まるのを感じた。音楽に詳しくなくとも、この旋律が、この音色が心地良いものということに変わりはない。
そして、それを奏でている人物を改めて見れば、美しい以外の言葉が見当たらなかった。恐ろしいほどに整いすぎている容貌を前に、ミリーはただ彼を見つめることしかできなかった。
一曲吹き終わると、ヴィンは優雅にお辞儀をした。
ミリーは瞳を輝かせ、大きな拍手を送った。
『すごい!ヴィンおにいちゃんすごいね!!』
『人前で演奏するのは久しかったから緊張したよ。』
『なんて曲なの?』
『曲名はないんだ。いや、あったのかも知れないけれど、いつの間にか名前は忘れられ、旋律だけがずっと受け継がれてきたんだ。』
『そうなんだ。きっとすてきなお名前だったんだろうね。あ!おにいちゃん、キャラメルたべる?お礼がしたいの。』
『いや、これが僕のお礼だったんだけど、、きゃらめる?なんだい、それは。』
『牛乳とおさとうとバターをおなべで煮て、冷やしたらできるの。お母さんがつくってもたせてくれたの。甘くておいしいよ!』
ミリーの笑顔にヴィンは少し悩んだような素振りを見せた後、笑顔を返して言葉を紡いだ。
『ではお言葉に甘えようかな。』
『やったぁ!お母さんのキャラメルはせかいいちなの。はい、どうぞ。』
ミリーは外套のポケットに忍ばせていたキャラメルをヴィンに渡した。
ヴィンは珍しいものを見るかのように桃色の包を眺めたあと、それを解いてキャラメルを口に含んだ。
その瞬間に、彼の顔はみるみる綻んでいった。
『これはずいぶんと美味だ。君の母上は素晴らしい腕の持ち主だな。』
ヴィンはずいぶんとキャラメルを気に入ったようで、嬉しそうに味わっていた。
ミリーはそんな彼の姿を見て心がほっこりと温まったのだった。
"家に帰ったら、ヴィンおにいちゃんの絵をかこうかな"
ふとそんなことを思った。美しいものを残したいという絵描きとしての本能がくすぐられたのだ。
ミリーは自分でも気が付かないうちにヴィンをじっと見つめていたようで、キャラメルを食べ終えたヴィンは少々気まずそうにしていた。
『僕の顔に何かついているのかい?』
『あ、ううん!』
ミリーはヴィンの言葉ではっと我に返り、じっと見つめてしまっいたことに恥ずかしくなり頬を赤らめた。
『美味しかった。母上にもお礼を伝えてほしいくらいだ。』
『ふふ、つたえておくね。まだたくさんあるからもっとたべる?』
『いいのかい?』
ヴィンは金色の瞳を輝かせて言った。その様子が好物を目の前にした子犬のように見えて、ミリーはヴィンに愛おしさに似た感情を覚えた。
『たくさんもってきたの。あとはアンナの分があればいいから。』
そう言うとミリーは残った9つのうち、アンナの分3つと自分の分1つを残して全てヴィンに手渡した。
『こんなにはもらえないよ。』
ヴィンは予想外の量に少したじろいでいた。
『おにいちゃん、村には来ないんでしょ?冬の雪山ではあまいものがたくさんあったほうがいいって、お母さんもおばあちゃんも言ってたから。』
そうなんしたらたいへんだよ、とミリーは両手を腰に当てて力説した。その様子にヴィンは堪えきれず吹き出してしまった。
『ははは!そうか。では、いただくとするよ。そのかわり、そうだな。ミリー、おでこを貸してごらん。』
『?』
ミリーは首を傾げながらも言われた通りに前髪をかきあげた。ヴィンは現れた額にそっと人差し指を当てた。
ミリーはヴィンの指先の冷たさに一瞬ぴくりと驚いた。
『君に僕の祝福を授けるよ。ただし、この事は誰にも言わないでおくれ。僕たちだけの秘密だ。』
『しゅくふく?』
『そうだ。君たちの間ではそう呼ばれているはずだ。僕の魔力を少しわけてあげるよ。どうかな?』
『まぞくってそんなことできるの?!でも、まりょくってたいせつなものでしょう?』
ミリーは心配そうにヴィンを見つめた。この不思議な人に、自分の願望が届いてしまったのかと少し後ろめたくも思った。
『大切なものだ。だからこそきみに託したい。きみなら正しく使ってくれると思ったんだ。』
『ありがとう。じつはね、わたし、まりょくが少ないことになやんでたの。』
ミリーは正直に話すことにした。兄や姉と比べて悲しくなることも含めて。
『きみの兄上と姉上とは歳も離れているのだろう?それに、魔力だけでなく様々な能力には個人差があるんだ。大切なのは、持っている能力をどれだけ研いて伸ばせるかだ。』
『みがいて、のばす。』
『そうだよ。きみは鍛錬も欠かしていないし、得意なことをさらに伸ばそうともしてる。その歳で立派なことだ。』
『ほめられるとくすぐったい』
ミリーはヴィンの言葉に少し違和感を覚えたものの、素直に嬉しく思ったのだった。
『力が体に馴染むまでには少し時間がかかるんだ。そうだな、二ヶ月後のきみの誕生日くらいには使えるようになるはずだ。』
『え?!なんでわたしのたんじょう日知ってるの?!』
ミリーは目を見開いた。さっきの違和感の正体にも気づいた。この人はなんでいろんなことを知っているのだろうと。この人は本当に何者なのだろうかと心の中で首を傾げた。
ミリーの驚く顔を見てヴィンは美しく笑うだけだった。
『ふふ。さぁ、いいかい?このことは誰にも言ってはいけないよ。力について周りに何か言われたら、夢で祝福を受けたと言うんだ。』
『、、わかった。』
ミリーは覚悟を決めた。ヴィンが何者だったにしても、彼を信じてみようと思った。
ミリーがそう言うと、ヴィンは目を閉じてと言った。指示に従ったミリーは意識をヴィンの人差し指に向けた。
魔力をもらうなど普通であればにわかに信じられない話だが、ミリーにはヴィンの話は嘘とは思えなかった。
最初は冷たかったヴィンのそれは段々とポカポカとしてきて、ほんのりとピリピリとした刺激が伝わってきた。そして、何かが流れ込んでくる感覚が体中を駆け巡った。
自身の体中に流れる何かがその新しく流れ込んできた何かとがゆっくり溶け合っていく、そんな不思議な感覚がした。
しばらくしてヴィンの指がミリーの額から離れた。
ミリーはゆっくりと目を開けた。
『ふふ、おでこがくすぐったい。』
『直に慣れるさ。』
ヴィンはミリーがしきりに額を気にしているのを見て小さく微笑んだ。
『ミリー、なんで僕のことを疑わなかったんだい?魔力を分けるだなんてあやしいと思わなかったのかい?』
『よくわかんないけど、ヴィンおにいちゃんなら大丈夫な気がしたの。』
『そうか。もうこんなことはないとは思うけれど、今後は信用できるかちゃんと見極めるんだよ。僕が言えたものではないけどね。中にはたちの悪い奴もいるんだ。』
『どういうこと?』
『きみは親和性が高いみたいだから、僕の仲間とも会うかもしれない。でもね、どんなに切羽が詰まっていても、心は渡してはいけないよ。』
『しんわせい?こころ?よくわかんないけど、わかった。ごめんね、ヴィンおにいちゃん。なんか、眠くなってきちゃった、』
ミリーは茶色の瞳をとろんとさせてあくびをした。突然の眠気に足元もふらついている。
『そろそろお別れだ。安心して少し眠るといい。君の周りだけ温かくしておくから。』
『ありがとう、おやすみなさい。ねぇ、ヴィンおにいちゃん、また会える?』
ミリーは残された力を振り絞るかのようにそう言った。
『そういう運命ならね。』
『また会いたいな。オカリナもききたいの。』
ミリーはヴィンからの答えを聞く間もなくついに眠気に耐えられなくなった。ヴィンに支えられ、大きな切り株の上に丸くなるように横になった。そして、安心したかのように瞳を閉じた。
ヴィンはそんなミリーを愛おしそうに見つめ、優しく頭をなでた。
『また会えたなら聴かせるさ。おやすみ、ようやく見つけた僕たちの希望。その力がきみの糧にならんことを。』
ヴィンはそう言うと切り株にそっと手を当てた。するとそこから仄かな光が広がり、周囲の雪がじわりじわりと溶け始めた。
そして、陽だまりを通り抜けた後のような温かい風が、ミリーを守るかのように優しく吹き始めた。
◇
「ミリー!!なんでこんなところで寝てるの?!」
強く揺さぶられて目を覚ましたミリーにアンナが飛びついてきた。
「んん、、あぁ、アンナ。おはよう。」
ミリーは眠い目をこすりながらそう言った。
「おはよう、じゃないわよ!死ぬわよ!ここ雪山なんだからね!」
辺りはすっかりと夕陽に包まれていた。アンナはあの後ミリーがいなくなったことに気が付き、足跡を頼りにここまで来たのだという。
ミリーはヴィンの存在そのものが夢だったのかと落胆した。
「ゆめだったのかな。でも、、たのしかったな。」
ミリーの緊張感のなさにアンナはため息をついたものの、辺りの違和感に気が付き周囲を見渡した。
「あれ、でもふしぎ。ここすごく温かいのね。なんだか春風の通り道みたいだわ。」
ミリーはアンナの言葉にヴィンの最後の言葉を思い出しドキリとした。夢じゃなかったのかもしれない。だとすればヴィンのことを気づかれてはいけない。そう思ったミリーはとっさに話題を変えようとアンナに話しかけた。
「あ、そうだ!キャラメルあげる!」
ミリーはアンナに残しておいた3つのキャラメルを外套のポケットから取り出して手渡した。
「ありがとう。ふふ。こんなに食べちゃったの?」
アンナはミリーが眠っていた切り株の上にいくつものキャラメルの包があることに気が付き、思わず微笑んでしまった。
「あ、うん!そう!ついついおいしくて食べちゃったの。」
ミリーは取り繕うように笑顔を浮かべて言った。
"やっぱり夢じゃなかったんだ!!"
ミリーはヴィンが美味しそうにキャラメルを頬張る姿を思い浮かべ、思わず頬を緩めた。
後でゆっくり食べてもよかったのに、そんなことを思ったのだった。
包を数えたら1つ足りなかった。それはきっとヴィンが持っていったのだろうとミリーは思った。
こうしてミリーはアンナとともに無事に帰村したのだった。
◇◆◇
ミリーは約束を守り、誰にもヴィンの話をしなかった。
そして、2ヶ月後の誕生日に彼女の体に大きな変化が起こった。
両親も兄姉たちも心配し、誕生日の一週間後にあたる休暇日に両親とともに村唯一の診療所に行くこととなった。
いつもならば出迎えてくれる受付の看護助手たちも休暇日なので居ない。普段は診察室に通されるところを、今日は入院患者たちが使う病室に向かった。待ち構えていたのは女医のゲルデと、村長のヘルムート、そしてミリーの通う学校の校長ロドルフだった。入院患者はいなかったが、この人数が集まると少しばかり狭さを感じる。
「なんで、校長先生まで?」
ミリーは首を傾げた。ゲルデとヘルムートはわかる。彼らはミリーの両親の育ての親、つまりは祖父母にあたるからだ。しかし、ロドルフ校長まで居るのはよくわからなかった。
「あたし達が呼んだ。魔力や魔法に関しては村で一番詳しいからな。」
そう言ったのはゲルデだった。白髪の混じった金髪を団子状に束ねた、背の高めの初老の女性である。彼女の深い緑の瞳には心配が色濃く写っていた。
「ある意味、ライナと同じくらい特殊ケースなんだ。」
ヘルムートもゲルデと同じくらいに心配そうに言った。白髪の混じった黒髪と灰緑色の瞳を持つ、背筋の伸びた初老の男性である。ミリーは普段キリッとしている祖父が感情を顕にしているのを初めて見た。
「ヘルムートの言うとおりだ。ったく、お前らの孫たちは非凡すぎてかなわんな。」
そう少し茶目っ気を込めて言ったのはロドルフだった。白髪にたっぷりの白いひげを持ち、灰色がかった金色の瞳をした大柄な老人である。彼はインバーターではない魔族であり、魔法や魔力に関する多くの知識を蓄えている。
ロドルフは自身の鞄からハンカチのような大きさの白く分厚い布を取り出した。そこには金色のインクか何かで複雑な幾何学の紋様が描かれていた。
ミリーは初めて見るそれに首を傾げた。
ロドルフは説明を加えた。
「これは属性測定布という、昔からイズールで使われている魔力属性を判定する魔道具だ。今はもっと精度のいい機械が使われているんだが、村ではこれくらいしかなくてな。古いしアナログだが、簡易判定くらいならばこれで十分だ。」
ミリーがこれを見たことがない理由は、魔力判定は3歳の検診か村で保護された段階ですぐに行われるので、記憶にないからであった。
ミリーはロドルフの指示に従って、紋様の中心の円に右の手のひらを置いた。すると、金色の紋様が淡く光り始め、金色の光はオレンジ色と黄緑色に変化し、光が強まった。
それを見た大人たちははっと息を呑んだ。
「やっぱり魔力量が増えてる。しかも、風まで使えるようになっていたなんて。」
そう言ったのはミリーの父ウルマーだった。その表情はいつもの穏やかなものとはかけ離れたものだった。
マチルダはウルマーの隣でミリーの母子手帳の魔法関係のページを開き、適性の確認をした。それによると、適性ありは土のみ、適性可能性ありは水となっていた。適性ありとは、普段使うことができるであろう魔法属性のことで、適性可能性ありとは訓練を積み続ければ使えるようになる可能性がある属性のことである。
光の色からミリーが使えるのは土と風の魔法であり、光の強さから魔力量が以前より増えていることがわかった。風は適性可能性すらなかったのに反応している。
これは村の中でも前代未聞のことであった。
魔力量に関してはある程度日々の訓練によって増やすことができるが、今回のミリーのように突然急激に増えることはない。まして、適性属性が増えることはほぼあり得ないのだ。
ミリーの魔力の変化に最初に気がついたのはウルマーだった。ミリーの誕生日、ウルマーが彼女の頭を撫でた時、今までの彼女からはありえない魔力を感じ取ったのだ。ウルマーは感知能力に長けているのでそれに気がついたのだが、恐ろしいことにミリーの魔力は日々増えている気がした。娘の急激な変化を心配したウルマーがこの場を設定したのである。
ミリーはヴィンのことを話せないのでもどかしさを感じていた。心配する皆に全て話してしまいたかったけれど、ヴィンとの約束を破るわけにはいかない。もしもヴィンとの約束を破れば自分はどうなってしまうのだろうと、幼いながらに恐怖を感じていた。それと同時に、湧いてくる力に希望も感じていた。これで人並みに魔法が使えるんじゃないかと。
まだ実践に移していなかったものの、自分が新たに使えるようになったのは風の魔法だということにも気づいていた。というのも、頭の中に"ヴィント"という風の呪文が勝手に浮かび上がり、気の操り方がわかるようになったのだから。
そんなミリーの複雑な表情を読み取ったのはマチルダだった。
「ミリー、何かあったのね。」
マチルダは優しくミリーの頭を撫でた。ミリーは少し泣きそうになりながらどう伝えるべきか悩んでいたが、マチルダの後押しにゆっくりと言葉を紡ぎ始めた。
「えっとね、だまっていてごめんなさい。ゆめでしゅくふくをうけたの。」
その言葉を聞き、大人たちは目を見開いた。特に驚いていたのはロドルフだった。
「なんだって?!この歳になって新たに祝福を受けただって?!しかも精霊の祝福を覚えてるのか?!」
ロドルフは興奮してそう言った。ミリーはロドルフの勢いに驚きながら小さく頷いた。
彼が驚くのも無理はなかった。精霊の祝福とは、魔族やコンバーターが幼い頃に夢の中で精霊から魔力を授かると言われているもので、その夢自体を覚えている者はほとんどいないことからおとぎ話と言われているのだ。
「この前のたんじょうびのことだから、、」
「そうか。ったく、風の妖精は気まぐれだって聞いてたがここまでとは。これは今度カイ先生と相談すべき事案だな。」
カイとは、数年前にロドルフがイズールから招き入れた教員の一人で、魔族の歴史に詳しい人物である。
ロドルフは興奮が収まってきたようで、いやー魔法は奥が深いな、などと呟き始めたのだった。
ここでゲルデが何かを思い出したかのようにはっとし、ミリーの肩を揺すった。
「まさか、何かやばい対価を渡してないだろうな?命の一部とか、心とか!」
「たいか?」
言葉の意味がわからなかったミリーは首を傾げた。
「何かを渡さなかったか?力と引き換えに。」
その知識は古いイズールの魔法書に書かれていたことだった。ゲルデは人族であり魔法も使えないが、魔法が使える村人達のために魔法書なども読み漁っている。その中に、祝福を受けるときに対価をやり取りするのではという仮説が載っていたのを思い出したのだ。強い魔力を持つ子が短命であったり体が弱かったりすることが多いなどと書いてありながら、データや根拠がはっきりしないものだったのでゲルデの印象に残っていたのだった。
「えっと、、あ、それはだいじょうぶ。わたしたけど、そんな危ないものじゃないの。」
ミリーは困ったような笑顔を浮かべた。
本当はキャラメルをあげたことを伝えたかったが、それを言ってしまえば色んな矛盾が生じてしまう。
「そうか。言えないんだな。」
ミリーはヘルムートの出した助け舟に全力で乗っかるかのように大きく頷いた。
「やくそくしたの。」
その言葉で大人たちはミリーが置かれている状況を理解したようで、これ以上追求することはなかった。
「素敵な誕生日プレゼントになったわね。大切にするのよ。」
「うん!」
マチルダの優しい言葉にミリーは零れんばかりの笑顔を浮かべて頷いた。
◇◆◇
全身に白い衣をまとった旅人は、鮮やかな黄緑色の長髪をなびかせて雪原を歩いていた。
『次はどこにいこうか。あの子達の子孫を拝みに行くか。いや、』
ふと彼の脳裏に少女の言葉の一部が蘇り、少しばかりその美しい顔を歪めた。そして、白い外套の内ポケットから小さな桃色の紙を取り出して見つめた。
『僕たちのわがままを許しておくれ。』
そう言うと彼は踵を返した。
その瞬間に強い風が吹き、旅人は姿を消した。
この二人の出会いが互いの運命を大きく変えることになるのだが、それはもっと先の話である。
お楽しみいただけましたでしょうか。
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