吸血鬼の日常②
稽古を続けるというイレーナと別れ、両助はエリスに、昨日はできなかった基地内の案内をしてもらっていた。
医務室やトレーニングルームなどの設備や、昨夜は使わなかった両助のために用意された個室などを一通り案内してもらったあと、最後に連れて行かれた先は、城の入り口に隣接される形で作られた格納庫だった。
「ここが一応、メイン格納庫になっています。といっても、お城以外の場所は基本的に格納庫代わりではあるんですが、アルカナが現れたときにすぐ出撃できるよう、現ドラグーン隊のドラグーンはここに並べられてますね」
エリスのいうとおり、そこには色とりどりのドラグーンが並べられていた。その数は四機だ。
「あれ? 食堂で歓迎会をしてくれた、エリスやイレーナたち五人がドラグーン隊のメンバーじゃなかったか? 一機足りないんだけど」
「そういえばそうですね。えっと、ないのは……小春のドラグーンですね」
ドラグーンを一機一機確認したエリスは、誰のドラグーンがないのかすぐ判別ついたが、どうしてその小春のドラグーンがないのかはわからなかった。
「哨戒? でもそんな通達はなかったし」
「あの子には私からちょっと頼み事をしたの」
「ジークリンデ?」
突然の声に驚いて横を振り向くと、いつのまにかそこにジークリンデが立っていた。
昨日と同じゴシックドレスの上に白衣を羽織った姿で、さらに背後に何体もの無人機を引き連れている。
「おはよう、宮凪くん。昨日は歓迎会に参加できなくてごめんなさいね。ちょっと色々調べていたら、気が付いたら朝になってたわ」
「それはいいんだけど、こんな無人機連れてきてなんかあったのか?」
「そうね、宮凪くんにも関係あることだし、教えておくことにしましょう。実は小春――ああ、小春はわかるわよね? 中二病っぽい子なんだけど。その子にあなたの乗ってきたドラグーンの回収に行ってもらってるの」
「俺のドラグーンの?」
「あなたの話だと、月の最新型って話じゃない。どんな技術が使われているのか気になってね。もしかしたら、私のドラグーンに流用できる技術があるかも知れないし。あ、調べるのはダメとか言わないわよね?」
「一応あれ、軍事機密の塊なんだけど」
「あら、ダメとか言っちゃうの。そっかぁ。……そっか」
「両助くん許可して! ジークがドラグーンの発展のためなら犠牲もやむなしって顔してます!」
エリスに注意されるまでもなく、両助は首を縦に振っていた。
徹夜したらしく、やや隈のできたジークリンデは毒々しい気配を醸し出していた。昨日は見せていた天使の微笑みはそこにはない。
マッドサイエンティスト――白衣姿も相まって、今の彼女にはそんな言葉がふさわしい。
「ありがとう。存分に弄くり回させてもらうわね。それにしても……ふふっ、小春はまだかしら? この私を待たせるなんて、あの小娘どうしてくれようかしら? ふふっ、ふふふふふっ」
ジークリンデが狂気の笑みを浮かべていると、ちょうど一機のドラグーンが基地に帰ってきた。空色のカラーリングがされたドラグーンである。
「なんだ? みんなでボクの出迎えにきてくれたのか?」
両助たちの前で着地したドラグーンのライダーは、壊れたドラグーンを背負い、何も知らずに嬉しそうにはしゃいだ声をあげる。
「うむ、出迎え大儀である! しからば、ボクが考案した天地開闢の舞をもって感謝の意を表現しようではないか!」
さらに無駄に格好良くポーズを決め、ゆらゆらと踊り始めるものだから、両助とエリスはジークリンデからそろりそろりと距離を取る。
「刮目せよ! これこそが――」
「小春。さっさとそのドラグーンをこっちに引き渡しなさい」
「ひぃ!」
低い声で脅すジークリンデに、小春は悲鳴をこぼし、その場に跪いて恭しく両助のドラグーンを差し出した。
「こここ、これが頼まれていたものだ。どうかお納めください、ドクター」
「よろしい」
ジークリンデは大仰に頷き、指を鳴らす。
それを合図に、無人機たちがいっせいに両助のドラグーンに駆け寄り、その大きな機体を格納庫の一角に運んでいく。
「せっかく宮凪くんもいることだし、まずは一番気になる動力周りから調べてみましょうか」
「いたた、引きずるな!」
逃がさないといわんばかりにジークリンデに腕をつかまれ、両助は格納庫の奥へ連れて行かれる。
ジークリンデは運び込まれた両助のドラグーンに嬉々として近寄り、動力部を覆う歪んだ装甲を素手で強引に引きはがしていく。無論、普通は機械を使って取り払う物なのは言うまでもない。
「あら? これ……」
多重装甲の下に現れた、予想外に白い内部装甲を見て一瞬動きを止めたあと、ジークリンデはすぐにそちらの装甲も外し、動力部をのぞき込む。
「予想はしてたけど、動力周りはかなり私のドラグーンとは違ってるわね。流体燃料を使った新しいエンジンか。これ、見たことないけど、もしかして月で採取できる鉱物とか使ってる?」
「ああ。ラグナダイトって名付けられた、月固有のエネルギー源を燃料にしたラグナエンジンだ。地球で使用していたドラグーンのエンジンよりも、出力的には何倍にもなってるって話だぜ」
「何倍? ふふっ、冗談」
両助の説明を鼻で笑い、ジークリンデはさらに動力部に顔を突っ込む。
「ラグナエンジンか。たしかに相当なエネルギーを生み出せるエンジンみたいだけど、これならまだ私のドラクルエンジンの方がだいぶ上ね。まあ、そのドラクルエンジンを使えないからこそ作り出した苦肉のエンジンなんでしょうけど……あら? これってもしかして……いえ、まさか……」
「ドラクルエンジン? なんだそれ? 教本には載ってなかったぞ?」
初めて聞く単語に両助は質問をぶつけるが、ジークリンデは作業に集中して聞こえていないようだった。
代わりにエリスが説明してくれる。
「ドラクルエンジンというのは、ジークが作ったドラグーンに使われている動力部です。考えてみれば、たしかに吸血鬼のいない月では使えないエンジンですね」
「そういうからには、吸血鬼じゃないと使えないのか?」
「はい。というのも、ドラクルエンジンは吸血鬼を部品のひとつとして組み込むことで完成する、特殊なエンジンなんです。小春、ちょっと両助くんに見せてあげてくれますか?」
「え? ボクか? ボクの力が必要とされてるのか?」
ここまでドラグーンを運んできたにもかかわらず、労われることなく放置され、ドラグーンを解除するタイミングも逃して寂しげにたたずんでいた小春は、エリスに話かけられ嬉しそうな声をあげる。
「し、仕方がないなぁ。そこまでボクの力が必要だと言うのなら、うむ、本来なら機密事項だが、今回にかぎり特別に許可しようではないか!」
小春は器用にスキップしながら二人の前へ移動し、両助に見やすいよう背中を向けて立て膝をつくと、ゆっくりと動力部を覆う装甲を解除していく。
「これがドラクルエンジンか。ずいぶんと小さいな」
エンジンというのは、時代が遡れば遡るほど大型になっていくものだが、ドラクルエンジンは最新のラグナエンジンよりもかなり小型のエンジンだった。技術者ではないので詳しい仕組みはわからなかったが、流体燃料を用いた機関らしく、赤黒い液体が入ったボトルを外部からでも確認できた。
「この見えてる液体ってなんだ? 地球の流体燃料っていうと、化石燃料か? でもあれはドラグーンを動かせるほどのエネルギーは出ないはずだし」
「化石燃料じゃないですよ。それは血です」
「血?」
「はい。人間さんの血液です」
言われてみれば、たしかにその赤黒い液体は人間の血液に見えなくもなかった。
だが燃料として紹介されたものが血液というのは、まるで意味がわからなかった。冗談を言われているようにしか思えない。
相手が人間の血を生きる糧とする吸血鬼、でなければの話だが。
「吸血鬼は人間さんの血を飲んで生きています。これは人間さんの血が吸血鬼にとってはエネルギーになるからですが、正確にいえば、体内に取り込んだ人間さんの血液が、吸血鬼の血に変わる際にエネルギーが発生するんです」
両助の疑問を察して、エリスはドラクルエンジンを解説するより先に吸血鬼の生態について説明を始めた。
「人間の血から吸血鬼の血へ。この変換で生じるエネルギーを、わたしたちはエーテルと呼んでいます。わたしたち吸血鬼が高い身体能力や再生能力を持っているのも、すべてはこのエーテルがあればこそなんです。エーテルが尽きれば吸血鬼は滅んでしまうので、わたしたちにとっては生命力の源と言ってもいいですね」
「なるほど。吸血鬼が人間の血を欲するのは、そこから生まれるエーテルを求めてなんだな」
「はい。そして人間さんの血液を吸収変換するエーテル生成のメカニズムは、吸血の際に一時的に激しく行われ、新しい血の供給が止まったあとはゆっくりと行われます。吸血直後にとりわけ力を発揮することができ、そこから生命力を維持する方向へと変わっていくということですね。小春、次は前を向いてもらっていいですか?」
「承知した」
小春は正面を向いて、前面の装甲を開く。同時に彼女の顔もあらわになった。
小春は黒髪を首もとで短く切りそろえた、両助と同じ日本人を起源とする吸血鬼だった。
怪我をしているのか、左目に眼帯をし、さらに凹凸の乏しい身体のあちこちに包帯を巻いている。幼さを残す女の子の姿としては痛々しい姿だ。もしもこれで本当に怪我をしていなければ、さらに痛々しい姿である。なお、吸血鬼が強い治癒力を持っており、大抵の傷なら一日もあれば治ってしまうことをすでに両助は聞き知っていた。
「友よ。ボクの美しさに見とれるのは仕方のないことだが、今はこちらを見るのだ」
「どれどれ?」
髪をかき上げてうなじを露わにする小春に、両助は遠慮なく顔を近付ける。ついでに匂いも嗅いでおく。甘い匂いがした。
「いいぞいいぞ。健康的でエロい匂いだ」
「だ、誰が匂いまで嗅げと言った!」
「え? 言われなくても普通嗅ぐだろ?」
「ど、どうやら月での生活で、日本人は謙虚さを忘れてしまったようだな」
小春は顔を赤らめるが、意地からか、うなじを隠そうとはしなかった。
「しかしボクは一度言ったことを撤回するような安い女ではない。いいだろう。いくらでもボクのうなじの匂いを嗅ぐといい。……いや、やっぱりダメだ。見てもいいが嗅ぐのはやめて! 汗かいてるから恥ずかしい!」
「お前おもしろい奴だな」
素直にそう思ったので口に出すと、恥ずかしがっていた小春は途端に憮然とした顔となって、両助を片方の瞳でにらみつける。
「貴様までボクをそのように評するのか。一体なぜ皆そういうのだ?」
そういえば、小春は昨夜もことあるごとに他の吸血鬼からからかわれていた。その理由を、両助は理屈ではなく魂で理解した。
「まあいい。とにかく、今はドラクルエンジンだ。姫も困ってるぞ」
「あ」
小春に言われて、今が説明の最中であることを思い出す。
振り返ってエリスの表情をうかがうと、彼女は自分の長い髪をかきあげ、うなじを出そうと四苦八苦していた。
「あの、両助くんはうなじの匂いを嗅ぐのが好きなんですよね? わたしのうなじの匂いも嗅いでもいいですよ?」
「わかった。あとで存分に堪能させてもらいます。なので、申し訳ありません。説明の続きをしてもらってもいいですか?」
「わかりました。えっと、では小春のうなじに取り付けられた循環装置を見てください」
エリスに促され、もう一度両助は小春のうなじを観察する。
白く透き通るようなうなじには、たしかに首を支えるようにして小さな機械のプラグがくっついていた。
「小春。コネクトプラグを少し外せますか?」
「ふっ、その程度は造作もない」
小春は機体を手で押さえ、首筋のプラグを引き抜く。
そうすることで、どうやってその機械が彼女と繋がっていたかわかった。
プラグ側からは二本の先のとがった管が突き出ており、それが小春の首筋に突き刺さっていたのだ。引き抜いたことで、小春の首筋から血が垂れる。二本の管の片方からも、絶え間なく血が流れ出てきて、彼女の白い首筋を汚していく。
「わかったか? 友よ」
「ああ、概ね理解した」
「そうか。それなら――ああ、もったいない」
小春はプラグを元の位置に戻す。さらにあふれた血を指でぬぐい、口に含んだ。
それは人間が指を切ったとき、傷口から血がにじんできたから慌てて指を口に含む、といった反射的な行動とは明らかに違う、血を飲むことそれ自体を目的とした動作だった。
ある種官能的であり背徳的な姿に、見てはいけないものを見た気がして、両助は反射的に顔を背けた。
だが小春のおかげで、両助はドラクルエンジンの概要について把握することができた。
「ドラクルエンジンっていうのは、吸血鬼の生成するエーテルを動力として流用したエンジンってことでいいのか?」
「はい。人間さんの血液を搭載し、ライダーである吸血鬼との間で循環させることによって激しいエーテル変換を起こし、生じたエネルギーを動力に用いているんです。その出力は、当時人間さんたちの使っていた最新型エンジンの二十倍近い出力で――」
「――ラグナエンジンの五倍強ってところね」
エリスの説明に補足を入れたのは、顔中を真っ黒に汚したジークリンデだった。
「他にもドラクルエンジンにはドラグーンに搭載される上で重要な機能があるけど、それはまあ置いておくとして。宮凪くん、ひとつ質問したいんだけど、いいかしら?」
「先に言っておくけど、俺はそこまでドラグーンについて詳しくないから、ラグナエンジンについて解説しろと言われても困るぞ?」
「そんなのは見れば理解できたからもういいわ。あれ、地球にある鉱物だと機能しないし、ドラクルエンジンの方が優れているから再現しようとも思わないけど。それより気になるのは、あのドラグーンを誰が作ったのかっていうことよ」
「作った人? いや、あれは親父がくれたものだから、誰が作ったかは知らないな」
「プレゼントなの? そう……わかったわ。ありがとう」
「なにかあったのか?」
両助にとってもあのドラグーンは大切な相棒だ。調べるのはともかくとして、なにかあるなら知っておきたい。
ジークリンデは両助の顔とドラグーンを交互に見て、「別に」と、そんな風にはとても思っていない顔でつぶやいた。
「気にしないで。私の勘違いかも知れないし、確かめようにもあなたのお父様に直接尋ねることもできないしね」
「よくわからないけど、頼むからこれ以上壊さないでくれよ。大事な機体なんだ」
「それなら安心していいわ。ちゃんと元通りに直してあげるから」
「直せるのか?」
「私を一体誰だと思っているの? このジークリンデ・リーゼンナハトの手にかかれば、あれくらい数日もあれば全快よ」
悲惨な姿はもはや廃棄する他ないと思っていたが、専門家の目にはそうは映らなかったらしい。ジークリンデは自信たっぷりに確約した。
そう、専門家だ。今ようやく両助は、ジークリンデ・リーゼンナハトという名前を以前どこで聞いたか思い出した。
「……どこかで聞いたことがあると思ったら、ジークリンデ・リーゼンナハト博士。それってドラグーンを開発した偉人の名前じゃないか」
「あら? 私の名前はちゃんと月にも伝わっているようね」
「二十二世紀最大の天才にして英雄ってな。まあ、人間を守った人間の英雄って教科書には書いてあったけど」
「ドラグーンを作ったときは私もまだ人間だったから、それは間違ってないわよ」
「え? ジークリンデって人間だったのか?」
「そうよ。私は元人間、現吸血鬼よ。知らないの? 吸血鬼に噛まれた人間は吸血鬼になるのよ」
「へえ。てっきりその話は嘘だと思ってた」
吸血鬼の生態にまつわるいくつかの伝説の中には、眉唾ものと思わしき情報もいくつかある。蝙蝠に変身したり、霧になったりといった伝説だ。
吸血鬼に噛まれた人間は吸血鬼になる、という話もてっきり冗談の類だと思っていたため、ジークリンデがドラグーンの開発者という件も合わせて、両助にはかなり衝撃的な事実だった。
「待てよ? ということは、キスはどうなる? もしかして大人なキスをして、そのとき興奮して鼻血でも流そうものなら、俺も吸血鬼になっちまうのか?」
「キスくらいで興奮して鼻血とか、そんなの現実にあるわけがないでしょ?」
それがありえそうだから両助としては困るのだが。
「まあ、もしあったとしても大丈夫よ。正確には、吸血鬼に血を吸われて、そのとき逆に吸血鬼から血を注ぎ込まれると吸血鬼になるわけだから」
「吸血鬼の血を取り込むと、無条件で吸血鬼になるのか?」
「そういうわけじゃないわ。吸血鬼の血を取り込んだ結果、自分の身体の中でエーテルを生成できるようになって初めて、その人間は吸血鬼になったと言えるの。私の研究では、体内でエーテルを生成できるようになることで、肉体にも変化が現れることがわかってるわ。身体能力や再生力の向上、細胞の老化のストップやあとは……」
そのあともペラペラと聞いてもいないことを、ジークリンデは楽しそうに説明していく。
正直、後半部分は難しすぎて両助には理解できなかった。
結論としては、吸血鬼とキスしても吸血鬼化することはないということでいいのだろう。それ以上の行為に発展しても問題はなさそうだった。
胸をなで下ろす思春期真っ盛りの少年の腕を、そっとエリスが引っ張る。
「こうなるとジークの話は長いですから、両助くん、別の場所に行きましょうか」
「これを放置してもいいのか?」
「大丈夫です。ジークは誰か一人でも聞いていれば満足しますから。ね、小春」
「えっ?」
いきなり話を振られ、小春が顔を引きつらせる。その顔は行かないで、一人にしないでと雄弁に物語っていた。
「そういうことなら、小春。あとは頼むな」
「なぜそうなる! 見捨てるのか? ボクを見捨てるのか!?」
「小春。あなた私の話をちゃんと聞いてる?」
「もちろん聞いてるぞドクター当たり前じゃないか!」
ジークリンデに矛先を向けられ、ドラグーンを装着したままその場に正座する小春。そのよどみのない動作からは、こういった光景がこれまで幾度となく繰り広げられたことを容易に察することができた。
「じゃあ行きましょうか、両助くん」
そして思いの外、エリスはたくましい性格をしているようだった。