エルフの少女
森の中をどんどん進んでいくと、途中で日が完全に落ちた。暗い森の中でガブの背中だけを頼りに歩いていると、ほんの少しだが明かりが見えてきた。
「着いたっちゃ」
木の柵に囲われた小さな村。テントのような家が十数個あり、明かりは入り口と家々を照らす程度で心もとない。
ガブは柵を開けて中に入る。オレのそれに付いていくと、一直線に家の一つに入っていった。
「帰ったぞー」
「わぁ! ガブお兄ちゃんだ!」
「お帰り、兄ちゃん!」
「おお、いい子にしてたっちゃ?」
「たっちゃ、たっちゃ!」
ゴブリンの女の子が嬉しそうに飛び跳ねる。ガブの兄弟だろうか。
「兄ちゃん‥‥‥」
兄弟三人で楽しそうにしていたので、どうしようかと一口で立ち尽くしていると、男の子が不安そうに指を指してきた。
「オレは――」
「こいつはおれっちの友達だっちゃ。悪い人間じゃないから大丈夫だっちゃ」
オレが何か言おうとすると、ガブが簡潔に説明してくれた。
「どうも‥‥‥榎並アキラです」
「ほら、お前たちも挨拶」
「ガベだよー」
「ガボ‥‥‥です」
「おれっちの妹と弟だ」
「それは見てわかるけど‥‥‥」
「じゃあおれっちはお隣さんにおすそ分け行ってくるっちゃ。ちょっと待っててな」
「わかった!」
ガベが元気よく挨拶をする。すると当然ゴブリン兄弟と残されることになる。ガベは人間が珍しいのか、オレの体を触ったり、いろいろ聞いてきたりした。その点、ガボは不安そうにオレと距離を取っていた。そりゃ急に人間が来たら警戒するよな。みんなガブみたいに友好的ではない。
「戻ったぞー」
五分もすればガブは戻ってきた。
「おかえりー!」
ガベはまた元気よく返事をし、ガボはガブの後ろに引っ込んだ。
「アキラは怖くないから平気だぞー。見てみろ、全然イケメンじゃないだろ? 兄ちゃんの方が格上だ」
「ほう、言ってくれるじゃないか」
「なんだぁ? まだおれっちに勝てる気でいたのか?」
「その減らず口を叩けないようにしてやる」
オレは部屋にあった机にどんっと腕を置く。それに反応してガボが身を震わせた気がする。
「腕相撲で勝負だ」
「いいだろう」
と言うことで、オレとガブの腕相撲が始まったのだが‥‥‥。
「うそ、だろ‥‥‥?」
結果は圧倒的にオレの負けだった。腕を倒された勢いで体が吹っ飛ぶかと思うくらいに豪快な負けっぷりだ。再戦を挑もうという気すら起きない。
「お兄ちゃんつよーい!」
「ほっ」
兄が勝ったことで嬉しそうにしているガベとは裏腹に、ガボは安心したような吐息。
「それじゃあ飯にするっちゃ」
「今日は何にするの!?」
「今日はガベの好きな塩焼きだぞー」
「やたー!」
手放しで喜ぶガベ。どうも感情が表に出やすいらしいな。ガボは少し嬉しそうに口角を上げた。オレがいることに気が付いてなかったときはもう少し楽しそうにしていたのに、やっぱり邪魔をしただろうか?
「アキラは気にしなくていいぞ」
「? ああ、わかった」
それが何に対してか、オレは生返事を返した。
§
食事は鮎っぽい魚を塩焼きにしたものだった。キャンプに行った時を思い出してなかなかに楽しい食事だった。ガベがしきりに話をしてくるので明るい空気も保てていた。
「ごちそうさま」
「お粗末っちゃ」
ガベとガボは食べ終えるとすぐに寝てしまった。今は二人で食後の待ったりタイムだ。
「今日は泊っていくんだろ? もう夜も更けて人間にはこの時間は森は危ないっちゃ」
「そうさせてもらえれば助かる」
「気にするなっちゃ」
ガブは嬉しそうに笑う。
「食事までもらって、ガブはオレの命の恩人だな」
「そんなことないっちゃ。困ったときはお互い様っちゃ」
「そうだな。じゃあ何か困ったことがあったら何でも頼ってくれ」
「アキラみたいな貧弱な人間に頼ることなんてないっちゃ」
「そこは素直に返事してくれよ」
「考えておくっちゃ」
ガブはそういうと明かりを消した。寝るということだろう。
異世界に来て最初の夜がゴブリンと一緒というのは、なかなかオレの想像していたものとはかけ離れている気がするが、これはこれでいいのかもしれないと目をつむった。
§
翌日、オレは喧騒によって起こされた。
意識はまだ夢の中にあったが、無理やり引っ張り出して目を開ける。すると、眼前に無数の緑の顔があった。
「うっ、うわ!」
オレは驚いて飛び起きる。そして自分がゴブリンの村に来ていたことを思い出した。
「おお、人間が起きたぞ」
「儂は人間を見るのは20年ぶりじゃ」
「儂なんて40年は見とらんぞ」
オレを囲うように押し寄せるゴブリンの大群。どうやら人間が珍しく見に来たらしい。
「お、アキラ。起きたっちゃ?」
「これは何の騒ぎだ」
「この村に人間が来るのは半世紀ぶりだとかで、みんな大騒ぎしてるっちゃ。気にしなくてもいいっちゃ」
「気にするなと言われても‥‥‥」
ガブの声は聞こえるが、姿は見えない。それくらいにオレの周りをゴブリンが埋めているのだが、そう簡単に開放してくれはせず、質問攻めや体をペタペタと触られまくってやっと解放された。
「うう、もうお嫁にいけない」
「アキラ、実はメスっちゃ?」
「これはそういうテンプレなの」
真面目に返してきたガブを軽くあしらう。
「まあ今日はゆっくりしてから帰るといいっちゃ」
「そうするよ」
「それじゃあ村を案内するっちゃ」
ガブはオレの前を歩いて村を紹介してくれる。あまり広い村ではない。俺一人で歩いていてもすぐに見終わってしまうだろうに、わざわざ案内することにガブはこの村が好きなんだなと理解する。
「もう終わったっちゃ」
案の定、ほんの二十分で村をまわり終えた。すぐに終わって残念そうにしているガブに提案をする。
「じゃあ森も案内してくれよ」
「いいっちゃ! 任せとけ!」
するとガブは嬉しそうに村を出た。
§
村の周り程度。それくらい見て回れば十分だろうと思っていたのだが、ガブはどんどん奥に進んでいき、もうオレ一人では帰り方がわからないくらいに遠くに来ていた。
「そしてここがおれっちの穴場っちゃ」
もうそろそろ戻ろうと急かしたオレに、最後の一つだけだと仕方なく付いてきた場所。それは森の中でも舗装された道だ。
「この道は王都とエレキネルを行くには必ず通る場所っちゃ。だからこの道を見ていれば王都から運ばれてきた食べ物や道具が荷台から落ちて来るするっちゃ」
「それをもらうわけな」
「王都のものとなれば品質は当然高いっちゃ。アキラ以外には誰にも教えていない穴場っちゃ」
そんな穴場を教えてくれたのは、気を許してくれているのか。それとも単なるきまぐれか。自分の取って置きを披露したい気持ちはわかるしな。
そうこう話している間に、遠くから馬車が走ってくるのが見える。速度はそこまで遅くはないが、なるほど縦揺れが大きい。特にここを通るときは凹凸も多そうだ。だからこその穴場、揺れが大きくなって落ちやすいってことなんだろう。
案の定ぽろぽろと荷台から赤い果物が落ちてくる。数は二つ三つ程度だが、一人なら十分だろう。馬車が去るのを見計らって取りに行こうと体を前傾に保つと、馬車は最後に大きなものを落とした。
「なんだ‥‥‥あれ。人‥‥‥?」
ガブは警戒するように遠めに見ている。が、オレは迷わず崖を滑り下りた。
「あ、おい。待つっちゃ!」
静止の声も聴き流し、倒れる体を持ち上げた。
「うぅ‥‥‥」
「よかった息はある」
荷台から落ちたショックで打ち所が悪ければ万が一もある。ひとまずは安心した。それにしても‥‥‥ゴブリンのような緑の肌ではない。肌は白いが、その白い肌は煤や泥で汚れている。深くかぶったフードで顔がよく見えず、それを剥いでやると、彼女が人間でないことはすぐにわかった。
「エルフっちゃ」
「そうだな‥‥‥」
特徴的な尖った耳。エルフの外観的特徴をそれ以外に知らなかったが、ガブが言うなら間違いはないだろう。それにしても。
「酷い傷だ」
荷台から落ちた衝撃だけではない。それ以外にも古いものから新しいものまで多くの傷が混在している。
「とにかく運ぶっちゃ」
「ああ」
オレはエルフの少女を背中に乗せてゴブリンの村に帰った。