牢獄の星の少女⑤
気が付くと紅茶は完全に冷め切っていた。
どうやらいつの間にか、かなりの時間が経っていたらしい。
「お互いに色々と聞きたいことはあるでしょうけど、今日のところはここまでにしておきましょうか。宮凪くんは食事でもしてらっしゃい。お腹空いているでしょう?」
「そういえば」
思い出したかのように両助のお腹が空腹を訴える。考えてみれば、午後一で実機訓練ということで昼食を抜いたため、朝からなにも食べていないのだ。
「私はこれから少し報告しに行かないといけないから案内できないけど、代わりにこの子が食堂まで案内してくれるから」
この子と言ってジークリンデが指し示したのは、コンソールを操作していたロボットだった。ジークリンデの呼びかけに、さながら餌に群がる鳩のように、司令室にいたロボットたちが彼女の近くへと集まってくる。
そのうち一機が両助に、アームを上げて自分の存在をアピールすると、ゆっくりと部屋の出口へと移動を始めた。
扉の前で一度止まって両助の方を見る。付いてこい、と言いたげな仕草だった。
「じゃあ、お言葉に甘えてごちそうになるかな」
「期待してくれていいわよ。地球の料理は美味しいから」
ひらひらと手を振るジークリンデに見送られ、両助は司令室を後にする。
「う~ん。しっかし、安請け合いをしたかも知れないな」
両助はロボットのあとを歩きながら、吸血鬼という種族について考えていた。
生態については、おおむね知識どおりだろう。だが月で言われているような、冷酷非道の化け物というわけではなく、血の通った理性的な相手だった。それでいて人間に友好的である。地球に頼るあてのない両助にとって、彼女たちの庇護はありがたい。対価が仲よくするだけというのも破格の申し出だろう。
両助にとって利しかない取引なだけに、逆に怪しんでしまう部分もあるが、そうされる理由も教えてもらって一応は納得もした。
「けどなぁ、よくよく考えてみれば、同じ人間相手でもナンパに成功した試しがないのに、吸血鬼相手に仲よくなんてできるのか? そりゃなれるものなら友達関係を飛び越えて懇ろな関係になりたいけども。もてたいけども!」
恐怖がないといったら嘘になる。相手が友好的だとわかったからといって、吸血鬼が自分を一方的に殺せる化け物だということに変わりはないのだ。
エリスのようなかわいらしい吸血鬼もいれば、ジークリンデのような知性的な吸血鬼もいる。人間がそうであるように、様々な性格の吸血鬼がいるに違いない。そのうち一人でも反感を買えば、その時点で殺されてしまうかも知れないと思うと不安は募る。
そうこう悩んでいると、ロボットがひとつの扉の前で動きを止めた。
この扉の先に待ち受けているのは、果たして桃源郷か? それとも……。
「ええい、美少女を前にして尻込みなんて男のすることじゃない! いざ!」
不安を振り払って扉を開く。
直後――
「「「「「ようこそ! アーリンダル空軍基地へ!」」」」」
クラッカーがいくつも鳴り響き、両助は華やかな笑顔に出迎えられた。
「…………へ?」
驚きのあまり、両助は素っ頓狂な声をもらす。
扉の先に誰かがいることは予想していたが、まさかこんな歓迎のされ方をするとは思っていなかった。
食堂で待ち構えていたのは、都合五人の女の子たちだった。
一人はエリス。一番前で、クラッカーを手に輝くような笑顔を浮かべている。
他の四人はまだ見たことのない吸血鬼たちで、特徴こそそれぞれ異なるものの、誰も彼もがとびきりの美少女ばかりだった。広い食堂からすれば少ない人数だが、そうとは感じさせないほどに華やかな存在感を放っている。
「お、おお……なんてまぶしい光景なんだ。ありがたや。ありがたや」
「ふふっ。両助くん、驚きましたか?」
手を合わせて拝む両助に、エリスが代表として声をかける。
「エリス。これは?」
「えへへ、サプライズパーティーです。ジークの提案で両助くんの歓迎会をしようってことになって、こっそり準備してたんですよ」
「そうか。あのときの」
廊下でジークリンデがエリスにささやいたのは、このことだったのだ。
「……ははっ、なんだよ、俺。情けないなぁ」
両助は恥ずかしくなった。
なんてことはない。信じるなんて口では言っておいて、ジークリンデの話を本当は信じていなかったのだ。
だから、他の吸血鬼に会うのが不安だった。相手はこんなにも温かに迎え入れてくれたというのに。
両助は自分を見つめる吸血鬼一人一人を見返した。
誰も彼もが笑っていた。嬉しそうな顔で、楽しそうな顔で、少し不安そうな顔で、ぎこちない感じで、それでも宮凪両助という人間を歓迎して笑っていた。
だから両助も心の底からの笑顔を返した。
「はじめまして! 俺の名前は宮凪両助! 月からやってきた人間の男の子です! 現在彼女募集中! かわいくてエッチな吸血鬼の女の子とか超タイプです!」
それが本当の意味で、両助が吸血鬼という存在を受け入れた瞬間だった。
遠くから聞こえてくる仲間たちの声に耳を傾けながら、ジークリンデは螺旋階段をのぼっていく。
城の天辺にある塔へ続く階段だけは、改装されることなく元々の石材が剥きだしになっており、古城特有の冷え冷えとした空気を今なお保ち続けていた。
階段を上りきったジークリンデの前に、固く閉ざされた両開きの扉が立ちふさがる。
扉には手をかけず、ジークリンデは外から中に向かって呼びかけた。
「おはよう。起きてるかしら?」
返答は、ない。だがそれはいつものことなので、ジークリンデは気にすることなく話を続けた。
「もう気付いていると思うけど、一〇〇年ぶりにこの地球に人間がやってきたわ。まだまだかわいらしい坊やよ。血の美味しそうな、ね」
ジークリンデがはしたなく舌舐めずりをすると、扉の向こうから、にわかに苛立った気配が伝わってくる。付き合いの長いジークリンデには、彼女がなにを言いたいのか手に取るようにわかった。
そう、わかっている。ジークリンデにはすべてが理解できている。
「大丈夫よ。私を一体誰だと思ってるの?」
ジークリンデは自信たっぷりに笑い、肩にかかった髪をばさりとかきあげた。
「私はジークリンデ・リーゼンナハト。アーリンダル空軍の司令代行にして、王の代弁者たる大天才。ゆえに――女王陛下。あなたはなにも心配することはない。あなたの願いはこのわたくしが叶えてみせましょう」
この誓いを報告とし、ジークリンデは白衣の裾を翻して扉に背中を向ける。
その小さくも頼もしい背中に、果たしていつ以来のことか、思い出せないほど久しく、この城の本当の主の声がかけられた。
「――地球は地獄よ」
そう、それこそが唯一の真実で、決して忘れてはいけない現実だ。
そんなことは言われるまでもなくわかっている。ここではそれを忘れたものから死んでいく。
だから……そう遠くないうちに、きっと誰かが死ぬことになるのだろう。
ジークリンデには、聞こえてくる楽しげな笑い声が、あまりにも儚く切ないものに聞こえてならなかった。