墜落②
黒――無慈悲な、あるいは純粋な、黒。
それぞれの地下都市を結ぶ、ターミナルと呼ばれる巨大通路を通り抜けた先で両助を待ち受けていたのは、ただひたすらに黒く、そしてどこまで行っても果てのない、暗黒の宇宙空間だった。
両助が訓練飛行で宇宙を訪れるのはこれが初めてのことではないが、何度来てもこの場所の持つ独特の空気には圧倒される。そして、このターミナルの出口から見えるふたつの星の、その正反対の姿にも感慨深いものを抱かずにはいられなかった。
眼下に広がる赤い大地と、彼方で光り輝く青い星。
かつて純白の星だった月は、今や有害物質を噴き出す鮮血の星になり果ててしまった。
一方で、地球は昔から変わらず瑞々しい青い星のままだ。
自然の豊かさという点では、人類が暮らしていた頃よりも豊かになっているだろう。アルカナが襲うのは基本的に人間だけで、他の動植物には牙を剥かなかった。今や地球は動植物たちの楽園だった。
「さっきも説明したが、もう一度ここで今回のコースについて説明しておくぞ」
両助が地球に見とれていると、教官から全体通信が入った。
「今回のコースはここから地球の直前まで行って戻ってくるコースだ。前にも何度か通ったコースだからって、地球に見とれすぎて重力に囚われるなよ。ドラグーンの耐久力なら大気圏を超えて着陸することは辛うじて可能かも知れんが、逆に単独で地上から大気圏を突破する力はないからな。一度墜落したら最後、吸血鬼かアルカナの餌だと思え。特に宮凪、新しい機体なんだから無茶をしてくれるなよ」
「大丈夫ですよ。ターミナルを移動してる間にだいたい慣れましたから」
「それならいいがな。よし、それじゃあ出発だ。遅れずついてこい!」
教官が先頭を行き、そのあとを生徒たちが一定間隔を開けて追う。両助は列の最後尾だ。
「――で、両助。実際その新型の乗り心地はどうなんだ?」
出発して小一時間が経過した頃、視界に映り込む金髪のイケメンフェイス。
暇なのだろう。ひとつ前を飛んでいたヘクトールのライダー、クラスでも特に両助と仲のいいレイ・バロウズが興味深そうな顔で映像通信を入れてきた。
両助はドヤ顔で答える。
「ふっ、聞かれてしまってはしょうがない。教えてやろう」
「いつにも増してはしゃいでんなぁ。そんないいのか?」
「おう、正直かなりいい感じだ」
レイの指摘どおり、両助はかなり舞い上がっていた。予想に反して、新しいドラグーンはすこぶる快調だった。
「ほら、ドラグーンって自分の身体を動かすのと同じ感覚で操縦できる代物だけどさ、やっぱ微妙に違和感があるだろ?」
「まあ、実際は身体の動きだけじゃなくて、思考操作も併用してるし、機体に積まれた人工知能のアシストあってこその動作だからな。どうしてもタイムラグは出るもんだ」
「だけどこのドラグーンにはそれがほとんどない。まるで手足の延長みたいな感じで動かせるんだよ」
両助がこの新型ドラグーンを操縦してみて、最初に驚いたのがその部分だった。
肌に馴染む、といえばいいのか。まさに宮凪両助というライダーのために生み出されたドラグーンとしか思えない一体感。あらゆる動作が、これまでのドラグーンよりも自然に行える。
「あと機体データを調べてみて驚いたんだけど、スペックがアキレウスよりも全体的に上昇してるな。特に耐久力がミラーゼの指摘どおり抜きん出てる。光学障壁の出力は一・五倍。装甲板に至っては、なんと倍の十層だ。
それだけじゃないぞ。エンジンも大出力を可能とする大型のものだから、最高飛行速度もかなり上がってる。機動性だけは現行機と変わんないけど、それでも危惧した低下はしてないから、全体を見ればアキレウスよりもスペックの高いドラグーンとしてまとまってるな」
「おお、素直にうらやましいな」
「たださぁ」
「聞いてるかぎりじゃすごいドラグーンみたいだが、なんか文句でもあるのか?」
「文句というか、疑問というか。……なぜかは知らないけど、搭載されてる武装が光学兵器じゃなくて実弾兵器なんだよ」
「いやなんでだよ?」
両助がその事実に気付いたときと同じ反応をレイは見せた。
「まさか光学兵器が搭載できない……わけないよな。それじゃあ第三世代型だし」
「もちろん。特殊な武装こそないけど、アキレウスやヘクトールに搭載できる武装は全部ちゃんと装備できる。エンジン出力の関係上、一部の威力は上昇してるってデータにもある。けど、なぜかそれでも実弾兵器オンリーなんだ」
「意味がわからんな」
「俺は親父の嫌がらせだと受け取った。……あの野郎、ちょっと感謝したくなったっていうのに、やっぱりこれか。こういうオチなのか!」
「どっちにしろ、今回の訓練で武装は使わないんだから、光学兵器だろうが実弾兵器だろうが関係ないだろ。素直にスペックに酔いしれとけよ」
「そうなんだけど……ん?」
そのとき、警告音とともに両助のドラグーンのセンサーが熱源反応を捉えた。
「未確認飛行物体?」
強化された視力でも視認できないほどの遠方に捕捉したのは、ドラグーンの全力にも匹敵する飛行速度でこちらに近付いてくる所属不明の飛行体だった。
「両助、どうかしたのか?」
「いや、センサーが前方に未確認の飛行体を捉えてさ」
「飛行体? こっちのセンサーだとそんな反応ないけどな」
「こっちはセンサーも最新型だからな。どっちにしろ、俺個人で判断できる問題じゃないし、教官に通信入れてみるわ」
レイとの通信を切り、教官に通信を入れる。
「教官。俺のドラグーンのセンサーが、こちらに向かってくる未確認の飛行体を確認しました。どうします?」
「未確認の飛行体?」
「飛行速度から推測するに、同じドラグーンだと思いますけど」
「そいつはおかしいな。この時間、この宙域に出てるのはワシらだけのはずだが」
両助の報告を聞いた教官は一度その場で停止し、生徒たちを近くで待機させると、
「宮凪、間違いないな? センサーの故障の可能性はないんだな?」
「間違いないと思います。ずっと捕捉し続けてますし、AIがデータベースと照合して相手の割り出しをかけてますから。――あ、近付いてくる飛行体がなんなのかわかったみたいです」
両助は網膜に投射された名を確認する。果たして、謎の飛行体の正体はなんなのか?
「なになに? 照合の結果、こっちに近付いてくるのは――」
《――ARCANA TYPE:HANGEDMAN――》
「…………は?」
最初、両助は自分が読み間違えたのだと思った。
次にドラグーンに積まれた最新型人工知能の故障を疑った。
なぜなら、その可能性だけは絶対に、あり得てはいけなかったから。
「どうした? 正体はなんだったんだ?」
「いや、それが、その……」
両助は、まるで滑ることがあらかじめわかっているギャグを口にするような心地で報告した。
「アルカナ、タイプ・ハングドマンって」
「……おい、宮凪。それはいくらなんでも冗談が過ぎるぞ」
当たり前のように信じなかった教官は、しかし両助のドラグーンから遅れること数十秒、自分のドラグーンのセンサーが捉えた未確認飛行物体の存在と、データベースがはじき出したその正体を確かめて絶句した。
「なあ、俺のドラグーンのセンサーが」
「僕のドラグーンもだよ。あとデータベースにある該当データがさ」
「これ、なにかの間違いだろ?」
両助のクラスメイトたちも、同じ結果を受けて困惑を露わにする。
あり得ない。こんな場所にアルカナがいるはずない。奴らは地球という牢獄に囚われているはずだ。けれど、十一体のドラグーンすべてが同じ結論を出しているのだ。センサーの故障という線も考えにくい。
ならば――自分たちはこの結果をどう受け止めたらいいのだろう?
「落ち着け! 落ち着くんだ!」
やはり一番に立ち直ったのは教官だった。大声をあげて生徒たちを落ち着かせると、武装を展開させて前に出る。
「非常事態の発生により訓練は中止だ。全員、すぐに月へ帰投せよ。そしてここで起きたことを軍に報告するんだ」
「教官は?」
両助の問いに、教官は張りつめた声で答えた。
「ワシはこの場でアルカナを迎え撃つ」
全員が息を呑んだ。教官の言葉は、つまりアルカナが地球外にいることを肯定したことに他ならなかった。
混乱していた生徒たちは気付けなかったが、すでに未確認飛行物体として捕捉された相手は、視認範囲内まで接近していた。教官は自分の目で敵影を確認し、事実を事実として受け止めたのだ。
地球のある方角より飛来する異形の影。赤黒い胴体に、蠢く無数の触手。それは教科書やシミュレーターで何度も確認した悪魔、ハングドマンに他ならなかった。
「早く動け! もう時間がないぞ!」
「了解!」
誰からともなくそう答え、反転してブースターを噴かせる。
落ちこぼれでも軍人の卵。教官の言葉はどこまでも正しいと、そう判断できる程度の冷静さは残っていた。
彼我の飛行速度の関係から、ここまで接近を許したハングドマンから逃れるためには誰かが足止めのためにこの場に残らないとならない。そして、この異常事態で冷静にそれを実行できるのは教官を置いて他にいなかった。生徒たちがやるべきはいち早く帰投し、軍にアルカナの出現を報告することだ。
月にいれば安心。その安全神話はここに破られたのだから。
――そして人類はアルカナの脅威を思い出すことになる。




