エピローグ
基地に戻ってきたあと、当然のように酒盛りに発展した。
そこで両助は吸血鬼の少女たちに喜ばれ、怒られ、泣かれ、そして感謝された。
フォーチュンへの戦勝記念と両助のお帰りなさいパーティーは、ジークリンデまでが参加して、制止する者のいない中、深夜まで続いた。
その翌朝、両助はエリスに連れられて基地の地下へと向かっていた。
「ごめんなさい、両助くん。あまり調子がよくないのに、突然こんな場所に誘ってしまって」
「いや、気にしないでくれ。動けないほどじゃない」
昨日一度に大量の血液を失いすぎた所為で貧血気味ではあったが、幸い両助はほとんど怪我もなかった。エリスからのお誘いとあれば、喜んで同行するというものだ。
「ただ、どこへ連れて行かれるのかは気になるな。この先になにがあるんだ?」
「はい。どうしても両助くんに見ていただきたいものがあるんです」
言及を避けて、エリスは螺旋階段を下りていく。
なにかと両助と話したがるいつもの彼女とは、少しだけ様子が違った。その表情には恐怖の色が見られる。この先に一体なにがあるというのか?
黙ってしばらく階段を下りていくと、やがて巨大な分厚い扉の前に辿り着く。
漂白されたような真っ白な扉だ。手前にコンソールがあり、そこにエリスは手のひらを置いて指紋認証をすると共に、網膜認証、さらには声帯認証も兼ねて小声でパスワードも口にする。
扉がゆっくりと開いていく。
厳重なセキュリティによって守られていたのは、巨大な地下空間であった。
基地の敷地内と同じ大きさはあるのではないかと思わせる広い空間に、ところ狭しと並べられていたのは巨大なタンクだった。入り口近くに置かれたひとつのタンクに近付き、小窓から中をのぞき込むと、タンクに並々と注ぎ込まれた赤い液体を、ミキサーの刃に似た鉄の棒がゆっくりと攪拌しているのが見えた。
「これ、もしかして?」
「はい、人間さんの血液です。ここは血液貯蔵庫なんです」
「血液の貯蔵タンクか。思ってたより多いんだな」
ジークリンデが血液の節約をしていたので、てっきりあまり量がないのだとばかり思っていたが、予想に反してタンクは数え切れないほどあった。補給を期待できないからこその節約志向だったのだろうか。
どちらにせよ、両助は安堵に胸を撫で下ろした。
これならまだ当面の間は大丈夫だろう。両助が月へ戻り、世論を変えて迎えに戻ってくるまで問題なく持つはずだ。いや、持たせてみせる。決して吸血鬼たちを絶滅させたりなんてしない。
それがどれだけ難しいことだろうとも、両助はやってみせると誓っていた。まずは月へと戻る方法を探すところから始めなければならないが、ひとつだけ両助には心当たりがあった。
本来、地球から脱出することができないアルカナたちが宇宙空間に現れた、あの一件である。恐らく、地球のどこかにアルカナを宇宙空間へと送り出しているなにかがある。それを突き止めれば、月の人間たちを助け、さらには月へと戻ることも可能かも知れない。
そう改めて決意を固めながら、両助はエリスに何気なく聞いた。
「エリス。これ、全部で何個くらいあるんだ?」
「……あと六つです」
「えっ? だってこれだけあるのに」
エリスの答えに戸惑う両助だったが、少し奥にあるタンクの小窓の向こうに、無機質な灰色が見えたことで理解した。理解してしまった。
空っぽなのだ。手前の六つをのぞき、他のタンクはすべて空だった。
「ちょっと、ちょっと待ってくれ。六つって、それ残り少ないってレベルじゃなくて……」
その先は言葉にならなかった。
だがエリスは両助が言わんとした言葉を察したのだろう。淡い笑みを浮かべた。
「はい。もうなくなる寸前なんです。基地を守るのに必要となる最低七人の日々の生命維持に、ドラグーンの燃料。このタンクひとつで四ヶ月持つかどうかって消費量ですから」
「つまり、あと二年分しかない?」
具体的にタイムリミットを教えられるのは、想像以上に衝撃的だった。
まさか吸血鬼がここまで追い詰められているとは思っていなかった。あれだけジークリンデが燃料補給はできないと言っていたのも、今ならば頷ける。
そして同時に理解した。自分が今から月へ戻ることになんの意味もないことに。月世界を変えるのに、二年というのはあまりにも短すぎた。
しかし、両助はまだまだ甘かった。
「二年分という計算は、活動しているわたしたちだけでの計算なんです。実際のところはその四分の一ほどしか持たないでしょう」
「それってどういう……」
「壁を見てください。両助くんに本当に見て欲しかったのはこっちなんです」
「壁?」
エリスはここでも詳しい説明を避け、通路の壁を手で指し示した。
タンクに目が行っていた両助は、ここで初めて壁を見た。そこには壁に半ば埋め込まれる形で、縦横にいくつも長細い箱が並んでいた。
「これってもしかして棺か? それで中身は……」
棺にもタンク同様、小窓がついていた。
「うわっ!」
覗き込んだ両助は、小さく悲鳴をこぼして飛び退いた。
「こ、これっ、死体!?」
棺の中は、当然といえば当然の話で、死体がおさめられていた。
それもただの死体ではない。白骨化する前の、まだ皮と肉がいくらか残った、どことなく瑞々しさを感じさせる死体だった。旧時代はエジプトのミイラによく似ている。
「ここにある棺型のカプセルで眠っているのは、全員が吸血鬼です。そして、死体でもありません」
「まさか生きてる……のか?」
両助は吸血鬼がどうやって死ぬのか、死んだらどうなるのか、すでに知っていた。吸血鬼は死んだら灰になり、遺骸は残らない。つまり吸血鬼の死体なんてものはこの世に存在しない。
つまり死体としか思えないこの中の吸血鬼は、まだ生きているのだ。
「活動している吸血鬼は、消費する血液量を減らすため、活動するのに必要な限界まで血液摂取量を絞っていますが、ここにいるみんなは本当の意味で、生命活動に必要な血液しか接種していません。だからこんな姿になって、動くこともしゃべることも、それこそ考えることもできません。ずっと眠り続けることしかできないんです」
エリスは冷たい棺を指で撫で、それから両助の目をまっすぐ見て続けた。
「いつか来る約束の日を夢見ながら、ずっとこうして待っているんです」
約束の日――即ち、人間が迎えに来てくれるまで。
「この基地は、再会の約束をした場所の地下に作られているんだそうです。この場所を必死に守りながら、あの日の戦争を続けながら、わたしたちはずっとずっと待っています。この先もずっとずっと待ち続けます」
人間が迎えに来てくれることを心の底から信じている吸血鬼の少女は、裏切ったなど欠片ほども疑っていない吸血鬼の王女は、ただひたすら申し訳なさそうに悔し涙を流していた。
「でも……もうそう長くは待てません。待つと約束したのに、わたしたちは待つことができなくなってしまいました。恥知らずにも人間さんたちを裏切ってしまいました」
やめてくれ、と両助は思った。
それ以上はやめてくれ、と両助は願った。
これまでは人間としての恥だった。吸血鬼を裏切った人間として生まれたことへの恥だった。けれど、それを直接エリスの口から言われてしまえば……。
それでも止められなかった。両助は止める言葉を知らなかった。
そしてエリスは、決定的な一言を口にした。
「ごめんなさい。わたしたち吸血鬼は、もうすぐ絶滅してしまいます」
彼女に謝罪された瞬間、人間としての恥が、宮凪両助にとっての恥となる。
吸血鬼たちはいずれ餓死して滅びるしかない――まだなにも知らなかった頃に口にした、浅はかな自分の言葉を思い出し、両助は恥ずかしくて死にたくなった。
【吸血鬼が絶滅するまで――残りあと一八〇日】
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