人間の月⑤
両助の母はまだ小さい頃に亡くなっている。
写真の類も一切残っていないため、正直なところ顔も覚えていない。
昔は母親がいないことで周りから色々からかわれたりもしたが、優しい乳母がいたため、両助はあまり寂しいと感じたことはなかった。もっとも、その乳母の顔や名前も今はもう思い出すことができないのだが。
むしろ寂寥感を感じさせられたと言うなら、それは父である鋼造に対してだろう。
鋼造は両助の世話を乳母に任せ、ひたすら仕事に励んだ。家にいないことの方が多く、両助には父親に遊んでもらった記憶も、誕生日を祝ってもらった記憶もない。
これが放任主義というだけならやや反感を残しつつも、それでも育ててくれたことには感謝していただろうが、鋼造はほとんど顔も合わせないにもかかわらず、息子の教育や進路については厳しく口を出した。――否、決定した。
物心着いたときにはすでに家庭教師から厳しい教育を受けさせられ、学校も名門と言われる場所に通わされた。放課後も習い事で忙殺され、友達と遊ぶ時間などなかった。
この時点で両助の父親に対する反抗心は強くなっていたが、一昨年、問答無用でクロイツ軍学校に入学させられ、将来軍人になることを強要させられた一件を経て、父親への感情は敵意にまで昇華されていた。もはや両助にとって父である鋼造は敵でしかない。
先程もミラーゼがいなければ、確実に両助は父親の指示を無視していただろう。
もっとも、そのミラーゼもまた鋼造が警護という名目で息子につけた監視役なのだが。
「それで、いったい今日はなんの用だよ?」
ミラーゼともども通された来賓室のソファーにどかりと腰掛け、両助は向かいの席ですでに座って待っていた父親をにらみつける。
「だいたい想像はつくけどな。士官コースじゃなくて勝手にパイロットコースを選んだ件だろ? あ~あ、やだやだ。半年も経ってからわざわざ言いに来るなんて、嫌みにもほどがあるだろ」
「私はそれほど暇ではない」
相手を威圧するような重みのある声。鋼造は真っ向から息子の顔をにらみ返した。
「お前の子供じみた反抗などなんの意味もないことだ。元より士官コースで教えるようなことは入学前にすでに仕込んでいる。経歴の方も、卒業する一月前くらいに仕官コースに転科させればいいだけの話だ。それで問題なくお前は、卒業後に作戦司令部に配属となる。それを踏まえれば、パイロットコースで特殊兵器のライセンスを取るのは悪くない選択肢だろう」
「ちょっと待て! なんで俺の進路が作戦本部って決まってるんだよ!」
聞き捨てならない言葉に両助は身を乗り出す。
「そりゃ、この学校に入学しちまったんだ。いまさら軍人になりたくないなんて言わねぇよ。けど俺はこのままライダーになるつもりだ。誰が親父のいる作戦本部なんかに行くかよ!」
「お前の意思は関係ない。これは決定事項だ」
「なっ!?」
「今日来たのはそのことをきちんとお前に理解させるためだ。いいか? 遊んでいるのを見過ごしてやるのは今年までだ。作戦本部に配属後はきちんと私の指示どおりに働いてもらう」
「遊んでるって、まさかさっきの訓練のことじゃねえだろうな? あれは歴としたドラグーンの戦闘訓練だぞ!」
「ドラグーンなど所詮は道具に過ぎん。支障なく動かすことさえできれば、誰が乗っていようとも作戦運用になんの影響もない。あとはすべて作戦司令官が的確に指示を出せるかどうかだからな。ライダーの力量など、戦いの勝敗には直接関与しない」
「ふざけんな! 俺たちがどれだけ毎日必死に訓練してるか知らないで!」
「両助! 落ち着いて!」
これまで両助の横でずっと口をつぐんでいたミラーゼだったが、今にも鋼造に殴りかかりそうな両助の姿を見てさすがに口を開く。
「鋼造様も、あまり辛辣なことをおっしゃられないでください。軍におけるライダーの価値がどうあれ、少なくともパイロットコースの生徒たちは皆懸命に訓練に励んでおります。その熱意は軍人になる人間として、正しいことのはずです」
「たしかに、それは軍学校に通う生徒としては正しい姿だろう。おのれの才能を弁え、自分の出来うるかぎりの最大の努力をしようとしているのだから。が、他に活かすことのできる才を持ちながら、父親に対する当てつけのためだけにパイロットを選ぶことは、果たして正しいことかね?」
「それは……ですが……」
「人には素質や才能というものがある。そして宮凪両助という男の素質も才能も、決してドラグーンのライダーになることによってその真価を発揮したりはしない」
鋼造はそこでいったん言葉を切ると、両助を静かな眼差しで眺めた。この自分にも他者にも厳しい男にしては珍しい、息子を息子として見る眼差しだった。
「両助。お前はパイロットとして現場で戦うよりも、司令室から作戦指示を出す側に向いている。子供じみたプライドは捨てて、私の言うとおりにしろ。それがお前のためだ」
愛情なのだろう、これが。宮凪鋼造という男なりの、息子への。
だがそれでも両助にとって、父親の言葉を素直に受け入れるということには、すさまじいまでの拒絶感があった。ここで鋼造の言葉を認めるということは、すなわち彼の操り人形であることを了承することに他ならない。
「……レールの敷かれた人生なんてまっぴらごめんだ。自分の進むべき道は自分で決める。俺は俺のやりたいことをやるんだ」
「馬鹿なことを。それは本当にやりたいことのある人間の台詞だ」
「や、やりたいことくらい俺にだってあるし!」
「いいや、ない。ないからこそ、お前はなんだかんだと言いつつも、この学校に入学するのを拒絶しきれなかったのではないか」
「それは……」
「そして今もなにも言い返せない。お前には確固たる目標も、情熱を捧げる夢もありはしない。お前は親に反抗したいだけの、ただのガキだ」
「なんだとテメェ表に出ろよ!」
「暴力はダメだってば!」
拳を握りしめる両助の腕を、ミラーゼが慌てて押さえ込む。
「どちらにせよ、お前の進路については先程言ったとおりだ。この決定は覆らない」
言いたいことはすべて言ったと、鋼造は立ち上がって息子に背中を向けた。
「私に逆らいたいというのなら、私よりも偉くなってからにしろ。それまでは私の指示に従ってもらう。否応なくだ」
「ふざけんな! 絶対に作戦司令室になんて行かないからな!」
「ミラーゼくん。息子を頼んだぞ」
「あ、はい。了解しました」
「ではな、両助よ。健闘を祈る」
最後にそう言い残して、鋼造は部屋を後にした。
来るときも両助の予定を無視した上なら、帰ってしまうときも両助の意思は完全に無視した上だった。激励の言葉を残していくだけ今回はかなり珍しい方だ。
しばらく両助は父親が出て行った扉をにらみつけていたが、そんなことしている自分が馬鹿らしくなって、ソファーに疲れたように座り込む。
「絶対にライダーになってやる。あいつの思いどおりに行ってたまるかよ」
「もう少し理性的に話し合えばいいのに」
ぶつぶつ文句をつぶやく両助の隣に腰掛け、ミラーゼは苦笑をもらす。
「そうすれば鋼造様だって、きちんと両助の言葉を聞いてくれるはずよ」
「いいや、あの独裁者様が話を聞いてくれるはずないね。一七年間息子をやってる俺が言うんだから間違いない」
「そうかしら? 私には似たもの親子に見えるんだけどね」
「どこが! 俺はあんな仏頂面じゃないぞ!」
「ま、たしかに渋さや威厳っていう点で圧倒的に負けてるけど、顔立ちはどう見ても鋼造様似じゃない」
「まったく嬉しくない」
腕を組み、ふてくされた様子でそっぽを向く両助。
そんな仕草が子供だと鋼造は言ったのだろうが、ミラーゼはそうした両助の子供らしさが微笑ましくてならなかった。
「そんなすねた顔してもかわいくないわよ。ほら、あんたがして欲しがってた膝枕してあげるから、機嫌直してまた訓練に戻るわよ」
「マジで!?」
青天の霹靂に等しいミラーゼの申し出に、両助は目を爛々と輝かせて振り向く。
「いいの!?」
「今日だけだからね。もちろん、舐めたりなんかしたらはっ倒すわよ?」
「しないしないペロペロもハミハミもクンカクンカもしないから膝枕プリーズ!」
そう言いながら、両助はミラーゼの気が変わらないうちに素早くその太股へと頭を預けた。脳内で何十回とシミュレートしていたからこそ出来た、滑らかなダイブである。
――柔らかい。
感想を一言で言うならそれだった。剥き出しになった白い太股は、どのような極上素材で作られた枕よりも贅沢な感触と感動を両助にもたらした。
「ああ、素晴らしい。俺はこの太股に包まれるために生まれてきたんだな」
「大袈裟ね。あと変態っぽい」
感激に打ち震える両助を、呆れつつも、慈しむような眼差しでミラーゼは見つめる。
「ね、両助。私は鋼造様に言われて両助のところに来たけど、両助のことを一番に考えてるから。両助は両助がしたいようにすればいい。鋼造様や他の誰かが否定しても、私だけは両助の味方だから」
「……なんかちょっとした恐怖体験なくらい優しいですね、ミラーゼさん」
「たたき落とすわよ?」
「ごめんなさい嘘です! ミラーゼ様はいつも優しくてかわいい女の子です!」
「まったくもう。膝枕、あと一分だけだからね?」
「えぇ!? せめてあと五分!」
「ダ~メ。今はまだ授業中なんだから」
そう言いつつも、きっとミラーゼは一時間だってこのまま膝枕してくれるだろう。両助は自分の頭を優しく撫でる友人の顔を見て思った。
そして自分はあと五分も持たないだろう。鼻血的な意味で。
なぜ今日にかぎってこんなにも甘やかしてくれるのかは謎だったが、思わず茶化さないと正面から顔を見られないくらい、そのときミラーゼが浮かべていた笑顔は本当に幸せそうで、とても綺麗だったのだ。
……あるいは、このときすでに彼女の中で予感があったのかも知れない。
こうして触れあっていられる時間はもうほとんど残されていないと、未来のことなんてなにも知らないながらも漠然と。
「ほんと、両助はいつまで経っても甘えん坊の子供なんだから」
ミラーゼ・シフォンは、勘の鋭い少女だったから。




