牢獄の星の少女②
浜辺から海沿いにゆっくり飛んで十分ほどの位置に、アーリンダル空軍基地はあった。
基地といっても、地上にはぽつんとたたずむ一本の灯台があるだけで、基地自体は地下に築かれていた。
切り立った崖の中腹に作られた入り口から中に入り、しばらく通路を進むと、照明によって明るく照らされた広い空間に出る。
「これはまた……」
ドラグーンを装着し直したエリスに、ここまでお姫様抱っこで運ばれてきた両助は、目の前に現れた巨大な建物を見上げて驚いた。
高くそびえる城壁に、立ち並ぶ尖塔。旧時代は西洋ヨーロッパの歴史的建築物――『城』がそこにはあった。
「ここがアーリンダル空軍基地です」
「すげぇ。本物の城だ。歴史の授業で何度か画像データは見たことあるけど、実物をお目にかかれる日が来るなんて思ってもみなかったぜ」
「喜んでもらえたなら嬉しいです。でも、古いお城がお好きなのでしたら、内装はかなりリフォームされているので、あまり期待にはそぐえないかも知れません」
「いや、元々そういう方面での期待はしてなかったからいいんだけどさ。それよりも、俺が基地に来ることは誰も知らないんだろ? 突然お邪魔しても大丈夫なのか?」
「もちろん。大歓迎ですよ」
エリスはそう言うが、両助は不安をぬぐいきれなかった。
この可憐な吸血鬼が心からそう思ってくれているのはもはや疑う余地のないところだったが、他の吸血鬼も同じとはかぎらない。警戒するに越したことはないだろう。
「ふふっ、両助くんを見たら、みんなすごく驚きますよ」
エリスは城の入り口で両助を下ろすと、ドラグーンを解除する。
「さあ、行きましょう。基地の中を案内しますね」
「あ、ああ」
子供のようにはしゃぐエリスに手を引かれ、両助は吸血鬼たちの本拠地へ足を踏み入れることになった。
分厚い年代物の扉の向こうには、もうひとつセキュリティの備わった自動扉があり、その先に広いエントランスが広がっていた。エリスが言っていたとおり、古びた外観とは裏腹に、城の内部は見慣れた近代建築の様相を呈していた。
「まずはどこへ案内しましょうか? お腹が空いているようでしたら食堂へ案内しますし、汗を流したいということでしたら大浴場にご案内しますけど。もしくは……」
エリスはチラチラと両助を横目で盗み見て、
「よろしければ、わ、わたしの部屋に遊びに来ますか?」
「もちろん!」
反射的にそう大声で答えてから、両助は我に返って続けた。
「最初はこの基地の司令にあいさつさせてもらおうか。それが礼儀ってもんだしな」
「あ、そ、そうですよね。お母さんに紹介するのが先ですよね! やだわたしったら、ついはしゃいでしまって……恥ずかしいです」
赤くなった頬をおさえ、エリスは照れくさそうにはにかむ。
「かわええ!」
海岸でのときとは違い、両助は素直にそう思った。口に出して言った。
エリスという吸血鬼の少女は、見た目はどちらかというとかわいいというよりも綺麗と呼んだ方がしっくり来る少女なのだが、性格はずいぶんと子供っぽいようだった。表情がころころ変わり、身振り手振りも激しい。見ているだけでほっこりしてしまう。
「――って、ちょっと待ってくれ。今、お母さんって言わなかったか?」
「はい。わたしのお母さんが、このアーリンダル空軍基地の最高司令官です。お母さんは吸血鬼の女王ですから」
「なるほど。ということは、エリスは吸血鬼のお姫様?」
「はい、次期後継者です。がんばります」
「そうかそうか」
両助は二度ほど頷くと、エリスに対して勢いよく頭を下げた。
「これまで偉そうな口を聞いてごめんなさい! どうか電気椅子だけは勘弁してください王女様!」
「しませんよ?! あと敬語とかもいらないですから!」
「そうは言ってもなぁ」
両助としても命がかかってくる問題なので、下手には振る舞えない。普通に考えて、自分たちの王女様にただの人間が気安く話しかけている姿は、見ていて気分が悪いだろう。
「お願いですからやめてください。初めての人になってくれた両助くんにそういう風にされると、わたし、なんだか、胸が痛くなってきて……」
「ちょっ!?」
そうこう渋っていると、エリスがまた瞳を潤ませ始めた。
「わ、わかった! 敬語なんて使わない! 友達だと思って気軽に接するから泣かないで! こんなところを他の吸血鬼に見られたら、それこそ殺されちまう!」
「え? 友達ですか?」
「もしかして嫌か? 俺みたいな童貞野郎とは友達になんかなりたくないか?」
「そんなことありません!」
エリスは勢いよく首を横に振ると、鼻先が触れるくらいの距離にまで顔を近付けた。
「なりたいです! 童貞野郎の友達にならせてください!」
「よし、じゃあなろう! ……って言ってなるのもなんか変だけど、まあいいや。俺とエリスは今から友達な」
「敬語もなしですよ?」
「わかってる。エリスも俺に敬語なんて使わなくていいからな?」
「はい、お友達の童貞野郎がそう言うなら、いつもみんなに接している感じで接しますね!」
そう言いつつも、エリスの言葉遣いがそこまで変わる様子は見られない。元々、誰に対してもこんな言葉遣いなのだろう。そしてそんなことよりも、両助としては童貞呼ばわりの方が気になったが、本人に悪気はなさそうなので下手には触れられなかった。
「じゃあ、エリス。改めてエリスのお母さんのところに案内してくれるか?」
「わかりました。あ、でも、お母さんより先にジークに会った方がいいかもしれませんね」
「ジーク?」
「本名はジークリンデって言います。司令代行をしている吸血鬼なんですよ」
「あれ? 代行ってことは、エリスのお母さんは?」
「お母さんは、その、調子があまりよくなくて」
「大丈夫なのか?」
「命にかかわるようなことではないですけど……」
言いにくそうなエリスの口振りから、両助はあまり聞いて欲しくないのだと察した。
勢いで友達関係を築いたわけだが、エリスとは会ってからまだ一時間と経っていない。あまり踏み込んで地雷を踏むわけにもいかなかった。
「そっか。それならそのジークリンデって吸血鬼のところへ連れていってくれるか?」
「わかりました。任せてくだ――」
「その必要はないわ」
エリスの返答に、突然第三者の声が割り込む。
エントランスの奥にある通路から、コツコツと靴音を鳴らしながら現れたのは、風変わりな出で立ちをした少女だった。
フリルやリボンをふんだんにあしらった豪奢なゴシックドレスの上に、裾がすり切れてボロボロになった白衣を羽織っているのである。これほどおかしな組み合わせもそうはない。それでいて、意外にもこれが様になっているのだから、恐らく常日頃からこの格好をしているのだろう。
「子供?」
格好の奇抜さの次に両助が驚いたのは、少女がまだ十かそこらの年頃の女の子だったことだった。
身長は両助の胸元までしかなく、顔も身体も全体的に丸みをおびている。
癖のあるショートのストロベリーブロンドの髪も相まって、まるで等身大のビスクドールのような美少女だった。
「ジーク! どうしてここに?」
現れた少女を見て、エリスが驚きの声をあげた。どうやらこの少女が、件のジークリンデであるらしい。
ジークリンデは、その容姿にふさわしい天使のような微笑みを浮かべると、
「エリスがいつまで経っても帰ってこないから、心配して待っていたのよ。そうしたらまさか、こんなお客さんを連れてくるなんて驚いたじゃない。……ええ、本当に。とても驚いてるの」
両助の前まで進み出たジークリンデは、白衣の裾とスカートの裾を一緒に持ち上げ、優雅に一礼した。
「はじめまして。そしてお久しぶりです、人間さん。ようこそ我らがアーリンダル空軍基地へ。皆を代表して歓迎申し上げます。
わたくしはジークリンデ・リーゼンナハト。この基地の司令代行をさせていただいている吸血鬼です。ジークでも、代行でも、あるいはドクターとでも好きなように呼んでくださいませ」