酒瓶
「陛下、内政執行官クロウ・ボーゼストが目通りを求めております」
執務室の扉を、衛兵が叩いた。
「通しなさい」
「偉大なる国王陛下。ご機嫌麗しく」
「まぁ、座りたまえ。機嫌はあまり芳しくはないがな…」
腕を組み、ボーゼストと向き直る。
「お察し致します」
「では聞こう…例の不作の件だな?」
ボーゼストを促す。
「安息年からまだ二年目です…。加えて雨不足や日照不足でもないとすると…」
安息年とは、一年を通して作付をせず、土地を休める事だ。六年間収穫し、一年間休ませる。そうする事で、土地が痩せ凶作となる事を防げる。
「原因は分かったのか?」
原因が分からなければ対策の取りようがない。
「申し訳ありません。諸説上がってはいますが、どれも決定力に欠けます…」
低頭したボーゼストが一つの書類を差し出した。
「先行して、不作地域への緊急救済案をまとめてまいりました。ご確認ください」
「ご苦労…君にはいつも助けられる」
「恐悦至極に存じます」
かしこまるボーゼストの肩を叩く。
「いや、本当にありがたい。若くて有能な君にはつい期待してしまうが…あまり無理はしないでくれ」
「ありがたきお言葉でございます。粉骨砕身、犬馬の労もいとわず尽力致します」
「陛下、騎士団長グラス・ボードマンが目通りを求めております」
再び扉が叩かれた。
「…通せ」
一息ついてそう答える。
「は…ですが…」
言い淀む衛兵。
「構わん、通せ…」
またいつもの事だろう。
「わかりました、どう――」
衛兵の言葉が終わる前に、一人の老齢の男がずかずかと部屋に入ってくる。
途端に酒の臭いが充満する。
ボーゼストの顔が不快そうに歪んだ。
「よぉ、偉大なる国王陛下。ご機嫌麗しく」
危なっかしい千鳥足で、たたらを踏む騎士団長。
「ボーゼスト、くれぐれも無理をしないでくれ…自らの体を管理できぬ者に、国の管理は出来ぬ」
「銘記致します」
深々と一礼し、ボーゼストが下がる。
「…ボードマン卿、陛下の前で酒の臭いを撒き散らすのはいかがなものか?」
すれ違い様、咎めるような口調でボーゼストが言う。
「ハッハッハ…若い者は旨い酒の味を知らんとみえる」
ボードマンを睨み付けるように一瞥して、ボーゼストは退室した。
「若いのぅ」
ボーゼストの背中が消えた扉を、楽しそうに眺める。
「まぁ、ボードマンから見れば、大抵の者は若かろう…」
苦笑して続ける。
「…うちの娘とも一悶着あったそうではないか」
「おぅ、王女様の事か。耳が早いな」
「ギルドから連絡があってな…。狼狩りに行ったそうだ」
「なるほどなるほど。相変わらず凛々しい王女様だ」
カリンは苛立つ事が起きると、必ず狩りに出る。
そしてその苛立ちの理由の大半は、ボードマンとの衝突だった。
「赤ん坊だったあの娘が、あっという間に半人前か…。お、この酒貰うぞ?」
酒瓶の並ぶ棚から、年代物の酒を抜き取る。
国王の娘を"半人前"呼ばわりできるのは、王国内でも、ボードマンただ一人だろう。
「酒もほどほどにな、ボードマン」
ため息混じりに、ボードマンに椅子を勧めた。
「王女様といえば、ほら、もうすぐ晩餐会に出てもいい年じゃないのか?」
良家の子息子女はある程度の年になると、国王が主催する社交界に出席するようになる。その年齢は様々で、10歳にならずとも出席できるようになる子もいれば、30歳を過ぎても出席できない"問題児"も存在する。
「あれは堅苦しいのを嫌ってな。10代も半ばなのだし、そろそろお転婆娘は卒業して欲しいものだが」
ボードマンの指摘に苦笑する。
「国政の難題を次々片付ける国王陛下も、愛する一人娘には頭を抱えているわけか」
がっはっは、と豪快に笑うボードマン。
「先日、カリンの機嫌が悪かったのも、ボードマンが何か言ったからか?」
「うむ、メイドの格好をして城中を走り回っておっからな。政の勉強もするように言ったのだが、『一日中、酒ばかり飲んでいる穀潰しに言われとうないわ!』と逆にお叱りを受けてしもうたわ」
再度豪快に笑うボードマン。部屋中の空気が震えるようだ。
「近々、カリン付きの文官武官を、重臣たちの子息子女から選任しようと思ってな。年の離れた教育係ばかりではカリンも堅苦しいだろうし、年の近い者達を統率するように命じれば、少しは為政者としての自覚を持ってくれると期待して・・・あぁ、期待したいものだ」
後半は願望混じりではあるが、本心だった。
「それならなおのこと、晩餐会に参加せねば、重鎮共の子供達と顔を合わせられぬではないか」
そうなのだ。
「来週・・・いや、来月の晩餐会では、顔見せだけでもやらせるつもりだ」
「先月も同じ言葉を聞いた気がするぞ」
「次こそは、次こそは。と正装を用意させて、何着無駄になったことか。だがそろそろ私も我慢の限界だからな、多少無理にでも連れてくるつもりだ」
それなりに反抗はされるだろうが、これも王家の務めなのだ。いつまでも甘やかしていては国民に、臣下に示しがつかない。
「力強い言葉を聞けて安心した。王家の繁栄を願って」
新しい酒瓶の栓を開けながら、ボーゼストが杯を掲げた。