吸血鬼の日常③
格納庫では結構な時を過ごしたらしく、城の中に戻ってくると、だいぶお腹が空いていた。
ということで食堂に戻ってみると、まだ二人ばかり朝と同じ体勢で眠りこけていた。
「まったくもう。いつまで寝てるんですかね、この二人は」
エリスは腰に手を当て、眠る二人に向かって大きな声で呼びかける。
「ベアトリス! ネリィ! いい加減起きなさい!」
「すみませんお姉様! すぐに起きます!」
「うぅ……もうちょっと泣かせてくれてもいいじゃないのさぁ」
反射的に勢いよく立ち上がって敬礼するベアトリスと、目をこすりながらのんびり起きあがるネリィ。
まるきり正反対の反応を示した二人は、そのあと、エリスや両助の存在に気付いて見せた反応も正反対だった。
ベアトリスは二人を見るなり、「ぎゃあ!」と女の子とは思えない悲鳴をあげ、食堂のキッチンにある水場へと逃げ込んでしまう。
一方、ネリィは「おはよ~」とマイペースにあいさつすると、近くのテーブルに放置されていた水差しに直接口をつけ、腰に手を当てて飲み始める。
「ぷはぁ! 美味い!」
「ええと、一応もう一度紹介しておきますね」
エリスは仲間の醜態に恥ずかしそうにしながら、もう一度二人を紹介する。
「こっちのお水を飲んでいる子がネリィ。ドラグーン隊のメンバーで、基地のムードメーカー的な女の子です」
「改めてよろしくね、リョースケくん!」
明るく朗らかに笑って、ネリィは両助にウインクする。
ネリィは小柄な女の子で、色白の吸血鬼たちの中では肌が褐色と、ずいぶん毛色が違う印象のある吸血鬼だ。物怖じしない性格らしく、昨夜、一番両助に絡んできた吸血鬼でもある。
「それで、あっちにいるのがベアトリス。昔からよくわたしの面倒を見てくれたお姉さんなんですけど、見てのとおりお洒落さんなんです」
「最悪。化粧を落とさずに寝ちゃうなんて。しかも化粧が崩れた顔を人間の男子相手に見られるとか、最悪すぎてマジありえない」
水場にある変わった形の鏡を使って化粧を直しているベアトリスもまた、ネリィとは違う意味で毛色の違う吸血鬼だった。
金の染料で染め上げられた長い髪は、丁寧にヘアアイロンをかけられ、腰までまっすぐ伸ばされている。目はぱっちり二重でまつげも長く、唇には淡い紅がさされ、耳には小さなピアス。服装も他の面々と同じく軍服ながら、若干着崩し、手首や胸元にアクセサリをつけている。指にはマニキュアまで。まるで流行に敏感な、人間の若者のような吸血鬼である。
エリスの紹介どおり、彼女のような吸血鬼は珍しいらしく、ネリィが呆れ顔をベアトリスに向けた。
「ほんと、ベアトリスも毎日毎日よくやるよねぇ。ネリィ、化粧なんて生まれてこの方やったこともやろうと思ったこともないよ」
「あんたの女子力が低すぎるだけでしょ。女は綺麗って褒めてもらえるようお洒落するのが普通だし」
「そういうものですかね」
ネリィとベアトリスの会話を聞いて、洒落っ気のないエリスがぺたぺた自分の顔を触りながら、横目で両助を見やる。
「両助くんも、お洒落とかしている女の子の方がいいですか?」
「俺? 俺は」
「そんなことないよね、リョースケくん。化粧を顔に塗りたくって、香水ばんばんかける臭い女の子なんかより、ネリィみたいななにもせずとも普通にかわいい女の子の方がいいよね?」
「ちょっとネリィ。引き合いに出したの、まさかあたしじゃないでしょうね?」
「どうでしょーかねー。それで、リョースケくん的にはどっち? おばさん臭いベアトリス? それとも美少女ネリィちゃん?」
「やっぱりあたしのことじゃないのよ!」
「あいたっ!」
ベアトリスが投げた口紅がネリィの額に直撃し、その小さな身体をひっくり返す。
床に倒れたネリィを指さして、ベアトリスは一言。
「ざまぁ!」
「こ、このぉ……よくもやってくれたな!」
起きあがったネリィは、近くに転がっていた空き瓶を手に取る。
「これでも食らえ!」
「ちょおまっ――それは洒落になってないし!」
吸血鬼の腕力で投げつけられた空き瓶を、ベアトリスは慌てて避ける。
「当たらなければどうってことはなはぶっ!」
すかさず第二撃として飛んできた本命の中身の残った酒瓶が、ベアトリスの顔面を直撃した。
「ざまぁ!」
転倒するベアトリスを、今度はネリィが指さして笑う。
笑えないのは横で見ていた両助だった。
「おい、大丈夫か?」
口紅くらいならともかく、ベアトリスに直撃したのはガラス製の瓶だ。慌ててベアトリスに駆け寄って、怪我がないか確かめる。
「…………」
ベアトリスの顔面から垂れ落ちる、赤黒い水滴。
血――ではない。それは瓶に入っていた酒に、ベアトリスが必死に直していた化粧の成分が溶け込んだものだった。
「うわぁ」
つまりベアトリスの顔面が崩れた化粧でぐちゃぐちゃになっていた。直視できない感じになっている。ちなみにベアトリスも頑丈な吸血鬼なので、怪我はまったく負っていなかった。
「あははははっ! すごくお洒落な感じになってるよ、ベアトリス! うんうん、さっきは馬鹿にしたけど、やっぱりお洒落も必要だよねぇ!」
ベアトリスの顔を見て、ネリィが腹を抱えて大笑いする。
ぷつり、とベアトリスの血管が切れた音を、隣にいた両助は聞いた気がした。
「この馬鹿女。そこまで死にたいなら、ここで引導を渡してあげるしぃ!」
恐ろしい形相で、ベアトリスがネリィに飛びかかる。
「誰がアホトリスなんかにやられるもんか! そっちが死ねぇ!」
ネリィも迎え撃ち、二人は取っ組み合って暴れ始める。
「おいおい、これどうするんだよ?」
吸血鬼の力を遺憾なく発揮して喧嘩する二人の暴れぶりは、とても人間の両助が仲裁できるものではなかった。
できるとすれば、同じ吸血鬼であるエリスだが……。
両助がエリスの顔色をうかがうと、彼女はぷるぷると肩を震わせていた。どうやら言うまでもなかったらしい。
「二人ともいい加減にしなさい!」
「「だってこいつが!」」
エリスに怒られ、同じタイミングで互いを指さす二人。
「いい訳しない! 仲直りする!」
「「えぇ~」」
嫌そうな声をそろえる二人だったが、エリスが本気で怒っているのを察して、仕方なく謝罪の言葉を口にする。
「……馬鹿に馬鹿って言ってごめんなさい」
「……ネリィも阿呆って本当のことを指摘してごめんなさい」
お互いの顔をしばらく見合ったあと、
「「やんのかコラァ!」」
再び取っ組み合いの喧嘩を始めた二人を見て、エリスは深々と溜息を吐いた。
「……ベアトリスとネリィは、まあ、こんな二人です」
「うん、よくわかった」
喧嘩するほど仲がいい――つまりそういうことなのだろう。
問題はただでさえ片付いていなかった食堂が、二人の所為でさらに汚くなっていることだが、そこはそれ、責任を取って後で仲よく片付けてもらうことにしよう。