見るその先に
お疲れ様です。
春眠なんとやら、と言いますが、年中眠い私です。
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——仄暗い遺跡の奥で、私は眠っていた。
何日も何ヶ月も何年も、ずっと、ずうっと。
いつしか私が誰であったのかすらも分からなくなって、もうどうしようもないのだと諦めていた。
あの子達が来るまでは——
✳︎
「ど、どうしよう......」
ボク、スグルはただ今男性用トイレの前に立ち尽くしています。
今日出会ったばかりの綺麗な女性とお風呂に入ったばかりか、トイレを覗いてしまって、食堂に戻る事も気まずくて出来ず、ただ呆然と立ち尽くしています。
と、取り敢えず出て来たら謝ろう、うん、そうしよう......。
でも、どうしてコウさんが男性用トイレに......? しかも立って用を足していたような?
罪悪感と今まで見てきた情報が混乱してしまって、最早整理するどころではない。
そうこうしているうちに、トイレを流す音が聞こえてコウさんが出て来た。
「待たせちゃったわねえ」
「あの......なんかごめんなさい」
「うん? 何があ?」
あれ? 怒ってない?
「あ、あの、男性用だから誰も居ないと思って......」
「んー? トイレは私も使うけどお......? あー、そっかあ」
コウさんは最初何をボクがどうしてこんなに謝っているのか理解出来なかったようだったが、すぐ理解した。
下腹部に手を当てて目を細めて彼女は言った。
「そうね、言うのが遅くなってごめんなさいねえ、私、下は女の子じゃ」
「は! はい! 大丈夫です見てません! れっきとした女性です!」
「そうじゃなくってえ」
多様な人、種族が交わるこの都市だから、性転換する人も居るだろう、配慮出来なかったボクが悪い。
しっかり受け止めてしっかり謝ろう。
そう思ったのだが、どうやら違うようだ。
「んふふふ、そっちでもないのよお」
「......へ?」
「私はねえ、どちらでもあってどちらでも無いのよお」
からかっている訳では無いのだろう、現にボクは彼女とお風呂に入って胸がある事は......確認している。
えっと、つまりは、見た目は女性だけど男性のアレが付いているわけで、どちらも本物で——
「女の子のも男の子のもあるのよお、私」
えっと、つまりは......?
「んふふ、急に言われても困るわよねえ、気持ち悪いと......自分でも思う時があるものお」
「そ! そんな事!」
下腹部に当てた手を見て、彼女は哀しい目をした。
............。
ええい!洒落臭い!
「でも、コウさんはコウさんですよね」
「んー?」
「ボク、上手いことは言えませんけど、男性がどうとか女性がどうとかじゃなくて、コウさんはコウさんですよね?」
「............!」
「トイレをノックもせずに開けた事を謝らせてください、急に開けてすみませんでした!」
大きな声でお辞儀をして謝るボクに、コウさんはキョトンとしている。
一呼吸の後、彼女はクスクスと笑い始めた。
目にはうっすら涙を浮かべている。
「ふふ......んふふふ、そうねえ、......私は私、かあ」
手を後ろに組んでホール内を歩くコウさん、その一つ一つの所作が女性らしくて、今後も彼女は女性として扱うべきだろうとボクは思った。
「今日は沢山のことがあってえ、疲れたでしょう? ゆっくり休むといいわあ」
「は、はい! と、とりあえずおトイレへ......」
「んふふ、どうぞお、私はちょっと夜風にあたってくるわあ」
ひらひらと手を振り、そのまま玄関口へと歩いて行く、よく見ればいつの間にやら酒瓶を片手に持っている。
酒に酔えない彼女は何を思って呑むのだろうか。
この時のボクには想像もできなかった。
用を足し終えたボクが食堂に戻ると、先程の企みがバレたのか、トビさんがリューさんを叱っていた。
「どうして貴方は毎度毎度人をおちょくってばかり!!」
「カカカ! でもスグルにお前の得意技を理解させるには丁度ええやろ? なあ? スグル」
リューさんがこちらに気が付いて手を振る。
トビさんは「やれやれ」という感じで溜息をつくが、さり気なくリューさんが食べ終えたプリンの入っていたバケツを食堂へと持っていった。
トビさん、なんだかお母さんみたい。
「コウとは話せたんか?」
「えっ、あ、はい!」
リューさんとフブキさんが心配そうな顔をしている、どうやら先程コウさんと何があったのか分かっている様だ。
「アイツの体質な、あまりいじらんとったってな?」
「勿論です! でも......」
「カカカ! 気になる、か......せやな、もうちょいスグルも色々出来るようになったら、コウから話すんとちゃうか」
「はい......頑張ってみます」
「その意気や! 改めてよろしゅうな」
「......はい!」
リューさんは、とても仲間想いな人なんだろうな。
陽気に振る舞っている様で、それでいて優しさを感じる。
きっと彼も、コウさんも、サヤさんや皆んなも、まだ会ってないメンバーも、色んな経験を積んだのだろうなと、彼の優しい笑顔を見ると思ってしまう。
「そんで、やな」
「あ、はい!」
「明日は朝からサヤ達の報告やら何やらに付いてってもらう予定やから、今のうちに、フブキにスグルの得意技の内容を鑑定してもらおうと思うんやけど、疲れてへんか?」
「大丈夫です! いけます!」
ずっと気になっていた事だ、そんな力がボクにあるのなら早く知りたい。
「よっしゃ! 善は急げや! フブキ!」
「あいあーい♪ んじゃ、スグルんはそこに立って目を閉じててね」
「はい......あの、立ってるだけで良いんですか?」
「いいのいいの〜、後はアタイがちょちょいって調べてあげるからぁ♪」
「よ、よろしくお願いします!」
ボクはピンと背を伸ばして目を閉じた。
「ビンビ〜ン♪ 書記お願いできるぅ?」
「どうぞ、準備は出来ています」
「んじゃいくね♪ スグルん、まずはりら〜っくす! 深呼吸しよう」
「す〜......は〜......」
言われるがままに深呼吸をすると、フブキさんが自分の額をボクの額に当ててきた。
「えっと! あの、ちょ!」
「はい力まなぁい! 集中して!」
「はっ! はい!」
狐耳がピクピク動いているのが額から振動で伝わる。
改めて見ると足元で大きな狐の尻尾がふわふわで気持ちよさそうだ。
彼女の吐息が伝わってくるのが分かってこそばゆい。
......じゃない! 今は集中しなくっちゃ。
ボクは目を閉じて自分の中に集中する。
「いい? 自分のオデコにもう一つ眼があるって思ってみて、そこに集中するの」
「はい......」
額に意識を集めていく、フブキさんの額の温もりに、自分の脳の先端に。
「サヤりんの報告書を見たよ、シールドベアを倒した時、スグルんはどんな感じだったのか、想像してみて」
「............。」
あの時は無我夢中だった。
自分が死ぬかもしれない、でもこのままではサヤさんがまず死んでしまう。
その時、何を考えていたのか......。
脳裏に焼き付いたあの痛み、焦燥感、怒り、恐怖、助けたいという願望......。
「............力が少しでも『借りられるなら』......」
「おっ♪ きたきたっ」
「ほおう、『借りる』......なあ」
「団長は黙ってて! スグルんそのまま〜そのまま〜......」
考えがまとまりそうで、まとまらない。
まるでモヤを掴もうとしているような感覚。
蛇の様な、龍の様なモヤが、頭の中を駆け巡る。
【ヨコ...セ】
あの時、どういう感じだった?
......なんだろう、身体が軽くなったような、誰かが背後から後押ししてくれたような......。
【...コセ......——...ヲ...ヨコセ】
「きたきたきた♪ ......っ?!」
「フブキさん? どうしました?」
「......待って、何この感じ......何?」
【ヨコセ!】
「フブキ何があったんや?! ちゃんとせえ!」
「アタイの力が逆流? なにこれ、怖いんで...すけ......ど」
【オマエノ——ヲヨコセ!】
「おいトビ、やめや! フブキを止めぇ!」
「フブキさん!?」
【ヨコセエエエエ!!!!】
「ぁああいやあぁああああ!!!」
バチっ!!
「きゃんっ!」
突然、フブキさんが叫んだかと思うと、ボクの前から弾き飛んだ。
飛ぶ彼女を即座にリューさんが抱き止める。
しまった! 集中し過ぎてどういう状況なのかわからなかった! なにが起こっている??
「おいフブキ!! しっかりせえ!」
「きゅぅ〜〜〜〜」
「おいこりゃあ.....トビ! 桶とタオル!」
「はい! スグルさんは無事ですね?」
「あ......はい」
突然の出来事に、思考が停止してしまった。
「あの......フブキさんは...一体?」
「大丈夫や、気にすんなスグル......コイツは多分ショートしたんや」
「ショート?」
そういえば、彼女はさっき自分の得意技を説明する時に、古代の遺物など情報が多い物を見ようとすると、脳にダメージが来ないようにストッパーが掛かって気絶すると言っていた。
これが......だとしてもどうして?
「カカカ......こいつぁ今回の新人はとんでも無いのが来たようやなあ......クカカカ」
フブキさんを抱いたまま不適に笑うリューさんは、何処か怖かった。
「さっきも言うたけど、フブキが得意技鑑定でショートしたんはこれが三度目や、一度目は俺、二度目はコウ、そして次はお前や、スグル」
「ボクが、三度目......」
「カカカ......おもろいなぁ......クカカカカカ!」
リューさんの表情は、妖刀を手にした戦士のそれだった、怖い。
——バシッ!
トビさんがリューさんの頭を叩く。
「いたっ! なんやトビぃ! 今ええとこなんやけど!」
「いいから早く彼女を部屋に運んでください、僕が看病しますから」
「なんやもぅ、しゃーなしなあ、スグル! 取り敢えず今日はお開きや、なんやこう、あー、後はサヤとコウに聞いてや!」
「ええっ?! あの、はい!」
ぶん投げられた。
こうしてボクはそのまま食堂に一人残された。
なんだったんだろうか.....鑑定を受けていた時のあの感覚、まるで知らない誰かが背後から何か話しかけてきたような......うーん。
先程の状況を思い返して唸っていると、書類の束を持ったサヤさんと、顔を赤らめた、ほろ酔いのコウさんがやってきた。
「おや? スグル少年一人かい?」
「あらぁあ〜、んふふ、ひとぼっちねえ〜」
「サヤさんコウさん、実は......」
ボクは状況を説明した。
「はっはっは! なるほどなるほど! それは災難だったねスグル少年!」
「んっふふう、今日はあ、面白いことがいぱあいねえ? んふふ〜」
「あの......コウさんは一体......?」
明かに酔っている、というか何やら強いアルコール臭がする、さっき持っていた酒瓶と思われる物の空き瓶を手にしたコウさんがフラフラしていた。
......あれ? コウさんって、『超回復』の効果でアルコールも無毒化するはずじゃ......
酒瓶のラベルを見ると、東の国の文字で読めないが[木精]と書いてあった。
コウさんでも無毒化しにくいほど強いお酒なのだろうか?
「スグルくんもお、のんでみるう? ぶっとぶよお?」
「はっはっは! 飲まない方がいいぞ! 多分アタシでもソレ一滴で失明するから!」
「?!」
自殺願望でもあるのかこの人は?!
「しかたないじゃなあい〜、わたしはこれぐらいじゃなあいと酔えないんだからあ」
後で聞いた話なのだが、この[木精]、お酒ではなく燃料などに使われる液体らしい。
全ての毒性を無効化するが、そうでもしないと酔えない身体というのも、些か不便だなと思った。
まあ、ボクはまだ未成年なんですけどね!
ボクの来訪が突然だったので、部屋が無く、まだ少し酔いが冷めないコウさんを連れてボクは二人の部屋へと入った。
メンバーの宿舎はホームの二階に左右に分けてそれぞれある。
サヤさんとコウさんは相部屋で、左に上がった一番奥の部屋、それ以外のメンバーは個室があるのだそうだ。
「お、お邪魔します」
「んふふ、どうぞどうぞお」
「散らかってるけど気にしないでくれ!」
彼女達の部屋は大雑把に言うと、二十畳程の広さで、左右に分かれて机があり、真ん中に大きなベッドが一つある作りだ。
右の机の方には壁に本棚があって、ビッシリと薬学や、それに関する歴史書、中には言語のよくわからない本が並んでいて、机の上には乳鉢や秤、カラフルで見た目じゃなんの液体なのか分からないものが入ったフラスコに試験管等が沢山ある。
一目でコウさんの机だと分かった。
反対の机の周りには、トロフィーが幾つも並んだ棚と、様々な大きさの、両側に鉄の重りが付いているダンベルと呼ばれる道具が床に沢山置いてあった。
机の上には色々な色の鉱石が置いてあって、それぞれにタグがついている、タグには重量、硬度が記載されていた。
こっちはサヤさんの机なんだろうな。
というか、二人で一つのベッドなんだ......。
「ん......ゴク......あーあ、もう酔いが冷めちゃったあ、コレじゃそろそろ足りないかしらねえ」
「はっはっは! そろそろ劇物を嗜むのも諦めたらどうなんだい!」
「私だって酔いたい時ぐらいあるわよお、今度ソレ用に調合しようかしらあ」
「あ、あの、じゃあボクは床にでも寝ますんで——」
「あらだめよお、今日来たばかりの子を床に寝かせるような事はさせられないわあ、ねえサヤあ?」
「スグル少年!」
「はいっ!」
「ばんざーい!」
「ばっ?! ばんざーい!」
「はい捕まえたっ!」
言われるままに万歳してしまったボクは、サヤさんにまたもや抱っこされて大きなベッドの中央に置かれてしまった。
そろそろ彼女の抱っこに慣れてしまっている自分が悲しい。
「あああのえっと」
「はい!明日も早いから寝る!」
「はいっ!」
「んふふ、失礼しまあす」
「あああわわわわ」
中央でピンとした状態のまま横になるボクの両側にサヤさんとコウさんが横になる。
つまりは両側に添い寝の状態になっているわけで......。
「ちょ、ちょっとこれは......恥ずかしいと言いますか」
「大丈夫よお、なあんにもしないからあ、それにい......ほら」
「すー......」
「サヤさん寝るの早っ!?」
「スグル君も早く寝なさあい? 明日から忙しくなりそうだからあ」
「そ、そうですね......それじゃ、おやすみなさい」
「はあい、おやすみい」
ボクは目を閉じる。
............。
「すー......んっ......んー......」
寝ぼけたサヤさんがボクの腕にしがみつく。
彼女の胸の感触が二の腕に......。
............。
寝れるわけないだろ!!
「んふふ、落ち着けなあい?」
コウさんが声を掛けてくれた。
コウさんは枕を抱いて、口元を隠して此方を見ている。
今更隠せてないが、酒気と薬の匂いを気にしているのだろうか?
だが枕のお陰でコウさんの胸までもが腕に当たるという心配は無さそうだ。
「そりゃあ......綺麗な女性に囲まれてたら......」
「あらあ、んふふ......あんな事があっても女性って言ってくれるのねえ?」
「言ったじゃないですか、コウさんはコウさんです」
「んふふふ、そうねえ......」
「はい、そうです」
「......ありがとう」
コウさんから漂う酒気に当てられて、ボクも酔ったのだろうか、なんだかふわふわする。
「サヤを助けてくれて、ありがとう、私の事も——」
そう言っていた様な気もしたのだが、その時にはボクはもう眠ってしまっていた。
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——フブキの部屋。
「きゅ〜〜〜」
「団長、コレは一体どういう事ですか、フブキさんがショートする様なレベルの情報量を持った得意技は、団長やコウさんの様な特殊な人間に限定される筈では?」
「カカカ! そのまんまやろな、アイツも特殊な人間やったっちゅーこっちゃ、まだ身体も技術もなんもあらへんけど......アイツは化けるかも知れへんで」
「でも得意技が結局分からずじまいでしたね」
「いーや、そうでもないかもしれん」
「何か気が付いた事でも?」
「ショートする直前、『借りる』とスグルは言うた、もしかすると......トビぃ、お前明日からちょっと色々忙しくなるで、覚悟しいや」
「僕は副団長としての責務を全うするだけですよ......それと報告が」
「どないした?」
「スグルさんのお父様の手帳に挟まっていた羊皮紙、先程フブキさんが一部解読しました」
「ほう、言うてみい」
「『邪を集めたるドラゴン、眠りよりおどろきき』」
「ここまでです、後は暗号化されているらしく——」
「いーや、でかした! トビ、フブキ、大成果やで」
部屋の窓から外を見るリュー、その目は此処ではない、遥か遠くの誰かを『威圧』している。
そのまま部屋に目線を移してしまえばトビやフブキが影響を受けてしまうからだ。
感情を抑え切れずに発動している『威圧』は、窓をビリビリと振動させる。
「クカカカカカカ......やっとや、やっと前進し始めたな」
「団長......それじゃやはりこれは」
「せやで」
「邪竜はもう起きている」
如何だったでしょうか?
ここまでで、物語中の1日目がやっと終わりです。
次からゆっくりと動き始めます。