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うさぎの眼

作者: 椿姫 琴音
掲載日:2018/08/15

うさぎの目が赤いのはさみしくて、たくさん泣いたから。


うさぎが声を出して泣かないのは、ひとりぼっちだから。悲しくて、不安でいっぱいの暗闇では、声は必要ないと思ってどこかに置いてきてしまったからだ。暗闇の中では、ただ生きるだけ。ひたすら、生きて、息をして生き続ける。


もちろんひとりぼっちで。


だから、食事とトイレも決められた作業だ。おいしいとか、マズイとかそうゆう味覚や感動は要らない。生きるため、命を続けるために、食事をする。


たったひとりで、誰に命令されたわけではなく、産まれてきたときから、元々私の中にある機能がそうさせている。


自分はここに居るが、心はない。心もどこかに置いてきてしまった。いや、もしかしたら元々心なんて無かったのかもしれない。


だから私には、私という物はあるが、その中身がない空っぽだ。己がない。実に楽なことだ。何も考えなくていい。やることはすべてマニュアル化されているため苦でもない。


しかし、最近おかしなことが続いている。望んでいないのに、勝手に目から涙が出たり、いきなり不安で押しつぶされそうになったりと矛盾の毎日を送っている。


無の状態なはずなのに、なぜこのようになってしまったのか、分からず、私の体は矛盾のせいでボロボロになってしまっている。不安や悲しさを無くして無に戻るために、マニュアル化を徹底して項目を増やした。動くことで無心になり、元の状態に戻れると思ったからだ。


何のために動いているのか、分からなくなるまで、ひたすら行動する。

そのため、今の私は死んでいる人より死んでいる。無に戻ることもできず、目の前の矛盾にも対応できず、踠いて苦しんでいるのだ。


誰に命令をされたわけでもないが、本当の自分をさらけ出さないようにして生きている。

自分というものを自分で偽り、作り上げ、それを維持することに必死の毎日だ。


必死になることで、無心になれる。

だから、必死に自分を稼働させ、なんで自分が動いている理由もわからなくなるくらいまでに到達させる。

そうすることで、楽になれると勘違いしていた。

私が行動していることは、脳が学んだことをマニュアル化して、その通りに作業しているだけだ。


例えば、目の前で話をしている人がいるとする。その人はニッコリと笑顔で合図をしてくる。その笑顔の合図に私もニッコリと返す。

好意的にそうさせているわけではなく、これも脳がそうすると良いと学んでマニュアルに埋め込まれたからである。


他にも辛そうな人には、頑張れ!と応援したり、大丈夫?と心配したり、一緒になって笑ったり、泣いたりしてする。人として生きていく上で必要な「共生」という言葉から外れないように作業しているのだ。


私の周りの人には当たり前のように、感性があり、心を持っている。感動したり、共感したりしているが、心が無い私にとっては、これらすべての行為は作業にしか過ぎない。


そのおかげか、思い入れのあることや今すぐ会いたいと思える人がいない。


思い出がないと言えば嘘になるが、私に残されているものは、思い出というよりも記録だ。


思い出というは、思いが強く、心に残って刻まれるものだ。よく昔聞いていた音楽を聴くと、そのころの情景や風景を思い出して、懐かしいと感じる。


心に刻まれているからこそ、思い出すだけで、その時にタイムスリップすることができ、昔の自分と今の自分両方の感情を味わうことができる。幸せな思い出も悲しい思い出も時々、思い出すことによって、記憶が上書き保存されるため、自分にとって都合のいい思い出になっていく。


このようにして、心の中の思い出は整理されていく。辛いことがあっても前に進めるように、神様が人間に与えたプレゼントなのかもしれない。


しかし、私にはそのプレゼントは、きちんと貰えなかったようだ。神様の発注ミスなのか、前世で私が悪いことをしてそのせいなのかわからないが、一番大切な心の中身がないまま生まれてきてしまった。


そのため、心という器だけ与えられた私に残っているのは、こういったことがあったという「記録」だけだ。

小学校に入学をして、教室で勉強をして、運動会をやって、卒業式をして、毎日給食も食べた。

このようにあった事実だけはきちんと記憶として残っている。

楽しかったか、ドキドキしたかは覚えていない。

その日が夏だったことは、記憶されているが、どのくらい暑かったのかはわからない。遠足でイチゴ狩りに行って、たくさん食べたことは、覚えている。しかし、そのいちごが熟している甘いイチゴだったのか、それとも少し酸っぱいイチゴだったのかは、覚えてない。


本当に私の記憶は薄っぺらなものだ。しかし、思い出しても私の場合、上書き保存されることがない。そのため、ほかの人の記憶よりは正確な記憶を所持している。


みんなが都合の良いように、改ざんした過去の出来事もすべてそのまま記録として残っている。しかし、私ひとりが、その正しい記憶をもっていたとしても、どうすることもできない。


たとえ、正しい記憶を公表したとしても、他のみんなが、同じように改ざんしてしまっていたら、私の記憶が偽りのものとして認識され、ただの噓つきになる。共存をするためには、そのようなミスを犯してはならない。


そのため、なにもすることもなく、いつものように記録をそのまま保管する。


 私の記憶は薄っぺらいが、とても正確なものだ。

しかし、誰も助けることができない。






どこにでもある「いじめ」の話。


たった三文字で片づけられているけれど、その言葉には、数え切れないほどの悲しみ、苦しみ、そして憎しみが存在する。決して、三文字で簡単に表してはいけない、奥が深く残酷なものだ。


受ける方にとっては、地獄のようなとっても辛いものであるが、行うものにとっては、快楽のように感じ、生きがいとしている人もいる。このように、全く別の意味を持つ。


誰にでも簡単に行うことができるから恐ろしい。ターゲットがいればすぐにその世界に入ることができ、抜け出せなくなる。そう、麻薬のように一歩踏み込んでしまうとなかなか抜け出せない。周りも巻き込んで、どんどん大きな力になっていく。火遊びのように、最初はマッチ一本だったはずの火が周りに燃え移り、小さな火がどんどん大きな炎になっていく。


先生達の小さな呼びかけなんて、バケツリレーで行う水と同じで、「みんなで力を合わせて頑張っています。」といった形だけでは大きな炎を消すことはできない。


だから最後の最後には、冷たい大粒の雨が降って炎を消すことになる。


その大量の雨は、みんなの涙だ。

罪悪感でいっぱいの涙。

助けられなかった、という傍観者の声。

また助けて欲しかったと泣く被害者の悲痛な叫びなど様々な思いが雨となって落ちて悲しみで炎を消す。


そう。


いじめの炎を消すためには、誰かの犠牲が必要だ。


そして、その犠牲を使い、自分達の涙で消す。

炎が無くなって加害者はやっとこと重大さに気づく。

自分が間違っていたことに、いまさら気づいて申し訳ないと思う。

「こんなことは間違っている」と。

 確かに、私たちは、完璧ではない。そのため何度も間違えを繰り返して、学び、答えを見つけ出すこともある。私たちが生きていくために、必要な問題だ。


けれど、間違っていいこと、悪いことくらいの判断はできるはずだ。その判断を鈍らせるのが、「麻薬」だ。


人の命を犠牲にしないと自分が正しいのか、間違っているのか判断できないなんて、とても恐ろしいことだ。私がその世の中に生きているということも恐ろしい。


だからか。


命を犠牲にしたいじめは、罪悪感でいっぱいで思い出として覚えているが、しかし日常で起きている小さないじめは、誰もその炎を消すことがないため、ズルズルと続いて長いため、記録として残しているのだ。


そのため、誰が誰にいつ、どのようにいじめられていたか、きちんと記録されていない。

いじめという事実はあった。どこにでもあるようないじめがあった。


いつ始まっていつ終わったのかわからない。


もしかしたら、自分がいじめられていたのかもしれない。


または、いじめていた方かもしれない。


しかし、私たちに残されているのは、思い出の記憶ではなく、そこにいた自分の記録のみだ。だから、悲しくも辛くも、罪悪感もない。薄っぺらな、記憶のフィルムだけが残されている。





毎朝決まった時間にアラームがなる。


そして、決まってアラームを止めてまた眠りに戻ってしまう。


朝の時間は、とっても貴重だ。お金では買えないし、誰かに貰えるわけでもない。一分一秒、無駄にできないが、私の睡魔に使い果たされてしまい、結果、十分後のスマートフォンの待ち受け画面に表示されている時間をみて、慌てて起きる毎日だ。


パーマでうねっているのか、寝癖なのかわからない髪を水に濡らしてワックスとスプレーでセットする。いつも通りの髪型に戻ってくれて安心する。

そして、すぐに歯磨きをして、ウォーターサーバーの水をイッキ飲みして、急いで車のエンジンをかける。


メイクはいつも車の中で行うため、バックミラーとダッシュボードが私のドレッサーになっている。と、言っても、綿棒とコットン、パウダーファンデーションしか入れていない。マスカラとかリップは車内が高温になるので、干からびてしまうのだ。


前に一度マスカラを車内に置き忘れて、カラッカラに干からびてしまったことがある。


おかげで、メイク途中のままコンビニに入ることになり、中途半端な顔をイケメンの店員に見られてしまうという大失態を犯してしまった。それからそこのコンビニには、朝寄ることをやめた。二度とこのような失態を起こさないように、液状のもののコスメは、ポーチに入れて置くことにしている。


コンビニでは、いつもアイスコーヒーを買って、まだ起ききれていない体に無理やり流し込み、体を仕事モードに切り替えさせる。まるで機械のスイッチを入れるかのように。


十人十色という言葉がある。


みんな違ってそれぞれの色、個性をもって人生を送っている。みんな違ってよい。


素敵な言葉だと思う。


みんな違っても、みんなが平等。どんな人でも共存することを許されている。


わたしの中には、たくさんの私がいる。だから十人十色ではなく、ひとりで十色だ。そんな私でも、この言葉のおかげで共存することが許されている。


私は人と話をする時、本当の自分でなく偽りの自分でいる。ある時は、幼少期苦労した女の子。ある時は、学生時代悪くて、今は丸くなったという設定の女の子。


なぜこんな嘘をつき続けているのかというと、本当の私が空っぽだからだ。


・・・何にもない空っぽ。


小学校のときは、いじめに、あっていたが、学校が問題にするような大きなものではなく、数日間だけ仲間はずれにされるような小さなものだった。

だから、自分一人が悩むだけで誰も助けてはくれない。


数日間は辛い思いをして、その期間が終わるとモヤモヤしたまま、元のグループの子と笑っていた。

とっても中途半端。

そんな自分が嫌いだった。テレビなどで取り上げられているいじめは、呼び出されたり、クラス全員と戦ったりと言ったものだが、私が受けていたものと比べるととてもスケールが違いすぎて、逆に恥ずかしい気持ちになる。


私の人生は本当に中途半端・・・


だからこそ、本当の自分でいるのが怖くなる。中途半端でなんの魅力も取り柄もない自分でいるより、何か一つ問題や特技を持つことで、強くなれるきがした。


私の話を聞いてくれる。


私が私でいられる。


どんな形であれ私のことを見てくれる。知ってくれる。それだけでいい。仲良くなれなくても、知っていてくれていれば、私はその人の中にいる。


私が今生きている世界がわかる。生きている意味がある。

だから私は今日も偽りの自分で生きていることを実感する。


平日は家と仕事場行き来するだけなので、偽りの自分は一人だけ。

仕事場では、家が貧乏のため奨学金で大学を出て一人暮らしをしながら、返済に追われているという設定。だから、毎日お昼は手作りのお弁当(ほぼ冷食を詰めたもの)を食べている。


「お疲れ様です。」


「お疲れ様です。えらいね。毎日お弁当なんて」


「まぁ、詰めただけですけどね。それに少しでも節約しないと!」


貧乏な子は無駄に明るくて元気で、しっかりしたというイメージがある。

勝手なイメージを自分の中で作ってそれを完璧に演じる。

それが私の一番の快楽だ。

どう思われたいのか、どう見られたいのか、全て自分で決めて自分で演じる。

確かに嘘はいけないし、人を騙してはいけない。けれど、私の嘘は誰も損をしない。お金を失うこともない。探偵を雇わない限り、本当のことはわからないし、分かっても誰も傷つくことない。可愛そうな子と思われるだけ。

それに本当の私を見ても、空っぽだし、魅力もない。なんとも思うことはないだろう。

その方がよっぽど恐ろしい。私が今ここにいる理由が欲しい。

だから、偽りの自分を演じる。


職場では、決まった仕事を淡々とこなす。言われたことだけやる。


それだけでお金が貰える。だけど、私が演じる貧乏な子はそれだけじゃ駄目なのだ。


毎朝みんなが来る前に、出勤しディスク周りを整理して、手作りの朝ごはんを食べながら、みんなを待つ。そして、みんなが出勤したら、いつものように笑顔でおはようございますと挨拶して、今日も元気だなぁこの子、偉いなぁって思って貰えるようにする。


こうしておくことで、みんなの私に対する印象を淡々と仕事をこなすだけの子から、仕事を頑張っている子と上書きしているのだ。それに万が一仕事でミスをしても、ただの社員がミスをしたというより頑張っている子がミスをしたということのほうが、みんなの理解もあり仕事がしやすいのだ。


つまり、自分で自分のブランドを作っている。このブランドがある限り大抵の事はうまくいく。


女子会では、彼氏との仲良し話(ノロケ)一割、残りの九割は悪口で成り立っている。

毎回、いろんな彼氏の悪口を聞く。よくそんな嫌いなところでてくるよな。と思いながら、聞いている。そんなに嫌いなところがあるなら、なんで付き合ったのだろうと思うが、それにはちゃんとした理由がある。

ノロケ話は、正直聞いていて、疲れる。幸せな話を幸せに聞けない女子たちの集まりが女子会なのだ。何より、共感できない。つまらない。自分より幸せな人は、なんだか許せないのだ。

その点も分かったうえで、悪口を言い合っている。

あくまで、自分を守るために。


こんな毎日を送っていると、寝る前にとって不安になる。


演じる必要がないため、本当の自分になっていることが一番怖い。今、この時をどう過ごせばよいのか分からなくなって、早く明日になってほしいと願いながら、目を閉じる。


人の前にいるからこそ、その場にあった自分になる。けれど、一人のときは誰でもない。

空っぽの器だけで過ごすのは、とても恐ろしいことだ。自分がこのまま消えてしまうのではないかと思い生きている心地がない。

もし、このまま消えてしまったら、みんなは気づいてくれるのだろうか。

みんなの中で私は、ちゃんと思い出として記憶されているだろうか。とても心配してしまう。だからこそ、きちんとひとりひとりを演じきらなくてはならない。ただの記録としてではなく、思い出として私が残れるように。




ある日、女子会の話題は私の彼氏の話になった。

今の彼氏とは半年前になんとなく付き合い始めて、なんとなく続いている。とても優しくて、余計なことは聞いてこない人。会える時にあって、ご飯食べて、それなりに恋人らしいことをしていた。こんな私のどこが良いのだろう?どの私を好きになったのだろう?と、いつも考えているが、もちろん直接聞くこともできず、モヤモヤしながら日々を過ごしていた。


「彼氏と最近どう?」


唐突に質問された。いきなりだったので、なんて答えようか考えていたら、もう一人の子が、追い打ちをかけるかのように、


「もう半年だよね?もうそろそろ嫌になってきたころじゃない?」


これで、完全にノロケ話をしてはいけない空気になってしまった。

 

この場に対応するために、一気に頭を働かせ、この場にあった自分を探す。付き合っているのに、少し彼に遠慮ぎみ。別に見返りは求めないが、自分だけが好きって思っていて辛いというはたから見たら、健気に恋する女の子。けれど、本当は、そのことに気付いて欲しいと思っている、とってもめんどくさい女の子。


これでいこう。

 

私は、完全に面倒くさい女の子になりきって二人に、返事をした。


「まぁ、そうだね。少し嫌なところはある」


話に乗ってしまった自分が情けないと思いながらも、このふたりと今の時間を共存できていると思うと安心した。でも、困ったことに、彼はとっても優しくて悪い所が見当たらない。

というより、彼をきちんと見ていなかったため、彼のことがよく分からないのだ。

彼のことで今すぐにわかることは、電話番号と生年月日くらいだ。どんな色が好きとかいつも飲んでいるコーヒーに砂糖を何杯入れるのかとか覚えていない。とりあえず、この場は切り抜けなくてはならないため、言葉を続ける。


「何を考えているのか分からないんだよね。無口だし。一緒にいて、私ばっかり喋っているし、本当疲れちゃう。」


無口以外は、ほとんど嘘の塊。いつも通り偽りの世界を作り出した。ちょっとだけ罪悪感があったが、このふたりと彼氏が会うことはない。だから、嘘をついても大丈夫だと思った。


「そっかー。それは嫌だね!ちょっと不安になるよね!」


「私の彼氏も何考えているのか、わからないんだよねー」


「そうなの?」


「あ、そうだ。最近出来た彼とはどう?」


「それがね〜」


思いのほか、盛り上がらず次の話に流れてしまった。嘘までついたのに、結構あっさりしていて、驚いた。でも、これで当分、自分の番は回ってこない。適当に相槌を打ちながら、ドリンクバーのちょっと薄いコーヒーを飲んでいれば良い。


手元の時計を見ると、ここへ来てからもう二時間過ぎていた。薄いコーヒーを何杯飲んだのだろう。覚えていないが、さすがに飽きてしまったので、メロンカルピスにしようとコップに氷を入れて、ドリンクバーの機械にセットする。メロンソーダを半分入れて、あとはカルピスも入れれば完成だ。これであと一時間は、このメロンカルピスが相槌のお供になる。そう思いながら、カルピスのボタンを押そうとした時、


後ろの方から聞きなれた声が聞こえた。


「あれ?今日は仕事休みなの?」


「え?」


後ろを振り向くと、さっき一瞬だけ話題になった彼氏がいた。


なぜこんなところに?


なぜ、今?


なぜ、このタイミング?


頭の中は、彼が今ここにいることに対しての疑問でいっぱいだった。そのような状態でも、冷静に対応する。彼の前での私は、いつも冷静で静かだか、時々ドジってしまう女の子だ。いつも通り。マニュアル通りにしなくては!と自分に言い聞かせて、彼と一緒にいる時の私を私の中の引き出しから取り出す。


「そうなの。だから、友達とお茶しているの。」


よし。いつも通りだ。いつも通りの喋り方。話すスピードもいつも通り少し遅い。


「そう。俺は外回り終わって、ここで資料まとめていたんだ。今日はそのまま直帰する予定。」


「そうなんだ。お疲れ様。」


「うん。ありがとう。」


いつも通りの彼との時間が流れていて、少し心地よかった。そう思ったのも、つかの間、今度は違う聞きなれた声が横から聞こえてきた。


「あれ〜?もしかして彼氏?」


まずい。二人が私たちに気づいて近づいてきた。さっきの話を掘り返されてしまったら、嘘だとバレてしまう。私は、少し動揺しながら返事を返した。


「あ、うん。」


お願いだから、余計なことは言わないで!と願っていると


「こんにちは。初めまして。友達の○○とこっちが○○」


「○○です。よろしくー」


 「どうも、彼氏の○○です。」


淡々と自己紹介が終わり、これで話も終わるかと思いきや、ふたりは爆弾を彼に投げつけた。


「そう言えば、さっき言ってましたよー。何考えているか分からない彼氏で困ってるって!」


「そーそー。この子悩んでいたみたいなので、ちゃんと話してあげて下さいね!思いはちゃんと言葉にしないと伝わりませんから!」


なんてことだ。


ふたりは、「言ってやったぜ!」と言わんばかりに満足していたが、私は絶望感でいっぱいだった。嘘がバレること、彼氏に釈明しなくてはならないことを考えていると、目の前が真っ暗になった。すると、何もなかったかのようにいつもの口調で彼が、返事を返した。


「そうでしたか。そんな風に思っていたなんて、全然気づきませんでした。確かに、会社の同僚からも何を考えてるかわからないって言われたりするんですよね。これからはおふたりのアドバイス通り、もう少し努力してみます。では、僕はこれで。」


彼は笑顔を見せると、すぐにその場から立ち去った。淡々と話す姿も、後ろ姿もいつも通りで、ちょっとホットしたが、私と一切目を合わすことなく、去っていった。いつも通りの彼の後ろ姿なはずなのに、すこしだけ違和感があり、このままだと何かがマズいと思い、その何かを知るためにふたりに別れを告げ、彼を追いかけた。

外はもう夕暮れどきだった。今日は天気がよかったせいか、空が茜色に染まっていた。空にはいくつか雲のあり、その雲の色は、茜色ではなく灰色だった。中途半端な私にピッタリの色だった。


            





すぐに彼に追いつくことができ、一緒に帰ることができた。すると彼が、


「酷いなー。俺ってそんな何にも考えてないように見える?」


と、少し呆れたように笑って話してきた。私は慌てて弁解をした。


「ごめんなさい。女子会だと彼氏との幸せ話より悪口とか不満の方が盛りあがるからつい・・・」


「そっか。みんなに嫌われちゃうから?」


「まぁ、そんなこと。私は別に気にしてないけど、みんなと一緒のときは、場の雰囲気に合わせるのが一番な気がして・・・」


「そっか。それなら仕方ないね。」


とにかく、真実を伝えなくてはと思い、女子会での議題、タブー話、ほかのみんなの彼氏との話を彼に話してみた。すると、彼は納得するように、頷いた。いつも通りそれ以外言ってこない。それが彼のいいところ。ひどいことを言ってしまったのに、怒りもしない。本当に優しい人だ。


普通のカップルは、こうゆう時どうなるのだろう?怒鳴られたり、喧嘩したり、別れの原因になってしまったりするのだろうか?それが普通なら、やっぱり私たちは普通ではない。

そんなことを考えていると、隣で一緒に歩いていた彼が急に足を止めた。


「え?どうしたの?」


彼に声をかけると、まっすぐこっちを見て、唐突に言葉を投げてきた。


「寂しがり屋なんだね。」


「え?」


「誰かと居ないと自分と言う存在を証明することができないんだろ?

まるでうさぎだな。」


「うさぎ?」


彼の言葉自体にも、違和感はあったが、彼のしゃべり方、雰囲気がどこかいつもと違う気がして、少し怖かった。


「知ってる?うさぎって寂しいと死んじゃうだって。」


「え?」


「君に似ているよね。」


「え?私は寂しくても死ないよ?」


ただ、生きている感覚は失うけど。と心の中で言葉を続けた。


「そうじゃなくて、」

彼は少し呆れたように、ため息交じりで話すと、私をまっすぐ見た。目線が彼 と会った瞬間、ゾクッと背中に悪寒のようなものが走ったのがわかった。これがさっき感じた何かの答えなのだろうか。


「たくさんの自分のレパートリーを持っているのに、なぜ一人だとそのレパートリーが出せなくなるの?」


「え?」

私の中に色んな私がいることを彼は知っているようだ。


でもどうして?このことを知っているのは、私だけのはず。


彼は私の心の声が読めたりする超能力をもっていたりするのだろうか。


それとも、探偵とかに依頼をして私のことを調べたのだろうか。

彼をあまり知らないため、いろいろなことを考えてしまい、もうパニック寸前だ。


「落ち着け自分。」と言い聞かせて、軌道修正しようと思いが、彼はそれを許そうとはせず、どんどん言葉を投げかけてくる。


「君は、君が生きている世界は、自分のためではなく、人のために生きているからだよ。けれど、どう見られたいのかは、自分で決める。人のためにいきているはずなのに、随分ワガママだよね。君って。」


いつもの優しい笑顔ではなく、冷笑を浮かべていた。


「結局君は自分が大好きなんだよ。傷つきたくない。だから、その場にあった自分を演じているんだ。」


「でもそれは子どものワガママと一緒だ。」


「ちがっ」


まずい、いつものゆっくりとした話し方もできなくなっている。


それになんだか、鼓動が早くなって来て、とても不安な気持ちになっている。この感覚は、とても居心地が悪い。早くいつもの自分を取り込んで、回避しなくてはと思い試みるが、うまくいかない。目の前にいる彼は容赦なくどんどん言葉を投げかけてくる。


「何が違うの??みんなには自分のこと愛してほしいと思っていて、けれど自分は自分のこと嫌い。嫌いな自分を愛してほしい。見捨てないでほしい。そんなの可笑しいでしょ?」


「美味しくないお菓子を相手には美味しいと感じてほしいと言っているのと同じだよ?」


「君はそんなひどいことを友達にするの?」


淡々と話す彼に、私は何も答えられなかった。

こんな風に話す彼を知らない。この緊迫した空間も初めてだ。全てが初めて過ぎて心臓が持ちそうにない。


何より彼の言葉が胸にどんどん突き刺さった。


自分には興味はないが、相手には嫌われたくない、仲良くしてほしい。その通りだ。私のことを知ってほしい。思い出として記憶してほしい。そうでないと、私は生きている心地がないと思い込んでいたからだ。でも、それは違うということを私自身が理解しようとした瞬間、奥から強い思いがこみ上げてきたのか、涙がどんどん流れてきた。


私は、初めて自分のために泣いた。

自分のことを冷たく扱っていた自分に怒りを覚えた。

悔しかった。

私の中にいる冷たくされていた自分が、苦しかったと訴えているようだった。

この涙は、私の涙だ。私のための涙だ。

この涙なら、今まで溜め込んで来た、引き出しの中身(偽りの私)を全て、流してくれるだろう。


もう引き出しはいらない。その人にあった自分でなく、自分が好きな自分を大切にしよう。そして、そんな私を好きでいてくれる人を好きになろう。

そう思っただけでとても軽くなった。どれだけ今まで自分が、しまい込んでいたのかが、止まらない涙の量でわかった。

心が軽い。今までにない感覚で少し戸惑うが、どこまでも飛べるくらい自由な気がした。


「自由」という言葉は知っていたが、その意味が持つ力を今、初めて知った。こんなに世界が輝いて見える。不安が自信に変わる。これが自由という言葉の力。

今の私は自由だ。いや、元々自由だったはずなのに、マニュアルなんか作ってしまったことによって、自分で自由を奪っていた。


人は失いかけて、初めてその大切さや自分の過ちに気付く。けれど、気付いた時には、もう取り返しのつかないところまで、来てしまっている。そうゆう人たちを何度も見てきたはずなのに、同じことをしている自分がとても悔しく思えた。

自分の罪の大きさにも気づかせてくれた彼は私にとって、ただの彼氏ではなく、かけがえのない大切な人に変わった。


人は普通、お互い無いものを補って成長し、支え合う。だが、今の私は彼に補ってもらってばかりだ。


こんなボロボロになってしまっている姿を見せても、何も言わずに隣に居てくれる。


そしていつも通り優しく笑って、私の涙を大きな手で拭ってくれる。


「うさぎみたいに真っ赤な目」と言いながら。


私はまたその優しさが嬉しくて泣いてしまった。


空には、満月が登っていた。


涙でぼやけているせいか、うっすらと、うさぎの影があるように見えた。



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