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墜落④


 タイプ・ハングドマン。


 二十二種存在するといわれているアルカナの中では最も確認数が多く、タイプ・チャリオットと並んで広く名前と姿とが知れ渡っているアルカナである。そのため、相手の戦い方から有効な戦術まで判明しており、比較的与しやすい相手となっている。


 無論、だからといって初実戦に臨む両助に油断などあるわけないが、相手の手のうちがわかっているというのは、孤独な戦いを挑む上でこれほど勇気付けられることはない。


「大丈夫だ。攻撃が通じるなら、明らかにこっちが有利。シミュレーションを思い出せ。俺はハングドマンを何度も倒してるんだ」


 装甲の下で深呼吸をし、頭の中で作戦を練る。


 狙うは短期決戦。ハングドマンの触手には再生能力があり、数分も経たずに再生してしまう。討つなら再生していない今のうちだ。


 また両助だけは先程のハングドマンの攻撃をすべて避けきっていたため、障壁も装甲も無傷のままだが、冷静に考えてこの状況下で集中が長続きするとは思えない。この新型の優れた防御力が万全の状態で一気に仕留めるべきだろう。


「よし、行くか」


 方針は固まった。あとは実行に移すだけ。


 ハングドマンは肉体を削り取られたからか、飛び去っていく他のドラグーンには目もくれず、殺意を秘めた眼差しを両助の駆るドラグーンに向けている。


 両助はそれを真っ向からにらみ返し、決意を言葉に変えて吐き出した。


「――交戦開始(エンゲージ)!」


 瞬間、弓から放たれた矢のごとく両助は飛び出した。

 ハングドマンとの間にある距離の半分を一瞬で詰め、悪魔の瞳にライフルの照準を合わせる。


 だが完全にロックオンする前に、ハングドマンが触手を伸ばした。


 十を超え、二十に迫る触手の群れ。だが先日シミュレーターで五体のハングドマンからなる触手の津波相手に腕を磨いた両助は、器用にこの触手の群れを避けていく。が、やはり数が数だ。時折、触手が障壁をかすめていく。


 そのたびにひやりと冷たいものが背中を撫で、心臓が痛いほどに鼓動を早める。


 これは実戦。負ければ本当に命を落とす戦い。安全が保証された訓練とはなにもかもが違った。冷静であろうとすればするほど、不安が音もなく忍び寄ってくる。


「うぉおおおおおおおおおおおおおお――――ッ!」


 雄叫びをあげることで恐怖を振り払い、両助は前進する。

 そして触手の奥にハングドマンの単眼を見つけた瞬間、今度こそピタリと狙いを定めた。


 ロックオン。前方に触手はもはやなく、弾丸を遮るものはなにもない。


 安堵にも似た勝利の笑みを口元に浮かべ、両助は引き金を振り絞った。


「がはっ!?」


 だが弾丸が放たれようとした刹那、両助は背中を強かに殴りつけられた。思わぬ衝撃に狙いが逸れ、弾丸が見当違いの方向へ飛んでいく。


(馬鹿な。いったいなにに殴られた?)


 障壁の三分の一以上を奪い取っていったその威力よりも、両助は予期していなかった不意打ちを受けたことに驚いた。すべての触手をくぐり抜けた以上、ハングドマンからの反撃はないはずだったのに。


 振り向いた先で両助が見たのは、一八〇度近いUターンを見せて襲いかかってくる無数の触手の先端だった。


 ハングドマンの攻撃手段が触手に限られている以上、当前の光景ではあったが、それは本来あり得ないはずの光景でもあった。一度狙いを外した触手が、この短時間で反撃に移れる道理はない。


 いかなハングドマンの肉体の一部である触手とはいえ、少なくとも今の反撃を成立させるためには、攻撃を中断した上での軌道変更と、一度停止した状態から両助の背に追いつくだけの加速が必要不可欠となる。完全に伸びきった状態から追いついてくるほどの加速を、どうやって触手は得たというのか?


 そのときたしかに両助は目撃した。


 完全停止していた状態の触手が、なんの予備動作もなく、銃口から放たれた弾丸もかくやというスピードで自分に迫ってくるのを。


 さらに、避けるために右に移動した瞬間、触覚は直角に曲がって追いかけてきた。再び避ければ、触手もすぐさま回避先へと方向を変えて追う。その間、スピードは一切減速していない。


「この動き、物理法則を無視してやがるのか!?」


 慣性を無視する触手に、両助はそう判断を下した。


 気になるのは、ハングドマンがそうした動きを見せる事実が、教科書やシミュレーターには記載されていなかったことだった。


 過去の戦闘ではそのような現象は起きなかったのか、それとも目の前のハングドマンだけが特殊なのか。考えながら、襲い来る触手を避けていく。


「そういえば、宇宙空間でのアルカナとの戦いもこれが初なのか」


 これまでのアルカナとの戦闘はすべて地球の大気圏内で行われたものだった。この神秘の宇宙においてアルカナが地上とは違う行動を見せるのは、あるいは必然なのかも知れない。そう思おう。そう結論づけて、心の動揺を落ち着けるのだ。


 教科書やシミュレーターで得た知識はすべて間違っていた――そんなことは考えてはいけない。考えてしまったら、きっともう挑めなくなる。


 ライフルで迎撃することでようやく逃げ切ることに成功した両助は、次から次へと襲いかかってくる触手を必死に避けているうちに、ハングドマン本体から離れることを余儀なくされていた。彼我の距離は最初よりも開いてしまっている。


 一度目の攻撃は失敗に終わった。だが得られたものはあった。

 両助は自分の頭の中にあったハングドマンのデータを、今の突撃でわかった事実を踏まえて修正する。


 飛行速度は両助のドラグーンをわずかに下回るほどだが、触手の速度も合わせれば総合的には倍近いスピードで動くことができる。


 触手の威力は一撃で光学障壁の三分の一を削るほどで、物理法則を無視した動きで対象を追尾する。


完全回避は極めて困難――否、不可能だろう。


「行くぜオラァ!」


 そう判断した上で、両助は再びハングドマンへの突撃を決行した。


 作戦を変える必要はない。ただ、足りなかった勇気を次こそは振り絞るだけ。


 両助は触手の群れをくぐり抜けていく。今度は触手がかすめても怯えることはなかった。この先を思えば、この程度で怖じ気づいてはいられない。


 再びハングドマンの目の前までやってきた両助は、背後から迫る触手の殺意に気付きながらも、無防備に背中を晒したまま本体へと銃口を向けた。


 衝撃――視界の端でゼロを振り切る光学障壁のエネルギー残量。装甲に次々と触手が叩きつけられ、身体の芯にまでその衝撃が伝わってくる。骨がきしむような痛み。だがそれがどうした。まだ耐えられる。こちらの攻撃が相手に致命傷を負わせるまで、この新型の装甲は耐えられるのだ。


ロックオン。今度はもう外さない。


「くたばれ!」


 まさに新型の性能を活かしきった上での捨て身の一撃。

 放たれた弾丸は吸い込まれるように瞳に向かい――見えない力場と衝突する。


「なっ!?」


 弾丸は力場を貫通してハングドマンに届いたものの、威力を大きく削られ、結果的に瞳をつぶすまでには至らなかった。


「しまっ――」


 必殺と信じた一撃を跳ね返され、今度こそ両助は動揺に身体を縛られた。触手にその隙を狙われ、手からライフルを弾き飛ばされる。


「なんでだよっ! 実弾なら障壁を無視できるんじゃなかったのか!」


 結論を出すのは早すぎたのだ。光学兵器を無効化した、ハングドマンの体表を覆う形で張り巡らされた見えない力場の影響を、実体兵器なら受けないという考えは早計だった。実体兵器の場合はその影響が小さかっただけで、力場の干渉自体は受けていたのだ。そして弱点を守る力場はひときわ強く、障壁にも等しい強固さだった。


 そしてその事実以上に問題なのは、今の一撃で仕留めきれなかったことで、装甲が限界に近付きつつあることだ。もはや一分ともたない。


 離脱しようにも、前方を胴体に、上下左右と後方を触手に囲まれてしまっている。


 逃げ場は、ない。


「くそったれ! 全然シミュレーターのデータと違うじゃねえか!」


 両助は思い切り悪態をついて、その事実を認めた。認めざるを得なかった。


 一対一ならドラグーン側が有利というデータは、もはや真実とは思えない。ハングドマンは、アルカナは、たとえ旧時代より何段階も進化したドラグーンと比較してなお、恐ろしい力を持っている。


 だが先達たちはもっと旧型のドラグーンで、もっと絶望的な状況で、それでも戦い、勝利してきたのだ。

なら――この程度の絶望で諦めきれるはずがない!


「負けてたまるか! こんなところで死んでたまるかよ!」


 後ろではなく前へ。両助は右腕に内蔵されていたブレードを抜き放つと、ハングドマンの瞳に向かって思い切り両手で振り下ろした。


 障壁と衝突した瞬間、すさまじい反発に押し返されそうになるが、ブースターを全力稼働させてさらに押し込んでいく。


 腕力と推進力に物を言わせた力業。ことここに至って、他に取るべき策などない。


 身体が急激に月とは逆方向へ引き離されていくのを見て、ハングドマンもさすがに焦ったようだった。触手を叩きつけるのをやめ、ドラグーンの装甲に絡ませると、思い切り締め上げる。障壁を突き破られるより先に圧殺する腹だ。


 あとはどちらが先に限界を迎えるかの根比べ。


 そして――両助の思考の冷静な部分が、このままでは先に自分の命が尽きるであろうことを静かに悟っていた。


「ダメだ! あと少し足りない!」


 だがその差は少しだ。あと一手、あとなにか一手さえあれば、この差を逆転して勝つことができるのに!


「なにかないのか? なにか――」


《戦鬼化を実行しますか?》


 そのとき、両助の目の前に謎のメッセージが浮かび上がった。


「戦鬼化?」


 ドラグーンの人工知能がこの状況下で推奨してきた、謎のシステム。


 この新型ドラグーンに積まれている新システムだろうが、両助はそれがどのような代物なのかまるでわからなかった。それを起動させることでなにが起きるのか、まったく予想がつかない。


「戦鬼化実行!」


 それでも迷わなかった。


 それがどのようなものであれ、使わなければこのまま死ぬしかないのだ。ならばもう賭けるしかない。父親が寄越したこのドラグーンにすべての命運を委ねるしかないのだ。


「頼むぜちくしょう! 俺を勝たせてくれ!」


《YES MY RIDER》


 ライダーの了解を得て、ドラグーンがシステムを起動させる。


「これ、は……!?」


 まず両助が感じたのは首筋に走る小さな痛みだった。

 太い注射針を二本突き立てられた感覚。さらに針を通して、なにかが身体に送り込まれ、なにかが身体から吸い上げられていく。


 それがなんなのかはこのとき両助はわからなかったが、入り込んでくるものが劇薬であることだけはわかった。かつて味わったことのない不快感に、身体がバラバラになるような錯覚に陥る。


 だがかすれゆく意識とは裏腹に、肉体にはかつてないほどの力がみなぎる。


 ハングドマンに突き立てられたブレードの先端が、少しずつ、しかし着実に障壁に食い込んでいく。外観上はなんの変化もなく、機体の速度が上昇したわけでもないが、はっきりと押し込む力は強くなっていた。


 そのとき、不意に赤い髪が脳裏を過ぎった。


 祈りを捧げる赤い髪の乙女。ぎゅっと目を閉じて、必死に誰かの無事を祈るその姿が。


「うぉおおおおおオオオ――ッ!」


 両助は雄叫びをあげると、左手一本でブレードを支え、右手を大きく振りかぶった。


「貫きやがれぇええええええええええ――――ッ!」


 最後に残った力のすべてを右腕にこめて、ブレードの柄に叩きつける。

 ブレード全体が砕けるほどの一撃に、ついに逆さ吊りの悪魔を守る最後の盾は崩れ去った。


 刃の先端がハングドマンの障壁を突き破り、握った拳が瞳を貫く。

 これだけはシミュレーションと変わらない、腐った果実をつぶす感触とともに、ハングドマンの肉体が灰と変わった。


「……ああ」


 自然と、口から感嘆の溜息がもれた。

 どうやら遮二無二戦っている間に、こんなところまで来てしまったらしい。


 嘘のように開けた両助の視界に映り込んだのは、青い、青い星だった。


「……地球だ」


 その清らかな姿はまるで闇に差し込んだ光のようで、両助は自分が生きてアルカナに勝利したことを実感した。激情は不快感とともに消えてなくなり、ようやくの安堵に胸をなで下ろす。


 あとは月に帰るだけだ。


「早く……帰らない、と……」


 きっと今頃、レイたちから報告を受けたミラーゼが、心配のあまり暴走していることだろう。早く戻って安心させてやらないと。そしてどさくさに紛れて抱きついてやるのだ。さすがに初めて云々は無理だとしても、これだけがんばったのだ。それくらいは、きっと、許されるはず。


 だが謎のシステムを行使した代償か、気持ちとは裏腹に、両助の身体は銅像にでもなってしまったかのように動かなかった。


 これ以上、意識を保ち続けているのも限界だった。地球に近付きすぎだと警告するアラーム音も、どこか遠い世界のことのように感じられる。


 漆黒のドラグーンは、ゆっくりと青い星へ墜ちてゆく――……






「ドラグーンの信号をロストしました。直前の位置情報から推測するに、地球に墜落した模様です」


 管制官はそこまで報告したところで、ずっとにらんでいたレーダーモニターから視線を外し、後ろを振り返った。


 観測した事実を過不足なく報告することが彼の仕事ではあるが、地球のある宙域を捉えるレーダーから消えたドラグーンのライダーと、報告すべき相手の関係を思えば、一人の人間として気になってしまうのは仕方ないことだった。


 管制官のみならず、作戦司令室に詰めていた軍人のほとんどが口をつぐみ、司令官である男を注視する。


 男――宮凪鋼造は、部屋中央のモニターに映る地球に鋭い眼差しを注いでいた。


 顔色ひとつ変わることのない横顔は、たった一人の息子が窮地に陥っている父親の顔とは思えなかった。人類統合軍作戦司令室の参謀長官としての、いつもと変わらない泰然とした姿である。


「中将。ご子息の扱いはいかがなさいますか?」


「決まっている。戦闘中行方不明(MIA)だ」


「……よろしいのですか?」


「地球に墜落してしまった者は、誰であれMIAとする規則だ。そこに例外はない。そんなことよりも警戒を怠るな。地球を脱したアルカナが一体だけとは限らんのだからな」


「了解」


 管制官はモニターに視線を戻す。


 本当に同じ人間の血が通っているのか不思議なくらいの冷徹さに、しかし失望は感じない。アルカナの出現という未曾有の非常事態を前にしては、頼もしさの方が上回る。


 これこそが宮凪鋼造という男なのだ。


 どんな事態を前にしても、決して揺れることのない精神を持つ鋼の軍人。彼の命令に従っていれば、今回の非常事態も必ず乗り切れる。


 一人、また一人と作戦司令室に詰める軍人たちはおのれの職務に戻っていく。

 信奉にも似た信頼を抱くがゆえに、彼らは最後まで気付くことが出来なかった。


 鋼造の瞳がわずかに揺れていることに。


 そして、どのような形であれ一〇〇年ぶりに人間が地球に帰還した――ある意味ではそれが、アルカナの出現に匹敵する非常事態だということに。




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